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第八章 歪んだ世界のなおしかた
五十八話 へそ曲がり
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「良かったのですか?」
サルバシオンと話したバーを出て少し歩いてから、デジャスタは透に声を掛けた。
「何がだい?」
「あの男の誘いを断って良かったのか、という事ですよ。いずれ敵になるとはいえ今は形だけでも手を組んでおくべきだったのでは?」
「そうかもね」
「サルバシオン……といいましたか、あれは危険だ。恐らくは他にも……」
「デジャスタ、大丈夫。分かってるさ」
デジャスタは、純粋に透に対して助言を与えていた。
サルバシオンという男の底知れなさ、危険さにデジャスタはもちろん透も気づいている。
あれを敵に回すという事がどういう事なのかを考えれば、デジャスタの言う通り例え形だけであっても手を組んだ方が良かった。
そうすれば少なくともすぐに争う事もない、加えて不意を突く機会も多くなるはずだった。
だがそれら全てを理解した上で、透は彼の誘いを断った。
「あなたが良いなら私は構いませんが……にしてもあなたらしくもない。あの場でどう立ち回るべきか分からないわけでもないでしょうに」
「君はずいぶん僕を買ってくれてるんだね、うれしいよ」
透は屈託の無い笑顔をデジャスタに向ける、それを見ながら呆れたようにデジャスタはため息を吐いた。
「確かに私はあなたという人間を評価しています、あなたの願いも非常に興味深い。だからこそ慎重に立ち回るべきだと言っているんです、ただでさえあなたの願いは共感を得にくいんですから」
「……ありがとうデジャスタ、君の言う事は正しいよ。確かにこれからの事を考えるなら僕の選択は間違っているんだろうね」
「それが分かっているならなぜ?」
「簡単さ、彼と組むのは面白くない」
デジャスタは驚いたように一瞬目を開いたが、その言葉の意味を理解すると先ほどと同じように呆れと共にため息を吐いた。
だがその口元には、先ほどは無かった笑みが浮かぶ。永い時を生き、億を超える人間を見て来たデジャスタが面白いと思ってしまうような人間。
それが速水透だと気付いたからだ。
「私もまだまだですかね」
彼らの歩く道は街灯に照らされているとはいえ、薄暗く道行く人間も少ない。
二人はまた軽口を叩きながら歩き続ける、じんわりと嫌な汗が滲む夜の事だ。
「お疲れ様です菅野さん、何か飲みますか?」
「ん? ああ……じゃあコーヒーを頼む、ブラックでな」
いつもの資料室で一人パソコンを叩いていた和夫に、優は声をかけた。
集中していたのか、それとも疲れていたのかは分からないが和夫は少し遅れて彼の言葉に反応した。
ブラックコーヒーの注文を受け、彼は和夫の後ろでコーヒーを淹れる。
二人の間には何とも言えない、ギクシャクした空気が流れていた。
高野一家殺人事件はあれからこれといって進展を見せる事も無く、状況的に見て島田純一を犯人として処理する形で数日前に捜査を終えた。
島田純一の腕が切断されていた事や、一家を殺した薬品がまったく見つからなかった事などこの事件には多くの謎が残されている。
それらを解決しないままこの事件の捜査を終える事に対して、捜査に当たっていた捜査員たちの中からは疑問の声が当然のように上がった。
だが上の人間たちは、島田純一の腕が切断されていたのは被害者である高野芳樹が刃物などで応戦したからとし、また使用した薬品が発見されなかったのは瓶などの容器から零れ土中に染みこんでしまい、容器は道に転がっていき用水路に落ちたため発見不可という事で結論付けた。
あまりにも、あまりにも荒唐無稽で稚拙なこじ付けに思わず笑ってしまった年配の捜査員もいた。
そんなこじつけで誰が納得できるのか、騒ぎ立てる捜査員の中に優もいた。
正義を信じ、弱きを助け強きをくじく。
犯罪者に罪に見合った罰を与え、市民の平和を守るという青臭い信念の元で刑事をしている優に上の考えは到底受け入れる事はできなかった。
声を荒げ立ち上がった捜査員たち、それを無言のまま押し潰そうとする上の人間。
混沌に包まれた会議室の中で、優は驚くべきものを見た。
