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例えば俺がクリシュナ様の風格に自然と礼を尽くしたいと思うように、シリル様の在り方に感化されるのも、自然なことなのではないのだろうか。勿論、必ず特定の人物に対して皆がそうなるとは思わないが、少なくとも敬意を払いたいと思う相手をそのように扱うのは。
平民の考えることはよく分からない。シリル様ほどではないが、一度そこからのすりあわせが必要なのではないかと思うほどに。
大体、今は大きな戦いも遠征もない。バーネット家のような土地はまた別だが、国境付近の小競り合いならともかく、国をあげての戦争となるときな臭い話でさえ表立って聞くことがない。歴史的に見て随分と平和な時代だ。
貴族による搾取の話は枚挙に暇が無いとはいうものの、そう言った不正もかなり是正されている。このところのゴシップはもっぱらそういった話題で、爵位を剥奪された領地の一部では爵位を持たなくとも優秀な平民を召し上げて運用するテストが行われていると。
最早、平民が貴族を敬うことは遠くなったのだろうか。仕える立場の家の者として教育されてきた俺には何も分からなかった。
だから、分からなければ知れば良いのだと、そう思うのも俺にとっては自然なことだった。
週末。ラウンジでコーヒーを飲みながら、シリル様の読み終えた新聞を受け取って目を通す。それが終われば気になったトピックについていくつかやりとりをしつつ、談話室で腰を落ち着けてチェスに興じたり、来週の過ごし方を決める。
特に珍しくもない一連の流れを遮ったのは、例の平民だった。
「おーい、ルートヴィヒ」
シリル様でなく俺の名を呼ぶ声に振り向くと、衆目を集めながら平民がこちらへやってくるところだった。
珍しいことだった。平民は編入から半年以上が経つというのに良くも悪くも未だ引っ張りだこで、週末は特に錚々たる方々がローテーションを組もうなどと軽口を飛ばすほどにはその身を拘束されているらしかった。
そんななか、まさかあちらから指名されるとは思っていなかった。
「なんだ」
思わず用件が気になり、小言も忘れて先を促す。シリル様は俺と平民を交互に見遣ったが、何か言われることはなかった。
「ちょっと時間くんね?」
「……俺か?」
「ん。なあ、シリル、ルートヴィヒ借りても良いか?」
「おい、言葉遣い」
「相変わらずお堅いヤツだな」
「お前が緩いんだ」
緩いどころの騒ぎではないが、ここで言い募っても仕方がない。俺としても話したいことは山ほどあったため、一度シリル様に伺いを立てることにした。
「申し訳ないですが、席を外してもよろしいでしょうか」
俺と平民の様子を見ていたシリル様は、俺の言葉に目を丸くした。……何かおかしなことを言っただろうか。
「シリル様?」
「ああ、わかった」
片手を振って行けと示される。シリル様の様子に違和感を覚えたが、平民に手を引っ張られて意識が逸れた。
「おい」
「じゃあオレの部屋来てくれ!」
なんのてらいも無く明るい表情の平民と、静かに微笑んでその様子を見つめるシリル様を交互に見遣る。先ほど、瞬きほどの間にあったはずの違和感は既に消え失せていた。
「――それでは、一度御前失礼致します」
なおも腕を引っ張る平民に負けないよう足に力を込め、一礼をする。
「ルートヴィヒ」
「はい」
「……いや、後でいい。私も部屋へ戻る」
「かしこまりました。では後ほどお部屋まで参ります」
「わかった」
鷹揚に頷くシリル様を注意深く見るものの、やはりもうなんの違和感も見いだせなかった。
……あの、眩しかった笑顔が失せたときほどではない。だが、それに近いことが起こったような気がして、本当は今すぐにでもそれを拾い上げたかった。
しかし他でもないシリル様の許しの元で側を離れる上、後でと言われているのだ。この場は辞さなくては。人目もこれ以上集まると不快なものになる。
気がかりでこそあったが、俺は平民と談話室から離れた。平民へあてがわれた部屋は急遽部屋として簡単に改装された、元々は倉庫のような空き部屋だった。卒業した者が残していった処分に困るものなどが多数しまわれていた気がするが、さて、今はどうなったのやら。
俺達以外に他の気配はなかった。生徒の多くは街へ繰り出したり、一時帰宅をしていたりと学舎から離れている。
