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3 婚約解消後にモトサヤ
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翌日もステイル様は来た。
でも何か言おうとして、言い淀んでは黙る。それを三日繰り返してきた。おまけに金貨だけはたんまりと置いていく。何しにきてんだか。
「そろそろお酒が底を尽きますね」
早朝、湯あみしながらふとヲルガが言った。
身体を洗いながら考える。
酒も尽きそうだが果実水ももう尽きる。
食糧はまだまだあるが、パンとか干し肉とか喉が渇く食べ物ばかりだ。
「……もう一度ステイル様と婚約しましょうか」
「え!?」
桶にくんだ湯を被る。
ほれ、とヲルガに固形石鹸を投げる。
「ちょ、お嬢様?」
「ちゃんと洗って出てきなさいよ」
この一週間程でステイル様が置いていった金貨は二百枚あまり。なにしてんだか。
「ねー、香油はどこだっけー?」
「棚に補充してありますよっ、部屋に入って右の棚ですっ」
「おー、あった、あった」
体を拭いてガウンを着る。
頭にタオルを巻いて伸びをする。
部屋に風をいれようと窓を開けると棒立ちしたステイル様がいた。
「──ッ!? ろ、」
現在朝の六時だ。
目を見開くと、ステイル様は瞬時にしゃがみこんだが、しゃがみこんでも頭が見えている。
おまけにしゃがんだ瞬間、盛大に金貨の音がした。それはもう、ざっくざくと。
ほんとなにしてんだか……。
『奪うという概念を捨てろ、完全に切り離すのではなく分け与える、互いに共有するという優しい気持ちを持て』
奪う、完全に切り離す──それよりも、分け与える、互いに共有する、か……。
窓の枠に肘をついて声をかける。
「もしもーし」
「ッ!?」
「何してるんですか、とくにこの三日間」
「いや、その……あまり五月蝿くすると……また顔を見せないと言われそうで……」
「…………もしかしてそれでこの三日間、何も言ってこなかったんですか?」
「……ぁあ」
ステイル様は顔を上げて、瞬時にまた下ろした。
「……服を、着てくれ。夏とはいえ風邪をひいてしまう」
「まだ早朝とはいえ外で日差しにあたっているステイル様の方が倒れてしまうでしょう」
「……?」
「裏口の方に日除けがあります。そこに小さなテーブルと一脚だけ椅子があります。身支度してきますので、そこに座って待っていて下さい」
収納から最後の一杯である果実水の瓶をステイル様に渡す。
「……ロ、ローズ?」
パタンと窓を閉める。
数秒後、重たげな足音が遠ざかっていった。
ため息をついて振り返ると頭をわしゃわしゃと拭くヲルガが口を尖らせた。
「……冷静になっていましたね」
「ステイル様が? それはよかった」
「お茶会の準備をします」
「うん。私は身支度してくるわ」
軽装ではあるが失礼にはならない程度にメイクを施し、ワンピースを着てステイル様を家に招き入れた。
窓から流れてくるそよ風が気持ちいい。
私は肩の力を抜いて強張るステイル様に笑いかけた。
「今回の婚約解消に伴うゴタゴタで、お父様は何か誤解があるなら冷静に話し合う事も必要だと判断したのですが、閣下は私兵を出動させたり、当家を囲ったりで、おまけに先日のドタバタを見る限りステイル様も冷静さを失っていたようでしたので、こうやって私も周りが一旦落ち着くのを待っていたんです。今ならお互い冷静に話し合いができそうですね」
「…………すまない。本当に……すまない」
ステイル様が頭を下げる。
私は恐縮してる空気を醸し出す。
