カフェオーナーと崖っぷちバイト、元妻の幽霊添え

二ッ木ヨウカ

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16 夏の匂い

 結論から言えば、失敗だった。
 それも、かなり大きめの。
 ピークの途中で売り切れになってしまうなんて、飲食店にあるまじき失態である。

「くっそー、圭の奴、なあーにが『それくらい準備しとけば全然大丈夫~』だよ。全ッ然足りねえじゃんか」
「そう、ですねえ……」

 唯人と灯真は、「完売しました」の札を立てた机越しに、大勢の客をただ眺めていた。左で悔しそうに呟く唯人を見上げ、灯真も苦笑する。

 原因は明白だった。客数の算出を「昨年の五十嵐のデータ」に頼ったせいである。瓶入り蜂蜜と甘夏ドリンクでは、夏祭りにおいての売れ行きに雲泥の差があった。なまじ自家製にしてしまったせいで追加補充もできない。
 だが当の五十嵐本人はケロッとしたもので、「撤収まで時間あるし、折角だからそこら辺見てくるわ」とどこかへ出かけてしまった。

 きっと「きらきらのおほしさま」を掬いに行ったのだろう。

「でも、僕は……完売して、ほっとしました」

 胸の前で指を組み、灯真は今しがたまでのことを思い出した。ひっきりなしに来る注文に、息つく暇もなかった数時間。渡すなり口をつけて「おいしい」と微笑んでくれた子ども連れの家族、店の前でドリンクと写真を撮っていったカップル、飲み比べをしていた友達グループ。

 彼らのことを、今日は「ずるい」とも「いなくなればいいのに」とも、思わなかった。

 むしろ、もっと来てほしいと思ったし——笑顔で去っていく様子に、自分まで嬉しくなった。
 作っているドリンクは何回かひっくり返したし、オーダーミスもしたけれど、不思議と今日は気にならない。
 この田舎のどこからこんなに人が湧いてきたのだろうと言うほどの数の人間を、タープに切り取られた視界で眺める。

 大切な人と、今日という日を楽しみに来ている顔。

 あちら側には、灯真は一生行けないだろう。
 きっと、死んでも無理だ。
 でも、それでもいいや、と思えた。
 強がりでも、酸っぱいブドウでもなく、心の底から。
 恨めしげに人波を眺める、唯人の横顔を見上げる。

 ――この人と、いられるから。

 灯真の目線に気づいたのか、唯人が顔を動かした。反射的に視線を落とすと、着崩れた浴衣の胸元が大きくはだけているのが見え、どぎまぎしてしまう。

「……だな」

 ぽん、と右肩に置かれた唯人の手が灯真を引き寄せる。頭が唯人の顔にぶつかった。

「来年は、もっと仕込み量増やすか」

 低く優しい声も、白い胸板も、さっきよりも近い。少しだけ唯人の汗の匂いがして、頭がくらくらする。

「は、はい……!」

 嬉しさのあまり灯真の声が震えた。来年。未来が楽しみだと思うなんて。
 きっと、今度はもっと、うまくいく。

「次は、っ、もっと、その——」

 言いかけた灯真の声を遮るように、花火の開始を告げるアナウンスが入った。
 空気を切り裂く音がして、仰いだ夜空に花が咲く。一拍遅れ、地面ごと空気が揺れた。震えた肩を更に強く抱かれる。
 最初は小ぶりでシンプルなものから、徐々に大きく、豪華なものへ。打ちあがる花火はその彩りを増していく。

「唯人さん」

 きっと花火の音に紛れて聞こえないだろうから。小さく名前を呼んだ灯真は、ほんの少しだけ唯人の肩に頭を預けた。唯人の指先がわずかばかり首筋に触れている熱を必要以上に感じながら、夏の夜をいっぱいに吸いこむ。
 むせかえるほどの熱気と、漂う火薬と、あちこちの屋台と、それから甘酸っぱいシロップと——大好きな人の匂い。

 大輪の花火が空に広がり、輪郭をぼかしながら消えていった。
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