裏口の鍵は開いている

猫パンチ三世

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忌み仏 1

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「これの持ち主は必ず不幸になるんです」

 神原沙也加《かんばらさやか》の第一声は、驚くほどシンプルかつ不安を煽るものだった。

 彼女が店を訪れたのは、朝から降り続ける雨のせいで薄暗い土曜日の正午過ぎだった。決して弱くない雨の日に訪れる客など、よっぽどの物好きか、厄介事を抱え込んだ客ぐらいなものだ。
 彼女の応対に出た山野廻《やまのめぐる》は、初めから彼女が後者であるという事に気付いていた。
 なぜなら店の裏口に現れた彼女の腕には、薄紫の風呂敷に包まれた何か得体の知れない物が抱えられていたからだ。

 神原沙也加は、実に態度の良いお客だった。
 廻が椅子に座る事を促しても、茶を出しても、いちいち頭を下げる。
 沙也加は年は二十代半ばの白いコートを羽織った、背中の中頃まで伸びた黒髪の美しい女性だった。
 だからこそ、抱えた何かが妙に浮いてしまっていたのだが。
 
「ええと、とりあえずその……中身を見せてもらえますか?」

 廻の言葉に静かに頷くと、震える指で、まるでおぞましい何かに触れるように風呂敷を解いた。
 風呂敷がはらりと机の上に落ちると、中からかなり年季の入った木箱が現れた。
 大きさは高さ五十センチ、横二十センチほどの長方形の箱で、造られてからかなりの年月が経っているらしく、箱のあちこちに黒いシミのようなものができていた。
 沙也加が箱を開け、中から何かを取り出そうとした時、廻は思わずやめてくれと叫びそうになった。

 彼は彼女が箱から出す何かが、とてもおぞましく、自分の手に負えない物だと直感的に理解してしまったのだ。
 だが時すでに遅く、彼女は箱からそれを出してしまっていた。

「これ……は」

 箱から出されたのは、木製の仏像だった。
 姿はよく見慣れた右手の手の平をこちらに向け、左手を前に差し伸べたもので、こういった仏像などに疎い廻にはテレビや本などで見た事のある物と大きな違いは感じられなかった。
 表情は口元に小さく薄い笑みを浮かべた慈悲深いもので、体つきは柔らかく腰回りの造りは女性的だった。

 ここまでなら何の変哲もないただの仏像だった、だが廻がその姿を見て言葉を詰まらせたのはそれなりの理由があった。

 のだ。

 頭の先から足の先まで、火に炙られ焼け焦げたように真っ黒なのだ。
 本来ならば仏像とは、神聖で人々に安らぎを与えるはずだが、彼の目の前に置かれたモノからそんなものは微塵も感じない。
 見た人間がこの仏像から与えられるものは、言いようのない不安感と底の見えない穴を覗き込んだような恐怖だけだった。
 それは沙也加も同様のようで、露骨に気分が悪いという顔をして、目を部屋の隅へ向けている。
 なるほど、これなら持ち主が不幸になるという話もあながち嘘ではないなと、廻はざわついた心を少しでもなだめる様に、あえて軽く納得してみた。

「これは先日亡くなった祖父が持っていたもので、遺品の整理をしている時に見つけました。祖父は私以外に親族がいないので、私がこれを引き取ったのですが……」

「何かあったんですか?」

「……これを見つけた日から、私の周りで変な事が起きるようになったんです。無言電話がかかってきたり、部屋で黒い影を見たり……」

「なるほど、でもそれだけでどうしてこの仏像のせいだと?」

「祖父の日記にそう書かれていたんです」

 沙也加はそう言って、カバンから一冊の古い日記帳を取り出した。
 折り目のつけられたページを開くと、筆圧の薄い小奇麗な文字が並んでいる。

「ほら、ここです」

 ー-今日は昔馴染みの古物商から、とんでもない物を買った。
   なんでも持ち主を不幸にするという呪いの仏像らしい。
   私はそんな馬鹿なと笑った。
   だがいつも笑顔で気さくな彼はこの日私が店を出るまで一度も笑わなかった。
   それはこの仏像の曰くをさらに強める理由となった。
   後ろに置いてあるあの仏像に、私も呪われてしまうのだろうか。ー-

「あの……失礼ですがなぜおじい様はこんな物を? 嘘でも本当でもあまり気分の良いものではないと思うのですが……」

「祖父は、そういった曰くつきの物品を集めるのが趣味だったんです。それにその古物商さんとは長い付き合いで、どうしてもと頼まれたそうで……優しい人でしたから」

「なるほど……」

 廻は納得したような言葉を吐くが、だとしてもこんな気味の悪い物をわざわざ買い取るとはと内心では彼女の祖父に対して困惑の念を抱いていた。
 
「それに祖父も、最期は不可思議な死に方をしたんです」

「というと?」

「……自室で死んだんです、胸をかきむしって……。はっきりとした死因は分からず結局病死として処理されました……」

 初めは考えすぎだと廻は考えていた、彼女の祖父というのならそれなりの年齢だろうし、年齢云々の前に老人が急死するなど正直珍しい事ではないだろうと。
 だが現場の様子を聞くうちに、彼は自分の考えがひどく稚拙なもので想像力に欠けるものだと気付かされた。

 彼女によれば祖父は常日頃から健康に気を使っていたらしく、運動をし食生活も栄養バランスを考えて作っていたらしい。
 その甲斐あって亡くなる二週間前に受けた健康診断では、特に問題はなかった。

「でもですよ? それだけで呪いと言い切るのは……」

「この仏像をわざわざ箱から出して、胸に抱えて死んでいたとしても?」

 廻は、もう何も言えなかった。
 彼女がこの仏像に呪い込められていると考えるには、あまりにも理由が強すぎる。
 仮に偶然が重なっただけではないかと、自分が伝えたとしても、彼女の心を慰める事ができない事に彼は気づいてしまっていたのだ。

「だから私……怖くて。本当に呪いがあるんじゃないかって」

「なるほど……分かりました。とりあえずこちらはお預かりします、査定額が決まり次第連絡致します」

「え? 連絡? すぐに買い取って頂けるのでは?」

「大変申し訳ないんですが、店主のこだわりで買い取り金額を出すのに少々お時間を頂くんです。もし今すぐにというのであれば、今回のお話はお断りさせて頂きます」

「……分かりました、最終的に買い取って頂けるならそれで構いません」

 廻はずいぶん聞き分けが良いなと、静かに感心していた。
 だが彼女のどこか従順とも言える態度は、この仏像に対して強い怖れを抱いているとう事実の裏付けに他ならない。

 彼女はどうにかこの黒い仏像を、自分から遠ざけたかったのだ。

「それとすいません、おじい様の日記をお借りしてもよろしいですか?」

「日記を? それは構いませんが……」

「ありがとうございます」

 沙也加はどこか腑に落ちないという顔をしてから、日記と連絡先を置き、そそくさと逃げるように店を出て行った。
 廻は机の上に置かれた仏像の入った箱と日記を見て、大きく深いため息を吐く。

 さて、こいつはどんな面倒事を巻き起こすのかね。
 彼はやや憂鬱な気分のまま、店の奥で眠る店主を起こしに向かった。 
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