ヲルガが紅茶を運んできた。その顔は私に対して「嘘くせー」と笑いを堪えていた。
「ステイル様、顔を上げて下さい。ここからは商談です」
「……え?」
顔を上げたステイル様がハッと思い出したように慌てて金貨を五枚、机に置いた。
いや、そういう事ではないのだが。
とりあえずその金貨をヲルガに渡し、先日のステイル様の失言を無かったことにするようにと言った。
「別に構いません。公爵令息が男爵令嬢にクビだと言ったことなら、もう忘れました」
「いや、許さないでくれ。本当に失言だった。すまない」
「ヲルガは根に持つタイプですが、絡み合った根は太陽の如く輝く金貨に焦がれて地中から笑顔を出さずにはいられないでしょう」
その通りだとにっこりと笑ったヲルガが頭を下げた。
「え……えっ? ……わかった」
意味不明でもいいのだ。
私だって自分で言った言葉に意味などないのだから。謝罪がなされ和解が成立する。これはただの様式美だ。
「それでステイル様、本題ですが」
「あっ、ああ……そのことなんだが、私はローズを愛しているっ……できることならもう一度婚約して欲しいが……無理強いはしない」
「その前に、クルメ嬢との関係は精算されましたか?」
「……それは……彼女は妊娠などしていなかった……それが発覚して、そういえば私は、学園でクルメ嬢に付きまとわれたり、いきなり私の乗る馬車に乱入して抱き付いてくるクルメ嬢に注意はしたが、彼女との接触はそれだけだと、というか抱くどころかキスや手を繋いだこともない相手に妊娠したと言われて何故あんなに喜んだのか、疑問を持つようになったのだ」
「……………………」
ギギギ、とぎこちなくヲルガを見る。
軽く頷かれた。嘘は言っていないようだ。
「それより前の話になるが……私は父上に報告した。クルメ嬢を愛してしまった、その彼女が妊娠した、だからローズと婚約解消してクルメ嬢と結婚したいと……父上は顔中に青筋を立ててクルメ嬢を引っ捕らえた。クルメ嬢が魔力持ちではなかったことから、魔法や武器による魅了の類いではないと判断が下され、クルメ嬢は保釈された。保釈金を払ったのはオメロン伯爵、君の父上だ」
「えっ」
「私が父上に婚約解消を伝えた、そのことは君抜きで両家で話し合いがなされていた。私の父上は魔力持ちでなくともこのまま拘束すべきだと言ったが、伯爵はクルメ嬢を尋問すると言った。……娘の婚約者に粉をかけ、娘の名誉を汚された、そう言われれば、父上は反対できなかった。その時の私は……クルメ嬢のお腹の子が心配で仕方なかった。理由はわからない」
「………………」
ステイル様が項垂れる。
ヲルガがそっと私に耳打ちしてきた。
(マジ?)
(はい)
クルメ嬢は、あと何日寝たら破産だろうとヲルガが指折り楽しみにしている貴族令嬢の一人だった。
クルメ・ヒヤセンス伯爵令嬢。
いつも学園指定の制服も靴も履かずに、ドレスを着て宝石を身に付けている。浪費家で有名だが、それ以外の情報は知らない。
「えーっと……ステイル様?」
「うん?」
顔を上げたステイル様が力なく笑った。
「ステイル様は、クルメ嬢を愛していない、おまけに抱いてもいない、ということでよろしいでしょうか?」
「あぁ……愛しているのはローズだけだ」
「私を愛しているのですか?」
「……ああ。何故だか私は、クルメ嬢の妊娠が虚言だと解り、クルメ嬢を愛していないと気付いた瞬間、魔力を暴発させたんだ……そのあと目覚めたら、今まで殆ど無関心だったローズへの想いが雪崩のように心に降りかかってきて、そこでまた思い出した。ローズに婚約を打診した理由を」
「……理由?」
それは付与魔法持ちだからでは?
