女給志乃の謎解き奇譚

有馬 千博

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10.なんでも

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 何か当たったらしい。時宗の言葉に、志乃は足を止めた。困惑顔になっている彼女を見ても、時宗も問うことをやめようととは不思議と思わなかった。

 誰かから逆恨みされる場面を見てしまったからだろうか。それとも、志乃の強さの秘密を知りたくなったからか。

 志乃が答えてくれるまで、時宗は志乃の手を離さずに立ち止ることにした。沈黙が続くこの状況に耐えられなくなったのか、志乃は上目遣いで時宗を見る。
 この上目遣いというのは少々厄介だ。だが、視線をそらした時点で負けが決まるような様子でもあったので、時宗は負けじと志乃の目をまっすぐ捉える。
 
「言わなくてはなりませんか?」
「言ってくれるまで、動かない。志乃さんを知りたい」

 時宗の意志の強さに負けたようで、小さくため息を吐いた志乃はポツリと言う。

「……それならば、歩きながらが良いです」
「歩きながらで良いの?」
「あなたみたいな、そこそこ見た目の良い男と女給が立ち止っていたら、噂されやすいんですよ」

 見た目が良いと女性に言われたことはなかった。なんとなく頬が熱くなる。

「俺はあまり気にしないけど」
「私が気にするんです。とりあえず歩きましょう」

 大通りに向かって志乃が歩き出した。時宗は慌てて志乃の隣に並んで歩く。人通りがまばらにあるせいか、少し距離が近くないと声が聞こえにくい。

「何から聞きたいですか?」
「何から……」

 直球に訊かれ、時宗は言葉を止めてしまった。時宗があれこれ考えているのがもどかしかったのか、志乃は言葉を投げかけた。

「私が何かを使っているとお考えですか?」
「そ、そんなところ」

 核心めいたことをズバリと言うのも憚れたが、志乃は俯き気味に答えてくれる。

「私は、物から人の記憶を読み取ることができます」

 記憶を読み取る。

 言われた言葉を上手く飲み込むことができない。処理できない情報だ。
 時宗が志乃の言葉に理解をしようと言葉一つ一つを考えていると、志乃は時宗の様子もお構いなしに言葉を続けた。

「簡単に申し上げれば、直前まで持っていた人の記憶の部分的な映像が頭に流れて来る、そんなものです」
「人の記憶が映像で見られる、ということ?」
「そうです。しかも感情が強ければ強いほど、記憶の中に入ることができます」

 はっきりしない言い方をしているところを見ていると、志乃自身も自分の能力を理解できていないのかもしれない。

「そんなものを持っているから、まあ昔から失敗も多かったですし。それに、気持ち悪いですよね、こんな力があったら」

 消え入りそうな声でそう言う志乃は、先ほどまでとは違い、儚げに見えた。両手を前できゅっと組んでいる。よく見れば小刻みに震えているようだ。
 
 こんな志乃に時宗はかける言葉がなかった。

「例えば、友達が自慢してきた犬のぬいぐるみ。ほんの少し触れただけでも、その子のお父さんが不倫している現場が見えてしまったことがあります。年端もいかないころだったので、ぽろって言ってしまいました。お父さんはお母さんと違う女の人といることもあるんだね、と。その子も家でそういったらしく、数日後には一家離散。その子のお母さんからは私が言わなければ、こんなことにならなかったって言ってきました」

 自分の想像を軽く超える話に時宗はさらに何も言えなくなる。

 自分があんなこと言わなければ。

 今回と同じような思いを何度も志乃は経験してきたのかもしれない。時宗が励ますこともできないほどのことを経験してきたからこそ、志乃は自分の分をわきまえているのかもしれない。

