神よりも人間らしく

猫パンチ三世

文字の大きさ
58 / 83
第八章 歪んだ世界のなおしかた

五十八話 へそ曲がり

しおりを挟む
「良かったのですか?」

 サルバシオンと話したバーを出て少し歩いてから、デジャスタは透に声を掛けた。
 
「何がだい?」

「あの男の誘いを断って良かったのか、という事ですよ。いずれ敵になるとはいえ今は形だけでも手を組んでおくべきだったのでは?」

「そうかもね」

「サルバシオン……といいましたか、あれは危険だ。恐らくは他にも……」

「デジャスタ、大丈夫。分かってるさ」

 デジャスタは、純粋に透に対して助言を与えていた。
 サルバシオンという男の底知れなさ、危険さにデジャスタはもちろん透も気づいている。
 あれを敵に回すという事がどういう事なのかを考えれば、デジャスタの言う通り例え形だけであっても手を組んだ方が良かった。
 そうすれば少なくともすぐに争う事もない、加えて不意を突く機会も多くなるはずだった。

 だがそれら全てを理解した上で、透は彼の誘いを断った。

「あなたが良いなら私は構いませんが……にしてもあなたらしくもない。あの場でどう立ち回るべきか分からないわけでもないでしょうに」

「君はずいぶん僕を買ってくれてるんだね、うれしいよ」

 透は屈託の無い笑顔をデジャスタに向ける、それを見ながら呆れたようにデジャスタはため息を吐いた。

「確かに私はあなたという人間を評価しています、あなたの願いも非常に興味深い。だからこそ慎重に立ち回るべきだと言っているんです、ただでさえあなたの願いは共感を得にくいんですから」

「……ありがとうデジャスタ、君の言う事は正しいよ。確かにこれからの事を考えるなら僕の選択は間違っているんだろうね」

「それが分かっているならなぜ?」

「簡単さ、彼と組むのは

 デジャスタは驚いたように一瞬目を開いたが、その言葉の意味を理解すると先ほどと同じように呆れと共にため息を吐いた。
 だがその口元には、先ほどは無かった笑みが浮かぶ。永い時を生き、億を超える人間を見て来たデジャスタがと思ってしまうような人間。
 それが速水透だと気付いたからだ。

「私もまだまだですかね」
 
 彼らの歩く道は街灯に照らされているとはいえ、薄暗く道行く人間も少ない。
 二人はまた軽口を叩きながら歩き続ける、じんわりと嫌な汗が滲む夜の事だ。


「お疲れ様です菅野さん、何か飲みますか?」

「ん? ああ……じゃあコーヒーを頼む、ブラックでな」

 いつもの資料室で一人パソコンを叩いていた和夫に、優は声をかけた。
 集中していたのか、それとも疲れていたのかは分からないが和夫は少し遅れて彼の言葉に反応した。
 ブラックコーヒーの注文を受け、彼は和夫の後ろでコーヒーを淹れる。
 二人の間には何とも言えない、ギクシャクした空気が流れていた。
 
 高野一家殺人事件はあれからこれといって進展を見せる事も無く、状況的に見て島田純一を犯人として処理する形で数日前に捜査を終えた。
 島田純一の腕が切断されていた事や、一家を殺した薬品がまったく見つからなかった事などこの事件には多くの謎が残されている。
 それらを解決しないままこの事件の捜査を終える事に対して、捜査に当たっていた捜査員たちの中からは疑問の声が当然のように上がった。

 だがの人間たちは、島田純一の腕が切断されていたのは被害者である高野芳樹が刃物などで応戦したからとし、また使用した薬品が発見されなかったのは瓶などの容器から零れ土中に染みこんでしまい、容器は道に転がっていき用水路に落ちたため発見不可という事で結論付けた。

 あまりにも、あまりにも荒唐無稽で稚拙なこじ付けに思わず笑ってしまった年配の捜査員もいた。
 そんなこじつけで誰が納得できるのか、騒ぎ立てる捜査員の中に優もいた。

 正義を信じ、弱きを助け強きをくじく。
 犯罪者に罪に見合った罰を与え、市民の平和を守るという青臭い信念の元で刑事をしている優に上の考えは到底受け入れる事はできなかった。
 
