神よりも人間らしく

猫パンチ三世

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第五章 見えない隣人

三十四話 それぞれの決着

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「両腕の切断を確認、もうあの男に戦うための力は残っていないかと」

 サグキオナの目には、両腕から血を噴き出しながら倒れ込む武の姿が映る。
 対する洋平たちはというと、洋平の体に数か所の打撲や背中を打ち付けた事による痛みなどがあるが、それはどれも致命傷では無く一輝に至ってはほとんど無傷のようなものだった。
 
「男の傷や洋平たちの状態、その他の点から見てもあの男の敗北である事は間違いありません」

「ふーん、勝ったんだ」

 マガズミはサグキオナの言葉を聞きながら、体に付いた埃を払っていた。洋平たちの勝利はマガズミにとって驚くような事では無い、むしろ勝って当然とすら思っていた。
 
「だってさ、残念だったね。イガクマ」

 マガズミの視線の先では、イガクマがかろうじて息があるような有様で倒れていた。
 体中から血を流し、右目を潰され左腕は薄皮一枚で繋がっているような状態だ。背中の肉を大きく欠損し、彼は立ち上がる事もできずただただ残された左目でマガズミを睨む事しかできない。

「ふざ……けんな、てめえ……なんだあの力は……」

 彼はただひたすらに困惑していた、全知全能の神ですらマガズミの力を理解できなかった。イガクマは以前マガズミの力を見た事がある、だが先ほど彼を蹂躙したのはその力では無かった。

「後輩の前だから、少し張り切っただけよ。あんたが弱かったわけじゃない、アタシが強かったわけでもない、ただあんたがアタシの事を知らなかったってだけの事よ」

「くそ……く……そが」

「分かったらとっとと消えて、あんたと話してると疲れるのよ」

 悔しさを滲ませ、怒りから歯を食いしばりながらイガクマは倒れたまま姿を消した。倒れていた場所をマガズミは見る、その顔にはいつものような笑顔は無くただ軽蔑にも似た冷たい目でその場所を見ていた。

「助かったわ、ありがとね」

 サグキオナに声を掛けたマガズミの顔には、いつもと同じような笑みが戻る。
 先ほどとは違う、柔らかい空気をマガズミは放っていた。

「いえ、感謝されるような事は何も。あくまで神としての仕事の範疇ですから」

「人の感謝は素直に受けるもんよ、ありがとうって言われたらどういたしましてでいいの」

 サグキオナの横に並び、マガズミは洋平たちの方を見た。
 目を細め、満足そうに二人を見る。

「ま、二対一だからね。あれで勝てなきゃ無能ってもんよ」

「イガクマは、敗北した神はこれからどうなるのですか?」

「さあね、まあ死にやしないわ。あんな奴でも神だしね、それよりも眩偽はまだ解かないでね」

「分かりました」

 二人はそのまま、洋平たちの決着が付くのを眺めていた。


 血をまき散らしながら武は地面に倒れ込む、彼の自慢の鎧は砕かれ両腕は無惨に切り落とされた。
 気が狂うほどの激痛、負けた怒り、それらは大きな塊となって彼を押し潰している。声にならない悲鳴を上げながら、地面に向かって呻くその姿はあまりに悲痛で惨めだった。

「なに……なにが……起きたんだ?」

 洋平は、自分がどうして武の鎧を切り裂く事ができたのか分からなかった。
 負けまいと刃は押し込んだ、だがそんな気持ち一つでどうにかなるような力の差ではなかった。あのままだったとしたら確実に刃は弾かれ、洋平は吹き飛び一輝は殺されていた。

 だが突如として変化した洋平の紅い刃、彼の血に包まれた刃は圧倒的な力の差を覆し、武の鎧を切り裂いた。
 目の前で起きた事が理解できず、少しの間だが洋平は頭が真っ白になり立ち尽くしていた。だが自らを呼ぶ一輝の声に意識を取り戻し、彼の元へ走りだした。

「宇佐美! 大丈夫か!?」

「大丈夫、足を挟まれただけだ」

 洋平が手を貸し一輝はなんとか地面から足を引き抜く、彼が足を少し動かすと軽い捻挫程度の痛みは走るが、骨や健には異常は無いらしく普通に立ち上がる事ができた。

「良かった……」

 二人が安堵の表情を見せたのも束の間、彼らの耳に武の狂ったような笑いが響く。
 思わず耳を塞ぎたくなるような、悲痛で狂った笑いだった。

「お前ら……こんなもんで俺に勝ったつもりか? まだ俺は……戦える……」

 両腕から血を流しながら武は立つ、彼の言葉がただの強がりだという事は誰の目にも明らかだった。鎧は砕かれそもそもそれを装備する腕さえ無くした武には、もう彼らに抗う手段が無い。
 いくら立ち上がろうと、彼の敗北は覆らない。