俺の緩いペースの足音に、平民の少し小刻みな靴音が重なる。そういえば歩く音は随分と大人しくなっていた。
「なあ、オレはシリルとルートヴィヒが一緒にいたからシリルに断りを入れたけどさ、お前が改めて許可取る必要あんの?」
「……お前には関係の無いことだ」
「そうだけどさあ」
「それより、今日はなんの用だ」
「部屋入ったら教える」
ふんふんと機嫌良さそうに、優雅とはほど遠い旋律が鼻先から零れる。それをこいつらしいと思ってしまう自分は大分毒されてしまったようだった。
「あ、そういや小言はシリルの前でだけ?」
「……最悪、俺に対してはもういい。どうせ何を言ったところでお前にそのつもりがないなら無駄なのだろう」
「へえ」
意外そうな顔をしながら、平民が大仰に鍵を取り出し、開錠する。中に入るとすぐに内鍵は締められた。元々倉庫だった名残で、窓枠の位置は高く、その外には重々しい鉄格子がはめられている。それに見合わない、真新しいパーツだった。
「立派な鍵じゃないか」
「クリシュナが用意してくれてさ。正直助かってる」
「おい、クリシュナ様もそんな風に呼んでいるのか」
侯爵家嫡男を呼び捨てにするなど、呆れを通り越して恐れ入る。しかし平民はなんでも無いことのように頷いた。
「まあな。お互い納得した上でのことだぜ?」
暗に俺のような外野に何を言われる筋合いもない、と言われ、俺は黙った。
「……お前には、貴族はどういう風に映っているんだ」
今の世の中、爵位を持つ者は多かれ少なかれ人を統治する側だ。平民はされる側。不当に搾取される者も大勢いるだろう。こいつもそのうちの一人で、そもそも貴族に対し悪感情を持っているのだろうか。しかし、であればこの場にいない気もする。――こいつは、どのようにして貴族の子息が集う学び舎に放り込まれたのか。
「オレのこと知りたいんだ? 誰かに聞いたりしなかったのかよ」
「教員には当たったが俺の手管が正直すぎると呆れられた」
「なんだそりゃ」
平民がベッドに座って俺を見る。厳密には、教員からは皆『本人から直接聞くと良いでしょう。良好な関係を築けば教えてくれるはずです』と言われたのだ。学園長を見かけた際に時間を取らせまいと直球で質問したときには、『ソラくんはどうやら素晴らしい影響を与えているようだ』などと皮肉かなんなのか分からない言葉で微笑ましそうに笑われてしまった。顔を真っ赤にして恥じ入ってしまい、通りすがりの知り合いに変な目で見られたのは本当に参った。
「オレの経歴……来歴? は別に隠してねえけどな。えらいトコのお坊ちゃんは誰か人使って調べてるんじゃねえの?」
「生憎俺の家はそこまで暇な人材がいない」
「んー、まあ、大半の人間にとっちゃ、理不尽なことされなきゃ貴族なんて気にしねえよ。その日暮らしのヤツは大勢居るし、そういうヤツにとっちゃあんたらのことよりも次の飯の心配しなきゃ死んじまう。オレも一緒さ。ここから卒業してどうなるかはまだ分かんねーけど、ここに居る連中に顔と名前を覚えられたからって、オレが食うに困ったとき助けて貰えるなんて思っちゃいねーし」
「……違うのか?」
疑問を口にすると、平民はくしゃりを顔を歪めた。
「あっ ひっでー! その顔、あんたオレが物乞い目当てで金持ち連中にすり寄ってたみたいに思ってただろ!!!」
「そうか、違うのか」
見るからに気分を害した、怒っている、と示している平民を余所に、俺は点と点を繋ごうとしていた。ではなぜ、こうも平民は――
「ってか、んなことは良いんだって! ルートヴィヒっ、勉強教えてくれ」
「おい……」
「算学はそこそこなんだけどさあ、やっぱ歴史とかはさっぱりなんだわ。分かんねえ言葉も多くてちんぷんかんぷんでさ」
よく分からない奴だ。
「素行を直さない割に勉学には励むのか」
「まあそりゃ、読み書き計算できりゃ、働き口の数も大分増えるからな」
「素行も同じだと思うが」
「お貴族様の近くならまだしも平民の中じゃ浮くだけだっつの。シリルだって前に言ってたろ」
「だからといってここに居る間覚えない理由にはならん」
俺がそう言うと、奴はこれ以上は答える気はないとばかりに肩をすくめた。
「それが人に教えを請う態度か」
「なんだよここまで来てくれたくせに」
「俺もお前に聞きたいことがあったからな」
「じゃあ貸し借りなしじゃん」
そうだろうか?
