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Spring Season
第3投
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「どう火だるまになった感想は?」
その後のピッチングは散々なものだった。スリーベースを打たれた久留実は完全に集中が切れていた。
セットポジションになり、制球力が安定せず、二者連続四球で塁上を埋める。
ストライクが欲しくて腕を振ることが出来ずに甘いボールをヒットされた。
それから投げる球は全てボー球と化し打たれに打たれまくったのだ。
――あとアウト一つがこんなに遠いなんて……。
マウンドに立ちすくむ久留実にりかこは少しずつ近づいてくる。
「やっぱりダメでした。すみません練習の邪魔して、私もう帰ります」
――そうだ、こんな思いを二度と味わいたくなかったから、私は野球を辞めたんだ。
ピッチャーとしてイニングの途中でマウンドを降りるのは一番つらい。
久留実はマウンドを早足でおりていく。
「待ちなさい」
りかこの呼びかけに振り返った。
「あなたが野球に対してどう向き合ってきたかなんとなく分かったわ。本当にやる気があるなら明日講義が終わったら河川敷のグラウンドに来なさい」
「……」
何も言えなかった。拳の中の爪が突き刺さる。
「咲坂さんみんな待ってるからね」
「また勝負しよーZe♪」
被っていた帽子を深く被りなおした。
涙を隠してグラウンドを去る久留実を先輩たちは笑顔で見送ってくれた。
大学生の朝は意外に早い。特に一限があるときなんて八時前には家を出なくては間に合わない。
久留実は時間ギリギリまで寝ていたいタイプなのだ。
スマホのアラームについているスヌーズ機能をフルに活用して二度寝三度寝を繰り返す。しかし今日は違った。朝目覚めえよく起きる。体は筋肉痛でバキバキになっていた。向背筋に始まり肩甲骨周り、三頭筋、上腕二等筋、肘、手首が若干重く感じた。普段なら食べない朝食を食べていると父が驚いたようにコーヒーを淹れてくれた。
「なにかいいことあった?」と聞いてきたから笑顔で「別に」と返す。
昨日まですかすかだったバックの中は、パンパンにふくらみ左肩にかけたバッグが少し食い込んでいる。
いつもより五分早い電車に乗り、大学の最寄駅まで一度も席に座らなかった。スクールバスを待つ時間も待ち遠しく思いながら本を開くと肩を叩かれ振り返るとあんこが立っていた。
「おはよう。今日も絶好の野球日和だね」
「そうですね」
「ちょっと。敬語禁止だってば、くるみちゃん」
あんこは、スクールバスが到着して大学までの道のりの間、この調子でずっと野球の話しをしていた。昨日の巨人の試合見たとかメジャーリーグのこととか、女子プロ野球のすごい選手の情報とかいろいろ尽きることがない。久留実は相槌をうつのも疲れてきて、こんなに朝から飛ばして大丈夫かと心配するくらいだった。
一限の経営学基礎の時間、予想した通りあんこはイスに座ったと同時に居睡りをはじめた。
一度もノートをとることなく終わりのチャイムで起きて真っ白なノートを見てのん気に笑う。
「くるみちゃん。部活終わったらノート見せて」
「次は起きてようね」
「はーいはいはーい」
反省しているのか、いや絶対反省なんてしてないだろう。あんこは悪びれることもなく、ノートにバッターの絵を描き始めた。絵心はある程度あるようだ。24時間365日野球のことを考えそれだけで楽しそうにしている彼女を見て複雑な気持ちになる。
久留実は高校生のとき全国大会をかけて戦った試合で大きなミスをしてしまった。それがきっかけで野球を離れなんとなく普通のJKが送る、例えば友達とSNS映えしそうな喫茶店に言ったり、アニメの聖地巡礼をしたり、昨日のドラマの感想を言い合ったり……そんな日々を生きてきた。
編入先の高校でチームメイトの活躍を耳にするたびこんなことをしていていいのか、といつももやもやした気持ちに支配され、気が付けばほとんどのことに無関心で物事の深い意味など考えなかった。だからあんこの迷いがない寝顔を見ていると胸がむず痒くなる。
あんこは、次の講義もそのまま終わるまで起きることはなく、お昼のチャイムが鳴ると久留実の手を引き一目散に学食へ向かう。
「おばちゃんカツカレー大盛りで!」
「はいよ、あんこちゃん。一枚おまけしといたよ」
「ありがとう! いっぱい食べて大きくなるね!」
このコミュ力モンスター、入学してまだ一か月も経ってないのにもう学食のおばちゃんたちと仲良くなっている。
「いただきまーす」
大盛りのカツカレーをすごい勢いで食べていた。
「あーくるみちゃん小食なのー?」
「あーうんそう、ハハハ……」
久留実のファミコンのカセット並みに小さいお弁当に文句をつけながら先に食べ終わるのだからすごい。
「くるみちゃん。しっかり食べないと練習でバテるよ」
「そうかもだけど。ほら周りの目とか……あんこ気にならないの?」
口にカレーの後がついていて躊躇なく手でこすって拭いたあんこは首を傾げている。
「くるみちゃん! そんなこと言ってたら神宮大会でどうやって活躍するの? 関係ないよ」
「神宮大会って」
高校野球の聖地が甲子園なら大学野球の聖地は、神宮球場だ。
――おじいちゃんもプレーしていた場所だ。
「さあ着替えて部活に行こう。案内するよ」
チャイムがなったと同時にあんこと共にとび出した。
「ちょっと待ってあんこ」
「はーやーくー」
