神よりも人間らしく

猫パンチ三世

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第四章 動き出す者たち

二十一話 繋ぎとめてくれる人

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 透との戦いを終え、生き残った洋平の苦労はまだ終わらない。
 昨夜早く寝ると言って部屋に行った息子が、朝にボロボロの状態で起きてきたとしたら、京子は間違いなく卒倒する。

 そのため洋平は、全身の激痛に耐えながらいつも通りに振舞わなければならない。
 マガズミと体の伸び縮みの仕組みを含めた話をするのを後回しにし、体を起こした。
 
「いっ……つつつ」

「あーんま無理しない方がいいんじゃないの? 傷の治りも早くはなってるけど、とりあえず今日ぐらいは寝といた方がいいよ」

「そういうわけにもいかねえんだよ」

 選択者は切り傷や打撲などのちょっとした傷の治りが、常人と比べてかなり早くなっている。だが戦闘で腕を切り落とされたり腹を大きく溶かされた場合など、体を大きく欠損した場合は、決着後に殺した相手の魂を使って欠損部位が修復される。
 
 洋平が今回の戦いで負った怪我は、顔面の擦り傷が数か所と左第六・七肋骨のヒビ、更に頭部裂傷に加えて全身の筋肉痛。頭部の傷は既にほとんど消えているが、筋肉痛と肋骨のヒビは一晩で治るものではなかった。
 洋平は今回の戦いに生き残ったが勝利したわけでは無い、時間経過でしか彼の傷は治らないのだ。

 とはいえずっと寝ていては、いずれ起こしに来た京子にボロボロの姿を見せてしまう。ならば元気な姿を一度でも見せてしまえば、余計な詮索をされなくて済む。
 痛む体を引きずって、洋平は部屋を出た。



「おはよう」

「おはよう、帰ってこれたんだ」

「どうにかな」

 リビングには、久しぶりに帰って来た浩二がいた。
 京子は溜まりに溜まった浩二の洗濯物と格闘している、洋平は新聞を読む父親の前に座った。
 相変わらず二人の間に、楽しい会話というものは存在しない。何とも言えない空気が流れ、それに耐えきれず洋平はテレビを点けようと立ち上がった。

「喧嘩か?」

「え?」

 思いがけない父の言葉、振り向くと浩二は自分の目の周りを指差している。
 洋平の顔面の傷はほとんど消えていたが、目を凝らせばうっすらと目の周りに擦り傷のような物がある。浩二にはそれが見えていた。

「えーっと、喧嘩……かな。ちょっとね」

 万が一傷の事に触れられた場合の言い訳を、洋平はいくつか用意していた。
 だがそれはあくまで京子に対するものだ、まさか浩二が傷に気付くと思っていなかった洋平は驚きと焦りを隠せなかった。
 更に戦いで疲れ切った頭では上手く言い訳もできず、捻りの無い真実を口にしてしまった。透との戦いは喧嘩などという生やさしい物では無かったが、それを喧嘩と控えめな表現で伝えたのは洋平の僅かばかりの抵抗だった。

「勝ったか?」

「……負けたよ、手も足も出なかった」

「何か得たものはあったか?」

「あった……かな」

「ならいい」

 浩二はそれだけ言うと、再び新聞を読みだした。
 ここまで饒舌な父の姿を、洋平は見た事が無い。もう少し先ほどの発言について聞きたかったが、洗濯物との格闘を終えた京子が戻って来たため、そこで話は終わってしまった。

 朝食が机の上に並べられ、久しぶりの一家揃っての食事が始まった。
 久しぶりとはいえ、三人での食事風景は変わらない。洋平と浩二はいつものようにあまり話さない、京子は洗濯物についての文句を二・三個ほど言い浩二は謝る、そして洋平にもシャツは裏返しで出さないようにと注意した。