「口だけは良く回る」
「ルートヴィヒはすげえいい感じに返してくれるからな。あんた一人っ子じゃねえよな? 下にきょうだいいるだろ?」
「――」
鋭い。クリシュナ様の顔が頭を過った。
「妹だ」
「やっぱな! もしかしてオレ、どっか似てる?」
「お前ほど手がつけられないことはないが」
「ふーん」
どことなく嬉しそうに笑う平民に、喜怒哀楽の激しいことだなと関心さえしてしまう。
三歳年下の妹は幼い頃からどこかませたところがあって、俺が休暇の度に帰省する毎に、年々口が達者で、気が強くなっている。そのうち口でやり込められてしまいそうなほどだ。見た目は全く似ていないが、小柄だったり、見目が良いという点では多少類似する部分があると言えなくもない。
「そんなことより、いいのか。俺は一時間もすれば戻るぞ」
「えっ」
「当然だ。シリル様の部屋にも行かねばならんし夕食もある」
「マジかよ。泊まりは?」
「お前のベッドの寝心地では無理だな」
「じゃあそっちに泊めてよ」
「……そんなに切羽詰まっているのか? 他の誰にも申し出なかったわけではなさそうだが」
確かに教員にも論文や生徒の成績、授業の準備などやらなくてはいけないことが多い。それでも今までどうにかやっていたのならば、今後も出来そうなものだ。
「大体の流れとかは分かるけどさあ、人の名前とか事件とそれが起った年号とか、テストに出されるのってそんなんばっかじゃん」
「ああ」
「しかもそれが自分の国だけじゃなくて他の国と絡んでたりするわけじゃん?」
「ああ」
「覚えらんねーよ。元々興味もないしさ、今後に役立つかっつーと多分、そんなことはないだろうし」
「……他国の人間に自国の案内をするのは?」
「ああ、観光案内? それくらいだったら少しくらいはできるかも……」
「なら、例えば旅人や傭兵に自分の住む町や国の情報を教えられる程度を目標にしろ。年号は覚えるしかないが、誰かに案内をする体でならば流れは掴めるはずだ。最初は大まかでいい。授業やテストはもう少し詳しく聞かれているものと思え」
「うーん……まあ、結局覚えるしかねえよなあ」
渋い顔をする平民に、俺は息をついた。ベッドの脇にある簡素な机に収まっていた椅子を引き、座る。
俺はこいつに求めすぎているのだろうか。勉学についていくのもやっとな状態で、日々の細かな部分にまで気を遣えというのは、酷なのだろうか。
「俺以外にあてはなかったのか」
「うーん、まあクリシュナにはかなり面倒掛けてるし、普通に馬鹿にされて終わるんだよな」
「シリル様は……俺が手を煩わせるなと言ったんだったな」
「それもあるけど、シリルは人気者じゃん。他の連中とも楽しそうにしてるし、俺がしょっちゅう独占してたら殺されそう」
「なんだそれは」
「間違ってないだろ?」
「……いささか過剰な言い回しだが、まあ、シリル様は誰とでも気さくに話す方だからな」
指折り数えていく平民に、ふと浮かんだ名前が漏れた。
「ブレア様は?」
「あー……」
言うと、頭を抱えて唸り出す。何かあったのだろうかと様子を見ていると、言いにくそうに平民は口を開いた。
「あいつ、距離が近いし変なところ触ってくんだよな……」
「……」
「なあ、ケツ揉んだり、腰を撫で回したりすんのって普通じゃねえよな?」
なんと答えるべきか、俺は一瞬言葉を失った。まさかブレア様がこいつをそう言う目で見ていたとは思わなかった。ということは、図書室で匿ってくれと言っていたあの時もそうだったのだろうか。
「……性的な関係を持ちたいというアピールだろうな」
「やっぱかぁ~~……」
ここまで気にすると言うことは、こいつにその意思はないと言うことか。
「ここを出てからはどうかしらんが、ここにいる間だけ肉体関係を持つというのはあまり珍しいことではない」