「そんな事言ってる場合じゃない、すぐに病院に……」

 先ほどまで殺されそうになっていた相手にも関わらず、一輝は武の身を案じ声を掛ける。腕から流れる血の量は明らかに致死量だ、いかに選択者の体が頑丈に変化しているとはいえすぐに適切な治療を施さなければ一時間と待たずに武は死ぬ。
 
 だが彼は自らを案じ、声を掛けた一輝を睨みつけた。
 
「うるせえ!! んだよ……その目は……憐れみか? ふざけんじゃねえ! 何で俺がお前に気の毒に思われなきゃいけねえんだ! 俺は違う、お前らみたいな誰かとつるまなきゃ何もできねえ奴らとは違う! 俺を見下すな! 俺を馬鹿にするんじゃねえ!!」

 武の叫びは周囲に響く、その叫びには彼の今までの全てが込められていた。彼の人生の全てを洋平たちが理解する事はできない、だがその言葉からは彼の今までの人生が垣間見えたような気がした。
 人とは違うと周りを見下し、自分の弱さから目を背けどれだけ周りに自分を強く見せても、決して拭えない劣等感を抱えながら生きてきた男の人生が。

「そうやって……否定して生きて来たのか、差し出された手にすら唾吐いて生きて来たのかあなたは」

「差し出された手? ふざけんじゃねえ! 結局は良い事してる自分に酔いたいだけだろうが! 心のどこかで見下しながら、俺を助ける自分が上だって思いたいだけだろうがよ!」

 一輝は武を見た、その目にはただただ悲しい色が映る。
 善意を否定して生きてきた男、引き返す事は何度でもできた。だが彼はここまで来てしまった、全てをかなぐり捨て神に踊らされそして負けた。両腕から血を流しながら叫ぶ武の姿は、あまりにも孤独だった。

「あなたの言いたい事は分かる……ただそれは……あまりにもさびしい」

 そう言って顔を暗くした一輝を見て、武は急に全てがどうでもくなった。
 両腕から流れる血のせいか、はたまた別の理由からかは分からない。だが自分の体から、すうっと熱が引いていくのが分かった。

「別にお前に分かってもらおうとは思ってねぇ……おいそっちのガキ、俺を殺さねえのか?」

 洋平は武を殺す気だった、自分たちを友人を殺そうとした武を生かしておこうなどとは思っていなかった。
 だが両腕から流れる血の量の勢いが弱まるのを見て、洋平はすでに理解していた。目の前の男がそう長くは生きれないと、ならば自分が止めを刺す必要は無い。
 そして何より、武を想い顔を曇らせた一輝の前で人を殺したくなかった。

「もう……行けよ」

「……そうか」

 武はよろよろと歩き、姿を消した。
 残された二人の間には、ひどく冷たい風が吹く。お互いにどう声を掛ければいいのか、それが全く分からなかった。

「やーやーや、お疲れさん。二人とも」

 冷たい空気をかき分けるように、マガズミが歩いて来た。
 いつもなら無神経だと感じてしまうようなマガズミの態度も、洋平にとって今は少しありがたい。

「いやいや大したもんだね、美しい友情パワーってやつかな?」

「茶化すな、今はお前に付き合ってる暇はねえ」

 そう言って洋平は一輝に向かって頭を下げた、以前彼の祖父がそうしたように万謝を込めて頭を下げた。
 
「ありがとう宇佐美、お前がいなかったらきっと俺は死んでた。本当に……ありがとう」

 洋平はどうしても感謝を伝えるのは、今でなければならないと考えていた。
 戦いを終え、その熱が引けば一輝の頭も冷静になる。そうすれば、選択者である自分を気味悪く思うかもしれない、無論そうでない場合も考えられた。
 だが、超常の力を使って戦い殺していないとはいえ武の腕を洋平は切り落とした。それは普通の人間が彼から距離を取るには、十分すぎる理由だ。

 もしそうなってしまっても仕方ない、それを黙って受け入れようと洋平は決めていた。だからこそすぐにでも一輝に感謝の言葉を伝えたかった、今日の勝利は間違いなく一人では掴めなかったのだから。