「中等部でローズを見掛けた時に一目惚れして、父上に婚約したいと頼んだんだ。調べたところ君は付与魔法持ちだったから、父上はそれはもう喜んでオメロン伯爵家と縁を結んだ。結婚して男子が生まれたら、子がまだ幼い内に自分の持つ闘神化の能力を移したいと、だから必ずローズを大切にしろと、いつも私に言っていた」
頬がひきつりそうになる。
……闘神化。
闘神なら自身を身体強化できるが、闘神化なら身体強化は勿論、敵や魔獣を威圧したり、おまけにその能力で一時的に周りの兵も強化できる、好戦的な国ならその能力があるだけで平民でも即騎士団長に昇進できる凄い能力だ。
「……ま、まぁ、そうでしたの。閣下は素晴らしい方ですのね。私の付与魔法など、儲け話に使われる事が多いのに、閣下は国や孫の未来を真摯に考えておられるのね」
「ああ。私はクズだが、父上は素晴らしい人だ。それに善悪を正す為なら王家にすら歯向かう人だ。きっといつか、この訳の解らない事態を紐解き、なにが真実でなにが嘘だったかを暴いてくれる。それに私には謎解きの武器がある。冷静になって、何故このような事になったのか、きちんと考えてみるよ」
「っ、」
「ローズの父上は……尋問では何もえられなかったそうだが、クルメ嬢の家に多額の出資をしているらしく、娘の名誉を傷つけたクルメ嬢をどこかに送って労働させると言っていた。どこかは知らないがいまその建物の内装を工事しているらしい」
うん、それ娼館ですね。
お父様……絶対なんかしたじゃん。
あれはただの銭ゲバなのだ。私の為にクルメ嬢を金払ってまで尋問するような人じゃない。
ヲルガを見る。
いつの間にか片手にスリッパを握り締めている。そうね、ほんと、あの時ひっぱたいてやればよかったのよ!
「周りはみんなローズの名誉の為に動いているのだ。だから私も……その、せめてローズの気が済むまで……いくらでも渡すし、いくらでも緩衝材になるつもりだ」
「……ではステイル様、再び私と婚約しませんか?」
「え」
冷静さを失ったようにずるっとステイル様の肩がずれた。座ったままずっこけた体勢だ。
「……な、何故……」
「クルメ嬢は嘘つきでしたが、ステイル様は嘘をついているように思えませんし、それに私はステイル様をお慕いしております」
「……へっ? ローズ?」
ヲルガがお盆を盾に顔を隠した。
笑うな。明日は我が身だぞ。
「……お嬢様ッ! ずっとお嬢様がお慕いしていたステイル様にやっと、やっと愛してるの言葉が贈られましたね! このヲルガ、感無量でございます!」
「……そう」
体中をふるわせ崩れ落ちたヲルガを足で蹴る。テーブルの下で。ステイル様には見えないように。
「ステイル様。ずっと通ってくれたのに冷たくしてごめんなさいね。クルメ嬢が妻になる私より先に妊娠したと聞いて、やきもち妬いちゃったの」
「……ロ、ローズ! 大丈夫、私は童貞だ!」
「よかった。ステイル様と婚約解消したことを、ずっと後悔してたんです」
「っ、ロー……ズ……っっ、」
「ステイル様……お慕いしております」
ステイル様は次の瞬間、感激の涙を流した。
声には出さず、顔を苦しげに歪めて。
頬をつたう涙を見て、なんて美しいんだろうと──私はいつの間にか吸い寄せられるように椅子から立ち上がっていた。
「そこまでよっ」
窓から聞こえてきた声に見るとクルメ嬢がいた。薄汚れた顔に、何故か学園指定の制服を身に纏っていた。
「お前っ……」
「オメロン伯爵令嬢! あんたのせいよ!」
「は」
ステイル様が立ち上がって私の横にきた。
「全部あんたのせいよ! なんであたしがこんなだっさい制服を着させられて娼、」
そこでクルメ嬢は背後から素早く伸びてきた手に口を塞がれた。
「んーっ、んーっ!!!」
クルメ嬢の口を塞ぐ手、その中指にはオメロン伯爵家の紋章が刻まれた指輪がはめられていた。
……お父様だ。
「全く……逃げおって」
「伯爵? これは……一体?」
「やあ、ステイル君。顔色がいいね。もしかして私の助言が効いたかい?」
