神よりも人間らしく

猫パンチ三世

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第九章 歪な夏

七十一話 夕闇に呟く

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「くっ……」

 正義は自宅のアパートに戻るや否や、玄関で壁に体を押し当てたまま地面に崩れ落ちた。
 体のあちこちに痛みが走り、衣服には血が滲んでいる。
 
「そういえば初めてだな……傷を負うというのは」

 初めて受けた同類からの傷、それは想像以上に彼を苦しめた。
 ズキズキと傷は脈打ち、荒い刃物で皮膚を切り裂かれているような痛みが常にある。
 常人なら発狂しかねない痛みを、彼はほとんど気力だけで耐えていた。

「だいぶ……苦しそう……だな」

「……セイスンか」

 光の無い廊下の中央にセイスンは立っていた、手傷を負った正義を気遣う訳でも嘲るわけでも無く、ただそこにいた。

「選択者に……受けた傷……だ。治るのには……それなりに……時間が……いる」

「構わない、正義を為すための些細な痛みだ」

 言葉ではそう言いつつも、正義の額には脂汗が滲む。
 呼吸は早く、まともには動けそうになかった。

「ここで……休むのは……効果的では……ない。寝床へ……行く事を……進める」

「分かっている」

 正義はどうにか立ち上がるが、一歩進むたびに走る激痛のせいで彼は小さく声を漏らした。

「手を……貸そう……か?」

「……必要ない。お前にそんなものは求めていない、お前は黙って私の正義の行く末を見届ければいい。それがお前の望みだろう」

 そう言って正義は体を引きずるようにして、セイスンの脇を抜けベットへ向かう。

「そう……だな。そう……すると……しよう」

 彼の背中を見ながら、セイスンはそう静かに呟いた。


 正義との戦いから三日が経った昼時、洋平は雄一らとファミレスで談笑していた。

「どうよ補習の方は」

「どうもこうもねえよ、朝から勉強づくしだぜ? 嬉しくて涙が出らあ」

 雄一の言葉に鉄太は顔をしかめ、口を尖らす。
 夏休み、周りが休みの中で朝早く起き学校に行くと言うのは中々のストレスらしく彼は不機嫌そうにポテトを口に放り込んでいる。

「お前はどうなんだよ、朝から晩まで練習づくしか?」

「まあな、大会も近いし。今日は久々の午後休みだ」

 雄一もどこかくたびれた様子で、オレンジジュースの飲む。

「何だ何だどいつもこいつも、元気出せよ。ほら洋平たちも何か言ってやれよ」

 太一はくたびれた二人を呆れた様子で見る、彼もバスケ部の練習で疲れてはいるが正直な所、雄一の柔道部と比べるとバスケ部の練習はゆるい。
 試合に負けたいわけでは無いが、ガチガチに練習をするのもどうかなという空気がある。
 彼はバスケ部員の中では、しっかり練習をする方だがそれでも雄一と比べると疲れ具合は雲泥の差だ。

「おーい、大丈夫か?」

「あ……ああ、悪い悪い。なんだっけ?」

 上の空で外の景色を眺めていた洋平は、その声で我に返る。
 
「どーしたんだよ、今日なんか変だぞ?」

「んな事ねえって、えーっとそれで……何だっけ、鉄太が馬鹿やった話だっけか?」

「違えわ!」

 一同が笑いに包まれる中、一輝は何かを察したのか心配そうに洋平を見ていた。

「つーかせっかくの夏休みだってーのに、男五人でむさ苦しいったらねえよ。誰か一人くらい浮いた話の一つや二つねえのか?」

「ねえよ」

「あるわけねえ」

「ないな」

 鉄太の愚痴はいつものように流される、相変わらずこの愚痴に景気良く答える人間はいない。
 だが鉄太は見逃さなかった、自分の言葉に一輝が妙に反応したのを。

「おう一輝、お前どうしたんだよみょーにそわそわして」

「えっ? いや……なんでも……ない」

「嘘つけ! さては何かあったな? 大人しく白状しといた方が身のためだぜ」

「いや……何も……なかった」

「じゃあ何だってそんなアワアワ喋るんだ?」

「いやっ……それは……」

 一輝は助けを求めようと、他の友人たちを見る。
 そしてすぐに気付いた、ここに自分の味方はいないと。


 一輝は教会の少女ダリアとの出会いをかいつまんで話した、四人は今までにないような真面目な顔で彼の話を聞いていた。

「……というわけなんだ」

 話が終わると、四人はほぼ同時にため息を吐いた。

「いいな……」

「ああ、お前……やったじゃねえか」

「ほんとに……すごいよ」

「す……すまない、気を悪くさせたか……?」

 一輝は他の四人の雰囲気を悪くさせてしまったのかと思い、申し訳なさそうに謝る。
 その途端、鉄太が声を上げた。

「ばっか野郎! なに謝ってんだ!」

「え?」

「お前はこのむさ苦しい現状から抜け出せるチャンスを掴んだんだぜ? 謝ってる場合じゃねえ、上手くいく方法を考えねえと!」

「そうだよ、それに女の子を助けるなんて大したもんじゃねえか。その結果なら謝る事なんて一つもねえよ」

「みんな……」

「でも羨ましいなぁー! 可愛い外国の女の子と俺も出会いてぇー!」

 鉄太の言葉で良い感じの雰囲気は、しっかり壊れてしまった。
 
 そこから五人は、ボウリングに行きゲームセンターで楽しんだ。
 学生らしく冗談を言い合い、馬鹿笑いをしアームの弱いクレーンゲームに貴重な小遣いをつぎこんだ。

 洋平は家に今から帰ると連絡をし、四人と別れた。
 彼らが別れたのは、すでに十九時を過ぎた頃だ。

 家に向かって一人歩く洋平は、今日の楽しい思い出を思い出すと共に物悲しさを感じていた。
 さきほどまでの騒がしさが懐かしく感じる、一人歩く道は夏にしては少し寒かった。

