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後編
ペンギン
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作り置きは底をつき、次の買い物をする週に入ってる。……おかしい。リヴァイが全然帰ってこない。
出張が長引くことはよくあるし、連絡もしないで一週間以上経ってからふらり帰ってくることも全然ある。
だけどあたしは思った。真夏の屋敷の中でひとり、一週間分の献立を考えてる時に、そうだと思った。
あたしは捨てられた。
あたしが若いから? 未熟だから? そもそも出会いと結ばれ方だって最悪だったもん。こんな形で出来上がった偽物みたいな夫婦が一生くっ付いていられるわけがない。
ペンを握っていた手がだんだん熱くなる。そういえば、朝からキッチンの窓を開けるのを忘れてた。徹夜明けのリヴァイがいつも窓からあたしに呼びかけてくれるからそうしてたんだっけ。
「あっつ……」
ついにペンをその辺に放り投げる。いや、投げつける。床に跳ね返ったペンはキンッと鋭い音でどっかに行った。
書くものが無くなったらあたしも出ていくことを決める。行き先は……。リヴァイの書斎に行けば見つかるはずだ。いつもなら静かに過ごす部屋の前でも堂々と歩いて、ドアも思いっきり蹴っ飛ばした。
「うわっ」
埃にむせる。でも、涙目になってでも、ゴチャゴチャの机の中から手帳を見つけたなら今日のスケジュールが書いてあるはず。
「あった! ネザリア!?」
ネザリア王国。家から路面電車に乗って中心街まで行って、カイロニア行きの切符を買ったら一度関所でパスポートの検査。国をまたいでカイロニア王国に到着。ここで化粧品と服を思う存分買い物したいけど我慢。
まだまだ旅路は続く。と言っても、電車でパッと行けるから簡単だ。ちょっと出国、入国の手続きが面倒だけど。
「やっと着いた。ネザリア王国」
駅を出たら高いビルがそびえ立つ。途中のカイロニア王国によく似た景色。
でもあたしの目には確実に分かる。安い金属と本物の宝石の価値ぐらい違うってことが分かる。
「お姉さん観光の人? 俺が案内してあげよっか?」
駅前の広場でたむろする男達に声をかけられた。それだけあたしが美人で若くて色気があるってこと。
「ありがとう。じゃあハイリンスホテルまで案内してくれる?」
「お安いごよう!」
しばらく歩いていると男が「近道があるんだけど」と言って足を止めた。そっちの方向は若干怪しそうな裏道だった。こんなに魅力的な女を引き込んで酷いことしようってのが丸見え……。
「お兄さん、あたし急いでるの」
「だろ? だから近道がいい」
「そうじゃなくて」
あたしは初対面のお兄さんの耳に口を寄せた。
「ホテルの部屋までは一緒に来てくれないの?」
お兄さんが何も言えなくなる代わりに、ごくりと喉を鳴らす音がする。
ナイスあたし! グッジョブあたし! これで悠長に観光名所なんて説明されながら歩くことも無くなった。「長く楽しむなら早く着きたい」って伝えると、歩道信号の変わり目に若干走らせられる羽目になったけど。まあ、大丈夫。
おかげでハイリンスホテルにはすぐに到着。ここにリヴァイが泊まってるはず。
「お姉さん、俺金持ってないんだけど?」
「あっ。ごめんなさい、忘れてた」
貴族御用達の煌びやかな高級ホテルと、裏路地を仕切ってるただの若い男があまりにも場違いなんだった。
こういう時はちょっと高い声を出せば良い。
「きゃあっ!! 今、この男があたしのことを撮影したわ!!」
すぐにホテルはざわついた。
そして男はホテルマンに力づくでどこかへ連れて行かれた。
乱暴されたとか、盗みに遭ったと言うよりも。こういう権力者が集う場所だと、情報を撮られることの方が利用者にもホテル側にも迷惑だってあたしは知ってた。だって仕事の場面が普通と違うから。
「ジーク・アジェスティール・ベラドミン・リヴァイの部屋を教えて」
「申し訳ございません奥様。例えお客様がご利用者との関係者であっても、こちらの情報はお伝えすることが出来ません。法律で禁じられています。ご理解ください」
「……ふーん」
ネザリア王国のそういう規則的なのは知らないけど……。
でも。魔性のリモネさんは転んでもタダでは起き上がらないし、すぐに代わりの機転を思い付けるんだし。
「はぁ。分かった。じゃあ今日はもう諦めて帰ることにする。せっかくならちょっとぐらい遊んでいこうかな。そうだ。この辺りで絵画展みたいなのって、やってない?」
これくらいの演技なら堅物コンシェルジュでも笑顔になった。
そのコンシェルジュいわく、ネザリア王国は音楽の街なんだそう。絵画みたいなものの展覧会はそもそも珍しいらしい。それが何年か越しに開催されているということで話題になってるって。
「あー……」
それがこの宣伝か。信号待ちの間、学舎の壁に貼り付けてあった広告を見つけた。
何か政治のポスターか何かかと思って見過ごしてた。遠目だと写真に見える上手な肖像画は誰かが描いたもので、その人の展示会が今開いている。
人気はあるのか無いのか。あまり誰もそのポスターを見ていない。横断歩道を渡る人たちはなんだか活気が足りなくて、よたよた歩いてて疲れてそう。
労働者が向かう方向とは違う方へあたしは行き、展示会の垂れ幕を見つけて入る。小ホールの中にはちらほらお客がいた。でも、お金持ちの貴族達が集まってるってわけでもないみたい。
なんか微妙だな……。カイロニア王国やメルチ王国で展覧会を開いた方が良さそうなのに。
人の集まり方と民度っていうのかな。なんかあたしは、この作家が報われていないような気になった。絵は写真みたいに立派だけどさ。それだって何だか誰かに書かされてるんじゃないかって気がしちゃう。
……って。あたしは絵画を見に来たわけじゃないっての。リヴァイよ!