「んぅー、んううぅぅ!」
お父様はクルメ嬢にガブッと指を噛まれて、反射的に手を離した。お父様の頭からハットが落ちる。
「っ、この銭ゲバ伯爵! なんであたしがイヴァン侯に買、」
そこでバチン!とお父様から振り落とされた手にクルメ嬢の体が吹っ飛んだ。
「私の娘の名誉を汚しておいて、その償いもせず逃げるとは、苦渋の決断をしたヒヤセンス伯爵が泣くぞ!」
クルメ嬢は窓枠に仰向けで着地。白眼なクルメ嬢。死んでないよね? 色々怖すぎるんですけど。
(お嬢様~……だから逃げましょうって言ったじゃないですかぁ)
(……時既に遅し、よ)
「ローズ! おお、私の可愛いローズ! 怪我はなかったかい!」
アイスブルーの髪に一切の光が感じられない真っ黒な目。それなりに整った顔立ちなのだが、神経質そうなキレ長の大きな眼と、薄く青白い唇がこれ以上にないほど軽薄な雰囲気を醸し出している、私のお父様。それが笑顔全開で両腕をひろげて抱擁を求めてくる。恐怖しかない。
「あ、はい、大丈夫です」
「そんなに怯えて! よほど怖いおもいをしたんだね!」
「あ、はい、怖すぎて体が動きません」
「そうかそうか! 到着するのが遅くなってすまなかったね!」
お父様は窓枠に足を立ててこちらに向かってきた。ヲルガが後退する。ずるい。私だって逃げたい。
がばぁっと抱き締められて、恐怖しかない。
(──で、どうなった?)
耳元で低く冷血な声が聞こえた。
いつものお父様だ。
(ステイル様と再度婚約します)
(よし、まだまだ稼げそうだ)
(あんたマジで何したんですか?)
(心外だ。借金を踏み倒そうとした者にかける情けはない)
(いや、クルメ嬢じゃなくてステイル様に)
(…………クク)
なんだその嘲笑いは。
……絶対なんかしてる。
大勢の騎士達がこちらに向かってくるのが窓から見えた。
閣下の私兵だ。鎧が刻む足音がものものしい。恐怖しかない。
(まさか公爵家から断罪されるようなことは)
(それはない。万が一に罪を挙げられてもお前に擦り付ければ済む)
(……相変わらずですね)
でも何か言おうとして、言い淀んでは黙る。それを三日繰り返してきた。おまけに金貨だけはたんまりと置いていく。何しにきてんだか。
「そろそろお酒が底を尽きますね」
早朝、湯あみしながらふとヲルガが言った。
身体を洗いながら考える。
酒も尽きそうだが果実水ももう尽きる。
食糧はまだまだあるが、パンとか干し肉とか喉が渇く食べ物ばかりだ。
「……もう一度ステイル様と婚約しましょうか」
「え!?」
桶にくんだ湯を被る。
ほれ、とヲルガに固形石鹸を投げる。
「ちょ、お嬢様?」
「ちゃんと洗って出てきなさいよ」
この一週間程でステイル様が置いていった金貨は二百枚あまり。なにしてんだか。
「ねー、香油はどこだっけー?」
「棚に補充してありますよっ、部屋に入って右の棚ですっ」
「おー、あった、あった」
体を拭いてガウンを着る。
頭にタオルを巻いて伸びをする。
部屋に風をいれようと窓を開けると棒立ちしたステイル様がいた。
「──ッ!? ろ、」
現在朝の六時だ。
目を見開くと、ステイル様は瞬時にしゃがみこんだが、しゃがみこんでも頭が見えている。
おまけにしゃがんだ瞬間、盛大に金貨の音がした。それはもう、ざっくざくと。
ほんとなにしてんだか……。
『奪うという概念を捨てろ、完全に切り離すのではなく分け与える、互いに共有するという優しい気持ちを持て』
奪う、完全に切り離す──それよりも、分け与える、互いに共有する、か……。
窓の枠に肘をついて声をかける。
「もしもーし」
「ッ!?」
「何してるんですか、とくにこの三日間」
「いや、その……あまり五月蝿くすると……また顔を見せないと言われそうで……」
「…………もしかしてそれでこの三日間、何も言ってこなかったんですか?」
「……ぁあ」
ステイル様は顔を上げて、瞬時にまた下ろした。
「……服を、着てくれ。夏とはいえ風邪をひいてしまう」
「まだ早朝とはいえ外で日差しにあたっているステイル様の方が倒れてしまうでしょう」