騒ぐ捜査員、声を荒げず座っている捜査員の表情にも少なからず動揺の色が伺える。
だがその中で菅野和夫はひとり石となっていた。
声を荒げるわけでもない、ただ静かに腕を組み目を閉じていた。
その顔には動揺の色は一切見えず、ただ偽りの事実を淡々と受け入れているようにさえ見えた。
二人の付き合いは決して長くない、だがそれでも自分と和夫の正しい事と間違っている事の基準に大きな齟齬は無いと優は考えていた。
だからこそ彼はこの明らかに不自然で間違っている現状の中で、動きを見せない和夫に対し不満を抱かずにはいられなかったのだ。
「……どうぞ」
「ああ、悪いな」
そんな事があったからか、優の和夫に対する態度は心なしかそっけない。
コーヒーを置く時も、ついいつもより荒く置いてしまった。
だが和夫はそれを気にする素振りすら見せず、コーヒーを一口飲むと目を抑えてため息を吐いた。
「菅野さんは一体何をしてるんですか?」
「高野一家の事件の整理だよ、何か不審な点がないか調べてる」
「捜査は打ち切られたでしょう」
「馬鹿言え、あんな無茶苦茶な理屈で誰が納得できるか」
和夫のその言葉は優をにわかに明るくさせた、それと同時に自分の和夫に対する理解の低さを痛感し、彼を批判的な目で見ていた自分を恥じた。
「そうだったんですか……でもどうして納得できないならあの場で何も言わなかったんですか?」
「お前やっぱりそれ気にしてたか」
「す、すいません」
若いからな、と疲れた顔で和夫は笑う。
優は基本的に穏やかで素直な人間だ、だからこそ不満や憤りといった感情を抱いた時に顔に出やすい。
「……俺がお前くらいの頃に組んでた人の話、覚えてるか?」
「はい、たしか山本《やまもと》さんでしたっけ」
「そうだ、俺がヤマさんと組んでた時だから……だいたい二十年くらい前にも今回と似たような事件が何度かあった。俺もその時はお前と同じように上の連中に食ってかかったもんさ」
「その時はどうなったんですか?」
「けっきょく上の連中はその時も同じように無茶苦茶言って事件を握りつぶした、全捜査員に箝口令を敷いてな」
「そんな……」
「で、俺はヤマさんに言ったのさ。こんなのおかしい、ってな」
そして和夫はマウスを少し動かしてから、優をパソコンの前へ来るよう手招きする。彼が画面を覗き込むと、そこには驚くべきものが映し出されていた。
「これって……まさか」
「過去五十年に渡る未解決事件の詳細な資料だ、今回のように上が妙な動きをしたものだけを抽出してある。俺がヤマさんに食ってかかった夜に見せられたもんだ」
「山本さんがこれを?」
「ヤマさんが関わったのはあくまで一部、こいつは脈々と受け継がれてきたのさ。上の連中に従えねえ、どうしようもないへそ曲がりからへそ曲がりへな」
「すごい……」
優はその資料の完成度に対し純粋な敬意を抱いていた、一体どれほどの熱意……いや、もはやこれは熱意ではなく執念と呼ぶのが正しいだろう。どれほどの執念があればここまで詳細な資料が作れるのか。
少し目を通しただけでも分かる圧倒的な情報量、そしてそれらが見やすく分かりやすくまとめられている。
この資料を最初に作り出したのが誰なのか、それはこの場にいる二人には分からない。だがこの資料を作った人間は、本気で一連の不可解な事件を解決しようとしていたようだった。
自己満足の資料では無い、たとえ十年かかろうが二十年かかろうがいつか自分と同じ思いを持った誰かが真実に辿り着く事を信じてこの資料を作ったのだ。
同じ思いを持った誰かの役に立つよう丁寧に『残す資料』を作ったのだ。
「すごいですよこれ! この中になら何か手掛かりがあるかもしれませんよ!」
興奮気味の優を見て、和夫は小さく笑う。
だがすぐに険しい顔になり、改めて彼に向き直った。
「立花、こんなものを見せて今更と思うかもしれないが……お前はもうこの件から手を引け」
「ええ!? どうしてですか?」
「言い方は悪いがこの事件は解決しても点にならない、むしろ他の業務を疎かにしてしまうかもしれない。それに上が終わりだと言った事件にいつまでも固執するのは将来に響く。俺のようなとっくに出世街道から外れた奴ならまだしも、お前にはまだ先がある」