 筋肉痛で痛む腕をどうにか使い、洋平は朝食を終えた。
 途中で何度か京子が洋平に体調はどうかと尋ねたが、それに大丈夫と答え彼は自室へ戻って行った。

「洋平……大丈夫かしら」

「様子がおかしいのか?」

「ええ、何か思い詰めたような顔をしてる事も多くて……」

 浩二よりも長く家にいて、洋平を見ている京子は最近の息子の様子が気がかりだった。
 ここ最近見せる思い詰めたような表情、時々部屋から聞こえる独り言にしては大きい声、それについては電話しているのかとも思っていたが、まるで話し相手がすぐそこにいるように話しているような口ぶりが気になった。
 最近の目まぐるしい生活の変化は、多感な高校生の精神を蝕むには充分すぎるものだ。そう思い京子は洋平に何度も声を掛けてみたが、先ほどのように大丈夫と笑うばかりで何も教えてはくれなかった。

「高校生にもなればそういう事もあるだろう」

「でも……心配で」

「……分かった、後で話をしてみよう」

「お願い」

 心配そうな顔を見せる妻を励ますように、浩二は味噌汁を一気に飲み干し美味いと呟いた。



 洋平が部屋に戻ると、マガズミは漫画を読みながら待っていた。彼の部屋には他にもテレビやゲームなどが置いてあるが、マガズミはあまりそれには手を出さない。
 どうやら漫画を読む方が好きらしく、洋平が部屋に入ってきても黙々と読み続けている。

「なあ」

「あと三ページだから待って」

 ベットに座り、マガズミが漫画を読み終わるのを待つ。
 やがて読み終わり、漫画は閉じられた。

「終わったか?」

「終わった」

 本棚に漫画を戻すと、マガズミは洋平の隣に座る。
 
「さ、時間もある事だしゆっくり話しましょ。何から話すの?」

「……お前って本当に殺せないのか?」

「なるほどねえ、試してみる? 今ここで」

 マガズミは机の上に置いてあるカッターを洋平に手渡し、自分の首をトントンと叩く。

「切ってみたら? 上手くいけば殺せるかもよ?」

 カチカチと刃を出し、洋平はカッターを構えた。
 白く細い首筋、普通の人間と変わらない柔らかそうな皮膚、刃を押し当てて思い切り引けば簡単に殺せそうだ。
 赤い血が噴き出し、ベットのシーツを赤く染める場面を彼は想像した。

「ほら、早く」

 洋平はゆっくりと刃を首筋に当てる、硬い刃はマガズミの弾力のある肌を僅かに凹ませている。後は刃を引くだけ、たったそれだけだ。
 だというのに彼の手は動かない、目の前の神を殺す事をあれだけ望んでいたというのに、その絶好の機会にも関わらず彼の手は動かなかった。
 人ならざる者とはいえ、人と同じ姿をした生き物の首を切る事が無性に恐ろしかった。

「はあ、根性なしね。ちゃんと玉ついてるの?」

 マガズミはカッターを洋平の手から奪い取ると、自分で首を切り裂いた。
 
「なっ……!」

「ほらね、嘘ついて無かったでしょ?」

 傷口からは夥しい量の血が流れ出しているが、マガズミはそれを意にも介さず笑っている。その様は目の前にいる生き物が、人間では無くそれを超えた神である事を雄弁に語っている。
 流れ出した血の赤さは、目を奪われるほどに美しかった。

「わ……分かったから、早く血を止めてくれ!」

「はいはいっと」
 
 くっとマガズミが首筋に力を入れると、貝が口を閉じるように傷口が塞がる。胸の辺りを赤く濡らしていた血は、空中に浮きあがり赤い飴玉のように形を変えた。
 それを口の中に放り込み、美しい少女の姿をした神はわざとらしく大きな音を立ててそれを飲み込んで見せた。