「……?」
「裏口の方に日除けがあります。そこに小さなテーブルと一脚だけ椅子があります。身支度してきますので、そこに座って待っていて下さい」
収納から最後の一杯である果実水の瓶をステイル様に渡す。
「……ロ、ローズ?」
パタンと窓を閉める。
数秒後、重たげな足音が遠ざかっていった。
ため息をついて振り返ると頭をわしゃわしゃと拭くヲルガが口を尖らせた。
「……冷静になっていましたね」
「ステイル様が? それはよかった」
「お茶会の準備をします」
「うん。私は身支度してくるわ」
軽装ではあるが失礼にはならない程度にメイクを施し、ワンピースを着てステイル様を家に招き入れた。
窓から流れてくるそよ風が気持ちいい。
私は肩の力を抜いて強張るステイル様に笑いかけた。
「今回の婚約解消に伴うゴタゴタで、お父様は何か誤解があるなら冷静に話し合う事も必要だと判断したのですが、閣下は私兵を出動させたり、当家を囲ったりで、おまけに先日のドタバタを見る限りステイル様も冷静さを失っていたようでしたので、こうやって私も周りが一旦落ち着くのを待っていたんです。今ならお互い冷静に話し合いができそうですね」
「…………すまない。本当に……すまない」
ステイル様が頭を下げる。
私は恐縮してる空気を醸し出す。
ヲルガが紅茶を運んできた。その顔は私に対して「嘘くせー」と笑いを堪えていた。
「ステイル様、顔を上げて下さい。ここからは商談です」
「……え?」
顔を上げたステイル様がハッと思い出したように慌てて金貨を五枚、机に置いた。
いや、そういう事ではないのだが。
とりあえずその金貨をヲルガに渡し、先日のステイル様の失言を無かったことにするようにと言った。
「別に構いません。公爵令息が男爵令嬢にクビだと言ったことなら、もう忘れました」
「いや、許さないでくれ。本当に失言だった。すまない」
「ヲルガは根に持つタイプですが、絡み合った根は太陽の如く輝く金貨に焦がれて地中から笑顔を出さずにはいられないでしょう」
その通りだとにっこりと笑ったヲルガが頭を下げた。
「え……えっ? ……わかった」
意味不明でもいいのだ。
私だって自分で言った言葉に意味などないのだから。謝罪がなされ和解が成立する。これはただの様式美だ。
「それでステイル様、本題ですが」
「あっ、ああ……そのことなんだが、私はローズを愛しているっ……できることならもう一度婚約して欲しいが……無理強いはしない」
「その前に、クルメ嬢との関係は精算されましたか?」
「……それは……彼女は妊娠などしていなかった……それが発覚して、そういえば私は、学園でクルメ嬢に付きまとわれたり、いきなり私の乗る馬車に乱入して抱き付いてくるクルメ嬢に注意はしたが、彼女との接触はそれだけだと、というか抱くどころかキスや手を繋いだこともない相手に妊娠したと言われて何故あんなに喜んだのか、疑問を持つようになったのだ」
「……………………」
ギギギ、とぎこちなくヲルガを見る。
軽く頷かれた。嘘は言っていないようだ。
「それより前の話になるが……私は父上に報告した。クルメ嬢を愛してしまった、その彼女が妊娠した、だからローズと婚約解消してクルメ嬢と結婚したいと……父上は顔中に青筋を立ててクルメ嬢を引っ捕らえた。クルメ嬢が魔力持ちではなかったことから、魔法や武器による魅了の類いではないと判断が下され、クルメ嬢は保釈された。保釈金を払ったのはオメロン伯爵、君の父上だ」
「えっ」
「私が父上に婚約解消を伝えた、そのことは君抜きで両家で話し合いがなされていた。私の父上は魔力持ちでなくともこのまま拘束すべきだと言ったが、伯爵はクルメ嬢を尋問すると言った。……娘の婚約者に粉をかけ、娘の名誉を汚された、そう言われれば、父上は反対できなかった。その時の私は……クルメ嬢のお腹の子が心配で仕方なかった。理由はわからない」
「………………」
ステイル様が項垂れる。
ヲルガがそっと私に耳打ちしてきた。
(マジ?)
