追放文官、幸せなキスで旅に出る

二ッ木ヨウカ

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 ハムとチーズをのせたパンにサラダの朝食をたっぷりと食べた後には、ややぎこちないながらもコーディエは普段通りダイモンと話せるようになっていた。満腹でいながら怒りを持続させるのは難しい。食事が美味であったならなおさらだ。

「いやー、一瞬で首都に着いちまうとはなあ。つくづく魔法って奴は便利だけど、旅の風情ってもんがなくていけねえな」

 クリームを乗せたコーヒーをシナモンでかき回しながら、ダイモンは今ここにいることが信じられない、という様子でカフェの店内を見回した。黒く艶のある梁や床が、建物の歴史を物語るとともに、祖父母のような温かさを感じさせている。提供される食事や飲み物の量が妙に多いのも、そのイメージを強めていた。

「じゃあ君だけ帰りは徒歩にするといい」
「いや、今日は旅じゃなくて買出しだから。早く帰ったほうがいいだろ」
「都合のいい奴だな」

 からかうようにダイモンを見てからコーディエは自分もコーヒーに口をつけた。甘く、コクのあるクリームを泡立ててコーヒーに乗せたものは首都のカフェでは定番だ。そうだ、これだ、と思ってしまった自分に、時の流れを突き付けられた気がした。

「臨機応変と言ってくれ」
「そうかい」

 肩をすくめると、ダイモンは「ところで」と視線をコーディエに戻してきた。

「なんでインク一本買うのにわざわざ首都まで来なきゃいけねえんだ? そんなんどこでも買えるだろ」
「これだから素人は」

若干ムッとしながらコーディエは返した。どこでも買えたらわざわざこんな所まで来ていないに決まっているだろう。

「写本用のインクは特別なんだ。簡単に劣化したら意味がないから変質しにくくて水にも強くなきゃいけないし、後で自動筆記魔法で写本を量産できるよう、魔法に反応する特殊な成分も入っている。滲みにくく乾きやすくもなっているし、そこらへんで売っている奴とは違うんだよ」

 だから普段は麓の文具店に取り寄せてもらっている。今回はそんな時間がなかったので、確実に購入できる場所に来ているのだ。

「へえ、そうなのか」
「ちなみに紙も違う。劣化しにくく破れにくいものを使って、長期保存に耐えられるようにしてある。そのうえで最後、製本するときに防水や防汚の魔法をかけているんだ」
「はあ……すげえな、そこまでしてんのか」

 なるほどなあ、と頷くダイモンに写本ができるまでの工程を話しているうちに、お互いのコップが空になる。
 店を出た時には、外はすっかり明るく、そして春めいた陽気になっていた。当然だ、バルクはコーディエの家から見て南、つまり平地の向こうに位置している。

(……もう、春だな)

 諦めの気持ちとともに、コーディエは色の濃くなってきた空を見上げた。思ったより太陽が高い位置にある。予想以上に長居していたようだ、と道の先を向こうとして、町の中央にそびえる白い尖塔がコーディエの目に入ってきた。コーディエがかつて働いていた、王の宮殿だ。
 空を刺すような、紺色屋根の一際大きな塔は権威を示すための意味合いが強く、主に星読み用だった。その下に広がる横長の主殿は四階建てで、威厳に満ちた白壁が町のどこからでも見えるようになっている。執務用になったその一角、羊皮紙保存のためにいつもカーテンを閉め切られた部屋がコーディエの居場所だった。

 きゃはは、とすれ違った人の笑い声が聞こえて、コーディエは反射的に顔を伏せた。自分のことを笑っているわけではないだろう、と思うが、確証はなかった。ここでは、昔の知り合いとばったり出会ってしまっても何もおかしくない。ローブのフードを深く被り、襟元を掻き合わせる。