「楽しかった?」

 背中からかけられた声に洋平は足を止める、三日ぶりに聞いたその声はどこか懐かしささえ感じてしまった。

「……三日ぶりだな、今までどこに行ってたんだ?」

「ずうっといたわよ、アンタの後ろにね」

「嘘だろ?」

「ほんとよ」

 マガズミの顔に今までのような、人を小馬鹿にしたような余裕ある笑みは無かった。
 受け答えもどこか冷たく、他人行儀のような感じがする。

「このタイミングで話しかけて来たって事は、何か話があるんだろ?」

「そうね、アンタにしては良い勘してるじゃない。そこの公園でどう?」

 二人は近くにあった小さな公園に入る、自動販売機で水を買ってから洋平はベンチに腰掛けた。
 マガズミは座った洋平の前に立ち、彼を静かに見下ろしていた。

「それで話って?」

「まあ大した話じゃないわ、さっきは楽しかったって聞きたかっただけ」

「そりゃ……楽しかったけどよ」

「そりゃ良かったわね、でも分かってる? あれは、本来アンタが味わう事のできなかったはずの楽しさよ。本当ならアンタは三日前に死んでるんだから」

 その言葉に洋平は手に持っていた水を落としそうになった、この三日間ずっと彼の心に根を張っていたいた感情。
 まともに見てしまえば、気がふれそうなほどの恐怖。
 体から血が流れ出し、体温が消えていく感覚。

「この三日間ほんとお疲れさまって感じ、心ん中に死の恐怖を抱えたまま家族と喋って、友達と遊ぶ。結構頑張ってたじゃない、誰にも自分の余裕の無さを感じさせないように必死になってさ。まともに寝れてないくせに」

 洋平は目元を抑える、彼の目元にはうっすらとクマができていた。

「……見てたのか」

「嫌でも目に入るのよ」

「そういえばずっと聞きたかったんだけどさ、あの日お前が助けてくれたのか?」

「ちがう」

「なら……なら誰が俺を助けてくれたんだ? 知ってるんだろ? お前なら」

「誰でもいいでしょ、そんなのは大した問題じゃない。いま一番大事な事は、アンタは負けて死にかけたって事よ」

 マガズミの表情は先ほどよりもずっと険しく、冷たいものになっている。
 その顔を見慣れ始めていた洋平が、思わずたじろいでしまうほど冷たかった。

「はっきり言うけど、アンタもう戦えないんでしょ」

「え?」

「傷ついて、死ぬのが怖いんでしょ。もう戦いたくないって思ってるんじゃないの?」

「そんな事は……」

「別に隠さなくてもいいよ、見てりゃ分かるから」

 そう言ってマガズミは笑った、それが無理矢理作った笑いという事に洋平はすぐに気付いた。

「俺は……いや……まだだ! まだ俺は……戦える」

「無理よ、仮に戦えてもあいつには勝てない」

「なんでそんな事が分かる!」

「戦う前から負けてるから、もう心が折られてる。土台無理な話だったのよ、誰かの為に戦うなんてのは、もうやめちゃえば?」

「ふざけんな!」

 洋平は怒号と共に立ち上がる、薄暗くなった人のいない公園に彼の声はよく響く。
 立ち上がった彼の顔は、先ほどよりもずっとマガズミの顔に近づいたはずだというのに、実際の距離はずっと遠くにあった。

「俺は決めたんだ! こんな戦いに関係無い人が巻き込まれないように戦うって、あいつはきっとこれからもたくさんの人を殺す。そのうち悪人だけじゃなく、なんの罪も無い人を殺し始めるかもしれないんだぞ!」

「そうね、そうかもしれない。でもそうじゃないかもしれない」

「どういう事だよ?」

「それが分からないなら、やっぱりアンタは勝てない。万が一あいつに勝てても、次は死ぬ、必ずね」

 洋平は、マガズミの言葉に答えられる言葉を持っていなかった。
 目の前の神が何を言おうとしているのか、何に気付かせたいのかが分からない。

「ま、せいぜい悩めばいいわ。どっちにせよ今のアンタとじゃ、地獄の果ては見れそうにない」

 言いたい事だけ言って、マガズミは煙のように消え失せた。
 残された洋平は、糸が切れたようにベンチに座る。

「何なんだよ……あいつ。言いたい事だけ言って……ったく、ふざけんなよな……」

 独り言を呟いて、彼は水を口に運ぶ。
 彼の喉は、ひどく乾いていた。

「俺がもう……戦えない? そんなわけ……」

 そう言って彼は自分の手を見る、手はかすかに震えている。
 
 恐怖などあるはずがない、自分で決めた戦いだ。
 あの夜の事を忘れていはいない、親友を奪われたあの夜を忘れる事などできるはずがない。

 関係無い人たちを守るために戦う、そう決めたはずだ。

 だというのに、彼の手は震えていた。
 温かな家、楽しい友人たち、死ねばもう二度と触れられない温もり。それらは彼の中の恐怖を和らげてはくれない、余計に死に対する恐怖を深まらせた。

 薄れていく視界、消えていく熱、撃たれた腹の痛み。
 その全てを、あの夜と同じように彼は覚えている。

 震えていた手は、自然と撃たれた腹部へ向かう。

「こええよ……ちくしょう」

 夕闇に包まれた公園で、彼は一人でそう呟いた。
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