 声を荒げ立ち上がった捜査員たち、それを無言のまま押し潰そうとする上の人間。
 混沌に包まれた会議室の中で、優は驚くべきものを見た。

 騒ぐ捜査員、声を荒げず座っている捜査員の表情にも少なからず動揺の色が伺える。
 だがその中で菅野和夫はひとり石となっていた。

 声を荒げるわけでもない、ただ静かに腕を組み目を閉じていた。
 その顔には動揺の色は一切見えず、ただ偽りの事実を淡々と受け入れているようにさえ見えた。
 
 二人の付き合いは決して長くない、だがそれでも自分と和夫の正しい事と間違っている事の基準に大きな齟齬は無いと優は考えていた。
 だからこそ彼はこの明らかに不自然で間違っている現状の中で、動きを見せない和夫に対し不満を抱かずにはいられなかったのだ。

「……どうぞ」

「ああ、悪いな」

 そんな事があったからか、優の和夫に対する態度は心なしかそっけない。
 コーヒーを置く時も、ついいつもより荒く置いてしまった。

 だが和夫はそれを気にする素振りすら見せず、コーヒーを一口飲むと目を抑えてため息を吐いた。

「菅野さんは一体何をしてるんですか?」

「高野一家の事件の整理だよ、何か不審な点がないか調べてる」

「捜査は打ち切られたでしょう」

「馬鹿言え、あんな無茶苦茶な理屈で誰が納得できるか」

 和夫のその言葉は優をにわかに明るくさせた、それと同時に自分の和夫に対する理解の低さを痛感し、彼を批判的な目で見ていた自分を恥じた。

「そうだったんですか……でもどうして納得できないならあの場で何も言わなかったんですか?」

「お前やっぱりそれ気にしてたか」

「す、すいません」

 若いからな、と疲れた顔で和夫は笑う。
 優は基本的に穏やかで素直な人間だ、だからこそ不満や憤りといった感情を抱いた時に顔に出やすい。
 
「……俺がお前くらいの頃に組んでた人の話、覚えてるか?」

「はい、たしか山本《やまもと》さんでしたっけ」

「そうだ、俺がヤマさんと組んでた時だから……だいたい二十年くらい前にも今回と似たような事件が何度かあった。俺もその時はお前と同じように上の連中に食ってかかったもんさ」

「その時はどうなったんですか?」

「けっきょく上の連中はその時も同じように無茶苦茶言って事件を握りつぶした、全捜査員に箝口令を敷いてな」

「そんな……」

「で、俺はヤマさんに言ったのさ。こんなのおかしい、ってな」

 そして和夫はマウスを少し動かしてから、優をパソコンの前へ来るよう手招きする。彼が画面を覗き込むと、そこには驚くべきものが映し出されていた。

「これって……まさか」

「過去五十年に渡る未解決事件の詳細な資料だ、今回のように上が妙な動きをしたものだけを抽出してある。俺がヤマさんに食ってかかった夜に見せられたもんだ」

「山本さんがこれを?」

「ヤマさんが関わったのはあくまで一部、こいつは脈々と受け継がれてきたのさ。上の連中に従えねえ、どうしようもないへそ曲がりからへそ曲がりへな」

「すごい……」

 優はその資料の完成度に対し純粋な敬意を抱いていた、一体どれほどの熱意……いや、もはやこれは熱意ではなく執念と呼ぶのが正しいだろう。どれほどの執念があればここまで詳細な資料が作れるのか。
 少し目を通しただけでも分かる圧倒的な情報量、そしてそれらが見やすく分かりやすくまとめられている。
 この資料を最初に作り出したのが誰なのか、それはこの場にいる二人には分からない。だがこの資料を作った人間は、本気で一連の不可解な事件を解決しようとしていたようだった。
 自己満足の資料では無い、たとえ十年かかろうが二十年かかろうがいつか自分と同じ思いを持った誰かが真実に辿り着く事を信じてこの資料を作ったのだ。
 同じ思いを持った誰かの役に立つよう丁寧に『残す資料』を作ったのだ。

