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第十話 赤髪の女騎士と王女は姉妹になります?

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 私とアートルムが王都から出発した翌日。馬車はアルビオン領に入り、間も無く到着という所。
 ――昨日はアートルムがずっと話しかけて来たから一睡もできなかったわ。
 こいつは寝なくてもいいのかもしれないけれど、私には睡眠が必要なの。
 お肌が荒れちゃうじゃない! 私一応王族なんですけど! 
 ホント、私を気遣う努力はして欲しいわね。……夫なんでしょ、私の。

 更に少し馬車に揺られ、軽く居眠りをしていたところで御者越しに古びた屋敷が見えた。

「――エスメ様、到着です」
「ご苦労様。長時間のお仕事で疲れたでしょう、貴方も少し休んでいきなさい」
「有難いお言葉ですが、遠慮させていただきます。知った道でしたし、ゴードン領にて次の仕事がございますので」
「そう……。それでは、疲れで事故を起こさないように気を付けて行くのですよ?」
「――は、勿論でございます」

 車内と外をつなぐ窓越しにそんな会話を交わして、私はいつの間にか寝ていたアートルムを揺り起こす。
 結局あんたも寝てるじゃないのよ。これじゃただの夜騒ぎたい子供みたいじゃない。
 ま、初めての経験ばかりだろうしあまり責められた物じゃないけれどね。

「ほら、アートルム起きなさい。着いたわよ」
「ん……ああ、着いたのか。いくぞ」

 速攻で目が覚めたアートルムは、そのテンションをすぐに平常時まで持ってきて私の左手を握り引く。
 段々とこういうアプローチが増えてきているのがちょっと怖いけれど、彼はいつも純粋な目でこういう事をしてくるから言葉も出ない。
 私はその力強くも強引さはないその手につられて馬車から降りようと足掛けにつま先を掛ける。――とその時。

「――わっ!」

 引っかけた筈のつま先が足掛けから滑ってアートルムの方に倒れ掛かってしまう。
 そんな私をアートルムは優しく受け止めて地面に降ろしてくれた。

「大丈夫か?」
「え、ええ。……ありがと」

 こういう優しさがもっと表に出てくれればね……。
 地に足を付けて感覚を取り戻し、足元に向けていた目線を元に戻すとアートルムの後ろに赤髪の女性が立っていた。
 軽装の鎧を着て、白のインナーシャツが良く映える騎士風の姿。
 すごく、綺麗だわ……。
 鍛え上げられた体は適度に筋肉がついてメリハリがあり、私にとって理想的な体型でとっても素敵。
 昔はこんな格好いい姉が欲しいと言ってお父様とお母様を困らせたっけ。
 そうこうしているうちに馬車はそんな私達を見送って静かに動き出した。
 私とアートルムはその動き出した馬車を見えなくなるまで見送り、赤髪の騎士風の女性に向き合う。

「――アートルム様、到着を心よりお待ちしておりました。そちらが、例の?」
「ああ。妻のエスメ・ゼイン・ビアトリクスだ」
「ビアトリクス……王族の……。 妻、で御座いますか」
「ん? どうかしたのかソフィア」
「い、いえ。――初めまして。私はソフィア・ボールドウィンと申します。よろしくお願いいたします」
「ボールドウィン家の方なのですね、よろしくお願いします」
「とは言っても百年前に家を離れた身ですから、繋がりはありませんが」

 ソフィアと呼ばれた女性の、その曇り一つない美しい顔は笑顔こそ見せないけれど笑顔を見せれば、それはきっと素敵なのだろうと確信できる。
 本当に憧れるほど綺麗な女性だ。
 私が並ぶと見劣りするのが分かっちゃうだけに少し悔しいけれどね。
 
「ソフィア。この屋敷は何だ?」
「……以前この場所を管理していた総督の邸宅と思われます。外見は御覧の通りですが、中はある程度綺麗にしておきました。しばらくの住居にはなるかと思いますが、如何致しましょう?」
「新しい邸宅の建築資金は十二分にある。建設候補地は見繕っておいてくれたか?」
「セルビスさんが既に。信頼できる建築業者の選定も既に済んでいると聞いております」
「そうか、ならばすぐに手配したい。セルビスを呼んでおけ」
「承知いたしました。――お茶と粗末ですがお菓子も用意しておりますので、中へどうぞ」
「ショートブレッドはあるか? あれは良いものだ」
「丁度用意して御座います。……あの、奥様もご一緒にいかがですか?」
「ええ、いただきますっ!」


