かなしみは星と輝く

アサツミヒロイ

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第三章

手のひらの光

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 討伐作戦は一晩かけて行われる。マヒアド戦線は、常に街の西側を流れる川に沿って陣を張っていて、そこを複数の部隊が交代で守り、時には攻めて魔物たちを牽制しているのだという。
 討伐作戦とは言うものの、やることは通常通りとさほど変わらない。ただ、出陣する部隊の数がより多く、そして守りは最低限にし徹底的に攻めに転じる、という点が通常とは異なる点だ。定期的に行われる大規模な討伐作戦は、騎士団にとってはまさに一大イベントであり、団員にとっても町の住人たちにも注目されているものだった。
 街に戻るのは明日の昼ごろになるということなので、優人は集会所の職員にエリーたちへの伝言を頼んで出掛けた。


 川沿いの陣への移動は馬車だった。馬車と言っても、車輪のついた荷台のような車体を馬が引くもので、丈夫そうだが簡素な屋根があるだけで、馬車と聞いて想像する煌びやかさとは程遠いものだ。
 ガタガタとよく揺れるそれは思いの外ゆっくりと進んだ。聞けば、道すがらの魔物も見逃さぬように監視しつつ進んでいるのだそうだ。さすがその辺りは抜け目ない。
 この日はよく晴れていて、遠くまでよく見通せた。まだどこにも魔物の姿は見えなかった。

「ところで、救世主様は魔物を封印することができるとお聞き及んでおりますが、本当ですの?」
 シンシアは、優人にとっては今更とも思えるような質問をしてきた。
「うん、僕は別に強くはないから、それだけが取り柄みたいなものだよ」
「まあ!」
 優人がそう答えると、同乗していた騎士たちも皆喜びの声をあげた。優人は思わず驚いたが、デアルクスの街中でのことを思い出し、改めて封印は稀有な力なのだと実感する。
「それで連れてきたのかと思ってたよ」
「うふふ、まあ、期待はしていたのですけれど。でも、わたくしたちの世代は先代の救世主様のご活躍を見てはおりませんから、実際救世主様のお力がどんなものなのかは知らない者が多いのです」
 なるほど、先代の救世主のことを優人はよく知らないが、アリアンナは次が選ばれるまでに何年も間が開いたりもすると言っていた。それならば、救世主の力について本当なのかどうか知らない人が居てもおかしくはない。
「できるだけ頑張るけど、剣は素人だから」
「戦いは任せてくださって構いませんわ!救世主様の封印の力をお借りできるとなれば、いっそう気合も入るというものです」
 ね、皆さま?とシンシアが騎士たちに声をかけたなら、皆嬉しそうに応えた。聞こえてきたのは、頼もしい声ばかりだった。

 やがて見えてきた川は、流れは緩やかだが想像以上に大きな川だった。いくつか橋が架かり、渡った先に騎士団による陣営が築かれているのがわかる。いくつか見えるうちのひとつの橋は、派手に壊れていて渡れないようだった。聞けば、数日前の戦闘で魔物によって破壊されてしまったのだと言う。
「こんなところにある物ですから、よくあることなのです。直したそばからまた壊れるので、困ったものですわ」
 そう笑うシンシアを始め騎士たちは本当に強かだ。復旧作業も行われているところを見ると、少しでも力になりたいと優人は改めて思った。

 陣営に着くと、騎士たちは次々に馬車を降り、戦いの準備を始めた。まだ交代の時間には少し早いらしく、シンシアは優人を連れて軽く陣営の案内をしてくれた。
「案内と言っても、特に複雑なものではありませんの。川のそばにあるあの横に広いテントが炊事場で、食料が保管してあります。こちらは救護テントです、何かお怪我や体調不良があればこちらへ」
 木の骨組みと厚めの布で張られたテントではあるが、どれも頑丈そうだった。どこのテントでも騎士団員たちが忙しなく働いていて、その様子は意外なほど明るいものだった。
「こう言ってはなんだけど、活気があるんだね」
「そうですわね。討伐作戦なんて言うと仰々しいですが、マヒアド騎士団ではこれが日常ですから。それに今日は救世主様がいらしてると既に噂になってますの、それで皆様いつもより元気がよろしいのですわ」
「そ、そうなんだ」
「前線はもちろん少しピリピリしてますけれど。救世主様もそんなに肩肘張らなくても大丈夫ですわ」
 活気があるとは言え騎士団が張る陣営に来るのは初めてで、やはり感じたことのない物々しさに少し気圧されている優人に、シンシアはしっかり気がついていた。ふわりと柔らかく微笑むシンシアを見ると、優人はホッとするような安心感を得た。シンシアが隊長というのは、こういう人を引っ張ったり和ませたりできる力かあるからというのも要因なのかもしれないと思った。

