神よりも人間らしく

猫パンチ三世

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第九章 歪な夏

六十六話 優しい矢

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 渾身の一撃だった。
 今の自分が持てる全ての力、タイミング、呼吸で空文は拳を放った。
 十分すぎるだけの一撃を放った、はずだった。

 にもかかわらず、まだ透は彼の前にいる。未だ人の形を保ったまま、不敵な笑みを浮かべ、静かに彼の拳を右手で包んでいた。
 一足遅れの瓦礫が空文の後ろに落ちる、だがその音は彼の耳には届かない。
 ただ果てしない驚きだけが、彼の中に広がっていた。

「良いパンチだね」

 煽るわけでもなく、嘲るわけでもなく、本心からの言葉だった。
 
「あんた……」

「言葉もいいけど、僕はも好きだよ」

 ゆっくりと空文の拳を包んでいた、透の手に力が入っていく。
 それに気付いた空文は透の手を振り払い、窓から外へ飛び出した。風のようにその姿は消え、廃ビルには透だけが残された。

「残念、今日はここまでか」

 そう言ってため息を吐いてから服に着いた汚れを払い、透は上にいるデジャスタの方を見た。

「おーい、終わったよ」

「お疲れ様です、とても苦戦されていたようで」

 透の隣にふわりと降りたデジャスタは、口を開くなり少し嫌味な言葉を吐いた。

「本当に強かったよ、普通の人間なら三回は死んでる」

 あなたも大概でしょうにという言葉を飲み込んで、デジャスタは静かに苦笑する。
 デジャスタの目から見ても、空文はの力はかなりのものだった。少なくとも透より一回り、二回りは上の身体能力を持っていた。
 それだけの差があれば大抵は勝負がつく、にもかかわらず透はしっかりと生き延びて見せた。
 
「次は勝てますか?」

「それはちょっと分からないな、彼もさっきので僕の能力に気付いたかもしれないしね」

「おや、ずいぶんと彼を評価しているんですね。だそうですよ、良かったじゃないですか」

 その言葉に反応したように、物陰からコソコソとレミスが姿を現した。

「もしかして……彼の?」

「レミスです……どうも……」

 神らしからぬ控えめな態度でレミスは頭を下げる、透はそんな神を見るのは初めてだったため、不思議な感覚を抱きながら同じように頭を下げた。

「彼、本当に強かったよ。もしよければ言っておいてくれる? 次は負けないってさ」

「は……はい、それでは失礼します……」

 レミスはおどおどと透の言葉に返事をし、二人に背を向けて闇の中へ消えようとした。

「レミス、少しいいですか」

 デジャスタが声をかけると、レミスは足を止め振り返った。デジャスタは透に離れているように手で促す、彼は肩をすくめると瓦礫の間を抜けて階下へと降りて行った。

「ど……どうしたんですか? デジャスタさん。私……何かしましたか?」

「レミス、あなたに言っておくことがあります」

 そう言うとレミスの前までデジャスタは近づく、レミスは自分が何かデジャスタの気を損ねるような事をした、もしくは言ってしまったのかという不安に駆られた。
 
「そうビクビクしないで下さい、最初も言いましたがあなたは神なんですよ。もっと堂々としてください」

「す……すいません、こんな姿……イライラします……よね」

「ええ、非常に腹立たしい」

「です……よね」

 レミスという神は以前からこの調子だった、デジャスタがその存在を知った時から常に周りの目を気にし、おどおどしていた。
 人間よりも遥かに高位の存在にも関わらず、他の神とは違い傲慢な態度で接する事も無い。そのためかレミスは他の神からよく馬鹿にされ、下に見られていた。
 自分に対する侮辱には慣れている、レミスはデジャスタに何を言われても受け入れる覚悟はできていた。

「レミス、私は本当に腹が立っているのですよ。あなたが周りの評価を覆そうとしない事に対してね」

「え?」

「確かにあなたは自信が無く、おどおどしていて、上手く周りと話す事ができない。そういう所を私も口惜しく思います」

 デジャスタの言葉が矢のように容赦なくレミスに突き刺さる、レミス自身も分かっている事とはいえ面と向かって言われるとやはりきつい。
 背中に矢を受け、レミスはしょんぼりとうつむいた。

「ですが、あなたの作るの力はいつも美しい」

 うつむいていたレミスの顔がぱっと上がる、デジャスタの顔には静かな笑みが浮かんでいた。

「今までのキリング・タイムで見た、あなたと選択者が作り出した力はいつも美しかった。煌びやかさや、派手さはなくとも言いようのない儚げな美しさがある。それはあなた自身の本質が美しく、あなたが選んだ人間もまた美しいという事の証明にほかならない」

「私の本質が……?」

「ええ、ですから本来あなたはもっと胸を張っていいはずなんですよ。ですが、あなたは周りと衝突を避けようと言われるがまま、ただ耐えている。それが私は腹立たしい」

 くるりと背を向け、デジャスタは壊れた天井から覗く空を見上げた。

「私とあなたは争い、競い合う間柄ですが、あえて言わせていただきましょう。応援していますよ、レミス」

「……ありがとうございます、デジャスタさん」

「では、また」

 透の後を追い、デジャスタは階段を降りて行った。
 その姿を目で追い、姿が見えなくなってからも、レミスはしばらくそこに立ちつくしていた。

「やあ、話は終わったのかい」

「ええ、すいませんね待たせてしまって」

 すぐ下の階で、透は置き去られた椅子に座ってデジャスタを待っていた。

「構わないさ、僕も怪我しちゃってたから少し休みたかったし」

「怪我?」

 彼は手の平をひらひらとデジャスタに見せる、そこには何かの破片で切ったのか細く赤い線が一筋入っていた。
 
「気を付けてくださいよ」

「はいはい……それよりもさ。君、意外とイカしたセリフを言うんだね」

「おや、盗み聞きとは趣味が悪い」

「聞こえちゃったんだよ、耳は良い方なんだ」

 やれやれといった具合に、デジャスタは笑う。

「敵に塩を送ったのかい?」

「塩? 私は事実を言っただけですよ」

 透はそうかと言って立ちあがる、尻についた埃を払ってから疲れた体をぐぐっと伸ばした。

「じゃあ今日はもう帰ろうか、お腹も減ったしね」

「そうしましょうか」

 二人はそう言ってビルの外へ出る、ビルの前の道は幸いな事に人通りが無かったため、廃ビルから彼らが出て来た事を見た者はいなかった。
 誰もいない道を、二人はいつもの調子で歩きだした。

「そういえばデジャスタ、君って女の子の知り合い結構多いよね。もしかしてモテるの?」

「ははは、あなたは本当にユニークな方だ。時々本気で殴りたくなりますよ」

「勘弁してよ、死んじゃうじゃないか」
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