夜の闇を少しだけ、深く

猫パンチ三世

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第一噺 犬の顔

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 あなたはペットを飼ったことがあるだろうか?
 
 おそらくだが大概の人は『ある』と答えるのではないだろうか。
 犬や猫といった一般的な動物をはじめとして、私たちは多種多様な種類の動物たちをペットとして家に迎え入れている。
 彼らは良き家族として友人として、心の穴を埋めより豊かな生活を共に育んでくれる存在として私たちの隣にいてくれる。 
 
 だがそんな存在であるペットが、もし違う顔を持っていたとしたら?
 もし家族でもなく、友人でもなく、はたまた『ペット』ですらない一面を持っていたとしたら。

 それは文字通り、得体の知れない『隣人』と呼ぶに相応しい存在なのかもしれない。

 
 これは現在、事務員として働いているBさんという女性の話だ。
 彼女の家は動物好きの家系で、小さい頃から犬や猫といった定番の動物だけでなく、ハムスターやインコのようなものまで手広く飼育していた。

 その中でもやはり身近にいたのは犬だった、Bさん曰くは物心付いた時から家に犬がいない時期というものはほとんど無かったらしい。
 そういった環境もありBさんは動物がとても好きで、大概の子供が親や祖父母に任せてしまう世話を、彼女は進んでやっていた。
 
 さて、件の話はそんな彼女が中学生一年生の時に、やってきたモコという犬に関わる話だ。
 このモコという犬は父親が会社の同僚から譲られたオスの雑種犬で、同僚の話では家の近くの雑木林に捨てられていたらしい。
 家の事情で飼う事のできない同僚が、動物好きの父親に相談したのがきっかけらしい。

 モコは雑種犬だったが、その愛くるしい姿に彼女の父親は二つ返事で引き取る事を承諾したそうだ。
 そんなわけで家にやってきたのだが、家族は父の軽率な行動を注意こそしたが、飼う事に対して文句をいう者は一人もいなかった。

 そんなモコの世話を主として行っていたのはBさんだった。
 彼女もモコが好きだったし、モコも彼女によく懐いていたらしい。

 彼女たちは、本当のきょうだいのように育ったという。
 辛い事や悲しい事、嬉しい事などたくさんの思い出を共有しながら二人は大きくなっていった。

 やがてBさんは高校生になったが、モコの世話は当然のように続けていた。
 モコも大きくなり、力も増していったため散歩の時に引っ張られると力負けしそうになる場面が段々と多くなってきていた。
 このモコという犬は、好奇心旺盛なため道を歩いていると興味を持ったものに向かっていってしまおうとする。
 彼女の実家は田舎だったため、田んぼ道などを歩いていると田んぼの中にいる鳥や遠目に見えたキツネやタヌキなどに向かってモコは走り出そうとするのだ。

 田舎という事もあり、道の交通量は多くは無い。
 だがまっすぐで開けた道はスピードを出したくなるようで、通る車はどれもひやりとするようなスピードで走り去っていく。だからBさんは、なるべくリードを短く持って、モコの動きを御しやすくして散歩していた。

 そんなある夏の日、Bさんは部活動を終え家に帰って来た。
 時刻はすでに十九時を過ぎていたが、まだ外は完全な闇に包まれてはいなかった。

「モコの散歩に行ってくるね」

「今日はやめといたら? もう暗くなってきてるし」

「大丈夫だって」

 母の言葉にそう軽く返し、Bさんは家を出た。
 家から出てきた彼女を見るなり、モコは尻尾を振り回し早く行こうと催促する。
 それを愛おしく思いながら首輪をリードに繋ぎ、彼女は散歩に出かけた。

 外は陽がもうほとんど落ちており、だいぶ薄暗い。
 田舎だったという事もあり、道を歩いている人間はもういなかった。
 田んぼ道を歩く彼女の顔に、生温い風と小さな虫がぶつかる。帰ったらお風呂に入りたい、そんな事を考えながら彼女は歩く。
 そんな彼女の前をモコが歩く、いつものように少し勇み足で草むらに顔を突っ込みながら歩く姿はもう何年も見続けた姿だ。

