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女王の命は誰の手に?
海−重罪ですよ−
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上も下も掻き回すような海水。神の機嫌を何で損ねたのかまで詳しくないが、それにしたってこれじゃ命を落とす。
泡立つ海水の中でかろうじて女王の髪が見える。手を伸ばしてそれが掴めないかと必死だった。掴み取ったのは髪じゃなかったが、どうやらドレスの端を得られたよう。
とにかく身を離さないように押さえ、海の流れに乗って送られる方へと進んだ。浅瀬はどこにもないから、何か乗り上げられる岩でもないかと探しながら。
* * *
ざぶんと波がぶつかって空洞の中に音が轟くと、まるで獣が鳴いたみたいに聞こえる。それを目安にしてどれくらい時間が経ったかを測り、俺ひとりで大海原の方へと歩み寄った。
滑りやすい岩肌の空洞。ここは満潮になるときっと沈むんだろうが、確認してみると海水は次第に引いていくようだ。だんだんと海の荒れも鎮まっているような気もする。
「はぁ……」
とにかく命は助かった。……なんて安堵してしまうのはおかしい。空洞といっても海水がえぐり取った窪みだ。奥へ進めば地上に出られるわけもなく、すぐそこは行き止まりになっている。
そして、空洞の奥には、小さくまとまって膝を抱える女がいた。俺が歩いて戻ってくるのに気がつくと顔を上げて、それから目を逸らすついでに出入り口の方を見た。
「出られそうですか?」
「はい。もう少し海が引いたら歩ける場所が出現すると思います」
「ありがとうございます」
「……いいえ」
その女は、濡れた髪をそのままにポタポタと雫を落としている。一応、体調なんかを崩されたら面倒臭いと思って上着を渡してある。紫色のドレスの上から羽織っていた。
俺はテレシア女王から少し離れたところに腰を下ろした。左隣には女王。真正面には出入り口で丸く切られた快晴の空が見えている。
救援を呼ぼうにも難しく、一旦海水に潜ったわけだからマリウスの盗聴器が隠れてあっても壊れただろう。
「あっ……」
思い出したく無いことを思い出した。
「どうしたのですか?」
「いや。なんでも無いです……」
上着のポケットじゃない。履き物に入れてあった。試しに取り出してみたら、包装がふやけた小箱が出てきた。中身は漏れ出ていないが、ちょっとの衝撃で何か異物が出てきそうだ。そっとその辺に捨てとくか……。
突き出した岩の上に乗せておく。
「クロスフィル」
「なんです?」
ついでに小箱の上に小石を乗せて遊んでる。
「わたくしを本当に殺す気はあるのですか?」
石が転げた。一緒に小箱も下に落ちてしまった。もう拾う気になれない。女王が変なことを訊いてくるせいだ。
「こっちは元からやる気ですけど。あ、用事ってやつが済んだんですか?」
女王には、用事が済むまで殺さないでくれって頼まれている。
「いいえ。まだ終えていませんわ。わたくしはただ、あなたがわたくしの約束を本当に守ってくれることに驚いているのです。しっかりと護衛してくださるのですね」
変な質問のあとは、変なことを言ってくるな。
「あの。勘違いしないでもらえますか。俺はアンタの死体を回収しなくちゃならない。ネザリアの奴らにアンタが殺されるのは別に構わないですけど、海の藻屑になってもらうのは困るんです」
「それでしたら今がチャンスなのではないですか?」
「チャンス?」
何を言い出すんだか。
小箱のことはもういいとして、女王の方へ向き直る。声を聞いているだけでは気が付かなかったが、海水と風の寒さで相当凍えているらしく、膝を抱きしめて小刻みに震えていた。
そんな弱った女に情けをかける俺じゃない。
側に放ってある小銃をひとつ取り上げる。護身のために持ち歩いている自分のものだ。それを利き手にかけて女王の顔目掛けて撃った。……と、言ってもカチッと鳴るだけだ。
女王は音が鳴ると目をつぶったが、何事もないと分かるときょとんとした。
俺は不発を起こした小銃を地面の上に投げ置いた。
「これは海水に浸ったんで使い物にならない」
続いて刃物も持っている。が……。
「こんな小さい刃で殺すには時間がかかるし、たとえ今ここで俺がアンタを殺しても、ひとりで地上へ運び出せないでしょう」
言っている今もなお、ざぶんと高い波が空洞の入り口に打ち付けて、水飛沫は少し乗り上げてもくる。
「な、なるほど……。そうですわね……」
「分かれば良いです」
俺は女王を言い負かせたみたいだ。
潮が引くのに時間がかかる。やっと岩礁が少し見え始めてきたが、まだもう少し待った方がいいだろう。
とはいえ、女王の方はあまり待てる状況じゃなくなってきた。元から寒そうに震えていたが、顔色はいっそう青白くなっている。それは海水に紅を落とされただけのものじゃないと分かる。
「大丈夫ですか?」
「…………ええ」
あのまま会話をしていた方が良かったか。続かないから黙っていたら、女王はどんどん凍えていくようだ。
