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旦那様
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昼間でも暗くひんやりとした、二階の奥座敷。
畳の上には、地獄の四季を刺繍に入れた厚い緋毛氈が敷かれている。
部屋中に散らばるように置かれた水盤には、ちらちらと赤い金魚が揺蕩い、部屋の四隅には虫かごが備えられていた。
虫かごには紗が被せられていた。夕時と惑わせた、季節狂いの鈴虫と松虫が互いに競い、ちりちりと鳴き合わせている。耳が迷う所為か、時々、虫かごからすすり泣く声が聞こえるのが、気味が悪い。
座敷には片膝を立て座るカワセミと、正座を崩さない義妹が控えていた。
そして、その対面に二人の身を引き取った、色街に構えるお店『はと錦』の旦那様が、影のような物書きを従え座っている。
壮年の旦那様は、脇へと置いた水煙草を口元にやり、こぽこぽと軽い水音を転がした。
白煙が霞のたなびき方で、部屋に散る。
果物の香りが、カワセミの鼻をくすぐる。
旦那様は義妹へと顔を向け口を開いた。
「『琴箸』。今この時から、この名がお前の持ち物となる。名は体を表し、その身に根差す。よく勤めるように」
前置きなく名を与えられたが、義妹、琴箸は手を着き頭を下げた。
「はい。有難く頂戴いたします」
物書きが、紙にさらさらと何か書きつけ、旦那様がさらに続ける。
「琴箸、お前は良く働いているな。ここに来てひと月も経たぬ間に、水元を預かる女たちは皆、お前を褒める。今は炊事場か、そうか。好きな所に居つけ。さぁ、仕事に戻れ」
琴箸はもう一度深く頭を下げると、カワセミを気づかわしげにちらりと見て、座敷を出た。
しばらく座敷には、水盤の金魚が身を跳ねる音と、虫の鳴き声だけが占めた。
こぽこぽこぽ
ふっ
果物の香りが散る。
旦那様の吐息が妖しく香る。
「片膝を立て座るのは、いつでも飛び掛かれるようになのか」
「……さぁ」
旦那様の問いに、カワセミはつんと答えた。
「喧嘩慣れした女は可愛いな」
「……」
カワセミは、薄暗い座敷の中で旦那様の視線を捕えようと、ぎらつく目で睨みつけた。しかし、果物の香りのする煙の所為か、すすり泣く虫音の所為か、こちらを眺めているはずの旦那様の両目はとらえどころがない。
まるで、硝子障子の向こう側から、一方的にじっと観察されているような、なんとも不安な気持ちにさせられる。
それをさらに煽るような、暗い声が響いた。
「お前たちの家は、先月の祟りで田を無くし、水元を穢したと、村八分にされるところだったな」
「白蛇様の祟りだとか。何を祟ったのかさっぱりわからないけどね、迷惑な話だよ」
暗い声を払うように、娘があっけらかんと言う。
「神仏とはそう言うものだ。今回の件で、はと錦はお前達と村の仲に立ち、田の処理、水の処理を行った。代償として、土地の地権と水の権利、働き手の娘を頂いた。……言うても、地権者の血が半分しか通わぬうえ、商町で遊び暮らしていたお前が戻って来たのが、わからない。その上、その身まで妹と同じように、はと錦に捧げてくれやったのは、もっとわからない」
旦那様が気だるそうに煙を吐いた。霞の中に、ますます旦那様の目が隠れる。
「お前は自由に、商町で遊び歩いていればよかっただろう。捨てた家なんぞに、情けは感じないだろう。そうか、義妹可愛さで様子見に潜り込んだか」
「別に。人の道理に従っただけだ。そっちこそ、処理に係った借金と仲介を請け負っておいて何もいらない。娘を一人だけよこせ、はおかしいだろう。もう一人居た方が割に合わないか?」
カワセミがずいと身を乗り出し、目を細める。
いまだ旦那様の目を捕えようとしているのだ。
「疑うな。きちんと利は得ている。穢れたとはいえ、二反の田と水の利。年老いた親には家を残してやったとは言え、よく気が利く、働き盛りの可愛い琴箸を貰った。――お前が加わったことで、こちらが貰いすぎた感はあるがな」
事実は曲げず、お互いの解釈がぱちぱちと小さな火花を立てぶつかる。
「駆け引きはきらいだ。私の妹がはなっからの目的だったのだろう?」
「おやおや、ついに捕まったか」
カワセミの両目が旦那様の視線を捕えた。
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