突然家を出て行った夫を探しにはるばるやってきたんだった。
家に連絡がないってことは無事ってこと。短気なマネージャーが訪ねて来ないってことは仕事はすっぽかしてないってこと。
他にリヴァイが夢中になることって言ったら、絵画集めしかない。正直、この絵柄はリヴァイが集めてるのとは全然違うけど。
「ん? んんん……? んんんんんっ!?」
動く作品があった。それは額縁に入っていない、よくできた人形か。いや、艶っぽいから陶器か何かかと思った。でも動いてる。黒い背中と白いお腹の直立する動物。足とくちばしが黄色で……。
「ペンギン!?」
絵画展覧会に!?
あたしが大声を出すと少ない観覧客が振り返り、人の目に紛れてペンギンの小さすぎる目もこっちを向いた。すると急に逃げるように駆け出してしまう。
「あっ! 待ちなさいよ!」
あたしは追いかけた。大声厳禁、走るの禁止。その中で、叫びながら走ってた。
「ペンギンのくせに……!」
ペタペタ動く生物は案外足が早くてなかなか追いつけない。それでも行き止まりか何かで捕まえられたら。
あたしはとある展示室に入る。そこには人がいた。人は驚いて振り返ると叫んだ。
「ヴィレインワーゲン!!」
嬉しそうに。
だけど目線を上げたらあたしと目が合う。
「リモネ……」
そこにいたのはリヴァイと……黒髪の長い女。
(((次話は明日17時に投稿します
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出張が長引くことはよくあるし、連絡もしないで一週間以上経ってからふらり帰ってくることも全然ある。
だけどあたしは思った。真夏の屋敷の中でひとり、一週間分の献立を考えてる時に、そうだと思った。
あたしは捨てられた。
あたしが若いから? 未熟だから? そもそも出会いと結ばれ方だって最悪だったもん。こんな形で出来上がった偽物みたいな夫婦が一生くっ付いていられるわけがない。
ペンを握っていた手がだんだん熱くなる。そういえば、朝からキッチンの窓を開けるのを忘れてた。徹夜明けのリヴァイがいつも窓からあたしに呼びかけてくれるからそうしてたんだっけ。
「あっつ……」
ついにペンをその辺に放り投げる。いや、投げつける。床に跳ね返ったペンはキンッと鋭い音でどっかに行った。
書くものが無くなったらあたしも出ていくことを決める。行き先は……。リヴァイの書斎に行けば見つかるはずだ。いつもなら静かに過ごす部屋の前でも堂々と歩いて、ドアも思いっきり蹴っ飛ばした。
「うわっ」
埃にむせる。でも、涙目になってでも、ゴチャゴチャの机の中から手帳を見つけたなら今日のスケジュールが書いてあるはず。
「あった! ネザリア!?」
ネザリア王国。家から路面電車に乗って中心街まで行って、カイロニア行きの切符を買ったら一度関所でパスポートの検査。国をまたいでカイロニア王国に到着。ここで化粧品と服を思う存分買い物したいけど我慢。
まだまだ旅路は続く。と言っても、電車でパッと行けるから簡単だ。ちょっと出国、入国の手続きが面倒だけど。
「やっと着いた。ネザリア王国」
駅を出たら高いビルがそびえ立つ。途中のカイロニア王国によく似た景色。
でもあたしの目には確実に分かる。安い金属と本物の宝石の価値ぐらい違うってことが分かる。
「お姉さん観光の人? 俺が案内してあげよっか?」
駅前の広場でたむろする男達に声をかけられた。それだけあたしが美人で若くて色気があるってこと。
「ありがとう。じゃあハイリンスホテルまで案内してくれる?」
「お安いごよう!」
しばらく歩いていると男が「近道があるんだけど」と言って足を止めた。そっちの方向は若干怪しそうな裏道だった。こんなに魅力的な女を引き込んで酷いことしようってのが丸見え……。
「お兄さん、あたし急いでるの」
「だろ? だから近道がいい」
「そうじゃなくて」
あたしは初対面のお兄さんの耳に口を寄せた。
「ホテルの部屋までは一緒に来てくれないの?」
お兄さんが何も言えなくなる代わりに、ごくりと喉を鳴らす音がする。
ナイスあたし! グッジョブあたし! これで悠長に観光名所なんて説明されながら歩くことも無くなった。「長く楽しむなら早く着きたい」って伝えると、歩道信号の変わり目に若干走らせられる羽目になったけど。まあ、大丈夫。