「分かってもらえた? 嘘じゃなかったって」

「ああ……悪かったよ」

 カッターを受け取りそれを机に戻すと、洋平はベットに再び座る。
 
「まだ憎い? アタシの事」

 いつか見た煽るような笑みをマガズミは浮かべた、洋平はその顔を見ずに答えを探す。透にも指摘された『マガズミに対する殺意』、それを元にした神を殺すという願いを叶える為に彼はこの戦いに参加した。だがその憎しみは少しずつ薄まっている、落ち着いて冷静になればマガズミにほとんど非は無い。

「お前だろ? 俺の事をここまで運んでくれたの」

「そうよ」

「……ありがとな」

 その言葉はマガズミの質問の答えとして充分すぎるものだった、聡の死もマガズミへの憎しみも、全てを受け入れ前へ進もうとする人間の言葉。
 洋平の感謝の言葉に含まれた、確かな意思をマガズミは感じ取っていた。

「どういたしまして、これでもう少し仲良くしてくれるかしら?」

「……調子のんな」

 笑うマガズミの隣で、不機嫌にだがいつもより柔らかい声で洋平は呟いた。
 
「でもアタシに対する恨みが消えたって言ってもさ、この戦いを降りる気は無いんでしょ?」

「ああ」

 マガズミという敵が消えたいま、洋平の敵はただ一つ。
 無関係な人間をいたずらに殺す他の選択者たち、彼らを止める為にこの戦いに望む覚悟がようやくできた。

「だから、俺に力を貸してくれ。

「分かった、これからもよろしくね

 マガズミは洋平に言わなかったが、キリング・タイムは参加した以上は勝ち残るか死ぬ事でしか戦いを終える事ができない。
 戦いを放棄するという事は、神との契約の一方的な破棄となり選択者には逃れられない死が訪れる。

 その事を伝えなかったのは、洋平がこの戦いを降りるような人間では無いと言う確信がマガズミにあったからだ。
 誰かを想って湧き上がる怒り、それを洋平は持っている。
 親友の死、壊された日常、身勝手な選択者、それらを目の当たりにした事で彼の中には、恨みや憎しみといった負の感情からではない怒りが確かにある。
 それを持っている彼が、この戦いを降りるとは思えない。
 だからマガズミは、その事を伝えなかった。

 柔い空気が流れる部屋にノックの音が響く。

「洋平、ちょっといいか?」

 浩二の声を聞き、マガズミは急いで姿を消し洋平はベットに横になった。

「いいよ」

 部屋に入って来た浩二は、ベットの脇まで来ると布団を指差し座ってもいいかと仕草で尋ねる。突然の父の来訪に驚いたが、わざわざ部屋まで来たという事はよほどの事があるのだろうと判断し、洋平は黙って頷いた。

 ベットに腰掛けた浩二は、なんと言葉を切り出すべきか思案しているようだった。
 居心地の悪そうに頭を掻いたり、髭を触ったりしている。その様子を見ていたマガズミは、以前自分に力の使い方を教えて欲しいと言ってきた洋平を思い出し、親子だなとにやけていた。

「急にどうしたの?」

「いや……そのな……最近学校はどうだ? 上手くやれてるか?」

「まあまあ……かな、何で?」

「まあ……喧嘩したようだし、母さんも心配していたからな。少し気になった」

「その事か、なら大丈夫。問題無いよ」

 浩二は悩む、今まで散々父親らしい事をしてこなかったというのに、今更どんな顔をして今の自分の気持ちを伝えればいいのか。
 浩二とて今でこそ一社会人として働いているが、息子と同じ道を歩いた経験がある。恐らく無理に話を聞こうとしても、息子が何も言ってくれないのは目に見えて分かる。だから浩二は、ほんの少しだけ素直に思いを口にする事にした。

「……分かった、ならこれ以上は何も言わない。だが洋平、一つだけ覚えておいてくれ」

「何?」

「強くなるという事は、無理をするという事じゃない」

 そう言った父の横顔を、洋平は生涯忘れないだろう。
 口下手で、寡黙であまり喋らない父がどうにかして自分の胸の内を伝えようとしている。らしくない事を言っている、届くかどうかも分からない。
 だがどうにかして分かってほしい、言葉を浩二は少し震えた声で息子に伝えた。