(はい)
クルメ嬢は、あと何日寝たら破産だろうとヲルガが指折り楽しみにしている貴族令嬢の一人だった。
クルメ・ヒヤセンス伯爵令嬢。
いつも学園指定の制服も靴も履かずに、ドレスを着て宝石を身に付けている。浪費家で有名だが、それ以外の情報は知らない。
「えーっと……ステイル様?」
「うん?」
顔を上げたステイル様が力なく笑った。
「ステイル様は、クルメ嬢を愛していない、おまけに抱いてもいない、ということでよろしいでしょうか?」
「あぁ……愛しているのはローズだけだ」
「私を愛しているのですか?」
「……ああ。何故だか私は、クルメ嬢の妊娠が虚言だと解り、クルメ嬢を愛していないと気付いた瞬間、魔力を暴発させたんだ……そのあと目覚めたら、今まで殆ど無関心だったローズへの想いが雪崩のように心に降りかかってきて、そこでまた思い出した。ローズに婚約を打診した理由を」
「……理由?」
それは付与魔法持ちだからでは?
「中等部でローズを見掛けた時に一目惚れして、父上に婚約したいと頼んだんだ。調べたところ君は付与魔法持ちだったから、父上はそれはもう喜んでオメロン伯爵家と縁を結んだ。結婚して男子が生まれたら、子がまだ幼い内に自分の持つ闘神化の能力を移したいと、だから必ずローズを大切にしろと、いつも私に言っていた」
頬がひきつりそうになる。
……闘神化。
闘神なら自身を身体強化できるが、闘神化なら身体強化は勿論、敵や魔獣を威圧したり、おまけにその能力で一時的に周りの兵も強化できる、好戦的な国ならその能力があるだけで平民でも即騎士団長に昇進できる凄い能力だ。
「……ま、まぁ、そうでしたの。閣下は素晴らしい方ですのね。私の付与魔法など、儲け話に使われる事が多いのに、閣下は国や孫の未来を真摯に考えておられるのね」
「ああ。私はクズだが、父上は素晴らしい人だ。それに善悪を正す為なら王家にすら歯向かう人だ。きっといつか、この訳の解らない事態を紐解き、なにが真実でなにが嘘だったかを暴いてくれる。それに私には謎解きの武器がある。冷静になって、何故このような事になったのか、きちんと考えてみるよ」
「っ、」
「ローズの父上は……尋問では何もえられなかったそうだが、クルメ嬢の家に多額の出資をしているらしく、娘の名誉を傷つけたクルメ嬢をどこかに送って労働させると言っていた。どこかは知らないがいまその建物の内装を工事しているらしい」
うん、それ娼館ですね。
お父様……絶対なんかしたじゃん。
あれはただの銭ゲバなのだ。私の為にクルメ嬢を金払ってまで尋問するような人じゃない。
ヲルガを見る。
いつの間にか片手にスリッパを握り締めている。そうね、ほんと、あの時ひっぱたいてやればよかったのよ!
