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13 試作品、朝陽射すまで
やがて冷蔵庫の稼働音が小さく聞こえて、灯真は小さく息をついた。次のグラスに伸ばした指先は少し震えていて、抱えるように両手でグラスを支える。
「……夏子さんはいいですよね。唯人さんと結婚できて、なのに他にも相手がいて」
「あー……知ってたんだ、それ」
まあ、と灯真が頷くと、「じゃあ、なんで今、私が一人で幽霊やってると思う?」と夏子が前髪をかき上げた。皮肉っぽく焦げ茶の瞳が煌めく。
「……えっ?」
「正解は、『浮気相手に逃げられて、唯人に対する未練も捨てられないから』でしたー」
「どういうこと……ですか?」
持っていた試作品に口をつけないまま、灯真はカウンターにグラスを戻した。
「そもそもね、唯人は私のことなんか好きでも何でもなかったの」
「……でも、結婚してた、んですよね?」
「別に人間、相手のことが好きだから結婚するわけじゃないでしょ」
政略結婚とか? ピンと来ていない灯真に夏子は柔らかく目を細め——その表情は、やっぱり唯人に似ている、と灯真は思った。
「『妊娠した』って嘘ついたの。唯人のこと狙ってる子は多かったけど、絶対誰にも渡したくなかったから」
「女性っていいですね……」
灯真が本心からの相槌を打つと、「遅かれ早かれバレるからやめた方がいいと思うよ」と夏子は手を組んだ上に顎を乗せた。
「だから、唯人は私のことなんか全然見てくれなかったの。自分の店を持ちたいって朝から晩まで働いてて……悔しくてあいつの後輩と寝ても意味なくて。もう頭に来て『死んでやれ!』ってなったけど、でも……所詮浮気相手だよね。気づいたら私の死体だけが海に浮かんでて、一人ぼっちになってたってわけ」
夏子の指先が、灯真の並べたグラスに伸びる。透明な液の中を、細い指が突き抜ける。「あたしから見れば、灯真の方が羨ましいよ。だって体があるんだもん。唯人から見えるし、触れるし、同じもの食べて『おいしいね』って話すことだってできる。それだけでもすごいことじゃん」
掴めないことを確認するかのように指先を握って、夏子は目を閉じた。ため息が続く。
「……それ、生きてる人間の大半はできると思いますけど」
「そうだよ。でもね、死んだらそのラインにすら立てないんだよ」
ふと、灯真は自分がここに来た日に蹴飛ばしたヒマワリの花束のことを思い出した。灯真が欲しかったのはあの花束だったが、きっと夏子がしたいのは「一緒に花を選ぶこと」なのだろう。
「もう絶対に、唯人には見てもらえないし、声も届かない。本当だったら、死人なんてとうに消えてなきゃいけない。それは分かってるのに、どうしようもできないんだよね」
再び開いた夏子の目は濡れているようだったが、それを指摘させない強さがあった。
「だからね、灯真。あたし、あんたがここに来てよかったと思ってんだからね。あたしと話せる人がいるなんて思ってもみなかったし、唯人だってやっと……」
そこまで言ったところで、不意に夏子は苦しそうに言葉を切った。予想外の沈黙に灯真が戸惑い、続きを促そうと口を開きかけたところで、夏子の顔にぱっと笑顔が広がった。
「ごめん、試作品づくりの邪魔したね」
「え? あー……」
灯真がカウンターに目を落とすと、いつのまにかグラスから落ちた水滴で天板がびしょびしょになっていた。少しぬるくなったソーダを吸うと、今度は深みのある柔らかな甘みが口の中に広がった。
「ん」
「お、いい感じ?」
夏子がにやりと笑う。
「そう……ですね」
「おいしそー。あたしも飲み比べしたいな」
そのまま全種類の味比べをし、それぞれの感想メモを残す。良さそうな方向性でもうちょっと深掘りをしていこう、と夏子と比較用レシピを詰めていく。
やがて、窓の外が薄明るくなってきた。
片付けを終えた灯真が「さんふるうつ」の裏口を開けた時、二階の玄関からドアの音がしたようだった。
「……?」