「おい、コーディー! おいって!」

 ダイモンの声に振り向くと、いつの間にか大きな背中ははるか先に行ってしまっていた。駆け寄ると、鞄屋のショーケースの中を指差している。

「見てみろよ、魔獣の皮で作った鞄だってよ、俺もこういう頑丈なのに荷物入れてたら良かったんかな……ってコーディー、どうした? 寒いのか?」
「いや、あ……うん、少し」

 指の先を見ると、黒い鞄がそこには飾られていた。ケルピーの革で作られているらしい。怪訝そうな顔をするダイモンに対し、コーディエはますます顔を伏せた。

「ダイモン、鞄が入り用なら買ってやる」
「えっ、別にいいし」
「鞄じゃなくても……出立するにあたって必要なものがあるなら、用意……するから」
「そんなに気を使うなって」
「でも、冬の間……凄く、助かった、から」

 フードのせいで、ダイモンの顔は見えない。代わりに、大きな手が背中を軽く叩いたのを感じた。

「恩返しのつもりで滞在してたのに、いろいろ買ってもらっちゃ意味ないだろが」
「で、でも……」

 コーディエはそれ以上言えず、黒い鞄を眺めた。そろそろ旅立つだろうダイモンに、せめて何か、コーディエのことを思い出せるような品物をはなむけに贈ってやりたかった。だが、そう口にするのは自分の好意を表に出すようで憚られるのだ。

「それに今日は、コーディエの写本インクを買いに来たんだろ。……早く買って、さっさと帰ろうぜ、な」
「今日は……な」

 明日はどうなのだろうか。明後日は。背中に置かれたダイモンの手に押されるように、コーディエはゆっくりと歩き始めた。
 文具店は、職人街の真ん中あたりにある。鍛冶屋や家具屋のショーウインドーを眺めながら、石畳の上を歩く。横に立ったダイモンが、コーディエのフードの中を覗き込むように身を屈めてきた。

「なあ、コーディー。俺……ずっと考えてたんだけどさ」
「……何だよ」

 顔を見られたくなくて、コーディエは更に俯いた。足元しか見ないままダイモンを避けようとして、横を歩く人に肩がぶつかる。

「あっ、すいま……」

 慌てて顔を上げたコーディエは、そこにあった顔を見て硬直した。氷を思わせる澄んだ青色の目と、絹糸のような髪。透き通るような肌も、五年前そのままだった。

「っ……」

だが、フードを目深にかぶっていたせいか相手にはコーディエのことは分からなかったらしい。大丈夫ですよ、という柔らかい声を発するふっくらとした唇を見つめる。

「トマス?」

 聞き覚えのある声の方を向くと、やはり見慣れていた顔がこちらの――トマスの方を向いていた。いつか原形を留めないほどにしてやったはずの顔は、すっかりきれいになっている。
 一番見たくない相手だった。だが、まだ幸いにして向こうには気づかれていない。また石畳に目を落としたコーディエは、視界の端で二人の手が繋がれていて、そこに揃いの指輪が嵌っているのを見た。
 ぱちん、と何かが弾けたように体中が熱くなった。

「っ、と、トマスっ!」

 叫びながら袖に手を突っ込み、杖を引っ張り出す。その先端で空気が揺らめき、渦を巻くように炎の塊が生まれる。

「えっ、ちょ……コーディー―ー」

 今更ながらこちらに気づいたのか、驚いたように声を上げるトマス。その素っ頓狂な声に更にコーディエの感情がさらに燃え立った。

「っ……の……!」
「やめろコーディー!」

 火球を放とうとした瞬間、後ろからコーディエの右手が掴まれた。狙いが逸れ、遥か彼方の空中に吹っ飛んで行った炎が爆散する。

「放せっ!」
「落ち着け!」

 身を捩ってダイモンの手を振りほどこうとするが力の差は歴然としている。噛みついてやろうとしたところを後ろから羽交い絞めにされ、ダイモンが頭突きをするように唇をぶつけてきた。
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