和夫は元々出世にはそれほど興味の無い人間だった、目の前の事件を解決する事ができればそれでいいというスタンスでこれまでやってきた。
そのせいか出世話はもうしばらく前から聞こえてこない、同期がそれなりのポストに就いていく中で彼はただ経験と年齢だけを重ねていった。
だが和夫にとってはそれで良かった、元から出世には興味は無かったし経験を重ねて現場一本でやってきたことも性にあっていた。
だが優は違う、まだ若く経験不足な面も多くあるが正義を為そうとする心を持ち、一つ一つの事件に丁寧に向き合う姿勢は将来性を十分に感じられる。
そんなこれからの人間を、自分に付き合わせて枯れさせてしまうのを和夫はとても心苦しく感じていた。
「菅野さん、あまり舐めないでください。僕は点数稼ぎに事件を解決してるんじゃないし、出世して偉くなりたいから警察に入ったわけでもありませんよ」
優の声は少し震えている、その言葉一つ一つに彼の静かな怒りが感じられた。
「僕はほんの少しでも世の中を良くしたいからここにいるんです、犯罪者がちゃんと捕まって裁かれる。罪の無い人たちが安心して暮らせる世の中にしたいからここにいるんです、出世とかそんなのはどうでもいいんですよ」
「立花……」
「それにそれを僕に見せたって事は、菅野さんも少しは期待してくれてたんでしょう? 僕が自分と、その資料を受け継いできた歴代の捜査員たちと同じようなへそ曲がりだって」
「……ああ」
「だったらあなたが言う事は一つだ、一緒に事件を解決しよう。ただそれだけです、それだけのはずなんですよ」
夜の資料室、窓の外はすでに真っ暗だ。
シン、と静まり返った部屋の中で和夫は力の抜けたため息を吐き小さく笑った。
「お前も出世できないタイプだな」
「あなたの部下ですから」
二人はほとんど同じタイミングで笑い合うと、和夫は勢いよく立ち上がった。
「よし、今日はもう帰るぞ」
「ええ? 捜査は?」
「明日からだ、今日は飯でも食いに行こう。俺の奢りでな」
二人は手早く帰り支度を済ませると、足早に資料室を出る。
こうして新しいへそ曲がりが生まれた。
サルバシオンと話したバーを出て少し歩いてから、デジャスタは透に声を掛けた。
「何がだい?」
「あの男の誘いを断って良かったのか、という事ですよ。いずれ敵になるとはいえ今は形だけでも手を組んでおくべきだったのでは?」
「そうかもね」
「サルバシオン……といいましたか、あれは危険だ。恐らくは他にも……」
「デジャスタ、大丈夫。分かってるさ」
デジャスタは、純粋に透に対して助言を与えていた。
サルバシオンという男の底知れなさ、危険さにデジャスタはもちろん透も気づいている。
あれを敵に回すという事がどういう事なのかを考えれば、デジャスタの言う通り例え形だけであっても手を組んだ方が良かった。
そうすれば少なくともすぐに争う事もない、加えて不意を突く機会も多くなるはずだった。
だがそれら全てを理解した上で、透は彼の誘いを断った。
「あなたが良いなら私は構いませんが……にしてもあなたらしくもない。あの場でどう立ち回るべきか分からないわけでもないでしょうに」
「君はずいぶん僕を買ってくれてるんだね、うれしいよ」
透は屈託の無い笑顔をデジャスタに向ける、それを見ながら呆れたようにデジャスタはため息を吐いた。
「確かに私はあなたという人間を評価しています、あなたの願いも非常に興味深い。だからこそ慎重に立ち回るべきだと言っているんです、ただでさえあなたの願いは共感を得にくいんですから」
「……ありがとうデジャスタ、君の言う事は正しいよ。確かにこれからの事を考えるなら僕の選択は間違っているんだろうね」
「それが分かっているならなぜ?」
「簡単さ、彼と組むのは面白くない」
デジャスタは驚いたように一瞬目を開いたが、その言葉の意味を理解すると先ほどと同じように呆れと共にため息を吐いた。
だがその口元には、先ほどは無かった笑みが浮かぶ。永い時を生き、億を超える人間を見て来たデジャスタが面白いと思ってしまうような人間。
それが速水透だと気付いたからだ。
「私もまだまだですかね」
彼らの歩く道は街灯に照らされているとはいえ、薄暗く道行く人間も少ない。
二人はまた軽口を叩きながら歩き続ける、じんわりと嫌な汗が滲む夜の事だ。
