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第三章 自衛隊の在り方(前)

第九部

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 いや、どう考えてもおかしい。いくら技術的に優位とは言え、人海戦術に対応しうる程の戦力を我々は持ち合わせていない事位、巻口連隊長も承知しているだろう。戦術の基礎として、攻撃三倍の原則というものがある。攻者は防者の三倍の戦闘力を用意しなければ、敵の撃破は難しくなる。簡単に言えばそんなものだ。違う言い方をすれば、三対一の原則となる。つまり、防者は三分の一以上の相対戦闘力を保持する事が望まれる、という事だ。三分の一を切った時、それは敗北を意味すると言っても過言ではない。米軍も教本にこれを載せている。この原則は戦史から、人の屍が証明したものなのだ。
 では、敵の戦力。約八個師団。少し多く見積もった単純計算で、十二万人の兵士が行軍している。一方、我が連隊、いや、我が派遣隊戦闘部隊は、施設中隊を入れたとしても、二百人に満たない。その比率、実に七五〇対一。幾ら精強なる陸上自衛隊だとしても、負け戦に参戦する義理等無い。自衛官はその名の通り、国民を護る存在。先ずは、自分を護らなければ、国民すら護れない。
 なのに何で、戦おうとしているんだ。

「その為、連隊長は、帝書記長?とやらに会いに行きました」
「と、言うと?」
「ビルブァターニに出兵を求める為です」

 となると、我々は主戦力ではなくあくまで補助という事になるのだろうか。しかし、ビルブァターニは恐らく渋るだろう。帝書記長は、ぱっと見、人がさそうだが個人の一存だけで国を左右するようなことを決める者は愚者だ。進攻してきたのは恐らく、イリューシャンも言っていたイツミカ王国だ。まあ、既に越境しているから宣戦布告のようなものだが、戦争となると国民世論も絡んでくる。無理に戦争を始めて、厭戦ムードが蔓延したら大変なことになる。
 ビルブァターニの事情は知らないが、普通だったら渋ってくると思う。
 巻口連隊長は、防御作戦、それも主力の到着まで時間を稼ぐものを行わせるつもりか。今回に関しては、主力はビルブァターニ軍という事になる。

「中央即応連隊は、自衛隊は、もう一度、戦う事になります」

 そう言った後、君島一曹は駆け足で隊員達の元へと向かった。
 隊員らは直接地べたに座っている者もいて、正直かなりだらけていると言わざるを得ない。がしかし、私はそれを咎める責任も理由もない。

「班長、集合!」

 息を切らした鈴宮が後ろから叫んだ。その後ろには、イリューシャンもいる。鈴宮は、汚い走り方をしている。あれじゃあ、余計に疲れるだけだ。
 恐らく今、小隊は小休止を行っているのだろう。皆、思い思いの格好で寝たり、瞑想したりしている。本来、例えどれ程偉い人間が来ても、小休止中は休みを徹底される。それが命令だからだ。しかし、班長や小隊長は、指揮官等の偉い人間が来たら、報告等の義務がある。
 だが、今は休憩すべきだ。

「いや、そのままでいい」

 休憩をしていた班長や班員と目が合った。しかし、私なんかに対応するいとまが無い為、目を合わせるだけだったりすぐ目を逸らしたりした。
 予想以上の被害だ。前回の戦闘は、敵と対等、否こちらが優位だった。勿論、技術等の要因があるが、一番は用意の周到さだろう。捕虜奪還作戦は、連隊の幹部、幕僚が集まり余裕のある環境で立案されたものだ。
 対して今回は、不意急襲、一般的に言う奇襲。まともに作戦など立案できる訳がない。しかし、私の責任だ。私がもっと良い決断力と頭脳を持っていれば、少しは良い結果になったかもしれない。

「す、すみません。イリューシャンさんが、愛桜隊長と一緒にいると言うもので」

 私に追い付き、膝に手をついた鈴宮が、釈明した。

「凄いわね」

 現場を見たイリューシャンは、私よりも第一小隊の隊員達に興味を持った。

「死者は出たのですか?」

 イリューシャンは、真剣なあの眼差しを私に向ける。

「今のところは0ゼロだよ」
「本当ですか?!……あのイツミカ王国軍と戦って死者が0?」

 ビルブァターニは、イツミカ王国軍に対してそれなりの評価をしているのか。そういえば、さっき襲撃してきたイツミカ王国は、我々がどんな攻撃をしようとも怯みはしなかった。敵ながら天晴れと思ったものだ。

「あっ!中隊長!こちらに!」

 右腕に白地に赤十字を携えた、女性自衛官、WACが私を呼びつけた。彼女の元には、担架の上に寝そべった自衛官がいる。彼は、防弾チョッキの代わりに、包帯を腹に巻いている。
 何事かと、駆け寄った。

「すみません中隊長……こんな情けない姿を見せてしまって」
「黙って寝てて下さい」

 私がしゃがんだ瞬間に、寝そべっていた自衛官が上体を起こして申し訳なさそうにしたが、衛生がきつい物言いで制した。

「後送は?一杯だったの?」
「WAPCが一杯で後送出来なかったんです。そんな事より」

 すると、WACは、おもむろに傷病者の腹に巻かれた包帯をほどき始めた。

「ちょっと」

 何をしているのかと問おうと思ったが、それはめた。何故なら、包帯をどんなにほどいても、それが真っ白だからだ。しかし、彼は苦しんでいる。包帯は、主に止血や傷口の保護に使われる。打撲等では使用するには勿体ないし、気休め程度にしかならないだろう。
 遂に包帯は、彼の腹から離れた。

「……何で包帯を巻いていたの?」

 彼の腹は何ともなっていない。戦闘服すら穴が開いたり、焼けたりしていない。

「彼は、『ここが痛い、撃たれた』と言っているので、一応処置したんです。試しに指圧しましたが、凄い悶絶するだけで……」
「いきなり、ぎゅーって、ゴリラ並みの力で――」
「うるさい!」

 彼の方は、命には別条無い様だが奇妙だ。本人は撃たれたと訴えているのに、銃創が無いなんて。

「新渡戸さん。一体どうしました?」
「あっイリューシャン」

 私は、声を聞いてイリューシャンの存在を思い出した。振り返ったが、イリューシャンは後ろにいない。
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