「すごいですよこれ! この中になら何か手掛かりがあるかもしれませんよ!」

 興奮気味の優を見て、和夫は小さく笑う。
 だがすぐに険しい顔になり、改めて彼に向き直った。

「立花、こんなものを見せて今更と思うかもしれないが……お前はもうこの件から手を引け」

「ええ!? どうしてですか?」

「言い方は悪いがこの事件は解決しても点にならない、むしろ他の業務を疎かにしてしまうかもしれない。それに上が終わりだと言った事件にいつまでも固執するのは将来に響く。俺のようなとっくに出世街道から外れた奴ならまだしも、お前にはまだ先がある」

 和夫は元々出世にはそれほど興味の無い人間だった、目の前の事件を解決する事ができればそれでいいというスタンスでこれまでやってきた。
 そのせいか出世話はもうしばらく前から聞こえてこない、同期がそれなりのポストに就いていく中で彼はただ経験と年齢だけを重ねていった。

 だが和夫にとってはそれで良かった、元から出世には興味は無かったし経験を重ねて現場一本でやってきたことも性にあっていた。
 だが優は違う、まだ若く経験不足な面も多くあるが正義を為そうとする心を持ち、一つ一つの事件に丁寧に向き合う姿勢は将来性を十分に感じられる。

 そんなこれからの人間を、自分に付き合わせて枯れさせてしまうのを和夫はとても心苦しく感じていた。

「菅野さん、あまり舐めないでください。僕は点数稼ぎに事件を解決してるんじゃないし、出世して偉くなりたいから警察に入ったわけでもありませんよ」

 優の声は少し震えている、その言葉一つ一つに彼の静かな怒りが感じられた。

「僕はほんの少しでも世の中を良くしたいからここにいるんです、犯罪者がちゃんと捕まって裁かれる。罪の無い人たちが安心して暮らせる世の中にしたいからここにいるんです、出世とかそんなのはどうでもいいんですよ」

「立花……」

「それにそれを僕に見せたって事は、菅野さんも少しは期待してくれてたんでしょう? 僕が自分と、その資料を受け継いできた歴代の捜査員たちと同じようなへそ曲がりだって」

「……ああ」

「だったらあなたが言う事は一つだ、一緒に事件を解決しよう。ただそれだけです、それだけのはずなんですよ」

 夜の資料室、窓の外はすでに真っ暗だ。
 シン、と静まり返った部屋の中で和夫は力の抜けたため息を吐き小さく笑った。

「お前も出世できないタイプだな」

「あなたの部下ですから」

 二人はほとんど同じタイミングで笑い合うと、和夫は勢いよく立ち上がった。

「よし、今日はもう帰るぞ」

「ええ? 捜査は?」

「明日からだ、今日は飯でも食いに行こう。俺の奢りでな」

 二人は手早く帰り支度を済ませると、足早に資料室を出る。
 こうして新しいへそ曲がりが生まれた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

チート魔力はお金のために使うもの~守銭奴転移を果たした俺にはチートな仲間が集まるらしい~

桜桃-サクランボ-
ファンタジー
金さえあれば人生はどうにでもなる――そう信じている二十八歳の守銭奴、鏡谷知里。 交通事故で意識が朦朧とする中、目を覚ますと見知らぬ異世界で、目の前には見たことがないドラゴン。 そして、なぜか“チート魔力持ち”になっていた。 その莫大な魔力は、もともと自分が持っていた付与魔力に、封印されていた冒険者の魔力が重なってしまった結果らしい。 だが、それが不幸の始まりだった。 世界を恐怖で支配する集団――「世界を束ねる管理者」。 彼らに目をつけられてしまった知里は、巻き込まれたくないのに狙われる羽目になってしまう。 さらに、人を疑うことを知らない純粋すぎる二人と行動を共にすることになり、望んでもいないのに“冒険者”として動くことになってしまった。 金を稼ごうとすれば邪魔が入り、巻き込まれたくないのに事件に引きずられる。 面倒ごとから逃げたい守銭奴と、世界の頂点に立つ管理者。 本来交わらないはずの二つが、過去の冒険者の残した魔力によってぶつかり合う、異世界ファンタジー。 ※小説家になろう・カクヨムでも更新中 ※表紙:あニキさん ※ ※がタイトルにある話に挿絵アリ ※月、水、金、更新予定!