「マジ?」
「女性がいないからな。娼婦を手配する金も実家頼り」
「ああ……」
成る程、と得心がいったように平民が頷く。
「断るのは」
「あることだ。大体は断れないものだが」
「力の強い奴が無理矢理?」
「家同士の力関係だ。逆の場合は取り入ろうとしてすり寄る形になるが、その場合はえり好みされることもある」
「貴族って分かんねえ」
「こういう環境ならおかしいことだとは思わんが。騎士団や軍の中でもままあると聞く」
「……ふーん」
俺の話を聞いたところで、こいつがブレア様からのアプローチを受け入れるとは思わないが、妙に何かを考える素振りを始めた平民に、意趣返しとして口を出した。
「あと50分」
「わーっ!」
平民の考えることはよく分からない。シリル様ほどではないが、一度そこからのすりあわせが必要なのではないかと思うほどに。
大体、今は大きな戦いも遠征もない。バーネット家のような土地はまた別だが、国境付近の小競り合いならともかく、国をあげての戦争となるときな臭い話でさえ表立って聞くことがない。歴史的に見て随分と平和な時代だ。
貴族による搾取の話は枚挙に暇が無いとはいうものの、そう言った不正もかなり是正されている。このところのゴシップはもっぱらそういった話題で、爵位を剥奪された領地の一部では爵位を持たなくとも優秀な平民を召し上げて運用するテストが行われていると。
最早、平民が貴族を敬うことは遠くなったのだろうか。仕える立場の家の者として教育されてきた俺には何も分からなかった。
だから、分からなければ知れば良いのだと、そう思うのも俺にとっては自然なことだった。
週末。ラウンジでコーヒーを飲みながら、シリル様の読み終えた新聞を受け取って目を通す。それが終われば気になったトピックについていくつかやりとりをしつつ、談話室で腰を落ち着けてチェスに興じたり、来週の過ごし方を決める。
特に珍しくもない一連の流れを遮ったのは、例の平民だった。
「おーい、ルートヴィヒ」
シリル様でなく俺の名を呼ぶ声に振り向くと、衆目を集めながら平民がこちらへやってくるところだった。
珍しいことだった。平民は編入から半年以上が経つというのに良くも悪くも未だ引っ張りだこで、週末は特に錚々たる方々がローテーションを組もうなどと軽口を飛ばすほどにはその身を拘束されているらしかった。
そんななか、まさかあちらから指名されるとは思っていなかった。
「なんだ」
思わず用件が気になり、小言も忘れて先を促す。シリル様は俺と平民を交互に見遣ったが、何か言われることはなかった。
「ちょっと時間くんね?」
「……俺か?」
「ん。なあ、シリル、ルートヴィヒ借りても良いか?」
「おい、言葉遣い」
「相変わらずお堅いヤツだな」
「お前が緩いんだ」
緩いどころの騒ぎではないが、ここで言い募っても仕方がない。俺としても話したいことは山ほどあったため、一度シリル様に伺いを立てることにした。
「申し訳ないですが、席を外してもよろしいでしょうか」
俺と平民の様子を見ていたシリル様は、俺の言葉に目を丸くした。……何かおかしなことを言っただろうか。
「シリル様?」
「ああ、わかった」
片手を振って行けと示される。シリル様の様子に違和感を覚えたが、平民に手を引っ張られて意識が逸れた。
「おい」
「じゃあオレの部屋来てくれ!」
なんのてらいも無く明るい表情の平民と、静かに微笑んでその様子を見つめるシリル様を交互に見遣る。先ほど、瞬きほどの間にあったはずの違和感は既に消え失せていた。
「――それでは、一度御前失礼致します」
なおも腕を引っ張る平民に負けないよう足に力を込め、一礼をする。
「ルートヴィヒ」
「はい」
「……いや、後でいい。私も部屋へ戻る」
「かしこまりました。では後ほどお部屋まで参ります」