「いくつになっても、私たちの関係は変わらない。母さんに言いづらい事があれば言ってくれ」

 浩二はそう言って部屋を出て行こうとした、これ以上彼は息子に掛ける言葉が見つからない。自己満足だと言われてしまえばそれまでだろうが、それでも浩二は洋平を大事に思っていた。

「だったらさ、もっと家に帰ってきてくれよ」

 振り向いた浩二の目には、そう言って笑う息子の顔が映る。
 久しぶりに見た子供の笑顔、彼の中にある負い目のような物を吹き飛ばしてくれるような温かさをそれは帯びていた。

「もっと話したい事あるからさ」

「……ああ、分かった」

 浩二は部屋を出ると、携帯電話で仕事のスケジュールを確認しながら階段を下りて行った。
 洋平は少し軽くなった心を抱えて、眠りに落ちていく。
 結局、彼の土日は体力の回復に使われた。



「昼飯、一緒に食うぞ」

 月曜の昼休み、雄一は洋平を昼食に誘った。
 彼はもっと早くに声を掛けたかったが、昼になり教室を覗くといつも洋平がいなかったため、声を掛けられなかった。
 今日は必ず声を掛けるという強い意思を持って、四時限目の終了のチャイムが鳴ると同時に教室を出て、廊下で待っていた。

「誘ってくれんのは嬉しいけど……」

 洋平に対する冷たい視線はまだある、それを考えれば彼がその誘いを快諾できないのは当然だった。
 
「関係ない、行こう」

 そして半ば強引に屋上へ洋平は連れて行かれた、どうしてこうも頑ななのか彼には分からない。
 その理由を聞いても『いいから来てくれ』と雄一は言うばかりだ。

 屋上へ続く扉を開くと、雄一の友人二人がすでに昼食を広げて待っていた。
 
「おっ、やっと来たか」

 二人の元へ行き、促されるまま洋平はコンクリートに座る。
 今の自分の状況が何一つ理解できず、彼はただただ困惑していた。雄一以外の二人は聡と何度か一緒にいたのを見たぐらいで、ほとんど面識はない。なぜこの不可思議なメンバーで昼食を食べる事になったのか。
 それを洋平は、誰かに説明して欲しかった。

「あのさ……いいのか? 俺といたら……」

「わっり! 俺ら隣のクラスだからさ、そっちの事よく分かんねーの」

「そうそう、俺たちはただこいつが友達を紹介してくれるっていうから来たんだぜ」

 そう言って二人は雄一を指差した、彼は少し照れながらパンの袋を開けた。

「ああ、俺はただみんなで飯が食いたかっただけだ」

 洋平のクラスの人間をどうこうする事は難しい、ならば自分たちが彼の味方になればいい。それが三人の出した結論だった、なぜそこまでしてくれるのかは洋平には分からない、仮に彼がそれを三人に聞いたとしても意味は無い。

 ただ今あるのは、洋平の中にあるのはただただ感謝の気持ちだけだった。

「ありがとう」

 少しだけ四人の間にこそばゆい空気が流れ、それを打ち消すように誰ともなく大声を出して食事を始めた。
 それは洋平にとって、久しぶりの同級生との笑いのある食事となった。


 超常の力を得て、一線を越えてしまう選択者。
 洋平もまた選択者の一人として、その線の瀬戸際を歩かなくてはならない。
 怒りに任せ、魔が差し、その線を越えようとしてしまう瞬間が無いとは限らない。
 
 だがその線を越えようとした時、彼を止めてくれる人間がいる。
 超えようとする体を、力いっぱい繋ぎとめてくれる人間がいる。

 ただ掛け替えのない幸福を、洋平はいま肌で感じていた。
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