ぶち殺してやる!

魚麗りゅう

文字の大きさ
上 下
1 / 1

ぶち殺してやる!

しおりを挟む
 すぐに過ぎて欲しい時間が、やっと目の前を過ぎていった。それが今の私だった。私はその間、本当に生きていたのだろうか?そんな滑稽な疑問が、自身に対して、ある。

 その間、私は怠惰な感情に鬱陶しさを感じていて。日々の、ゆっくりとした時間が最高に嫌だった。あの時の私の根源は、なぜあのような衝動を私に与えたのか?今でもよく分からない。今でもその余韻を引き摺っている。だから。今の私を、今の私自身が、完全には好きになれていない。それが証拠だろう?過ぎた過去は、ゆっくりと目の前を過ぎていく。それがもどかしい。自分を抹殺してしまいたくなるくらいに。もう後悔はしたくないから。だから私は立ち止まったではないか?過去の昇華に、専念したではないか?その間に皮膚の外側の世の中は、変化し続けている。もうそろそろ、動き始めてもいいよね?そんな予感が、ある。


 連鎖の中で、それでも私は個として生きなければ。そんな危機感があった。私だって、きちんと考えている。それなのに、現実は冷酷に過ぎていく。だから私はその現実に対して閉じたではないか?感覚を。そうやって、私は自分を守ったではないか?壊れそうな自分を。

 思考が断片的で。
 今、私はどこに立っている?こんな状態でも生きられているのは、スマホのおかげだろう?私は今、どこにいるの?それさえも、私はスマホに依存している?私という存在は、一体どこと繋がっているのだろう?そんな些細な不安が、今の私を苦しめる。こんなにも世の中は、便利になっているのに。私の本質は、遅々としてしか進んでいない。そのことに、今の私は苛立っているのだ。こんなにも世の中は、高速で進んでいる。なのに私は……。そんな感覚に挫折している。絶えずね。

 私なりに楽しみたいと、思っているよ?だってそういうふうに急かされるから。でも私はゴロゴロしているほうが、癒される。何もしたくはないし。生きるって、生きている間にそんなに何かを成し遂げなければいけないの?そんな疑問が、私の内側から溢れて来た。それについて、私は私なりの答えを出さなければいけない。それが面倒くさい。私は今現在、この時代を生きている。だから仕方なく、この時代を生きなければならない。私は私を生きなければならない。それには、私なりの思想が必要なわけで。私の内側から溢れて来る疑問に、私なりの答えを出さなければ、不安になるわけで。その答えを出す為に、私はゴロゴロしたいわけだ。

 もういいよ?過去の価値観は。過去の価値観から見れば、私なんて駄目なんだろう?私だって、こんなにも真剣に生きているよ?あり過ぎる情報が、頭の中で錯綜する。それを私はジッと耐えているのだ。だからこんなにも苦しい。それを理解して欲しいなんて、思わない、言ったとしても、理解なんて出来ないだろう?だから私は、孤独を感じているのだろう?自分で自分が分からない。そんな、今の状態。今の私は、ヤバいのかも知れない。