「わかった」
鷹揚に頷くシリル様を注意深く見るものの、やはりもうなんの違和感も見いだせなかった。
……あの、眩しかった笑顔が失せたときほどではない。だが、それに近いことが起こったような気がして、本当は今すぐにでもそれを拾い上げたかった。
しかし他でもないシリル様の許しの元で側を離れる上、後でと言われているのだ。この場は辞さなくては。人目もこれ以上集まると不快なものになる。
気がかりでこそあったが、俺は平民と談話室から離れた。平民へあてがわれた部屋は急遽部屋として簡単に改装された、元々は倉庫のような空き部屋だった。卒業した者が残していった処分に困るものなどが多数しまわれていた気がするが、さて、今はどうなったのやら。
俺達以外に他の気配はなかった。生徒の多くは街へ繰り出したり、一時帰宅をしていたりと学舎から離れている。
俺の緩いペースの足音に、平民の少し小刻みな靴音が重なる。そういえば歩く音は随分と大人しくなっていた。
「なあ、オレはシリルとルートヴィヒが一緒にいたからシリルに断りを入れたけどさ、お前が改めて許可取る必要あんの?」
「……お前には関係の無いことだ」
「そうだけどさあ」
「それより、今日はなんの用だ」
「部屋入ったら教える」
ふんふんと機嫌良さそうに、優雅とはほど遠い旋律が鼻先から零れる。それをこいつらしいと思ってしまう自分は大分毒されてしまったようだった。
「あ、そういや小言はシリルの前でだけ?」
「……最悪、俺に対してはもういい。どうせ何を言ったところでお前にそのつもりがないなら無駄なのだろう」
「へえ」
意外そうな顔をしながら、平民が大仰に鍵を取り出し、開錠する。中に入るとすぐに内鍵は締められた。元々倉庫だった名残で、窓枠の位置は高く、その外には重々しい鉄格子がはめられている。それに見合わない、真新しいパーツだった。
「立派な鍵じゃないか」
「クリシュナが用意してくれてさ。正直助かってる」
「おい、クリシュナ様もそんな風に呼んでいるのか」
侯爵家嫡男を呼び捨てにするなど、呆れを通り越して恐れ入る。しかし平民はなんでも無いことのように頷いた。
「まあな。お互い納得した上でのことだぜ?」
暗に俺のような外野に何を言われる筋合いもない、と言われ、俺は黙った。
「……お前には、貴族はどういう風に映っているんだ」
今の世の中、爵位を持つ者は多かれ少なかれ人を統治する側だ。平民はされる側。不当に搾取される者も大勢いるだろう。こいつもそのうちの一人で、そもそも貴族に対し悪感情を持っているのだろうか。しかし、であればこの場にいない気もする。――こいつは、どのようにして貴族の子息が集う学び舎に放り込まれたのか。
「オレのこと知りたいんだ? 誰かに聞いたりしなかったのかよ」
「教員には当たったが俺の手管が正直すぎると呆れられた」
「なんだそりゃ」
平民がベッドに座って俺を見る。厳密には、教員からは皆『本人から直接聞くと良いでしょう。良好な関係を築けば教えてくれるはずです』と言われたのだ。学園長を見かけた際に時間を取らせまいと直球で質問したときには、『ソラくんはどうやら素晴らしい影響を与えているようだ』などと皮肉かなんなのか分からない言葉で微笑ましそうに笑われてしまった。顔を真っ赤にして恥じ入ってしまい、通りすがりの知り合いに変な目で見られたのは本当に参った。
「オレの経歴……来歴? は別に隠してねえけどな。えらいトコのお坊ちゃんは誰か人使って調べてるんじゃねえの?」
「生憎俺の家はそこまで暇な人材がいない」
「んー、まあ、大半の人間にとっちゃ、理不尽なことされなきゃ貴族なんて気にしねえよ。その日暮らしのヤツは大勢居るし、そういうヤツにとっちゃあんたらのことよりも次の飯の心配しなきゃ死んじまう。オレも一緒さ。ここから卒業してどうなるかはまだ分かんねーけど、ここに居る連中に顔と名前を覚えられたからって、オレが食うに困ったとき助けて貰えるなんて思っちゃいねーし」
