夜明け待ち

わかりなほ

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夏きにけらし

少女の話

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「…はぁ」
小学校のトイレの個室でため息を吐く。また逃げてしまったなと思う一方で、安心していた。トイレに行ってしまえば、いつも五分休憩の時に私の席に来ては、「こっちジロジロ見ないでよ」と言ってくるあの子は私に声をかけることはできないから。私は見てるつもりはないのに、「そんなことしてないよ」と言えば、「何で嘘吐くの」と言われてしまうのだ。小3までは仲良くしていたのにどうして4年に上がった途端に意地悪するようになったのだろう。
「…やだな」

「アオイちゃん、トイレ好きなの?」
急に個室の外から女の子の声がした。誰だろう?
「いや、別にそういうワケじゃ…」
「ふふふ。そうなんだ」
そんな声を残して、パタパタという足音が遠ざかった。慌てて個室の扉を開けたが、そこには誰もいなかった。窓の外から鳥の声が聞こえるだけだ。
「何だろう?…あれ?」
何かを足で踏んでしまった。慌てて足をどかすとそこには1枚のチラシがあった。可愛らしいイラストで動物やキノコ、魔法使いが描かれている。
「れい、めいどう。新規オープン…。雑貨屋さんのチラシか!」
場所を見ると、通学路の皐月公園の近くだ。
「明日は土曜日だし、ちょっと行ってみようかな」

5限目は図書室での授業だった。私は桜に関する本を探そうと思って本棚の前に屈んでいた。すると、後ろをミクちゃんが通った。
「邪魔」
そう一言だけ呟いてミクちゃんは通り過ぎていく。グサリ。ひんやりしたものが突き刺さった。頬が熱くなり、喉がぎゅっと締まっていくようだ。泣いたら駄目だ。グッとこらえて帰りの会を乗り切り、家に帰った。

次の日、お母さんからお小遣いをもらい、私は『黎明堂』なる場所に行くことにした。家のパソコンで調べても公式ホームページは見つけられず、チラシの地図を頼りに歩いて行くしかない。
「んー。この階段を上った先にあるのかな?」
公園の横の、森の中に続く木の階段を1つ1つ上がっていくと、木々の中にコンクリートで出来た大きな建物が見えた。
「あれかな?」
思っていたものとはかなり違う見た目でやや不安だ。やがて、建物の入り口に着いた。全体が灰色なので少し不気味な雰囲気もあったが、窓から漏れるオレンジ色のような灯が、建物全体を少し明るく見せている、ドアには『黎明堂』と彫られている。無事にたどり着けたようだ。
ドキドキしながらドアを開け、中に踏み込んだ。
「う…わぁ…」
入ってすぐ、たくさんの雑貨に迎えられる。すると、丁度制服姿のお姉さんが、店を出ようとこちらに向かっているところだった。私がドアを押さえておくと、お姉さんは優しい笑顔を浮かべる。
「ありがとう。優しいね」
そしてお姉さんの背中が遠ざかる。もう一度中に目を向けると、そこには1人のお客さんがいた。