「周りはみんなローズの名誉の為に動いているのだ。だから私も……その、せめてローズの気が済むまで……いくらでも渡すし、いくらでも緩衝材になるつもりだ」
「……ではステイル様、再び私と婚約しませんか?」
「え」
冷静さを失ったようにずるっとステイル様の肩がずれた。座ったままずっこけた体勢だ。
「……な、何故……」
「クルメ嬢は嘘つきでしたが、ステイル様は嘘をついているように思えませんし、それに私はステイル様をお慕いしております」
「……へっ? ローズ?」
ヲルガがお盆を盾に顔を隠した。
笑うな。明日は我が身だぞ。
「……お嬢様ッ! ずっとお嬢様がお慕いしていたステイル様にやっと、やっと愛してるの言葉が贈られましたね! このヲルガ、感無量でございます!」
「……そう」
体中をふるわせ崩れ落ちたヲルガを足で蹴る。テーブルの下で。ステイル様には見えないように。
「ステイル様。ずっと通ってくれたのに冷たくしてごめんなさいね。クルメ嬢が妻になる私より先に妊娠したと聞いて、やきもち妬いちゃったの」
「……ロ、ローズ! 大丈夫、私は童貞だ!」
「よかった。ステイル様と婚約解消したことを、ずっと後悔してたんです」
「っ、ロー……ズ……っっ、」
「ステイル様……お慕いしております」
ステイル様は次の瞬間、感激の涙を流した。
声には出さず、顔を苦しげに歪めて。
頬をつたう涙を見て、なんて美しいんだろうと──私はいつの間にか吸い寄せられるように椅子から立ち上がっていた。
「そこまでよっ」
窓から聞こえてきた声に見るとクルメ嬢がいた。薄汚れた顔に、何故か学園指定の制服を身に纏っていた。
「お前っ……」
「オメロン伯爵令嬢! あんたのせいよ!」
「は」
ステイル様が立ち上がって私の横にきた。
「全部あんたのせいよ! なんであたしがこんなだっさい制服を着させられて娼、」
そこでクルメ嬢は背後から素早く伸びてきた手に口を塞がれた。
「んーっ、んーっ!!!」
クルメ嬢の口を塞ぐ手、その中指にはオメロン伯爵家の紋章が刻まれた指輪がはめられていた。
……お父様だ。
「全く……逃げおって」
「伯爵? これは……一体?」
「やあ、ステイル君。顔色がいいね。もしかして私の助言が効いたかい?」
「んぅー、んううぅぅ!」
お父様はクルメ嬢にガブッと指を噛まれて、反射的に手を離した。お父様の頭からハットが落ちる。
「っ、この銭ゲバ伯爵! なんであたしがイヴァン侯に買、」
そこでバチン!とお父様から振り落とされた手にクルメ嬢の体が吹っ飛んだ。
「私の娘の名誉を汚しておいて、その償いもせず逃げるとは、苦渋の決断をしたヒヤセンス伯爵が泣くぞ!」
クルメ嬢は窓枠に仰向けで着地。白眼なクルメ嬢。死んでないよね? 色々怖すぎるんですけど。
(お嬢様~……だから逃げましょうって言ったじゃないですかぁ)
(……時既に遅し、よ)
「ローズ! おお、私の可愛いローズ! 怪我はなかったかい!」
アイスブルーの髪に一切の光が感じられない真っ黒な目。それなりに整った顔立ちなのだが、神経質そうなキレ長の大きな眼と、薄く青白い唇がこれ以上にないほど軽薄な雰囲気を醸し出している、私のお父様。それが笑顔全開で両腕をひろげて抱擁を求めてくる。恐怖しかない。
「あ、はい、大丈夫です」
「そんなに怯えて! よほど怖いおもいをしたんだね!」
「あ、はい、怖すぎて体が動きません」
「そうかそうか! 到着するのが遅くなってすまなかったね!」
お父様は窓枠に足を立ててこちらに向かってきた。ヲルガが後退する。ずるい。私だって逃げたい。
がばぁっと抱き締められて、恐怖しかない。
(──で、どうなった?)
耳元で低く冷血な声が聞こえた。
いつものお父様だ。
(ステイル様と再度婚約します)
(よし、まだまだ稼げそうだ)
(あんたマジで何したんですか?)
(心外だ。借金を踏み倒そうとした者にかける情けはない)
(いや、クルメ嬢じゃなくてステイル様に)
(…………クク)
なんだその嘲笑いは。
……絶対なんかしてる。
大勢の騎士達がこちらに向かってくるのが窓から見えた。
閣下の私兵だ。鎧が刻む足音がものものしい。恐怖しかない。
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「何故? 陛下の望むままなさればよろしい」
「余は、そなたを愛しているのだ。愛するものにそのような仕打ち、到底考えられぬ」
途端、王妃の嘲る笑い声が響く。
「畜生にも劣る陛下が、愛を騙るなどおこがましいですわね」
王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る
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