「沢田は……今までもこんな戦いを一人で超えてきたのか?」

「……ああ」

 顔を上げないまま、一輝の質問に洋平は答える。

「これからも、戦い続けるのか?」

「ああ」

「……そうか」

 頭を上げられない洋平の地面ばかりを写す瞳に、一輝の手が映る。
 それを見た洋平が顔を上げると、彼は右手を差し出しながら小さく笑った。

「手を貸してくれないか? まだ少し、足が痛むんだ」

「……ああ!」

 洋平は一輝に肩を貸し、二人は帰路についた。
 紅いカラスが飛ぶのを見ながら、彼らは家へ帰る。言葉は少なく、疲れ果てた二人はポツポツと話しながら歩く。
 濃くなり始めた夕暮れの闇でさえ、彼らを包むことができなかった。




 武は朦朧とした意識のまま、行く当ても無くただ彷徨っていた。 
 着実に消えていく自分の命を感じながら、ただ歩みを止めたくないという気持ちだけで彼は歩く。

 彼は負けた、完膚なきまでに負けた。一対一なら勝てたはずだった、一輝が動きに慣れる前に殺せれば、あるいは二人が合流する前に殺せれば、そんなたらればが泡のように浮かび消えていく。
 だがそれが言い訳に過ぎない事を、武はもう知っていた。

 二人が揃ったとしてもそれを叩き潰すだけの力が自分にはある、そう思っていた。
 だが実際は違かった、一人の力では武は二人に勝てなかった。彼の脳裏には今までの記憶が蘇る、彼はいつもそうだった。
 自分はもっとできる、やればできると勇んで何かを始めたはいいが、それが自分の妄想に過ぎなかった事にすぐに気付く。勉強も運動も、頭の中では何もかもできるというのに実際は人並みにこなす事さえ精一杯だった。

 そうやって何度も自分の中にある理想の自分に押し潰され、劣等感は増していった。
 人の優しさを素直に受け取れず、アドバイスをくれた人間を突き放した。そうやって彼は一人になっていった。体が大きかったからかいじめられはしなかった、だが友人と呼べる人間は一人もおらず、いつも人と世の中に対する憎しみと不満を抱えて生きていた。

 俺はお前らとは違う、俺はもっとできる。
 だから、だからもっと俺を見てくれ。もっと俺を褒めてくれ、体の中で幼いままの心は泣き叫ぶ。
 体だけが大きくなり、心は置いてけぼりを食らっていた。

 幼い心を慰める事もできず、彷徨い続け彼は奇跡にすがった。

 武の足から力が抜け、彼は草むらに倒れ込んだ。
 ひどく体は冷え、視界が少しずつぼやけていく。

 もう何も思い出せなくなっていく、闇が少しずつ武の体を覆っていく。
 薄れていく視界の中で、彼は一輝の言葉を思い出した。さびしい、それはあまりにも彼を的確に表した言葉だった。
 そしてもう一人、思い出したのは贄に捧げた同期の顔。才能に溢れ、周りからも期待される自分とは違う場所にいる人間。

 結果が出ず、荒んでいく武に最期まで声を掛け続けてくれた人間。
 試合で負ければアドバイスをくれた、練習にも付き合ってくれた。そんな姿は武にとって妬むべきものであり、否定するべきものであり、そして憧れだった。
 眩しかった、あまりにも。

 だから贄にした、そうでもしなければそうしなければ、もう耐えられなかった。
 その明るさに、その優しさに、認めてしまえば今までの自分が全て無意味になってしまいそうだった。

「俺……俺は……認めて……ほしかった。お前の……横に……並んで……」

 武は最期の力を振り絞り、腕を伸ばした。
 だがその手は何も掴めない、すでに彼は誰かと繋ぐ手もそして手を組んで笑い合いたい人間も失っていたからだ。
 力無く彼の腕は地面に落ちる、濃くなった夕闇に彼は飲み込まれていった。


「けっ……使えねえ、やっぱり愚図は愚図か」

 イガクマは忌々しそうに武の体を蹴り飛ばす、マガズミに破壊された体は見た目上は回復してるがそれはあくまで見せかけだ。
 実際は体にしっかりとダメージは残っている、それほどまでに手酷く痛めつけられていた。

「あのまがいものが……このままで終わると思うなよ」

 そう呟いたイガクマの背後に、人影が二つ現れた。

「なんだお前か、見ての通り負けちまった。やっぱりいてもいなくても変わらねえような人間は駄目だな、いざって時に使えねえ」

 振り返ったイガクマはその人影に愚痴る、だらだらと話し続けるその姿を人影はしばらく見ていたが、その人影の後ろにいた人物がしびれをきらしたようにイガクマに近づいた。

「なんだてめえは、お前と話してんじゃねえんだよ。失せろ」

 その言葉に人影は何も答えない、闇はより一層濃さを増した。
 
 その後、二つの人影はその場から立ち去った。
 
 この日、二つの命が消えた。
 いてもいなくても変わらないような人間が一人。
 いてもいなくても変わらないような神が一人。
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