ゆきうさぎ

アイリス

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ゆきうさぎと虎の物語

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「巣の外に出てはいけませんよ。」
「私たち以外の動物と話してはだめよ。」
ゆきうさぎは、ずっとお母さんからそう言われていました。

前に一度、巣穴の外に出ようとした時はものすごく怒られて、もう二度としないと約束したのです。
 でも、ゆきうさぎは思っていました。

外の世界はどんな色なんだろう?
どんな匂いなんだろう?
どんな動物がいて、どんな話をしているんだろう?

薄暗い巣穴の中で、考えれば考えるほど、外に出たいという気持ちが大きくなっていきました。

ある日、お母さんが言いました。
「山の向こうのおばさんの家に行ってくるわ。
3日ほど留守にするけど、いい?絶対に外に出てはいけませんよ。」
ゆきうさぎは、こくりとうなずきました。

お母さんが出かけたあと、ゆきうさぎはそっと巣穴から顔を出してみました。
真っ白な大地は、太陽の光を浴びてキラキラと輝き、それを見つめるゆきうさぎの瞳もキラキラと輝きました。

「きれい…」
ゆきうさぎはポツリとつぶやき、ゆっくりと巣穴から足を踏み出しました。
真っ白な雪は冷たく足を包みこみ、ゆきうさぎの歩いた後には小さな足跡が残っていました。

初めてみる外の世界は、とても静かでした。
他の動物たちも巣穴にこもっているのか、誰の気配も感じません。

ゆきうさぎは、少し怖くなりました。
「誰か、いますか?」
小さなその声は雪に吸い込まれるように消えていき、返事はありません。

その時、木々に積もった雪がドサリと目の前で落ちてきたのです。
ゆきうさぎは驚いて飛び上がりました。
何が起こったのかわからず、とにかく怖くなって走り出しました。

真っ白な世界をめちゃくちゃに走り回っていると、大きな氷がはるか遠くまで続くところに出ました。

前にお母さんから聞いたことがありました。
「川はね、大きくてずっと遠くまで続いているの。暖かい時にはたくさんの水が流れているの。みんなの命の源なのよ。
そして寒い時には凍りつくの。水は流れなくなり、あちらとこちらを繋ぐ橋のようになるのよ。」

「これが、川?
あちらとこちらを繋ぐ橋だわ。」
ゆきうさぎはそっと、凍った川をつついてみました。
それは、雪とは違ってとても硬く、とても冷たいものでした。

ふと川の向こうに、誰かの気配を感じました。
遠くてよく見えませんが、じっとこちらを見ているようです。

「他の動物と話しちゃだめですよ」
お母さんの言葉が頭をよぎりました。
でもゆきうさぎは、初めて出会うその動物と話をしてみたくなったのです。

ゆきうさぎは、一歩、凍った川に足を踏み出しました。
心臓がドキドキしています。
もう一歩、踏み出してみました。
なんだかワクワクして、飛び跳ねたい気持ちになりました。

向こうに見える誰かは、まだじっとこちらを見ています。
もしかしたら、お母さんの言っていた、とても危険な動物かもしれません。
食べられてしまうかもしれません。

それでもゆきうさぎの足は前に進んでいました。
広い広い凍てついた川を、ゆきうさぎは駆け出しました。

少しずつ見えてくる向こう岸の動物は、思ったより大きく、そしてとてもきれいでした。
栗色の毛並みに、しま模様。
ゆきうさぎのからだとは、全く違います。

とうとう、ゆきうさぎはその動物の目の前までやってきました。
金色の瞳がじっとゆきうさぎを見つめています。

「こんにちは」
ゆきうさぎは真っ直ぐにその瞳を見つめて言いました。

「食われたいのか?」
そう言われて、ゆきうさぎは驚いて尋ねました。
「あなたは、わたしを食べる動物なの?」
金色の瞳が少し揺れました。

「俺は森の王者、虎だ。どんな動物だろうと、俺にとってはエサになる。
おまえはなぜ、ここに来た?
怖くないのか?」

ゆきうさぎは、目をそらさずに答えました。
「あなたは私を食べないと思うわ。」
今度は虎が驚いて言いました。
「なぜだ?」

「とてもきれいな瞳をしているから。」
ゆきうさぎが答えると、虎は大きな声で笑いました。
静かな世界に笑い声が響きます。

「変なうさぎだ。
みな、俺を見れば恐れて逃げ出すのに。」
笑う虎の口から見える鋭く大きな牙でさえ、美しいとゆきうさぎは思いました。

太陽が西の空へ傾きはじめ、2匹の影を長く伸ばしています。
巣穴に入らなければ凍え死んでしまうような、暗く寒い夜がやってきます。
「また、会いにきてもいい?」
ゆきうさぎは尋ねました。

「今日、お前を食わなかったのは気まぐれだ。明日、お前は俺の食事になっているかもしれないぞ。」
虎が言いました。

「あなたに会うと決めたのは自分だもの。
食べられてもあなたを責めたりしないわ。」
もう1度、虎は大きな口を開けて笑いました。
「本当に変なうさぎだ。」

ゆきうさぎも笑いました。
こんなにあたたかく、幸せな気持ちになったのは生まれて初めてでした。

 次の日、ゆきうさぎが巣穴から出ると、空からは真っ白な雪が降っていました。
鼻先にフワリと落ちた雪は、静かに溶けて消えていきます。
「きれい。」
ゆきうさぎは空をじっと見つめて言いました。
 
もしかしたら、今日はいないかもしれない。
それでも、ゆきうさぎは川に向かって歩き始めました。
小さく続くゆきうさぎの足跡を、降り積もる雪がまっさらに消していきます。

広い川に出ました。
向こう岸に、虎の姿は見えません。
「今日はいないのかな」
ゆきうさぎはガッカリしました。
でも、もしかしたら今から来るかもしれない。そう思い凍った川に足を踏み出しました。
川の上には雪が積もり、あちらとこちらを繋ぐ橋は、今日は白く光り輝いていました。

反対側の岸辺に着いたとき、低い声がしました。
「きたのか」
ゆきうさぎは驚いて飛び上がりました。
虎の体には雪が積もり、美しいしま模様が隠れていました。
「驚いたわ虎さん。隠れんぼでもしていたの?」
ゆきうさぎが尋ねると、虎は体を大きく震わせて積もった雪をはらいました。

「お前が来るかと待っていたら、雪が積もったのだ。」
その言葉に、ゆきうさぎはとても、とてもうれしくなりました。

「虎さん、わたし昨日はじめて巣穴から出たの。外の世界はあぶないからと言われて、ずっと長い間、閉じこもっていたの。
 外の世界がこんなにも美しい色であふれているなんて、思わなかった。」
言い終わると、ゆきうさぎの目からポロリと涙がこぼれました。

「そうだな。
世界は美しい。
 けれど、危険な世界だということは本当だ。俺がお前を食わないのは、ただの気まぐれだ。」
虎が静かに言いました。

「どうして食べないの?」
ゆきうさぎは尋ねました。
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