「……違うのか?」
疑問を口にすると、平民はくしゃりを顔を歪めた。
「あっ ひっでー! その顔、あんたオレが物乞い目当てで金持ち連中にすり寄ってたみたいに思ってただろ!!!」
「そうか、違うのか」
見るからに気分を害した、怒っている、と示している平民を余所に、俺は点と点を繋ごうとしていた。ではなぜ、こうも平民は――
「ってか、んなことは良いんだって! ルートヴィヒっ、勉強教えてくれ」
「おい……」
「算学はそこそこなんだけどさあ、やっぱ歴史とかはさっぱりなんだわ。分かんねえ言葉も多くてちんぷんかんぷんでさ」
よく分からない奴だ。
「素行を直さない割に勉学には励むのか」
「まあそりゃ、読み書き計算できりゃ、働き口の数も大分増えるからな」
「素行も同じだと思うが」
「お貴族様の近くならまだしも平民の中じゃ浮くだけだっつの。シリルだって前に言ってたろ」
「だからといってここに居る間覚えない理由にはならん」
俺がそう言うと、奴はこれ以上は答える気はないとばかりに肩をすくめた。
「それが人に教えを請う態度か」
「なんだよここまで来てくれたくせに」
「俺もお前に聞きたいことがあったからな」
「じゃあ貸し借りなしじゃん」
そうだろうか?
「口だけは良く回る」
「ルートヴィヒはすげえいい感じに返してくれるからな。あんた一人っ子じゃねえよな? 下にきょうだいいるだろ?」
「――」
鋭い。クリシュナ様の顔が頭を過った。
「妹だ」
「やっぱな! もしかしてオレ、どっか似てる?」
「お前ほど手がつけられないことはないが」
「ふーん」
どことなく嬉しそうに笑う平民に、喜怒哀楽の激しいことだなと関心さえしてしまう。
三歳年下の妹は幼い頃からどこかませたところがあって、俺が休暇の度に帰省する毎に、年々口が達者で、気が強くなっている。そのうち口でやり込められてしまいそうなほどだ。見た目は全く似ていないが、小柄だったり、見目が良いという点では多少類似する部分があると言えなくもない。
「そんなことより、いいのか。俺は一時間もすれば戻るぞ」
「えっ」
「当然だ。シリル様の部屋にも行かねばならんし夕食もある」
「マジかよ。泊まりは?」
「お前のベッドの寝心地では無理だな」
「じゃあそっちに泊めてよ」
「……そんなに切羽詰まっているのか? 他の誰にも申し出なかったわけではなさそうだが」
確かに教員にも論文や生徒の成績、授業の準備などやらなくてはいけないことが多い。それでも今までどうにかやっていたのならば、今後も出来そうなものだ。
「大体の流れとかは分かるけどさあ、人の名前とか事件とそれが起った年号とか、テストに出されるのってそんなんばっかじゃん」
「ああ」
「しかもそれが自分の国だけじゃなくて他の国と絡んでたりするわけじゃん?」
「ああ」
「覚えらんねーよ。元々興味もないしさ、今後に役立つかっつーと多分、そんなことはないだろうし」
「……他国の人間に自国の案内をするのは?」
「ああ、観光案内? それくらいだったら少しくらいはできるかも……」
「なら、例えば旅人や傭兵に自分の住む町や国の情報を教えられる程度を目標にしろ。年号は覚えるしかないが、誰かに案内をする体でならば流れは掴めるはずだ。最初は大まかでいい。授業やテストはもう少し詳しく聞かれているものと思え」
「うーん……まあ、結局覚えるしかねえよなあ」
渋い顔をする平民に、俺は息をついた。ベッドの脇にある簡素な机に収まっていた椅子を引き、座る。
俺はこいつに求めすぎているのだろうか。勉学についていくのもやっとな状態で、日々の細かな部分にまで気を遣えというのは、酷なのだろうか。