これから始まる野球に少しの不安と希望を抱いて、久留実はあんこの背中を追いかけた。
その後のピッチングは散々なものだった。スリーベースを打たれた久留実は完全に集中が切れていた。
セットポジションになり、制球力が安定せず、二者連続四球で塁上を埋める。
ストライクが欲しくて腕を振ることが出来ずに甘いボールをヒットされた。
それから投げる球は全てボー球と化し打たれに打たれまくったのだ。
――あとアウト一つがこんなに遠いなんて……。
マウンドに立ちすくむ久留実にりかこは少しずつ近づいてくる。
「やっぱりダメでした。すみません練習の邪魔して、私もう帰ります」
――そうだ、こんな思いを二度と味わいたくなかったから、私は野球を辞めたんだ。
ピッチャーとしてイニングの途中でマウンドを降りるのは一番つらい。
久留実はマウンドを早足でおりていく。
「待ちなさい」
りかこの呼びかけに振り返った。
「あなたが野球に対してどう向き合ってきたかなんとなく分かったわ。本当にやる気があるなら明日講義が終わったら河川敷のグラウンドに来なさい」
「……」
何も言えなかった。拳の中の爪が突き刺さる。
「咲坂さんみんな待ってるからね」
「また勝負しよーZe♪」
被っていた帽子を深く被りなおした。
涙を隠してグラウンドを去る久留実を先輩たちは笑顔で見送ってくれた。
大学生の朝は意外に早い。特に一限があるときなんて八時前には家を出なくては間に合わない。
久留実は時間ギリギリまで寝ていたいタイプなのだ。
スマホのアラームについているスヌーズ機能をフルに活用して二度寝三度寝を繰り返す。しかし今日は違った。朝目覚めえよく起きる。体は筋肉痛でバキバキになっていた。向背筋に始まり肩甲骨周り、三頭筋、上腕二等筋、肘、手首が若干重く感じた。普段なら食べない朝食を食べていると父が驚いたようにコーヒーを淹れてくれた。
「なにかいいことあった?」と聞いてきたから笑顔で「別に」と返す。
昨日まですかすかだったバックの中は、パンパンにふくらみ左肩にかけたバッグが少し食い込んでいる。
いつもより五分早い電車に乗り、大学の最寄駅まで一度も席に座らなかった。スクールバスを待つ時間も待ち遠しく思いながら本を開くと肩を叩かれ振り返るとあんこが立っていた。
「おはよう。今日も絶好の野球日和だね」
「そうですね」
「ちょっと。敬語禁止だってば、くるみちゃん」
あんこは、スクールバスが到着して大学までの道のりの間、この調子でずっと野球の話しをしていた。昨日の巨人の試合見たとかメジャーリーグのこととか、女子プロ野球のすごい選手の情報とかいろいろ尽きることがない。久留実は相槌をうつのも疲れてきて、こんなに朝から飛ばして大丈夫かと心配するくらいだった。
一限の経営学基礎の時間、予想した通りあんこはイスに座ったと同時に居睡りをはじめた。
一度もノートをとることなく終わりのチャイムで起きて真っ白なノートを見てのん気に笑う。
「くるみちゃん。部活終わったらノート見せて」
「次は起きてようね」
「はーいはいはーい」
反省しているのか、いや絶対反省なんてしてないだろう。あんこは悪びれることもなく、ノートにバッターの絵を描き始めた。絵心はある程度あるようだ。24時間365日野球のことを考えそれだけで楽しそうにしている彼女を見て複雑な気持ちになる。
久留実は高校生のとき全国大会をかけて戦った試合で大きなミスをしてしまった。それがきっかけで野球を離れなんとなく普通のJKが送る、例えば友達とSNS映えしそうな喫茶店に言ったり、アニメの聖地巡礼をしたり、昨日のドラマの感想を言い合ったり……そんな日々を生きてきた。
編入先の高校でチームメイトの活躍を耳にするたびこんなことをしていていいのか、といつももやもやした気持ちに支配され、気が付けばほとんどのことに無関心で物事の深い意味など考えなかった。だからあんこの迷いがない寝顔を見ていると胸がむず痒くなる。
あんこは、次の講義もそのまま終わるまで起きることはなく、お昼のチャイムが鳴ると久留実の手を引き一目散に学食へ向かう。
「おばちゃんカツカレー大盛りで!」
「はいよ、あんこちゃん。一枚おまけしといたよ」
「ありがとう! いっぱい食べて大きくなるね!」
このコミュ力モンスター、入学してまだ一か月も経ってないのにもう学食のおばちゃんたちと仲良くなっている。
「いただきまーす」
大盛りのカツカレーをすごい勢いで食べていた。
「あーくるみちゃん小食なのー?」
「あーうんそう、ハハハ……」
久留実のファミコンのカセット並みに小さいお弁当に文句をつけながら先に食べ終わるのだからすごい。
「くるみちゃん。しっかり食べないと練習でバテるよ」
「そうかもだけど。ほら周りの目とか……あんこ気にならないの?」
口にカレーの後がついていて躊躇なく手でこすって拭いたあんこは首を傾げている。
「くるみちゃん! そんなこと言ってたら神宮大会でどうやって活躍するの? 関係ないよ」
「神宮大会って」
高校野球の聖地が甲子園なら大学野球の聖地は、神宮球場だ。
――おじいちゃんもプレーしていた場所だ。
「さあ着替えて部活に行こう。案内するよ」
チャイムがなったと同時にあんこと共にとび出した。
「ちょっと待ってあんこ」
「はーやーくー」
これから始まる野球に少しの不安と希望を抱いて、久留実はあんこの背中を追いかけた。
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