杖をついてゆっくり店内を歩き回るおじいさんだ。

「…いらっしゃいませ。どうぞ」
急に男の人の声がしてびくっとする。奥のカウンターには店員さんらしき男の人が居る。お父さんよりも背が高い。
並んでいるものはどれもきれいでかわいらしい。着物のような柄の折り紙。可愛い袋に入った種、紅茶…。
その時、ミクちゃんの顔が浮かんだ。ミクちゃんの誕生日は6月13日で、丁度休み明けの月曜日だ。プレゼントを買おうか。でも。ミクちゃんの怒った顔が頭をよぎる。「邪魔」って言った時の顔を思い出して、また胸が痛くなった。3年生の時、私がプレゼントを渡すとにっこり笑って「ありがとう」と言ってくれた顔も思い出す。ミクちゃんは一見怖いけど、笑うととっても可愛いのだ。「アオイちゃん、一緒に遊ぼうよ」と言う嬉しそうな顔。4年生になったときは、また同じクラスになって嬉しいねってハイタッチをし合ったのだ。なのに、5月に入って、一緒に帰ると「今日、何でジロジロ見てきたの」とか「私と遊んでるより他の子と遊んでる方が良いんでしょ」とか言われるようになった。楽しい帰りの時間は、いつの間にか苦しいだけになった。どうして。なんで。私、何かしちゃった?何も分からないままだ。プレゼントを渡しても「いらない」って言われちゃうかもしれない。
「…うぅ…ぐすっ…」
急に視界が歪んだ。ポロリポロリと涙が零れる。だめ。こんなところで泣いたら…。すると目の前に白いハンカチがあった。誰かがハンカチを渡してくれている。
「これで、拭いていいよ」
低くて柔らかい声。顔を上げると、さっきまでカウンターにいた男の人が傍に少し屈んで立っていた。近くで見てびっくりしてしまう。テレビに出てくるようなイケメンさんだ。でも私の目は、それよりもその人のオリーブ色の目に釘付けだった。なんて綺麗な色だろう。ぺこりとお辞儀をし、ハンカチを受け取る。涙を拭っていると、横に先ほどまでお店の中を歩き回っていたおじいさんがいた。
「お嬢さん。これをあげよう。きっと元気になるよ」
渡されたのは、綺麗な巾着だった。促されるままに開けると、そこに入っていたのは金色のキャンディだ。宝石みたいに透き通っている。そっと口に含むと焦げたお砂糖のような不思議な甘さが広がった。
「それは、べっこう飴っていうんだよ」
「おいしい…!ありがとうございます!」
おじいさんは優しく笑って頷くと、お店から出て行った。気がつくと、お店の中には私と男の人だけだった。
「何かお探しですか?」
「あ、あの…、友達に…。あっ、月曜日に誕生日の友達が居て、プレゼントを探しているんです。でも…」
「うん?」
「今、その子と喧嘩してるんです。わかんないけど、急に意地悪言うようになって…。だからプレゼントあげてもいらないって言われちゃうかも…」
「お友達は、何が好きなの?」
「えっと、動物が好きです!猫とか狼とかカッコイイ感じの…」
男の人はなるほどと頷き、少し考えている。顎に手を添えて考え込む男の人は、アニメに出てくる名探偵のようだった。
「お友達、お菓子は好き?」
「はい!クッキーが好きです」
そこで初めて男の人が少し笑った。そして私を手招きしながら、小さな机の前に立つ。そこには色々な動物の顔の形のクッキーがそれぞれ袋に入れられており、リボンで結ばれていた。
「わー!可愛い!」
「このクッキーはな、ちょっと特別なんだ」
「特別?」
「ウサギのは食べると心があったかくなる。鳥のは食べると元気が出る。…猫のは、ちょっと素直になれる」
男の人はウサギのクッキーを少し割ると、手渡してくれた
「味見」
「いただきます!」
サクッと軽い歯ごたえ。チョコレートの味が広がる。すごくおいしい。
「ん…?んん…?」
さらに、胸の辺りがぽかぽかしてくる。それにさっきまでの悲しい気持ちがするすると消えていくのだ
「すごい!あったかい気持ちになってくる!」
「あぁ。…猫のクッキーなら、友達の気持ちが少し分かるかも知れないな」
「そしたら仲直りできるかなぁ?」
「お互いの気持ちをちゃんと伝えられれば、何かは変わると俺は思ってるよ」
「ありがとうございます!この猫ちゃんのクッキーください」
お金を払い、きれいにラッピングされたクッキーを受け取る。お礼を言おうとしたところを男の人が呼び止めた
が友達と話す勇気が出るように、お守りだ」
そして男の人は、金色の小さな鍵がついたペンダントを渡してくれた。お洒落なアクセサリーに嬉しくなる。
「良いの?ありがとうございます!」
「どういたしまして。頑張ってな」
もう一度お辞儀をして、はっと気づいた。
「…あの人に、私、自分の名前言ったっけ?」