 ♢


 大体百年前のドラゴニア大祭の日。私、ソフィア・ボールドウィンは馬車に乗せられてアーカーシャ山の竜への貢ぎ物――生贄として家から出されました。
 当時十七だった私は一人でアーカーシャ山を登り、なんと登頂してしましました。
 どうやら私は『超越者』と呼ばれる特殊な人間らしく、常人ならば十分な時間と準備も無しには登れないと登り切った後にアートルム様に言われたのを覚えています。
 アートルム様は予想外に優しく、時々お花をくれた事だってありました。
 お礼に私は『お茶』を教えてその奥深さと楽しさを本物のお茶も無いのに力説して、我ながらはしゃぎ過ぎたなと今でも思い出します。
 眩暈や熱など、毎日体調を心配されたのは流石に過保護だなとは思いましたが、大切にされているのだなと思えばそんなことも気にならなくなって。
 ――年頃の女の子がそんな心優しい竜に恋するなんて当然な話で。
 好きになってしまった今だから当然だなんて言葉を使っている訳ですが、あはは……。
 ……まあ、今では良い思い出ですよ。ええ。

 ――そして、そんな生贄生活も直ぐに終わりは来ました。登頂から大体一ヵ月くらいだったと思います。
 別れの間際、彼は私を『強い女だ』と言いました。
 私は当時――今でもそんなつもりは無くて、ただそうありたいという一心で今まで生きてきました。
 今では『ステルビアの英雄』とか、『煉獄の剣姫』だとか言われているけれど、そんな肩書が欲しかったわけでないのです。
 私が聞きたい言葉はアートルム様のあの言葉だけ。
 
 
 ……アートルム様。私は今も、強い女であり続けているでしょうか?

「――ッ! 私としたことが、居眠りを……」

 良かった、時間はそれほど進んでいません。
 今はセルビスさんがアートルム様と会ってお話をされていて、私は例の薬物汚染の件についてに資料を纏めていた所でした。
 寝過ごしていたら自刃するところでした。

「……? 誰かが掛けてくれたのでしょうか」

 私の背中には毛布が掛けられていて、身を起こしたらそれが地面に落ちた。
 一体誰が……?

「おはようございます、ソフィアさん」
「奥様……」

 どうやら私に毛布を掛けて下さったのは奥様のようで、彼女は執務机の前にあるソファに腰掛けてこちらに会釈した。
 黒いドレスにエメラルドグリーンの宝石をあしらったペンダントがミステリアスな雰囲気を放つ彼女は、僅かに笑みを湛えている。なんだか楽しそうです。
 先程のお茶した時もかなり目線を感じていましたが……。
 一体彼女は私に何を言いに来たのでしょうか?

「えっと……勝手にお邪魔して申し訳ないとは思いますけれど、お話し――と言うかお願いしたい事があってきました」
「お願い、ですか?」
「ええ。私に稽古を付けて欲しいのです。魔法、武術、生活力。どれをとっても私には足りません。立場も立場ですし本当ならいらないのかもしれないですけれど、アートルムはきっととしての営みを欲しています。貴族のような他人任せの楽な生き方ではなく、己の手で切り拓き、幸せを作り上げていくような、そんな人生を」
「己の手で、切り拓く……」
「そうです。でもそんな事、ただの元王女には……そこにあるだけの幸せを飲み干してきただけのような私では到底できません。ですから貴方――ソフィアさんに教えを請いたいのです。共にあの山に挑んだ者同士、傍で教え導いてはいただけませんでしょうか?」

 驚きました。私はてっきり奥様が早速嫌味をこぼしに来たのかと思っていましたから。
 ――強い向上心のある素晴らしい方なのですね、奥様は。
 私は間違った認識を持っていたことを心の内で詫びました。
 ――でも、何故そんなにソワソワした態度なのでしょう?

「――分かりました。そのお願い承りましょう。人に教えるのは自身にも学びがありますからね」
「――本当ですか!? で、でしたらもう一つだけ、もう一つだけお願いを聞いていただきたいのですが!」
「な、何です?」
「お姉さまと呼ばせてくださいっ!」
「……え?」

 まさか奥様に二度も驚かせられるとは、夢にも思いませんでした。
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