カフェオーナーと崖っぷちバイト、元妻の幽霊添え

二ッ木ヨウカ

文字の大きさ
8 / 29

08 店休日は水曜日

 店休日の水曜日は、いつもよりゆっくり朝食を食べられる。

「んー……こんな、感じ……?」

「さんふるうつ」上階の住居にあるキッチン。夏の強い朝日の差す中、灯真は昨日のリベンジを兼ねて焼いていたパンケーキを皿に盛り付けた。カウンターに酒瓶とともに並ぶ蜂蜜に手を伸ばすと、その横にある色褪せた夏子の写真が目に入る。

 ……唯人さんと夏子さんって、どういう関係なんだろう。

 ずっと気になっているものの、口に出せずにいる疑問がまた心のなかで頭をもたげる。多分元カノとかなんだろう。気になるなら一言聞いてみればいい。そうは思うけれども、なんとなく言い出せない。
 唯人にとってあの夜のことはただの気まぐれで、灯真をここに置いてくれているのは単なる同情で——だから、本当に大切な人は、他にいる。

 わざわざそんな現実を確かめなくてもいいだろう。心の片隅に疑問を押し込んで、唯人の前に皿を置く。

「オーナー、これでどうでしょう?」

 スマホをいじっていた唯人が目を上げ、ざくりとパンケーキにナイフを突き刺した。湯気とともに、ふわりと甘い空気が広がる。たっぷりと蜂蜜を染み込ませた一切れを口に運んだ唯人は、「うんOK」と頷いた。

「こっちでやるときは上手くできるのに、なんで店だと失敗するのかね。緊張?」
「さあ……」

 そんなの、灯真だって知りたい。

 唯人の向かいに腰を下ろす。開け放った窓の向こうには甘夏畑と海が広がり、これからの暑さを予想させる潮風にさざめいている。
 綺麗だな、とは感じるものの、その海はもう灯真を呼んでいるようには思えなかった。

「灯真、今日用事あるか?」
「……え? 別に……ないですけど」

 唐突に投げかけられた質問に、パンケーキを喉に詰まらせそうになりながら灯真は返事をした。
 店休日は自由時間だが、灯真には友人もやりたいこともない。こうしてメニューやレジ打ちの練習をして、後は自室として割り当てられた部屋に引きこもり、唯人と初めて会った日の夜を反芻するくらいだ。

「じゃあちょっと付き合え。紹介したいやつがいる」
「あ……え、はい」

 灯真のことなんか誰かに紹介したら、信頼関係が壊れたりしないのだろうか。疑問に思うものの、昨日一瞬だけ見た唯人の突き刺すような視線を思い出し、結局その不安はコーヒーと一緒に飲みこんでしまう。
 洗い物が終わったところを呼びに来た唯人と共に家を出て、駐車場に向かう。甘夏の木の隣に止まる白いセダンは、灯真がここに来た翌日に一度だけおかしな挙動を見せたものの、それからは特に問題なく動いている。

「あ、オーナー、僕が運転しましょうか?」
「……えっ?」

 車のキーを出した唯人に手を出すと、唯人は少したじろいだようだった。灯真に渡すまいとするかのように鍵を握りこむ。

「う、運転できるのか、灯真……?」
「大丈夫ですよ、これでも不動産営業やってたんで、割と運転は……免許だってちゃんとゴールドですし」
「え、あ、そうなのか……い、いや、今日は……大丈夫。うん。遠慮しとくわ」

 目を泳がせてそそくさと運転席に乗り込む唯人に続いて、灯真も助手席に乗り込む。
 普段の仕事ぶりを見ていたら、運転は任せたくないと思うのも当然だろう。

 ……少しは役に立てるかと思ったんだけど。

 軽い落胆を抱えた灯真を乗せ、くねくねとした山道を車が走り始める。

「っていうか灯真、不動産営業? って、あの……不動産屋行くと出てきて、物件とか案内してくれる人だよな?」
「あ、はい。それですそれです」
「……なんていうか……飲食も向いてねえと思ったけど、それ以上に不向きな仕事のような気がするんだけど。なんでやってたの?」