 やがて田んぼ道を抜け、二人は大きな道路に出た。
 先ほどの砂利道と違いこの道は舗装されており歩きやすい、だが前述したとおりのまっすぐで開けた道のため、ここを通るトラックや車はかなりスピードを出していく。
 だが今日は幸いにも、車は見当たらない。
 後はこの道を三百メートルほど歩いて、また細い道に入り家に帰る。それがBさんのいつもの散歩コースだった。

 闇が濃くなってきた道を彼女は歩く、もうそろそろ家の前に出る
細い道に辿り着くといった所でモコがふと足を止めた。

「モコ? どうしたの?」

 モコはBさんの方をちらりとも見ずに、田んぼの方を見ている。
 大きくなり始めた青い稲が風に揺れていた、彼女は何かが田んぼの中にいるのかと思った。
 鳥やキツネやタヌキのような野生動物を、モコは見つけたのだろうと。

 だが何もいない、モコの視線の先には何もいなかった。
 薄暗いとはいえ動物がいればさすがに気付くはずだが、何かを見ているはずのモコの視線の先にはただただ田んぼが広がっているだけだ。

「何もいないよ、帰ろ?」

 そう言ってBさんはリードを引く、だがモコはびくとも動かなかった。
 そうやってるうちに、道の先からトラックが走って来るのが見えた。
 かなり大きなトラックで、しかもそれなりにスピードが出ているようだった。
 トラックは、少しずつ二人の所に近づいてくる。とりあえずモコの事はトラックが行ったらどうにかしよう、そうBさんが考えていた時だった。

 今まで全く動かなかったモコが、突然トラックに向かって走り出したのである。

「ちょ……ちょっとモコ!?」

 それは今までに無いような、凄まじい力だった。
 リードが手に食い込み、その痛みで彼女は顔を歪める。

 トラックのヘッドライトの光は、どんどん近づいてくる。
 Bさんはズルズルと引きずられ、左車線の中央まで連れて行かれた。

「ねぇ! モコやめて! 戻って!」

 だがそんな叫びは虚しく、リードにかかった力は一向に弱まらない。
 ただひたすらにモコはトラックに向かって走る、ガリガリと爪をアスファルトに立てながら、まるでトラックに飛び込もうとするかのように走る。

 Bさんは一瞬リードを離そうかとも考えた、だが短く持つために手に巻いていたリードはぎっちりと手に食い込んでいる。
 すでにトラックは彼女の目の前にまで迫っていた。

 彼女は最後の力を振り絞り、リードを思いっきり引いた。
 リードが引かれた事でモコの顔が、彼女の方を見た。

 彼女の方を見たモコのの顔は、見慣れた可愛らしい顔ではなかった。
 血色の悪い、目が落ちくぼんだ中年の男の顔をしていた。

 悲哀と憎しみを感じさせる、男の顔をした犬がそこにいた。

 その顔がにーっと笑ったと同時に、トラックは彼女の前を通り過ぎた。

 それから彼女はリードを手放し、尾を引くような絶叫を上げながら家へと逃げ帰った。
 母に先ほどあった事を話したが、何かの見間違いだろうと言って信じてはくれなかった。

 モコはそれからズルズルと引く手を失くしたリードを引きずって帰ってきたが、Bさんはあの男の顔が忘れられず、モコに近づく事ができなくなり、それ以降散歩にも何かと理由をつけて行かなくなった。

 結局モコはその年の冬に、病気で亡くなったという。

 Bさんはモコの死後、あの道の事などを調べたが人が死ぬような事故などは起きていなかった。
 モコが拾われたという雑木林の事も調べたが、何かそういう出来事があったという事実を彼女は見つけることができなかった。
 
 結局あれが誰だったのか、なぜあんな事をしたのかは今でも分からない。
 だが彼女は大人になった今でも、犬を見ると少しどきりとするらしい。
 犬の顔に張りついていたような、あの血色の悪い男の顔を思い出しそうになるからだ。
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