 人が死ぬとか生きるとか。今の私には受け入れられる余裕がない。自分の存在さえ、そのことに苦しい。だけど。自分を責めることは、もうしない。だって私は苦しんだもの。極限まで自分を責めて、苦しんだもの。私は生きることを選んだ。だってまだ、生きたいもの。もう疲れたよ?過去の価値観に。もういいよ、過去の価値観に。立派だと思うけれど、尊敬もするけれど。怠惰な時間を享受している私の中で、そんな過去が過ぎていく。これから私は生きられるだろうか?それでも私は生きてきた。そんな感慨だけで、今の私は十分だ。目の前には、取り敢えずやらなければいけないことがある。それで、いいではないか?もう。生きてはいたい。もうこれだけでいいよね?溢れる過去の想いに対して、私はそう問い掛ける。私は所詮、私だった。ただそれだけのことだった。不必要に開いた使い物にならない可能性を、少しずつ閉じていこう。そうすれば、もっと静かに生きられると思う。誰とでも、仲良くなんかなれなかった。その為に開いた扉を、だから閉めよう。可能性を閉じていく。私は自分を知らなかった。だから何でもやりたくなったのだろう。やってみることで、自分の輪郭を知った。時間は足りなかったけれど、今はそうでもない。過ぎてみれば、こんなものだった。内側から溢れて来る焦燥や疑問に対して、苦しかった。出来ないものは出来ないし。それでも今、生きている。何とかなっている。未来に対して不安だったけれど。今の私は思い描いた未来になっていない。もう疲れた。未来を考えることに。不思議と後悔はなく。だからこれ以上、考える必要はないよね?自分を鼓舞することに、疲れた。きっと、死ぬまで生きられるだろう。疲れたから、だから安心して眠りたい。お腹が空いたから、だから食べたい。そんなあたり前のことに、もっと素直になりたい。今はそんな気分。不必要な情報で、不自然に思考が歪んでいたのかも知れない。今迄の私は、閉じることを知らなかった。出来ないものは、出来なかった。危険を感じたら、逃げればよかった。私は所詮、こんなものだった。生きているだけで、こんなにも溢れてくるものに、答えを出さなければならない。時代が揺れている。それに相対し、私も揺れている。与えられた命を、大切にしたいと思う。私は揺れる。流れに逆らうことは、今の私はやらない。私は揺れながら、個としての自分を狡猾に生きる。もっとシンプルに、生きられると思う。私はそんなに強くなかった。何気ない日常を繋いでいくことは、こんなにも高度な技術を必要とする。少し生きて、振り返る。そして考える。世の中があって、その中で私は揺れている。正しく揺れているだろうか?世の中に対して、その都度反応すればよくない?ここを過ぎればきっと楽になると、自分に言い聞かせてきたけれど、ここまで辿り着いても新たな不安に揺れている。目の前のことに、取り敢えず頑張る。明日はきっと、何とかなるだろう?もう疲れた。私は結局私だった。不必要な情報を、自分から抜かなければ。有利に生きることに情報は必要だけれど、あり過ぎると不利になることを、体得した。その按排は、自分でコントロールしなければならない。私は人に対してある程度の勘違いをしていたい。知り過ぎるとその勘違いが穢れてしまう。あの人はいい人。それ程繋がりの無い人に対しては、これくらいが丁度よくない?今の私は、そう考える。過去の私の反省から、今の私はそう考える。他人のことを考え過ぎるのも、エネルギーがいる。もう、そんな自分に疲れた。だからそんな自分はもうお終い。これで私へそういう人は、寄ってこなくなるだろうか?自分をもっと、大切に生きようと思う。そんな感情が、今の私には、ある。だから。過去のそんな私はもう終わり。終わったのだ。自身の内側での変化に、息苦しい。ずっとそのままでいられたら、どんなに楽だろう?醜い時間との距離の取り方が、やっと理解出来たような気がする。素直に逃げればよかった。誰とでも、繋がることは出来なかった。もう過去は終わりだ。目を閉じると、過去の余韻が私を苦しめる。余韻なのにね。だらだらと、今の私に付き纏う。孤独になることは、怖くなかった。だってそんな余韻を掃除できるもの。そんな風に、独りの時間は過ぎていく。だから何気なく忙しい。一人の時、何やってるの?そんな価値の無い質問に対する答えも、用意しなくてはいけないし。私は私として生まれたけれど、すべての私を理解出来ているわけではない。だから自分を理解する時間が必要。寂しくはなく。だって私は望まれて生まれてきたし。それだけで、孤独な時間が温かい。明確な答えが欲しくて揺れている私。そんな自分がもどかしい。時間だけが過ぎていく。その過ぎていく時間に焦燥を感じている。心臓の不自然な鼓動を、意識でコントロールできない。私は生きられるだろうか?そんな恐怖も、少なからずある。自分なのに。それなのに、こんなにも自分をコントロール出来ない。誰かを好きになった時みたいに。安全な場所で、もう一度あの感覚を素直に受けてみたいと思う自分がいる。記憶が錯綜する。その美しい断片へ、もう一度、一瞬でいいから。そんな淡い願いを、自身の隅っこに感じる。そう自身を俯瞰できるのは、きっと今の私は孤独を楽しめているから。もう現実に対して警戒感しかなくて。それは経験から導き出されたいつのまにか身についていた反応。信じるとか信じないとか、もうそんなことではなくて。結局そういうものだったということ。だからほんの少しだけ、現実は美しいものを含んでいるということが、今は些少に理解できる。本当に大事なこと以外、もうどうでもよくて。どうでもいいことや人には、意識を閉じられるようになった。隙間に出来た余白に、美しいものを出来るだけ感じたい。それが今の素直な気持ち。せっかく運よく生まれて来たんだもの。感覚を鋭敏にして、より美しさを感じたい。現実の世界で警戒をして生きているから、精神を高めてより繋がりたいと思うのかも知れない。現実の世界は醜かった。その中で生き抜いていくには、適正な距離感が必要だった。距離を取るには、ある程度の緊張感に耐えなければならない。その緊張感に耐えながら、今まで私は生き抜いてきたではないか?日々、私なりに闘ってきた。そんな感慨がある。どうでもいいことに頑張ることに、もういい。