「お疲れ様です菅野さん、何か飲みますか?」
「ん? ああ……じゃあコーヒーを頼む、ブラックでな」
いつもの資料室で一人パソコンを叩いていた和夫に、優は声をかけた。
集中していたのか、それとも疲れていたのかは分からないが和夫は少し遅れて彼の言葉に反応した。
ブラックコーヒーの注文を受け、彼は和夫の後ろでコーヒーを淹れる。
二人の間には何とも言えない、ギクシャクした空気が流れていた。
高野一家殺人事件はあれからこれといって進展を見せる事も無く、状況的に見て島田純一を犯人として処理する形で数日前に捜査を終えた。
島田純一の腕が切断されていた事や、一家を殺した薬品がまったく見つからなかった事などこの事件には多くの謎が残されている。
それらを解決しないままこの事件の捜査を終える事に対して、捜査に当たっていた捜査員たちの中からは疑問の声が当然のように上がった。
だが上の人間たちは、島田純一の腕が切断されていたのは被害者である高野芳樹が刃物などで応戦したからとし、また使用した薬品が発見されなかったのは瓶などの容器から零れ土中に染みこんでしまい、容器は道に転がっていき用水路に落ちたため発見不可という事で結論付けた。
あまりにも、あまりにも荒唐無稽で稚拙なこじ付けに思わず笑ってしまった年配の捜査員もいた。
そんなこじつけで誰が納得できるのか、騒ぎ立てる捜査員の中に優もいた。
正義を信じ、弱きを助け強きをくじく。
犯罪者に罪に見合った罰を与え、市民の平和を守るという青臭い信念の元で刑事をしている優に上の考えは到底受け入れる事はできなかった。
声を荒げ立ち上がった捜査員たち、それを無言のまま押し潰そうとする上の人間。
混沌に包まれた会議室の中で、優は驚くべきものを見た。
騒ぐ捜査員、声を荒げず座っている捜査員の表情にも少なからず動揺の色が伺える。
だがその中で菅野和夫はひとり石となっていた。
声を荒げるわけでもない、ただ静かに腕を組み目を閉じていた。
その顔には動揺の色は一切見えず、ただ偽りの事実を淡々と受け入れているようにさえ見えた。
二人の付き合いは決して長くない、だがそれでも自分と和夫の正しい事と間違っている事の基準に大きな齟齬は無いと優は考えていた。
だからこそ彼はこの明らかに不自然で間違っている現状の中で、動きを見せない和夫に対し不満を抱かずにはいられなかったのだ。
「……どうぞ」
「ああ、悪いな」
そんな事があったからか、優の和夫に対する態度は心なしかそっけない。
コーヒーを置く時も、ついいつもより荒く置いてしまった。
だが和夫はそれを気にする素振りすら見せず、コーヒーを一口飲むと目を抑えてため息を吐いた。
「菅野さんは一体何をしてるんですか?」
「高野一家の事件の整理だよ、何か不審な点がないか調べてる」
「捜査は打ち切られたでしょう」
「馬鹿言え、あんな無茶苦茶な理屈で誰が納得できるか」
和夫のその言葉は優をにわかに明るくさせた、それと同時に自分の和夫に対する理解の低さを痛感し、彼を批判的な目で見ていた自分を恥じた。
「そうだったんですか……でもどうして納得できないならあの場で何も言わなかったんですか?」
「お前やっぱりそれ気にしてたか」
「す、すいません」
若いからな、と疲れた顔で和夫は笑う。
優は基本的に穏やかで素直な人間だ、だからこそ不満や憤りといった感情を抱いた時に顔に出やすい。
「……俺がお前くらいの頃に組んでた人の話、覚えてるか?」
「はい、たしか山本《やまもと》さんでしたっけ」
「そうだ、俺がヤマさんと組んでた時だから……だいたい二十年くらい前にも今回と似たような事件が何度かあった。俺もその時はお前と同じように上の連中に食ってかかったもんさ」
「その時はどうなったんですか?」
「けっきょく上の連中はその時も同じように無茶苦茶言って事件を握りつぶした、全捜査員に箝口令を敷いてな」
「そんな……」
「で、俺はヤマさんに言ったのさ。こんなのおかしい、ってな」
そして和夫はマウスを少し動かしてから、優をパソコンの前へ来るよう手招きする。彼が画面を覗き込むと、そこには驚くべきものが映し出されていた。
「これって……まさか」
「過去五十年に渡る未解決事件の詳細な資料だ、今回のように上が妙な動きをしたものだけを抽出してある。俺がヤマさんに食ってかかった夜に見せられたもんだ」