しかし着せるものはもう無い。さすがに俺の身包みまで剥がしてまで生かしたい相手でも無いし。俺が死んだら両方死にかねないし……。
「テレシア女王」
「……な、なんでしょうか」
答えはするけど顔を上げる元気も無いのか……。
「はぁ。考え無しに飛び込んだりするから」
仕方がない。
不本意だけど生かすしかない。
「なっ、何をするのです」
「温めるんです」
俺は女王を抱えて持ち上げた。衣服は水分も含んでいるし、見えている細身よりもずっしりと重い。
「お、降ろしなさい!」
「ええ。降ろしますよ」
女王には少し動いてもらう必要があっただけだ。彼女が自分で動けそうにないから運んだだけだ。
力仕事を済ませたら俺も地べたに座る。じわっと冷たい地面を尻に感じ、背中にはもっと冷たいものが当たった。あまり俺から後ろ倒しに体を傾けると、背面の女王が崩れてしまいそうだ。
「そちらからも背中をくっつけて下さい」
背中合わせに座る男女の光景は奇妙だろうが、これしか思いつかなかった。しかし女王は「嫌です」と言った。少し動いて背中も離されてしまう。
「こ、この場に及んで、重罪ですよ……!」
女王が戸惑う声に、俺はつい可笑しくて笑ってしまった。
「暗殺者に重罪ですよと言う人がいます?」
あっはっはと笑っていれば、女王はもう少し大きな声を出している。
「そうではありません! そのことでは無いです……!」
「ははは、分かってますよ。じゃあ俺のことはリーデッヒだと思えば良いじゃないですか」
そう言えば女王は黙った。この場に及んで何の心配をしてるんだか。
すると、そっと背中が当てられる。よしよしと思って、俺も氷みたいに冷たい背中に体重を少し傾けた。
はぁ、と息を吐くと白い息が出ている。時間も夕方に近付いているからな。気温はどんどん下がっていくみたいだ。
「足りますか?」
あと俺が貸せるものと言ったら手ぐらいしかない。両手を後ろに伸ばして渡した。
また嫌だと言われるだろうと思っていたが。女王はこの手を握ったようだ。背中は俺の方が暖かい。手のひらは女王の方が暖かかった。それだと意味がないと思って俺は手の方を離そうとした。
「離さないで……。あなたこそ死んでしまえば、わたくしも助かりません」
熱を与えて奪っていく。
意味のあることなのかは分からないが、女王が言ったことはその通りなんで、言う通りにしとく。
「か、勘違いをしないでくださいね。今のはリーデッヒに言ったのですよ」
「はいはい。分かってます」
とりあえず、女王はこのまま元気を取り戻せそうだ。
(((毎週[月火]の2話更新
(((次話は来週月曜日17時に投稿します
Threads → kusakabe_natsuho
Instagram → kusakabe_natsuho
泡立つ海水の中でかろうじて女王の髪が見える。手を伸ばしてそれが掴めないかと必死だった。掴み取ったのは髪じゃなかったが、どうやらドレスの端を得られたよう。
とにかく身を離さないように押さえ、海の流れに乗って送られる方へと進んだ。浅瀬はどこにもないから、何か乗り上げられる岩でもないかと探しながら。
* * *
ざぶんと波がぶつかって空洞の中に音が轟くと、まるで獣が鳴いたみたいに聞こえる。それを目安にしてどれくらい時間が経ったかを測り、俺ひとりで大海原の方へと歩み寄った。
滑りやすい岩肌の空洞。ここは満潮になるときっと沈むんだろうが、確認してみると海水は次第に引いていくようだ。だんだんと海の荒れも鎮まっているような気もする。
「はぁ……」
とにかく命は助かった。……なんて安堵してしまうのはおかしい。空洞といっても海水がえぐり取った窪みだ。奥へ進めば地上に出られるわけもなく、すぐそこは行き止まりになっている。
そして、空洞の奥には、小さくまとまって膝を抱える女がいた。俺が歩いて戻ってくるのに気がつくと顔を上げて、それから目を逸らすついでに出入り口の方を見た。
「出られそうですか?」
「はい。もう少し海が引いたら歩ける場所が出現すると思います」
「ありがとうございます」
「……いいえ」
その女は、濡れた髪をそのままにポタポタと雫を落としている。一応、体調なんかを崩されたら面倒臭いと思って上着を渡してある。紫色のドレスの上から羽織っていた。
俺はテレシア女王から少し離れたところに腰を下ろした。左隣には女王。真正面には出入り口で丸く切られた快晴の空が見えている。
救援を呼ぼうにも難しく、一旦海水に潜ったわけだからマリウスの盗聴器が隠れてあっても壊れただろう。
「あっ……」
思い出したく無いことを思い出した。
「どうしたのですか?」
「いや。なんでも無いです……」
上着のポケットじゃない。履き物に入れてあった。試しに取り出してみたら、包装がふやけた小箱が出てきた。中身は漏れ出ていないが、ちょっとの衝撃で何か異物が出てきそうだ。そっとその辺に捨てとくか……。
突き出した岩の上に乗せておく。
「クロスフィル」
「なんです?」
ついでに小箱の上に小石を乗せて遊んでる。