「俺以外にあてはなかったのか」
「うーん、まあクリシュナにはかなり面倒掛けてるし、普通に馬鹿にされて終わるんだよな」
「シリル様は……俺が手を煩わせるなと言ったんだったな」
「それもあるけど、シリルは人気者じゃん。他の連中とも楽しそうにしてるし、俺がしょっちゅう独占してたら殺されそう」
「なんだそれは」
「間違ってないだろ?」
「……いささか過剰な言い回しだが、まあ、シリル様は誰とでも気さくに話す方だからな」
指折り数えていく平民に、ふと浮かんだ名前が漏れた。
「ブレア様は?」
「あー……」
言うと、頭を抱えて唸り出す。何かあったのだろうかと様子を見ていると、言いにくそうに平民は口を開いた。
「あいつ、距離が近いし変なところ触ってくんだよな……」
「……」
「なあ、ケツ揉んだり、腰を撫で回したりすんのって普通じゃねえよな?」
なんと答えるべきか、俺は一瞬言葉を失った。まさかブレア様がこいつをそう言う目で見ていたとは思わなかった。ということは、図書室で匿ってくれと言っていたあの時もそうだったのだろうか。
「……性的な関係を持ちたいというアピールだろうな」
「やっぱかぁ~~……」
ここまで気にすると言うことは、こいつにその意思はないと言うことか。
「ここを出てからはどうかしらんが、ここにいる間だけ肉体関係を持つというのはあまり珍しいことではない」
「マジ?」
「女性がいないからな。娼婦を手配する金も実家頼り」
「ああ……」
成る程、と得心がいったように平民が頷く。
「断るのは」
「あることだ。大体は断れないものだが」
「力の強い奴が無理矢理?」
「家同士の力関係だ。逆の場合は取り入ろうとしてすり寄る形になるが、その場合はえり好みされることもある」
「貴族って分かんねえ」
「こういう環境ならおかしいことだとは思わんが。騎士団や軍の中でもままあると聞く」
「……ふーん」
俺の話を聞いたところで、こいつがブレア様からのアプローチを受け入れるとは思わないが、妙に何かを考える素振りを始めた平民に、意趣返しとして口を出した。
「あと50分」
「わーっ!」
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腐男子ミルク
BL
佐藤裕貴はΩとして生まれた21歳の男性。αの夫と結婚し、表向きは穏やかな夫婦生活を送っているが、その実態は不完全なものだった。夫は裕貴を愛していると口にしながらも、家事や家庭の負担はすべて裕貴に押し付け、自分は何もしない。それでいて、裕貴が他の誰かと関わることには異常なほど敏感で束縛が激しい。性的な関係もないまま、裕貴は愛情とは何か、本当に満たされるとはどういうことかを見失いつつあった。
そんな中、裕貴の職場に新人看護師・宮野歩夢が配属される。歩夢は裕貴がΩであることを本能的に察しながらも、その事実を意に介さず、ただ一人の人間として接してくれるαだった。歩夢の純粋な優しさと、裕貴をありのまま受け入れる態度に触れた裕貴は、心の奥底にしまい込んでいた孤独と向き合わざるを得なくなる。歩夢と過ごす時間を重ねるうちに、彼の存在が裕貴にとって特別なものとなっていくのを感じていた。
しかし、裕貴は既婚者であり、夫との関係や社会的な立場に縛られている。愛情、義務、そしてΩとしての本能――複雑に絡み合う感情の中で、裕貴は自分にとって「真実の幸せ」とは何なのか、そしてその幸せを追い求める覚悟があるのかを問い始める。
束縛の中で見失っていた自分を取り戻し、裕貴が選び取る未来とは――。
愛と本能、自由と束縛が交錯するオメガバースの物語。
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