 急なカーブを曲がりながら唯人が向けてきた視線には、遠慮と好奇心が戦っているようだった。

「そうですね……」

 今の仕事も向いてないと思われていたんだ。灯真はうまく笑えたか自身がなかった。

「……自分に、一番向いてないと思った仕事だったから……だから、そういう場所で頑張ったら、変われるかなって思ったんですよね」

 人の心を掴む話ができて、自信を持った行動ができて、商品をばんばん売れて、書類仕事もミスなくこなせて——苦手でも、数さえこなせばできるようになるかと考えたのだ。

 そうしたら、自分でも誰かに必要としてもらえると思ったから。
 結果は、惨憺たるものだったけれど。

 上手い人の真似をしていくら練習しても灯真では物件が売れず、上司にどやされてもそれで成約数が増えるわけもなく。ローンの査定書類も毎回突き返されていて、多分銀行にも悪い意味で顔を覚えられていたと思う。歩合給の割合が多かったから、給料面という意味でもきつかった。
 でも、次こそは上手くいくかも。何かが噛み合わなかっただけかも。頑張りが足りなかったかも。

 ……そのうち誰かが、「頑張ったね」って認めてくれるかも。

 諦めきれなくて何社も点々とした。

「まあ結局、全然ダメだったんですけどね」

 だから、崖にいたのである。

「あー……なるほど」

 唯人の曖昧な相槌が聞こえ、車内に沈黙が下りた。窓の外を小さな地蔵と、その横にぼうっと立つ人影が通り過ぎていく。
 ああいうのなら、見るからに幽霊って分かりやすくていいのにな。
 森と甘夏畑が交互に並び、木の葉の間から時折海が見える車窓を眺めていると、「それって」と隣から声が聞こえた。運転する唯人に意識を戻すと、少し言葉を選ぶような間の後に、またポツリと口を開く。

「……仕事、辛くなかったのか?」
「え?……仕事って、辛いものでしょう?」
「あー……うん、そうか……」

 何かを納得したような、諦めたような声色の唯人の横顔は、何を考えているのか灯真には読み取れなかった。
 まるで、「私服で来て」と言われて行ったら自分以外の皆はスーツを着ていた時のような。そんな居心地の悪さに襲われ、灯真は指先を組んだ。

 また急なカーブを曲がる車を、張り出していた木の枝ががさがさと撫でていった。
感想 0

あなたにおすすめの小説

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
世間に秘された名門男子校・平坂学園体育科 空手の名選手であった高尾雄一は、新任教師として赴任する 高潔な人格と鋼のように鍛えられた肉体 それは、学園にとって最高の生贄の候補に他ならなかった 至高の筋肉を持つ、精神を削られ意志をなくした青年を太古の神に捧げるため、“水”、“風”、“土”の信奉者達が暗躍する 意志をなくし筋肉の操り人形と化した“デク” 消える教師 山奥の男子校で繰り広げられるダークファンタジー

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

俺は夜、社長の猫になる

衣草 薫
BL
冤罪で職を追われた葵は、若き社長・鷹宮に拾われる。 ただし条件は――夜は“猫”として過ごすこと。 言葉を話さず、ただ撫でられるだけの奇妙な同居生活。 タワマン高層階の部屋で、葵は距離を崩さない鷹宮に少しずつ惹かれていく。 けれど葵はまだ知らない。自分が拾われた本当の理由を。

冤罪で堕とされた最強騎士、狂信的な男たちに包囲される

マンスーン
BL
​王国最強の聖騎士団長から一転、冤罪で生存率0%の懲罰部隊へと叩き落とされたレオン。 泥にまみれてもなお気高く、圧倒的な強さを振るう彼に、狂った執着を抱く男たちが集結する。

隣の席のイケメンに懐かれた

しょうがやき
BL
隣の席のイケメンに懐かれた平凡男子の話

オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?

中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」 そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。 しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は―― ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。 (……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ) ところが、初めての商談でその評価は一変する。 榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。 (仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな) ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり―― なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。 そして気づく。 「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」 煙草をくゆらせる仕草。 ネクタイを緩める無防備な姿。 そのたびに、陽翔の理性は削られていく。 「俺、もう待てないんで……」 ついに陽翔は榊を追い詰めるが―― 「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」 攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。 じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。 【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】 主任補佐として、ちゃんとせなあかん── そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。 春のすこし手前、まだ肌寒い季節。 新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。 風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。 何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。 拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。 年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。 これはまだ、恋になる“少し前”の物語。 関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。 (5月14日より連載開始)

秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~

めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆ ―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。― モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。 だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。 そう、あの「秘密」が表に出るまでは。