王弟様の溺愛が重すぎるんですが、未来では捨てられるらしい

めがねあざらし

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今日も今日とて机の上には、山のような書類が積まれている。
レオナードにしろエリアスにしろさぼっているわけではない。
けれど、毎日こうである。
仕事が嫌いなわけではないが、たまに書類がない日も見たいものだ、とため息をつきながら、目を通していく。
しかし、手を止めて考えるのは──最近のレオナードの態度だった。

(……やはり、ハルトとは距離を取るべきだ)

あの日以来、レオナードは明らかに機嫌が悪い。
直接的に何かを言われるわけではないが、視線が厳しくなり、些細なことで呼び出されることが増えた。
エリアスがハルトと会話していると、まるで監視するように側を通ることもある。

(無意識なのか、それとも……)

考えたところで答えは出ない。
レオナードが何を考えているかなど、結局のところ誰にもわからないのだ。
だからこそ、自分から動くしかない。

(せめて、もう誤解されないように……)

だが、そんなエリアスの考えとは裏腹に、ハルトは以前と変わらず無邪気だった。
先ほどだって回廊を歩いていると、

「エリアス様ー!」

ハルト明るい声とともに駆け寄ってきたのだ。
エリアスは咄嗟に距離を取ろうとしたが、ハルトはまるで気づかず、嬉しそうに笑う。

「ねえねえ、明日の討伐、見に来ませんか?」
「……私は明日の討伐には組み込まれていないのですよ」
「えぇー……、でもエリアス様がいてくれたら、俺、もっと頑張れるのになぁ」

(……そういうところだ)

ハルトに悪気がないのは分かっている。
だが、だからこそ、エリアスはこの距離感が危険に思えてならなかった。

「ハルト様、私は貴方の教育係ではありませんよ」
「え……?」

エリアスの言葉に、ハルトがきょとんと目を瞬かせる。
無邪気な笑顔が、わずかに曇るのが分かった。
エリアスは胸の奥で何かがちくりと刺さるのを感じながら、それでも態度を変えずに続けた。

「明日は、御子としての役割を果たす日です。私がいてもいなくても、貴方は貴方の責務を果たすだけでしょう?」
「……そう、ですね。すみません。なんか、俺舞い上がちゃって……」

ハルトは少し寂しげに笑って、また、と言いながら中庭のほうに向かっていった。
あの時の寂し気な顔がどうにも脳裏に焼き付いている。
いきなり王宮に連れて来られた境遇を考えれば、優しく接してやってもいいものだが……。

(……いや、あれでいい)

自分のためにも、レオナードのためにも距離を取るべきだ。
書類の山を再度見ながら、エリアスは深くため息を吐いた。



「……で、どういうことでしょうか?」

夕刻、エリアスは執務室で呆れたように腕を組んでいた。
対面には、当然のように椅子に座るレオナードがいる。

「今言ったとおりだ。お前も討伐に同行することになった」
「……はぁ?」

思わず聞き返した。

「ですから……討伐隊は騎士と軍部で構成されており、文官である私の役割はありませんが?」

当然だ。
そもそも、エリアスは戦場で役に立つ存在ではない。
剣だって魔法だってそれなりには使える。ただし、それなり、だ。
アカデミーでも主に学んだのは政治や経済で、武芸や魔法ではない。
あくまで彼は必要であれば作戦を立て、基本は情報を整理することが役割であり、前線に出る理由などどこにもないはずだ。

「護衛が不足している。お前がいれば、余計な問題を防げる」
「はぁ……?」

レオナードは淡々と言うが、エリアスは納得できるはずもなかった。

「いやいやいや……私がいたところで、護衛の補強にはならないでしょう。まさか殿下、私に剣を持てと?」
「別に、それでもいいが?」
「冗談でしょう……」

エリアスは深く息をついた。

(何を考えているんだ、この人は……)

「……殿下、何が目的です?」
「目的?」

レオナードは少し目を細める。

「……そうだな。お前が王宮に残れば、誰かが媚びを売りに来るかもしれないだろう?」
「はぁぁ……?」

エリアスは言葉を失った。

「殿下、どこか……頭でも打たれました?」
「さて、どうだろうな。お前は放っておくと私から直ぐに離れたがるからな」

レオナードは薄く笑ったが、目は笑っていない。
冗談のように聞こえながら、そこに込められた本音が見え隠れする。

「……私は殿下の側近です。どこにいようと、誰と話そうと、最優先は殿下のことだけのつもりですが?」
「ふむ。ならば、今回も同行して問題はないだろう?」
「……」

エリアスはぐっと口を噤んだ。
もはや、どう言い訳しようともレオナードは意地でもエリアスを連れて行くつもりなのだ。

(俺を、側に置いておきたいだけなのか……それとも……)

「……おおせのままに」

エリアスは皮肉めいた笑みを浮かべ、静かに頭を下げた。
その様子に、レオナードは満足げにわずかに口角を上げた。

「それでいい」

告げられた声に、溜息を吐いてエリアスは自分の席に戻ろうとした。
しかし、足を一歩踏み出した瞬間──手首を掴まれて机越しに、レオナードの元に引き寄せられる。

「……!」
「……逃げるなよ」

低く抑えた声が、耳元に落ちる。
レオナードはまっすぐにエリアスを見つめていた。
その金色の瞳は、淡々とした表情とは裏腹に、どこか熱を帯びているように見える。

「……逃げませんよ。タヌキか何かと勘違いされてます?」

エリアスは努めて冷静に返しながらも、レオナードの手の力強さにわずかに指先を動かす。
だが、掴まれた手首は容易に解放されることはなかった。

(……何なんだ、この人は)

「……真実か?」
「……当然でしょう。私は殿下の側近ですから」

言葉に偽りはない。
だが、レオナードの目はそれを疑うかのように細められる。
その静かな圧に、エリアスは喉の奥で小さく息を呑んだ。

「……ならば、いい」

ようやく、レオナードの手が離れる。
エリアスはそっと手首を撫でながら、何事もなかったかのように一礼し、自分の席に戻った。
だが、背中越しに感じる視線は、最後まで刺さるようだった。

(……この討伐、本当に大丈夫だろうか)

レオナードの視線を避けるように目を伏せて、エリアスはふっと小さく息をついた。
まるで、何かに絡め取られていくような──そんな感覚が、じわじわと広がっていくのを感じながら。
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