穢れても壊れても君がいい

夢線香

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穢れて壊れてなくなっても (上所 専心)

37. 忘れないで

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 大学を卒業して五年が過ぎた。俺と由良茶は二十七歳になる。

 由良茶は俺の方が驚くくらい家に閉じ籠もり、俺と一緒じゃなければ決して外に出たがらなかった。


 今日は、由良茶の誕生日だ。


 仕事終わりに予約していたケーキ屋へ寄り、小さな丸いフルーツケーキを買って家へ急ぐ。


 最近の由良茶は、少しもの忘れが増えてきた。

 頭が痛いのだと訴えることもあった。


 病院に連れて行ったら、慢性外傷性脳症と診断された。分かりやすく言えばパンチドランカーと同じで、虐待に拠り何度も殴られたせいで脳が揺れて傷付いてしまっていたようだ。パーキンソン病、認知症と症状が似たようなものだと説明される。

 由良茶は、何度も殴られていて意識を失うことも何度かあったようだ。恐らく、脳震盪のうしんとうを起こしたこともあったのだろう。

 もの忘れが増えて、精神が不安定になると鬱になったり癇癪を起こしたり自傷や自殺をする危険があるみたいだ。それと、頭痛や吐き気もあるらしい。治るものではないと教えられる。

 由良茶が暴力を振るわれていたのは何年も前の話なのに、今頃になって何故。

 医者は、何年後に症状が出るのか定かではないのだと教えてくれた。

 医者が言うには、由良茶の精神は安定しているから薬を飲みながらこのままの生活を維持するのがベストだと言う。


 由良茶の中から記憶や思い出が忘れられて消えていく。


 大事な人ですら忘れてしまうこともあると言われて、それを聞いた時は愕然となった。


 由良茶を虐待し続けたあの三人に憎悪が湧く。


 由良茶の症状が酷くなる前に会社を辞めようと思う。と云うか、自宅で出来る仕事に変えるつもりだ。

 家に由良茶を一人で置いておけないし、施設に預けたくない。


「ただいま」

「おかえりなさい、専心くん!」


 家に入って声を掛ける。

 奥からパタパタと由良茶が小走りに出て来て俺に抱き着いて来た。

 由良茶を抱き締めながら、もう一度ただいまと耳に囁く。


「今日は、頭が痛くならなかった?」

「うん、平気」

「そっか」


 俺に抱き着いた由良茶の額にキスを落とす。

 由良茶は嬉しそうに笑う。


「由良茶の好きなフルーツケーキを買ってきたから夕飯の後で食べような」

「うん! でも、なんでケーキ?」

「――今日は、由良茶の誕生日だろ」

「……僕の……?……そうだっけ……?」


 本当に分からないと云うように首を傾げる由良茶。

 自分の誕生日を忘れている由良茶に切ない気持ちになりながら、それを隠して笑う。


「――なんだ。自分の誕生日を忘れてたのか」


 由良茶の腰を抱きながら着替える為に寝室へと移動する。

 脱いだスーツを由良茶がハンガーに掛けてくれる。部屋着に着替えた俺の腕に抱き着いてくる由良茶を連れてキッチンへ向かう。


「由良茶、今日は何が食べたい? 誕生日だからお前の好きなものを作ってやるぞ」


 ケーキを冷蔵庫にしまう由良茶に話し掛けながら手を洗う。


「食べたいもの……う~~ん……」


 悩みだした由良茶から、一向にリクエストが出て来ない。


「……専心くんの食べたいものがいい」


 由良茶は自分の食べたいものが思い付かず、俺に投げてよこす。

 由良茶は出会った頃から食に頓着しない。出されれば食べるといった感じだ。


「そうだなあ。じゃあ、ミートスパゲッティにするか。ハンバーグも付ける?」

「うん!」


 由良茶は、嬉しそうに頷いて無邪気に笑う。


「専心くん。今日は……ご褒美くれないの?」

「ああ、そうだったな」


 俺を伺うように覗き込んでくる由良茶に微笑む。

 いつも棚に置いてある小瓶から飴を一つ取り、包装紙を外して由良茶の口の中に放り込む。


「今日も一人で留守番できて偉いな、由良茶」


 由良茶の頭を撫でながら褒める。

