カフェオーナーと崖っぷちバイト、元妻の幽霊添え

二ッ木ヨウカ

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22 嘘つき幽霊の終焉

「灯真っ!」

 背後からの声に振り向くと、二人を追って唯人が走って来ていた。かすかな違和感を覚えた灯真だったが、それが具体的な形になる前に「来ないでよ!」と夏子の声が夜に響く。
 背後で砂利を踏む音がして、唯人が怯えたように立ち止まった。おそらく夏子がまた崖に近づく素振りを見せたのだろう。

「だからっ……なんで! なんで、灯真なのよ! どうしてあたしを呼ばないの! なんで先に他の奴のこと心配するの!」
「夏子お前、いい加減にしろよ!」

 大声を上げる唯人、灯真、それから夏子の間を、湿った陸風が崖の向こうへと走り抜けていった。

「店の子いじめて、嘘ついてまで俺と結婚して……それでも、夏子が満足して幸せならいいと思ったよ! なのに浮気して、開店資金まで持ち逃げして、挙句自殺したかと思ったら灯真のこと乗っ取って嫌がらせって……何だよお前、どうしてはこっちだよ! そんなに俺が嫌いか!」
「嫌いなわけない!」
「じゃあ何なんだよ、意味分かんねえよ!」
「唯人が、あたしのことなんかこれっぽっちも好きじゃなかったからだよ!」
「は……はあ?」

 ちょうど二人の間に挟まれた形になった灯真は、そっと視線だけを左右に動かした。
 右には、戸惑った顔の唯人。左には、灯真の体を使って、手負いの獣のように怒り狂う夏子。その向こうでは満月に照らされ、白い波が泡立っている。

「すっ……好きだったから嘘だと分かっても結婚したし、一緒に店持てるように頑張ってたんだろが!」
「それは唯人の夢じゃん! あたしは店なんか興味なかった!」

 夏子の叫びに、唯人が目を見開いたまま固まった。

「ただ一緒にいたかったから結婚したのに! なのに朝から晩まで働きづめで、帰ってこないことも多くて、あたしが寂しいって言ってもなんも聞いてくれなかったじゃん! 化粧かえても、家にいなくても、何にも反応しなかったくせに! 何が好きだよ!」
「だからって、そんな……」
「じゃあほかにどんな方法があったっての! どうしたら唯人は私の言葉を聞いたの! 私を見てくれたの! 言ってみろよ!」

 夏子の言葉が、灯真の心の奥、膿んでいる部分をほじくり返す。

 どんなに望もうと努力しようと喚こうと、それでも自分の手が届くことはない。けれど、横にいる人はいとも容易く手に入れていく。
 間違っている方法だろうが何だろうが、それでも求められずにはいられない。

 無理だと分かっていても、人生や命を懸けて失敗しても。
 その程度じゃ、諦められない。
 世の中には、人には、そういうものがある。

 多分、灯真も夏子も同じだ。
 認められたかった。見て欲しかった。

 だから灯真は死ねなかったし、夏子は地縛霊になった。灯真には自信も行動力もなかったが、夏子にはあった、それだけの違いだ。
 大きく肩で息をした夏子は、思いっきり叫んだせいか少し落ち着いたように見えた。俯いて深呼吸をし、再度持ち上がった顔が灯真を見てぎょっと引きつる。

「な……何であんたが泣いてんのよ」
「え? ……あ」

 頬に触れると、確かに濡れた感触がある。幽霊も泣くのか、と思うとなんだかおかしくて笑えてしまうし、そもそも灯真には関係のない話のはずなのに、溢れてくる涙は止まらない。

「ご、ごめんなさい、なんか……夏子さんの気持ち、分かるな、って思っちゃって……」
「はあ? 肝心の唯人は馬鹿みてーな顔してんのに、なんでぽっと出の穴野郎なんかに理解されなきゃ……」

 そこまで言いかけて、夏子の表情がふっと緩んだ。はあ、ともう一度ため息をついて、目尻に涙を残したまま笑う。

「……分かるか、灯真には」

 夏子の声が聞こえた瞬間に、ぐらりと灯真の視界が揺れた。潮騒の音が頭に響き、布越しの膝に砂利が刺さる。崖下から跳ねてくる細かな水滴がぱちぱちと肌に当たった。

「あ、あれ……」

 呟くと、大声で叫んだあとのように喉が痛んだ。顔を上げると、すぐ横に夏子が――ボブカットでワンピースを着た、夏子本来の姿で立っている。座り込んだ地面に手を伸ばすと、湿った砂が手のひらに触れた。
 体に、戻っている。
 振り向くと、すぐ後ろに海が広がっていた。

「あっくそ、納得しちゃったじゃん……」
「だ……大丈夫か!」

 駆け寄ってくる唯人に頷いて、灯真は立ち上がった。裸足の足の下に、しっかりとした地面を感じる。
 手を伸ばしてきた唯人は、灯真に触れる直前で指先を握り込んだ。

「よかっ、た……」
「あーあ、ここまで言っても私のことは心配してくれないんだ」

 拗ねたように唇を尖らせた夏子に、唯人の目が悲しげに細められた。灯真をちらりと見下ろしたあとに、その視線が夏子に戻る。

「……ごめん夏子。でも、俺……」
「いいよ。灯真なら仕方ないって思えるし」

 答えた夏子の輪郭が、はらりと崩れた。

「あっ……えっ? 夏子さん?」

 パラパラと夏子が光の粒になってほどけていく。突然のことに灯真がおろおろと手を動かし、自分の指先を見た夏子は眉を上げた。

「あーあ。言いたいこと全部言ったらスッキリしちゃったし、潮時なのかも」
「でもっ……そんな」
「言ったじゃん。本当だったら、死人なんてとっくに消えてなきゃいけないんだって。今までの方がおかしいでしょ」

 あっさりと肩をすくめる夏子の体は、どんどん希薄になっていく。
 待って、と言おうとして、灯真は言葉を飲み込んだ。
 見送りはきっと、笑顔の方がいいから。

「夏子!」

 隣で叫んだ唯人も、突然の別れに何を言うべきか迷っているようだった。

「その……今まで、気づいてやれなくて……悪かった」
「今更遅いんだよ、ばーか!」

 言い放った夏子は、心底面白そうに笑い声を上げた。体からこぼれていく光の粒が増え、きらきらと瞬いては消えていく。
 ひとしきり笑い、ほとんど透明になった夏子が「あ、そういえば」と灯真を見た。

「あたし、苦いのも甘いのも好きじゃないし、だから灯真の作ったジュースは絶対好みの味じゃないと思うんだけど」

 ふわりと吹いてきた陸風が夏子を散らし、海へと運ぶ。

「おいしそうって思ったのは、本当だから」

 その言葉が、最後だった。
 輝く欠片はゆらゆらと広がり、そしていつの間にか淡く明るくなってきた海にゆっくりと溶けていった。
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