つめたいひと

二ッ木ヨウカ

文字の大きさ
3 / 3

後編

 どれくらい放心していただろうか。やがて私はそんな場合ではないことに気づいた。
 起こってしまったことは仕方ない。できるだけ早く、先輩を綺麗にして、そしてまた冷凍しておかなくては。

 そうしないと、先輩がダメになってしまう。
 せっかく、せっかく私のものになってくれたのに。

 家じゅうのタオルといらない服をかき集め、庫内を拭く。服が濡れてしまっているので、着替えさせるためにイチ先輩も一度外に出した。

 久しぶりに触れた先輩は、重くて、ぬるりとしていて、なのに冷凍焼けのせいでガサガサで、それが悲しかった。
 柔らかくて、いい匂いがして、少し暖かくてふんわりしていたのだ、冷凍庫の中に入る前は。

 それでもイチ先輩はイチ先輩で、そのことにどうしようもなく苦しくなる。

「イチ先輩、お着替えしましょうね」

 冷蔵庫の横、出てきたイチ先輩を拭き、着ていた服を鋏で切る。
 服をはだけた私は、そこで取り返しのつかないミスをしてしまったことに気づいた。

 服だけでない。硬い鋏の先は、先輩の肌も傷つけてしまっていたのだ。
 多分、先輩が溶けてしまったという状況に平静ではなかったのだろう。そうでなければいくら私でもそんな失敗をするはずがない。

「あ、え、ど。どうしよ……」

 大きなものではない。手首部分にできた、縦10センチもないくらいの傷だ。
 裂けた皮膚の下から、色の悪いピンクの肉が覗いている。慌てて掌で隠しても、やはり手をどかしたら下に傷があった。どうにかならないかと皮を引っ張ったら更に裂けてしまう。
 イチ先輩の顔は、少し私に対して怒っているようだった。

「ごめんなさい、ごめんなさい先輩」

 生きていれば、こんな傷すぐ治るのに。
 私が殺してしまったせいで一生この傷は治らなくなってしまった。

 どうしよう。
 でも、とにかく――傷なんだから。
 塞がなくちゃ。

 混乱する頭で、小学生の頃に買わされた裁縫セットを引っ張り出す。残っていたのは赤い糸だけだった。
 できるだけの丁寧さをもって、先輩の傷を縫い合わせる。

 終わった時には、赤い糸って素敵だな、と思えるくらいには冷静さが戻ってきていた。
 もちろん綺麗な縫い目ではないけれど、先輩も許してくれた気がした。

「そうだ、イチ先輩に着てもらおうと思って買った服があるんですよ」

 わたしはクローゼットの奥にしまっておいた袋を取り出した。
 本当は、イチ先輩が家に来てくれたときにプレゼントしようと思っていたものだ。

 だが、一晩ベッドで一緒に寝てしまったせいで先輩の体が硬くなってしまい、うまく服の脱ぎ着ができそうになかったので諦めて取っておいたのだ。

「どうです? 普段先輩、ボーイッシュな格好多かったですけど、こういうのも似合うと思ってたんです」

 薄手の素材のブラウスに、丈の長い赤のジャンパースカート。ハイソックスまで履かせてあげると、案の定お人形さんみたいにかわいい。

「……じ、実は私も先輩の服に合わせて買ったんですよ。着てみていいですか?」

 いいね、着てみてよ。そう先輩が笑ったような気がして、胸が甘酸っぱくなる。
一度シャワーを浴びて体中についたイチ先輩の血や体液を流してから、私も服を着替える。
 合わせて、といったけど、全部同じ物を着るのは恥ずかしかったから、シミラールックと言うやつだ。同じブラウスに、デザイン違いの濃紺のジャンパースカート。

「先輩、どうですか?」

 2人で床に座り、並んだところをスマホの内側カメラで見る。
 いつも冴えない自分の顔だけど、イチ先輩と2人で笑っている様子は、少しだけ可愛い。
 そのまま写真を撮ろうかと思ったが、この関係を二人だけの特別な秘密にしたくてやめておくことにする。

「……大好きです、イチ先輩」

 耳元で囁き、背後から先輩の体を抱きしめる。手首から赤い縫い目が見えた。

 また冷凍庫に戻さなきゃ。
 もっと先輩が壊れていってしまう。

 先輩と一緒にいるためには、我慢しなきゃ。
 わかっていたけれど、離したくなかった。

「先輩……やだよぉ……」

 強く抱きしめたいのに、そうするとまた中の汁が出てきたり皮を破ったりしてしまいそうで、それも怖い。

「私も、ずっとあなたと一緒にいたいな。離れたくない」

 そう先輩が微笑んでいる。

「そうですよね。私もそうしたいです。でも……先輩、こうしてるとどんどん悪くなっちゃうじゃないですか」
「なら、あなたがこっちに来ればいいのよ」
「た……たしかに!」

 先輩の言う通りだった。
 先輩が来られないなら、私が行けばいい。
 簡単な話だった。

 私は冷凍庫の扉を開けた。冷えた中の空気を感じながら、扉の縁などにひっかけてしまわないよう細心の注意を払って先輩を中に横たえる。
 そして、私も中に入った。

 蓋を閉めても、意外と外が見えて恥ずかしい。
 2人だけの場所なのに、これじゃあ丸見えだ。
 でも、それでいい気もした。
 私たちがどれだけ愛し合っているか、見てほしいから。

 手を回し、先輩と抱き合う。互いの体温が同じになっていくのが心地よかった。

 できれば温め合う方向が良かったけれど――高望みはしない。

「イチ先輩、これからずっと一緒ですからね」

 これが、私の叶えられる範囲のささやかな幸福だから。
 冷凍庫のかすかな揺れと、小さな作動音に身を委ねる。

 目を閉じる前に見えた先輩は、満面の笑みを浮かべていた。


【終】
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

意味が分かると怖い話【短編集】

本田 壱好
ホラー
意味が分かると怖い話。 つまり、意味がわからなければ怖くない。 解釈は読者に委ねられる。 あなたはこの短編集をどのように読みますか?

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

(完)百合短編集 

南條 綾
ライト文芸
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】

絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。 下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。 ※全話オリジナル作品です。

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

意味がわかると怖い話

邪神 白猫
ホラー
【意味がわかると怖い話】解説付き 基本的には読めば誰でも分かるお話になっていますが、たまに激ムズが混ざっています。 ※完結としますが、追加次第随時更新※ YouTubeにて、朗読始めました(*'ω'*) お休み前や何かの作業のお供に、耳から読書はいかがですか?📕 https://youtube.com/@yuachanRio