 由良茶は、えヘヘと照れ笑いを浮かべた。


「由良茶、俺にお礼ちょうだい」


 俺が言うと由良茶はうんと頷いて俺の唇に、ちゅっとキスをする。


「ありがとな」


 俺が礼を言うと由良茶は嬉しそうに満面の笑顔になる。


 由良茶の中からどうしてもが消えなかった。

 だから、俺は飴とキスにをすり替えることにした。

 何度も繰り返しているうちに、由良茶の中のが飴とキスに変わる。

 飴はいつも同じ所に置いてあるのに、由良茶は自分では決して飴を取って食べることはなく、必ず俺から貰わないとならないものになったようだ。


 いつものルーティンを済ませて料理に取り掛かる。

 病院で診断をされてから、由良茶には一人で料理をしないように言ってある。火を扱うから危ない。

 由良茶は最初のうちは渋っていたが俺と一緒に料理をしようと伝えると嬉しそうに頷いた。


「じゃあ、デカい方の鍋出してくれる?」


 由良茶にお願いすると棚から大きな鍋を取り出して渡してくれる。受け取った鍋に水を入れながらパスタを出してとお願いする。

 由良茶は引き出しからパスタを取り出してくる。鍋を火に掛けながらあれ出して、それ取ってと頼むたびに嬉しそうに取り出す由良茶。

 二人でレタスを千切りながらサラダを作っていく。ハンバーグもミートソースも作り置きの冷凍したものがあるからパスタを茹でて付け合せを用意すればそれで終わりだ。

 長く茹でるタイプのパスタだから、サラダに付ける卵も一緒に入れてゆで卵にする。いいのか悪いのかは知らないけど面倒だからそうする。

 簡単に夕飯が出来上がり、由良茶と一緒に食べる。

 食後に珈琲を飲みながらケーキを食べる由良茶に尋ねた。


「由良茶。誕生日プレゼント、何がいい?」

「プレゼント……」


 由良茶が悩みだす。物欲のない由良茶には難しい質問なのかも知れない。

 あまり悩ませると頭が痛くなるかも知れないから助け舟を出す。


「お願いでもいいぞ。俺にして欲しい事とかはないの?」

「それなら、専心くんとずっと一緒にいたい」


 あっさりと即答する由良茶。
 
 本当に可愛いやつ。


「それは、もう叶ってるじゃないか」

「う~ん……でも専心くんは仕事に行くでしょう? 仕事に行っている間は一緒にいられない」


 由良茶の回答に思わず微笑んでしまう。


 そんなに俺と一緒にいたいのか。


「今、家で出来る仕事を探してるからもう少しすれば一緒にいられるよ。他にないの?」

「そうなの!? なら他にはないかな」


 俺に抱き着きながら嬉しそうに笑う由良茶。

 記憶が失くなったって、精神が安定していれば直ぐに死ぬわけじゃない。

 由良茶を抱き締めて頭を撫でる。

 無邪気に喜ぶ由良茶。

 幼い言動が多かった由良茶は少しずつ、更に言動が幼くなっていく。

 そんな様子だから毎晩一回だけするセックスの間隔を減らそうとしたら、由良茶はヒステリックに叫んで癇癪を起こし手が付けられなくなった。


 専心くんは、僕が嫌いになったのっ!?


 僕が汚いからイヤになったのっ!?


 僕を捨てる気なんでしょうっ!?


 そんなことを叫びながら泣き喚く由良茶を抱き締めて宥める。



 捨てたりなんかしない。


 どんな由良茶でも、由良茶がいいって言ってるだろ。


 俺が好きなのは由良茶だけだ。



 一向に泣き止まない由良茶を抱きながら何度も耳に由良茶がいいと吹き込んだ。

 由良茶から、俺との身体の繋がりを取り上げちゃダメなんだと分かった。

 俺とセックスする事が由良茶の精神安定に繋がっている。

 
 完璧に俺に依存している由良茶。

 俺の理想以上に可愛いくて、俺を滿足させてくれる由良茶。


 由良茶以上の存在なんかいない。

 穢れていようが壊れていようが関係ない。

 俺は、由良茶がいい。


 ただ、俺を忘れるような事にならなければいい。

 それが一番、俺にとってキツい。

 由良茶が他人を見るように俺を見るようになったりしたら……



 俺は、由良茶に忘れられる恐怖に脅える。
 














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