不足の魔女

宇野 肇

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2幕: 黒金のカドゥケウス

生はすべからく素晴らしい(1)

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 女の子は不思議、だった。と、思ったのは当たっていた。
 急に言われたからと言ってすぐに実行できるはずもなく(そういうことをやったら痛い目に合ってきたから、身体が言うことをきかない)、まず、ちょっと気になることがあっても黙っていたら、怒られた。
「人形を買ったわけじゃないのだから、私と会話をして頂戴。これは仕事の一つだと思ってくれていいから。……私人形って嫌いなのよね」
 だ、そうだ。
 他にも、ご主人さま、と言ったら顔をくしゃっと歪めたり。
「堅苦しいの嫌いなのよね。育ちが悪いからかしら」
 意外だった。それから、名前で呼ぶようにと言われた。
「名前、言ってみて?」
「むー……みゆ、……むぅりえる」
 上手く言うことができなくて謝ると、
「別に構わないわよ。ただ……そうね、言いにくいのならエル、にしましょうか」
 って、短く呼んでもいいと言ったり。……こういうのは愛称って言って、親しい人にするものだと思っていた。だけど、女の子……エルは気にしてないみたいだった。エルさまって言うとまた怒られた。全然怖くなかった。でも、気をつけよう。
 ちなみにリオンはすぐにエルって呼んでいた。おれはまだ慣れない。適応力とか、そういうのを越えてる気がする。どうしてあんなに直ぐにできるようになるのか、それも不思議でならなかった。あいつ、今まで良く生きてこれたな。おれも、生きてるのが不思議だったけど。

 飢えと痛みのない暮らし、と言うのははじめてだった。
 それどころか与えられたのは部屋に、ベッドに、服に、食事。湯あみもさせてもらえる。水じゃなくて、熱湯でもなくて、頃合いのお湯で。しかも使うように言われた石鹸はすごくいい匂いがする。
 この扱いは一体なんなんだろう、と唖然としたのも最初だけで、エルはそれが普通だと言わんばかりに堂々としているから、おれもだんだん慣れてきた。今の買主はエルなんだから、エルがいいと言えばいいんだと、言い聞かせられたのだ。それもそうか、と思えるようになるまで、大分かかった。
 仕事はさせてもらえない。というか、今までは性技ばかり教え込まれていたから、他の、……普通の? 奴隷がする仕事というのがよく分からなくて、まずそこから教えられた。水汲みや荷運びなどの力のいる仕事はしっかり食べて、体力をつけてからすることになった。これはおれもリオンも一緒だ。
 じゃあ、そうなるまで何をするのか。エルが言ったのは訓練と教育、だった。リオンは普通は目に見えないものが見えるらしく、その力を伸ばす訓練だ。おれは、魔族には必ずあるらしいおれだけの能力というのが分からなくて、今は訓練する時間も全部、教育に使うことになっている。やるのは『読み・書き・計算』。あと、常識というもの。喋ること。とか。
 何故やるのかは秘密と言われてしまったけど、少しでもできるとエルは褒めてくれる。おれはエルが褒めてくれる時、背伸びをしておれの頭を撫でてくれるのが嬉しい。届かなくて、おれもちょっと頭を下げる。エルと顔が近くなるし、石鹸のいい匂いがする。それが、こっそり、楽しみだったりする。
 エルの手のひらはびっくりするほど柔らかくて、とても暖かい。触られるのが、いつも待ち遠しい。
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