「山本さんがこれを?」
「ヤマさんが関わったのはあくまで一部、こいつは脈々と受け継がれてきたのさ。上の連中に従えねえ、どうしようもないへそ曲がりからへそ曲がりへな」
「すごい……」
優はその資料の完成度に対し純粋な敬意を抱いていた、一体どれほどの熱意……いや、もはやこれは熱意ではなく執念と呼ぶのが正しいだろう。どれほどの執念があればここまで詳細な資料が作れるのか。
少し目を通しただけでも分かる圧倒的な情報量、そしてそれらが見やすく分かりやすくまとめられている。
この資料を最初に作り出したのが誰なのか、それはこの場にいる二人には分からない。だがこの資料を作った人間は、本気で一連の不可解な事件を解決しようとしていたようだった。
自己満足の資料では無い、たとえ十年かかろうが二十年かかろうがいつか自分と同じ思いを持った誰かが真実に辿り着く事を信じてこの資料を作ったのだ。
同じ思いを持った誰かの役に立つよう丁寧に『残す資料』を作ったのだ。
「すごいですよこれ! この中になら何か手掛かりがあるかもしれませんよ!」
興奮気味の優を見て、和夫は小さく笑う。
だがすぐに険しい顔になり、改めて彼に向き直った。
「立花、こんなものを見せて今更と思うかもしれないが……お前はもうこの件から手を引け」
「ええ!? どうしてですか?」
「言い方は悪いがこの事件は解決しても点にならない、むしろ他の業務を疎かにしてしまうかもしれない。それに上が終わりだと言った事件にいつまでも固執するのは将来に響く。俺のようなとっくに出世街道から外れた奴ならまだしも、お前にはまだ先がある」
和夫は元々出世にはそれほど興味の無い人間だった、目の前の事件を解決する事ができればそれでいいというスタンスでこれまでやってきた。
そのせいか出世話はもうしばらく前から聞こえてこない、同期がそれなりのポストに就いていく中で彼はただ経験と年齢だけを重ねていった。
だが和夫にとってはそれで良かった、元から出世には興味は無かったし経験を重ねて現場一本でやってきたことも性にあっていた。
だが優は違う、まだ若く経験不足な面も多くあるが正義を為そうとする心を持ち、一つ一つの事件に丁寧に向き合う姿勢は将来性を十分に感じられる。
そんなこれからの人間を、自分に付き合わせて枯れさせてしまうのを和夫はとても心苦しく感じていた。
「菅野さん、あまり舐めないでください。僕は点数稼ぎに事件を解決してるんじゃないし、出世して偉くなりたいから警察に入ったわけでもありませんよ」
優の声は少し震えている、その言葉一つ一つに彼の静かな怒りが感じられた。
「僕はほんの少しでも世の中を良くしたいからここにいるんです、犯罪者がちゃんと捕まって裁かれる。罪の無い人たちが安心して暮らせる世の中にしたいからここにいるんです、出世とかそんなのはどうでもいいんですよ」
「立花……」
「それにそれを僕に見せたって事は、菅野さんも少しは期待してくれてたんでしょう? 僕が自分と、その資料を受け継いできた歴代の捜査員たちと同じようなへそ曲がりだって」
「……ああ」
「だったらあなたが言う事は一つだ、一緒に事件を解決しよう。ただそれだけです、それだけのはずなんですよ」
夜の資料室、窓の外はすでに真っ暗だ。
シン、と静まり返った部屋の中で和夫は力の抜けたため息を吐き小さく笑った。
「お前も出世できないタイプだな」
「あなたの部下ですから」
二人はほとんど同じタイミングで笑い合うと、和夫は勢いよく立ち上がった。
「よし、今日はもう帰るぞ」
「ええ? 捜査は?」
「明日からだ、今日は飯でも食いに行こう。俺の奢りでな」
二人は手早く帰り支度を済ませると、足早に資料室を出る。
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追記:2025/09/20
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もし気になる方は、
コメント頂けるとするかもしれないです。
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