クラス全員で転移したけど俺のステータスは使役スキルが異常で出会った人全員を使役してしまいました

髙橋ルイ
ファンタジー
「クラス全員で転移したけど俺のステータスは使役スキルが異常で出会った人全員を使役してしまいました」 気がつけば、クラスごと異世界に転移していた――。 しかし俺のステータスは“雑魚”と判定され、クラスメイトからは置き去りにされる。 「どうせ役立たずだろ」と笑われ、迫害され、孤独になった俺。 だが……一人きりになったとき、俺は気づく。 唯一与えられた“使役スキル”が 異常すぎる力 を秘めていることに。 出会った人間も、魔物も、精霊すら――すべて俺の配下になってしまう。 雑魚と蔑まれたはずの俺は、気づけば誰よりも強大な軍勢を率いる存在へ。 これは、クラスで孤立していた少年が「異常な使役スキル」で異世界を歩む物語。 裏切ったクラスメイトを見返すのか、それとも新たな仲間とスローライフを選ぶのか―― 運命を決めるのは、すべて“使役”の先にある。 毎朝7時更新中です。⭐お気に入りで応援いただけると励みになります! 期間限定で10時と17時と21時も投稿予定 ※表紙のイラストはAIによるイメージです

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

『25歳独身、マイホームのクローゼットが異世界に繋がってた件』 ──†黒翼の夜叉†、異世界で伝説(レジェンド)になる!

風来坊
ファンタジー
25歳で夢のマイホームを手に入れた男・九条カケル。 185cmのモデル体型に彫刻のような顔立ち。街で振り返られるほどの美貌の持ち主――だがその正体は、重度のゲーム&コスプレオタク! ある日、自宅のクローゼットを開けた瞬間、突如現れた異世界へのゲートに吸い込まれてしまう。 そこで彼は、伝説の職業《深淵の支配者(アビスロード)》として召喚され、 チートスキル「†黒翼召喚†」や「アビスコード」、 さらにはなぜか「女子からの好感度+999」まで付与されて―― 「厨二病、発症したまま異世界転生とかマジで罰ゲームかよ!!」 オタク知識と美貌を武器に、異世界と現代を股にかけ、ハーレムと戦乱に巻き込まれながら、 †黒翼の夜叉†は“本物の伝説”になっていく!

大和型戦艦、異世界に転移する。

焼飯学生
ファンタジー
第二次世界大戦が起きなかった世界。大日本帝国は仮想敵国を定め、軍事力を中心に強化を行っていた。ある日、大日本帝国海軍は、大和型戦艦四隻による大規模な演習と言う名目で、太平洋沖合にて、演習を行うことに決定。大和、武蔵、信濃、紀伊の四隻は、横須賀海軍基地で補給したのち出港。しかし、移動の途中で濃霧が発生し、レーダーやソナーが使えなくなり、更に信濃と紀伊とは通信が途絶してしまう。孤立した大和と武蔵は濃霧を突き進み、太平洋にはないはずの、未知の島に辿り着いた。 ※ この作品は私が書きたいと思い、書き進めている作品です。文章がおかしかったり、不明瞭な点、あるいは不快な思いをさせてしまう可能性がございます。できる限りそのような事態が起こらないよう気をつけていますが、何卒ご了承賜りますよう、お願い申し上げます。

攻撃魔法を使えないヒーラーの俺が、回復魔法で最強でした。 -俺は何度でも救うとそう決めた-【[完]】

水無月いい人(minazuki)
ファンタジー
【HOTランキング一位獲得作品】 【一次選考通過作品】 ---  とある剣と魔法の世界で、  ある男女の間に赤ん坊が生まれた。  名をアスフィ・シーネット。  才能が無ければ魔法が使えない、そんな世界で彼は運良く魔法の才能を持って産まれた。  だが、使用できるのは攻撃魔法ではなく回復魔法のみだった。  攻撃魔法を一切使えない彼は、冒険者達からも距離を置かれていた。 彼は誓う、俺は回復魔法で最強になると。  --------- もし気に入っていただけたら、ブクマや評価、感想をいただけると大変励みになります! #ヒラ俺 この度ついに完結しました。 1年以上書き続けた作品です。 途中迷走してました……。 今までありがとうございました! --- 追記:2025/09/20 再編、あるいは続編を書くか迷ってます。 もし気になる方は、 コメント頂けるとするかもしれないです。

処理中です...