そっと玄関を開けつつリビングを覗いたが、しんとした部屋にはただ朝陽が射しているだけだった。
「……夏子さんはいいですよね。唯人さんと結婚できて、なのに他にも相手がいて」
「あー……知ってたんだ、それ」
まあ、と灯真が頷くと、「じゃあ、なんで今、私が一人で幽霊やってると思う?」と夏子が前髪をかき上げた。皮肉っぽく焦げ茶の瞳が煌めく。
「……えっ?」
「正解は、『浮気相手に逃げられて、唯人に対する未練も捨てられないから』でしたー」
「どういうこと……ですか?」
持っていた試作品に口をつけないまま、灯真はカウンターにグラスを戻した。
「そもそもね、唯人は私のことなんか好きでも何でもなかったの」
「……でも、結婚してた、んですよね?」
「別に人間、相手のことが好きだから結婚するわけじゃないでしょ」
政略結婚とか? ピンと来ていない灯真に夏子は柔らかく目を細め——その表情は、やっぱり唯人に似ている、と灯真は思った。
「『妊娠した』って嘘ついたの。唯人のこと狙ってる子は多かったけど、絶対誰にも渡したくなかったから」
「女性っていいですね……」
灯真が本心からの相槌を打つと、「遅かれ早かれバレるからやめた方がいいと思うよ」と夏子は手を組んだ上に顎を乗せた。
「だから、唯人は私のことなんか全然見てくれなかったの。自分の店を持ちたいって朝から晩まで働いてて……悔しくてあいつの後輩と寝ても意味なくて。もう頭に来て『死んでやれ!』ってなったけど、でも……所詮浮気相手だよね。気づいたら私の死体だけが海に浮かんでて、一人ぼっちになってたってわけ」
夏子の指先が、灯真の並べたグラスに伸びる。透明な液の中を、細い指が突き抜ける。「あたしから見れば、灯真の方が羨ましいよ。だって体があるんだもん。唯人から見えるし、触れるし、同じもの食べて『おいしいね』って話すことだってできる。それだけでもすごいことじゃん」
掴めないことを確認するかのように指先を握って、夏子は目を閉じた。ため息が続く。
「……それ、生きてる人間の大半はできると思いますけど」
「そうだよ。でもね、死んだらそのラインにすら立てないんだよ」
ふと、灯真は自分がここに来た日に蹴飛ばしたヒマワリの花束のことを思い出した。灯真が欲しかったのはあの花束だったが、きっと夏子がしたいのは「一緒に花を選ぶこと」なのだろう。
「もう絶対に、唯人には見てもらえないし、声も届かない。本当だったら、死人なんてとうに消えてなきゃいけない。それは分かってるのに、どうしようもできないんだよね」
再び開いた夏子の目は濡れているようだったが、それを指摘させない強さがあった。
「だからね、灯真。あたし、あんたがここに来てよかったと思ってんだからね。あたしと話せる人がいるなんて思ってもみなかったし、唯人だってやっと……」
そこまで言ったところで、不意に夏子は苦しそうに言葉を切った。予想外の沈黙に灯真が戸惑い、続きを促そうと口を開きかけたところで、夏子の顔にぱっと笑顔が広がった。
「ごめん、試作品づくりの邪魔したね」
「え? あー……」
灯真がカウンターに目を落とすと、いつのまにかグラスから落ちた水滴で天板がびしょびしょになっていた。少しぬるくなったソーダを吸うと、今度は深みのある柔らかな甘みが口の中に広がった。
「ん」
「お、いい感じ?」
夏子がにやりと笑う。
「そう……ですね」
「おいしそー。あたしも飲み比べしたいな」
そのまま全種類の味比べをし、それぞれの感想メモを残す。良さそうな方向性でもうちょっと深掘りをしていこう、と夏子と比較用レシピを詰めていく。
やがて、窓の外が薄明るくなってきた。
片付けを終えた灯真が「さんふるうつ」の裏口を開けた時、二階の玄関からドアの音がしたようだった。
「……?」
そっと玄関を開けつつリビングを覗いたが、しんとした部屋にはただ朝陽が射しているだけだった。
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