次の日、服の内側に下げたペンダントを握りしめ、ミクちゃんの席へ向かった。
「お、おはよう。ミクちゃん」
「…おはよ。何」
「今日、一緒に帰れる?渡したいものがあるの」
ミクちゃんは少し驚いたような顔をした。
「…分かった」
そして帰りになる。相変わらずミクちゃんは不機嫌そうだ。
「これ、あげる。お誕生日おめでとう」
「…ウチに?開けてもいい?」
「良いよ」
そして袋から出て来た猫型のクッキーを見ると、ミクちゃんは驚いた後、そっと笑った。
「すごく可愛い。猫のやつ、探してくれたの?」
喜んでくれたのだ!緊張しきっていた体からゆっくり力が抜けていく
「通学路で可愛いお店を見つけたの!食べてみて」
「いただきます」
そしてミクちゃんはクッキーを1枚食べた。美味しそうに口を動かしていたが、不意にその顔が悲しそうに変わる。みるみる俯いてしまうミクちゃんに私はびっくりしてしまった。
「ど、どうしたの?大丈夫?」
「…最近、ていうか、4年になってから、アオイちゃんに嫌なことばっかり言ったと思ってる」
「うん…」
「…あの、ね。ウチ、妹が出来るかもって言ったじゃん?」
「うん。それで、生まれたんだよね?5月くらいからお姉ちゃんになったんでしょ?」
「うん。そう。お姉ちゃんになった。でも、妹が出来てから、お父さんもお母さんもつきっきりでさ。ウチの話なんて全然聞いてくれなくなっちゃった。ウチがなんか言えば『お姉ちゃんでしょ。我慢して』ってそればっかり」
「そうだったんだ」
「それで、すっごいイヤだったの。イライラしてた。一人っ子のアオイちゃんが羨ましかった。いつも家族でお出かけしてて楽しそうで。ずるいって思った」
そういえば、アオイちゃんにはよく家族で出かけた話をしていた。いつも相づちを打って聞いてくれてたけど、それがアオイちゃんを傷つけていたんだ。全然考えたことなかった。
「結局、八つ当たりだった。アオイちゃん、ごめんね。いっぱい酷いこといってごめん。悲しい思いさせてごめん。プレゼント、本当にありがとう」
「うん。うん!私もごめんね。ミクちゃんのことを傷つけてごめん」
ふるふるとミクちゃんは首を振り、もう一度ごめんと呟いた。その時、胸元のペンダントが熱を持った。するすると口から言葉が出てくる
「私、私はね、優しいミクちゃんが大好きだよ」
「…うん。ウチもそういう方が好き。だから、ずっとそうしよう」
手を握り合う。そして笑い合った。

次の日、ミクちゃんと私は放課後に遊ぶ約束をした。公園のベンチに座りながら話していると、ミクちゃんが「あのね」と切り出した。
「ん?」
「昨日、家に帰ったらね、誕生日パーティしてもらったの。お父さんも午後はお休みとったみたいで」
「そうなの?楽しかった?」
「うん。お祝いしながらお母さんが言ってくれた。『お姉ちゃんだからって我慢させててごめんね』って。『お母さんもお父さんも全然ミクのこと見られてなかったね』って。抱きしめてくれた。仲直り出来たんだ」
ミクちゃんは私の大好きなあの笑顔を浮かべた。
「そっか。そっかぁ!良かったね!」
「うん。…アオイちゃん」
「どうしたの?」
「改めていっぱい傷つけてごめんね。…アオイちゃんさえ良ければ、また、ウチと友達になってくれる?」
その目は微かに潤んでいて、手はぎゅっと固く握られていた。そっとその手に自分の手を重ねる
「当たり前だよ」
ミクちゃんはその言葉に安心したように笑って、ありがとうと呟く。
やっと、友達に戻れた。

「…あれ?」
胸元に触れる。何もない。違和感。ずっと何かがあった気がする、何か、何か、
「アオイちゃん?どうしたの?」
「ううん。何でも無い!」
いや。きっと気のせいだろう。小鳥がピヨと鳴き、飛び去った




窓から小鳥が入り込む。それは店内に入るとゆっくり一回転し、その姿を黒猫に変えた。にゃーにゃーという声に耳を傾ける
「…そうか。仲直りできたんだな」
黒猫の首に掛かる、小さな鍵のペンダントを受け取る
「良かった」
そして今日も、扉に『open』の札を掛ける



〈黎明堂 雑貨メモ〉
『あ(ったか)に(っこり)ま(っすぐ)る(んるん)クッキー』:
  あにまるクッキー。食べた人の心にプラスの影響を与える

『金色鍵のペンダント』:相手の心や自分の心をいっぱいに開く


















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