「わたくしを本当に殺す気はあるのですか?」
石が転げた。一緒に小箱も下に落ちてしまった。もう拾う気になれない。女王が変なことを訊いてくるせいだ。
「こっちは元からやる気ですけど。あ、用事ってやつが済んだんですか?」
女王には、用事が済むまで殺さないでくれって頼まれている。
「いいえ。まだ終えていませんわ。わたくしはただ、あなたがわたくしの約束を本当に守ってくれることに驚いているのです。しっかりと護衛してくださるのですね」
変な質問のあとは、変なことを言ってくるな。
「あの。勘違いしないでもらえますか。俺はアンタの死体を回収しなくちゃならない。ネザリアの奴らにアンタが殺されるのは別に構わないですけど、海の藻屑になってもらうのは困るんです」
「それでしたら今がチャンスなのではないですか?」
「チャンス?」
何を言い出すんだか。
小箱のことはもういいとして、女王の方へ向き直る。声を聞いているだけでは気が付かなかったが、海水と風の寒さで相当凍えているらしく、膝を抱きしめて小刻みに震えていた。
そんな弱った女に情けをかける俺じゃない。
側に放ってある小銃をひとつ取り上げる。護身のために持ち歩いている自分のものだ。それを利き手にかけて女王の顔目掛けて撃った。……と、言ってもカチッと鳴るだけだ。
女王は音が鳴ると目をつぶったが、何事もないと分かるときょとんとした。
俺は不発を起こした小銃を地面の上に投げ置いた。
「これは海水に浸ったんで使い物にならない」
続いて刃物も持っている。が……。
「こんな小さい刃で殺すには時間がかかるし、たとえ今ここで俺がアンタを殺しても、ひとりで地上へ運び出せないでしょう」
言っている今もなお、ざぶんと高い波が空洞の入り口に打ち付けて、水飛沫は少し乗り上げてもくる。
「な、なるほど……。そうですわね……」
「分かれば良いです」
俺は女王を言い負かせたみたいだ。
潮が引くのに時間がかかる。やっと岩礁が少し見え始めてきたが、まだもう少し待った方がいいだろう。
とはいえ、女王の方はあまり待てる状況じゃなくなってきた。元から寒そうに震えていたが、顔色はいっそう青白くなっている。それは海水に紅を落とされただけのものじゃないと分かる。
「大丈夫ですか?」
「…………ええ」
あのまま会話をしていた方が良かったか。続かないから黙っていたら、女王はどんどん凍えていくようだ。
しかし着せるものはもう無い。さすがに俺の身包みまで剥がしてまで生かしたい相手でも無いし。俺が死んだら両方死にかねないし……。
「テレシア女王」
「……な、なんでしょうか」
答えはするけど顔を上げる元気も無いのか……。
「はぁ。考え無しに飛び込んだりするから」
仕方がない。
不本意だけど生かすしかない。
「なっ、何をするのです」
「温めるんです」
俺は女王を抱えて持ち上げた。衣服は水分も含んでいるし、見えている細身よりもずっしりと重い。
「お、降ろしなさい!」
「ええ。降ろしますよ」
女王には少し動いてもらう必要があっただけだ。彼女が自分で動けそうにないから運んだだけだ。
力仕事を済ませたら俺も地べたに座る。じわっと冷たい地面を尻に感じ、背中にはもっと冷たいものが当たった。あまり俺から後ろ倒しに体を傾けると、背面の女王が崩れてしまいそうだ。
「そちらからも背中をくっつけて下さい」
背中合わせに座る男女の光景は奇妙だろうが、これしか思いつかなかった。しかし女王は「嫌です」と言った。少し動いて背中も離されてしまう。
「こ、この場に及んで、重罪ですよ……!」
女王が戸惑う声に、俺はつい可笑しくて笑ってしまった。
「暗殺者に重罪ですよと言う人がいます?」
あっはっはと笑っていれば、女王はもう少し大きな声を出している。
「そうではありません! そのことでは無いです……!」
「ははは、分かってますよ。じゃあ俺のことはリーデッヒだと思えば良いじゃないですか」
そう言えば女王は黙った。この場に及んで何の心配をしてるんだか。
すると、そっと背中が当てられる。よしよしと思って、俺も氷みたいに冷たい背中に体重を少し傾けた。
はぁ、と息を吐くと白い息が出ている。時間も夕方に近付いているからな。気温はどんどん下がっていくみたいだ。
「足りますか?」
あと俺が貸せるものと言ったら手ぐらいしかない。両手を後ろに伸ばして渡した。
また嫌だと言われるだろうと思っていたが。女王はこの手を握ったようだ。背中は俺の方が暖かい。手のひらは女王の方が暖かかった。それだと意味がないと思って俺は手の方を離そうとした。
「離さないで……。あなたこそ死んでしまえば、わたくしも助かりません」
熱を与えて奪っていく。
意味のあることなのかは分からないが、女王が言ったことはその通りなんで、言う通りにしとく。
「か、勘違いをしないでくださいね。今のはリーデッヒに言ったのですよ」
「はいはい。分かってます」
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