「救世主様、封印というのはどうやるものなのですか?」
「特に複雑な手順とかはないんだけど、僕の剣でその魔物の弱点に触れることができればいいみたい」
 なるほど、とシンシアは感心したような声を漏らす。
「案外難しいことが必要なわけではないんですのね。でしたら安心です!魔物の弱点は皆熟知しておりますから、救世主様にあとは封印するだけの状態の魔物をエイっとやっていただいたらよろしいのですね!」
 シンシアはエイっと言いながら自らの杖を剣に見立てて振る。なんとなく察してはいたが、シンシアはたまに大雑把だ。
 ただ、かなり体力が要るという討伐作戦で、あとは封印するだけ、という作業分担は優人にとっても非常に助かる話だ。ここ最近は、魔物に剣で触れる前からあの嫌な感情が流れ込んでくるようになっていたので、かなり疲れてしまうのだった。


 どこからか、ボォー、と低い角笛のような音が聞こえてくる。辺りを見回しても、目に見える範囲にはその音を発するものは見つけられない。
「これは?」
「先に前線に出ていた隊が戻ってくる合図ですわ。となれば、こちらももうすぐ出陣です。準備はよろしいですか?」
「うん、シンシアについて行くよ」
「任せてくださいませ!必ずお守りしますわ」
 やがて角笛の音はだんだんと近づいてくる。やがて先行部隊が見えてきた頃に、優人が加わる部隊は出陣となった。何十人かの隊をさらに五、六人のチームに分け、一定の間隔をあけて移動する。優人が加わるチームは優人とシンシアの他は二人と、四人編成の少ないチームだ。それに、他のチームから少し距離が開いているような気もする。
「……お恥ずかしながら、わたくし、少々魔力の加減が苦手でして。あまり近くにチームを配置すると、その……巻き込んでしまうことがございまして。そのための配慮ですの」
「ええっ…そ、そうなんだ……」
「で、でもでも!わたくしにしっかりくっついていてくだされば安全ですから!」
「二人は大丈夫なの?」
 同じチームになった二人は若い男女だった。顔を見やれば、二人はにこにこと朗らかに笑って見せる。そういえばこの二人は、昨晩マヒアドに着く前、飛竜から助けてくれたときもシンシアのそばに居た二人だと気がつく。
「私たちはシンシア隊長のお供は慣れてますから!きっちり躱しながら戦うのは得意なのですよ」
「うう、すみません、二人とも……」
「こう言ってますが、隊長がずば抜けて強いっていうのは本当なんですよ。こんな措置を取るのは隊長くらいなんですから」
 落ち込むシンシアを二人が励ますような様子が微笑ましい。そう話しながらもどんどんと先へ進んでいった。

 やがて先行部隊とすれ違い、ひとことふたこと報告を受けると、またすぐに先へと進む。しばらく歩くと、地面の土が抉れていたり、砂利が焦げついていたりと、あちこちに戦ったような跡が見られる。
「戦った魔物はいつもどうしてるの?」
「……いつもはここより遠くのあの山の麓まで運んで埋めたりするだけなのです。わたくしたちにできるのは、ここで魔物を撃退して再び街へ近寄らないようにすることですから」
「……そう」
 少し寂しそうな色を浮かべる強い瞳に、優人は何も言えなかった。ただぎゅっと剣を握り締めた。

「魔物、発見しました!二時の方角、何れも飛行種ではありません、三体視認!」
「二人は後ろへ、援護をお願いいたします。救世主様はわたくしの右斜め後ろをぴったりキープしてくださいませ!行きます!」
 何時の方角、というような言葉には慣れていないながらも指さす方角を見ると、確かに蠢く何かが確認できる。シンシアがぴりっとした空気を出すと、二人はその声に従い陣形を整えた。優人も素早く従い、歩みをはやめたシンシアに遅れまいとついていく。
 シンシアの杖は、白く細長く、すらりと伸びた柄の先に青く透き通る石が飾られた美しい杖だ。シンシアがそれを大きく振り胸の前に構えると、どこからか風が巻き起こり、ぶわりと髪やローブの裾が舞い上がる。
「ぶちかましますわ!続いてくださいませ!」
 気を抜けば吹き飛ばされてしまいそうな勢いだ。ビリッと何かが痺れ震えるような音がしたと思うと、思わず目を瞑ってしまうほどの光が生まれる。それは昨日、あの飛竜を一撃で落とした雷と同じものだ。眩く光りながらそれは空中を走り抜け、まだやや遠く離れている魔物へとまっすぐに進む。
「続きます!」
 シンシアの放った雷が魔物に当たるか当たらないか、というほどのタイミングで後ろの二人は左右に別れてシンシアの前に出て、魔物の方向に手を構えながら進む。その間に雷は一番大きな魔物に命中する。瞬間、辺りの地面もその衝撃を受け、石が鋭く飛び散り砂埃が舞い上がった。二人はそれを身軽に躱して残り二体の魔物に攻撃を仕掛ける。
「……!すごい…」
 二人の魔法は炎と氷。何の合図をしていたようにも見えなかったが、それぞれ別の魔物目掛けてそれを放ち、見事二度、三度と命中させた。
 その時間はあっという間だった。体感時間も短かったが、実際はもっと短い、ほんの一瞬の出来事だったのだろう。魔物は優人がその姿をしっかりと確認する前に動かなくなった。見事と言う他ない。
「すごいな、魔法騎士団……」
 思わず優人が呟くと、シンシアは自慢げに微笑んでいた。