おかげでハイリンスホテルにはすぐに到着。ここにリヴァイが泊まってるはず。
「お姉さん、俺金持ってないんだけど?」
「あっ。ごめんなさい、忘れてた」
貴族御用達の煌びやかな高級ホテルと、裏路地を仕切ってるただの若い男があまりにも場違いなんだった。
こういう時はちょっと高い声を出せば良い。
「きゃあっ!! 今、この男があたしのことを撮影したわ!!」
すぐにホテルはざわついた。
そして男はホテルマンに力づくでどこかへ連れて行かれた。
乱暴されたとか、盗みに遭ったと言うよりも。こういう権力者が集う場所だと、情報を撮られることの方が利用者にもホテル側にも迷惑だってあたしは知ってた。だって仕事の場面が普通と違うから。
「ジーク・アジェスティール・ベラドミン・リヴァイの部屋を教えて」
「申し訳ございません奥様。例えお客様がご利用者との関係者であっても、こちらの情報はお伝えすることが出来ません。法律で禁じられています。ご理解ください」
「……ふーん」
ネザリア王国のそういう規則的なのは知らないけど……。
でも。魔性のリモネさんは転んでもタダでは起き上がらないし、すぐに代わりの機転を思い付けるんだし。
「はぁ。分かった。じゃあ今日はもう諦めて帰ることにする。せっかくならちょっとぐらい遊んでいこうかな。そうだ。この辺りで絵画展みたいなのって、やってない?」
これくらいの演技なら堅物コンシェルジュでも笑顔になった。
そのコンシェルジュいわく、ネザリア王国は音楽の街なんだそう。絵画みたいなものの展覧会はそもそも珍しいらしい。それが何年か越しに開催されているということで話題になってるって。
「あー……」
それがこの宣伝か。信号待ちの間、学舎の壁に貼り付けてあった広告を見つけた。
何か政治のポスターか何かかと思って見過ごしてた。遠目だと写真に見える上手な肖像画は誰かが描いたもので、その人の展示会が今開いている。
人気はあるのか無いのか。あまり誰もそのポスターを見ていない。横断歩道を渡る人たちはなんだか活気が足りなくて、よたよた歩いてて疲れてそう。
労働者が向かう方向とは違う方へあたしは行き、展示会の垂れ幕を見つけて入る。小ホールの中にはちらほらお客がいた。でも、お金持ちの貴族達が集まってるってわけでもないみたい。
なんか微妙だな……。カイロニア王国やメルチ王国で展覧会を開いた方が良さそうなのに。
人の集まり方と民度っていうのかな。なんかあたしは、この作家が報われていないような気になった。絵は写真みたいに立派だけどさ。それだって何だか誰かに書かされてるんじゃないかって気がしちゃう。
……って。あたしは絵画を見に来たわけじゃないっての。リヴァイよ!
突然家を出て行った夫を探しにはるばるやってきたんだった。
家に連絡がないってことは無事ってこと。短気なマネージャーが訪ねて来ないってことは仕事はすっぽかしてないってこと。
他にリヴァイが夢中になることって言ったら、絵画集めしかない。正直、この絵柄はリヴァイが集めてるのとは全然違うけど。
「ん? んんん……? んんんんんっ!?」
動く作品があった。それは額縁に入っていない、よくできた人形か。いや、艶っぽいから陶器か何かかと思った。でも動いてる。黒い背中と白いお腹の直立する動物。足とくちばしが黄色で……。
「ペンギン!?」
絵画展覧会に!?
あたしが大声を出すと少ない観覧客が振り返り、人の目に紛れてペンギンの小さすぎる目もこっちを向いた。すると急に逃げるように駆け出してしまう。
「あっ! 待ちなさいよ!」
あたしは追いかけた。大声厳禁、走るの禁止。その中で、叫びながら走ってた。
「ペンギンのくせに……!」
ペタペタ動く生物は案外足が早くてなかなか追いつけない。それでも行き止まりか何かで捕まえられたら。
あたしはとある展示室に入る。そこには人がいた。人は驚いて振り返ると叫んだ。
「ヴィレインワーゲン!!」
嬉しそうに。
だけど目線を上げたらあたしと目が合う。
「リモネ……」
そこにいたのはリヴァイと……黒髪の長い女。
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