「こんな感じです。おかげで人との距離を誤らないように細々と生きてきました」
「だったらどうして女給で、探偵みたいなことをしているんだ?」

 時宗の問いに、志乃は再び固まる。
 厄介な能力であると自分自身も理解しているならば、本当に細々と生きていくと考えるはずだ。しかし志乃は違う。

 なぜ彼女は謎を解く。

 時宗にそんな疑問が生まれ、志乃に質問した。

「だって、その、間違った真実よりは、正しい事実を伝えたくなってしまって。この力を悟られないように、でもきちんと事実は伝えたくて。たまに真似事をしているだけです」

 志乃は責められていると勘違いしているのかもしれない。彼女は少し肩をすぼめて、より深く俯いてしまう。

 時宗は慌てて志乃に言う。

「あ、いや、責めているわけじゃない。ただ純粋に疑問に思っただけだ。それにその能力を生かすならば、警察官を目指した方が良いんじゃないか?」
「警察官こそ、女が就くことができない仕事です。尋常小学校を卒業しただけの女ができることはまだまだ少ない。できることをしながら、少しずつ自立していくつもりです。探偵事務所みたいなものは構えなくても、あそこに行けば何かわかるかもしれない。そんなことができれば良いなと考えてます」

 ささやかな志乃の夢。

 その夢を時宗はなぜだか側で支えたくなった。
 だが、自分は学生の身分。何かできるわけではないが、何かしたくなった。

 時宗はそっと志乃の手を包み込むように握った。時宗に手を握られた志乃は立ち止って視線を上げた。
 
 志乃の目には涙が浮かんでいる。泣いているだなんて思わなかった。気丈な声で、冷静に、だが小さな声で教えてくれたのだ、彼女は。
 志乃のその姿にぼうっとを見とれたが、ハッと我に返った時宗は握っていた手を慌てて話した。

「す、すまない。他意はない」

 時宗の慌てぶりにふふっと志乃は笑った。

「男の人も慌てることがあるんですね。初めて見ました」

 ようやく素の微笑みというものが見れたのかもしれない。目は少し赤くなっているが、彼女の笑顔に時宗はドキッとする。

「あ、あるさ。男だって人間だ」
「そうでしたね。では、もう家もそこなので、ここで失礼します」

 見惚れるほどキレイに一礼をしてから、志乃は数歩先にある共同住宅の中に入って行った。

 なんというか、名残惜しい。
 今まで女性に対して湧いてこなかった感情に、時宗はその感情の名前がわからなかった。

 ただ、彼女を無事届けられたことに満足して、時宗はバス停に向かって歩きだした。

 遠くを見ると、茜空になりかかっていた。日が傾き始めていたことに気づき、思ったよりも志乃と話した時間が長かったことを時宗は知った。

 女性とこれだけ長く話していても、苦痛ではなく、むしろ楽しかったと思い返す。これまで時宗に話しかけてくる女性のほとんどは、阪井家と良縁を結びたいがためだった。
 話す内容は当然家の話が主になる。家を継ぐことも、助けることもするつもりがない時宗にとって女性と話すことはこれまで苦痛なことばかりだった。

 しかし、志乃は違う。

 確かに出会いは見合いだったかもしれないが、今はただの知り合いくらいだ。家の話もしないし、色目遣いで見ることはない。だからだろうか、話していても肩肘を張ることもなく、落ち着いて楽しむことができた。

 もう一度志乃と楽しく話せる機会は作れるだろうか。

 いつしか、時宗の頭にはそればかりが浮かんでいた。
 気が付けば、時宗の足はバス停に勝手に向かい、体はバスに乗り込んでいた。
 
 だが、心だけが志乃と別れたあの場所に置いていかれているように時宗は感じていた。

「なんでも、青雲高校の生徒が」

 ぼんやり窓の外を見ていると、そんな話が時宗の耳に飛び込んできた。
 時宗のちょうど後ろに座っている男性が話しているらしい。後ろを振り返りたくなるが、聞こえない振りをしながら時宗は話を聞くことにした。

「暴漢に襲われるとは、いったいどんな恨みを買ったんだろうね」
「しかも和菓子屋の倅だというじゃないか。あそこの倅は女ばかりに声をかけられる色男らしいが、手を出しちゃいけない相手に手を出したのか」

 和菓子屋の倅、色男、そして青雲高校の生徒。

 それらに当てはまる人物を時宗は一人しか知らない。

 藤島道信。

 彼だけである。
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