 倒れて動かなくなった魔物へ近寄ると、遠くで見て感じていたよりももっと大きな魔物だったのだとわかる。特にシンシアが仕留めた魔物は、似た動物で言うとカバのような感じの形状とサイズ感だ。皮膚は厚く硬そうではあるが、大きな顎の下、首元にシンシアが放った雷が直撃した跡があり、それがしっかりと弱点を貫いているのだとわかる。
「うっ……、…この魔物の弱点は、ここなの?」
 剣の届くすぐ近くまで来ると、やはりあの感覚が色濃くなる。嫌な感じだ。優人は一瞬たじろぐが、冷静に封印に取り掛かることにした。
「ええ、正しくはこの厚く伸びた皮の下に隠されている部分ですわ」
 そう言うとシンシアは杖の先を使い、首元でだるんと弛んでいた重そうな皮を捲りあげた。
「弱点はここです。ここだけが他の厚い皮膚と違い柔らかく脆くなっているんですの」
「なるほど、守ってるわけか」
 動かなくなっているところを見ると、雷は確実に弱点をついているのだろう。そうなると、シンシアの雷はこの分厚い皮を貫通して弱点まで届いているということになる。
「じゃあ、やってみるね」
 シンシアの杖で皮を捲りあげたままにしてもらい、優人は剣を振りかざす。ぐっと嫌な感じは増すが、勢いよく斬りつけた。

「……っ!」
 やはり優人の剣先が魔物の体に触れると、あの感覚が体の中へ一気になだれ込んでくる。大型だけあって勢いも凄まじい。
 ―― これは、強過ぎる自己顕示欲だ。自分を認めさせたい、それはいけないことではない。だが、これはあまりに暴力的なそれだ。己の欲を満たすために、人を傷つけることすら厭わないほどの、強い欲望だ。
 優人が目を閉じ、じっと波が過ぎ去るのを待っている刹那、鋭く突き刺した剣は魔物の弱点の奥深くまで到達し、視界が眩しく光り、弾けた。
「まあ……!」
 優人を暗い感情の渦から引き上げたのはその星石の輝きと、シンシアの歓喜の声だった。
 シンシアは上等そうなローブが地面につくことにも構わず、散らばった星石を拾いあげ、それをじいっと見つめていた。
「素晴らしいですわ、救世主様!これが封印の力なんですのね……!」
「うん、無事できて良かった」
 魔物の体表を覆う皮は硬く剣が立ちそうになかったが、捲りあげた弱点の部分は優人ほどの力でも難なく突き刺せる程度の硬度だった。これなら、あの感覚にさえ耐えられれば数をこなすのは問題なさそうである。


「……星石を見るのは、これが初めてです」
 優人が二人の騎士たちに弱点を聞き、残りの魔物の封印も済ませている間、シンシアは飽きもせず星石を拾い集めては、きらきらと瞳を静かに輝かせ眺めていた。
 そんなシンシアの様子を見つめる騎士たち二人も、穏やかな、それでいて切ないような面持ちだった。
「幼い頃から修行をして騎士団に入り、王族を、家族を守るために……ここでずっと、戦ってきました。わたくしは……これが見たかったんです」
 シンシアは、先代の救世主を、封印の力を知らないと言っていた。襲い来る魔物たちを消し去ることはできず、ただ遠ざけることしかできなかった。それでも守るべきもののために戦い続けた日々の重みを、優人は簡単に推し量ることはできない。するのは失礼だと思った。
「これが、王族の命を繋ぐ輝き……希望なんですのね」
「……うん。僕に封印できたのは、シンシアの、騎士団のおかげだよ」
「はい……!」
 竜を撃ち落とすときですら震えることのないその手は、いま星の輝きに満たされて、小さく震えていた。
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