これからの私は素直に逃げる。食べていくだけなら、何とかなるだろう。そんなに私は強くない。頭の中に、私なりの世の中の地図が今は出来ていて。だからそう思えるのかも知れない。地図が無い人は、自分がどこまで頑張ればいいのか、分からなくなるかも?だって私がそうだったから。無知は、自分の足元が見えなくなり、だから精神が不安定になる。大丈夫。今の私は自分の立っている場所がはっきり見えている。だから今の精神状態は大丈夫。今はね。そして情報の過剰摂取かも?こんなに心拍数が上がるのは。精神が過敏になり過ぎている。それでも情報が欲しくなる。自分にとってはどうでもいいことなのに。理解はしている。でも欲しくなる。もしかして、名前がついている病気?自身の内面を掘り下げていくことは好きだけれど、掘り下げ過ぎるのは、危険かも知れない。中庸な感覚を意識的にコントロールするのは、結構何気なく大変であると、気づいた。
 不必要な情報は摂らない。それにはなぜこの情報は摂らないのか?という答えを出さなければならない。疲れる。日々、とにかく疲れる。何気なく生きていても、スマホを開けば内面に情報が流れこんでくる。感情が揺れ、思考も揺れる。思考が揺れると不安だから。だからその不安を消す為の情報を探す。私は誰かにコントロールされているのだろうか?時間が経過しなければ、分からないこともあるし。こんな感じで、今はいいよね?知識を得るだけでは、世の中の揺れに対応できない。だからこんなにも、心臓に負荷が掛かっているのだろう?自身を起動させる根本の思想を、磨かなければ。知っているだけでは意味がない。経験と融合させ、思想へと昇華しなければ。世の中も人も揺れる。それに対応するには思想が必要だった。私は今、どこに立っている?結局ここへ帰ってくる。自分を見失っているから、こんなにも心臓が苦しいのだろう?今の自分は大丈夫。そう思おうとしても、体は正直だ。私はまだ、生きられるだろうか?過ぎてみなければ、今の状態がどれ程危険なのか、正確には分からない。何気なく生きているようで。それでも今日は過ぎていく。働いて、眠る。ただこれだけのことなのに、こんなにも日々、苦しい。成長により、今迄見えなかった世界が見え始める。そして私がまた揺れ始める。その揺れに対する答えを、また考えなければならない。生きているということは、きっとこういうことなのだ。答えを出し続けることでしか、立っていられない。この緊張感に耐えられなくなった時、私は死に向かうのだろう?不必要なもので、日々頭の中が誤魔化されているけれど。私は自分を誤魔化しながら生きている?そんな気が、しないでもない。自分を見失うな!私。世の中があって、その世の中に私の肉体が存在している。これはどうしようもない事実。今生きる時代を変更したくても、肉体があるせいで、それは出来ない。この時代を生きるしかない。健康でいたいし、お金に困りたくない。人も、なるべくなら好きでいたい。そんな人でいたい。だから。危険を感じたら、素直に逃げたい。その危険を感じるセンサーは、日々、高められている。その感覚を信じたい。人ほど怖いものはないということを、今の私は知っている。いつでも攻撃準備は整っている。そんな緊張感の中で、何気ない振りして呼吸をしている。人の中に紛れるほど、感覚を閉じられる。今の私にとっては都合がよい。人と近くなればなる程、不思議とその人が見えなくなる。人は一瞬で悪意に満ちられる。その悪意から、うまく逃げなければならない。人は日々、揺れている。その揺れを、高めたセンサーで捉え続けなければならない。私なりのサバイバルが、日々、粛々と行われている。私にとっての現実は、こんなものだった。もっと感覚をシンプルに、生きられる筈。誰とでも仲良くしなくても、生きていける。それを、今の私は知っている。正しく裏切っていこう。近寄らないし、近寄らせない。この緊張感を、今の私は楽しめる。その為の鎧が洋服。世の中と、私の間にあるもの。それが服。稼いだお金は使いたい。そうやって私は現実と精神のバランスを取っている?いけない?自身の人生に対して、正解なのか?イマイチ分からない。それでも、今の自分を何気なく整えられる。今はこれで、いいような気がしている。私は社会的な限界を知った。私はここまで、ということを知った。それが残酷なことなのかは、今の私には分からないけれど。でも働いている。その収入で、今の自分を支えられる支出をしている。ダメ?今を私は生きているよ?もう、死にたくなるくらいに。先のそのまた先の事なんて、今の私には考えられる気力も体力もなく。これが今の私。戦争があったことは、知っている。弱者がこの世の中にいることも知っている。でも私だって、こんなにも生きているよ?一生懸命に生きているよ?こんな私の気持ちだって、理解をして欲しい。これが、今の私の素直な気持ち。私は正しく生きているだろうか?こんなことを思う私の思考は、甘えだろうか?はぁ……。こんなことを思考する自分に疲れた。もう疲れた。もうこれ以上、思考を続ける必要はないよね?これが私の思考の限界?だと思う。どうだろ?それなりに、感謝はしています。私は自分の下の世代に対して何とも思わない。なぜなら、私が上の世代から、そんな高尚な待遇を受けていないから。だからそんな気持ちは溢れてきやしない。ご飯を食べ続けなければいけない。だって生き続けたいと思うから。私はこの今を、生きている。だから仕方なく、この今に、私の価値観を合わせなければいけない。読書は素晴らしい行為だけれど、うまくその余韻をコントロールしなければ、今を生きるこの時代から、弾き飛ばされてしまう。思考は飛躍しても、肉体はこの時代を生きている。その現実を、正しく受けいれ、認識しなければいけない。思考がどんなに飛躍しても、時間が経過すれば、お腹がすく。これが日々を生きる現実だった。目の前の当たり前の現実の生活を、愚直に生きるしかなかった。時代も会社も揺れている。それでも私のお腹は空きやがる。嫌でも働きに行かなければいけない。だから私は毎朝起きる。そんな愚直な日々の中で、私の思考も日々、変化している。それに私は気づいている。もう純粋に若くはない。だから日々を生きる呼吸も、変化させなければいけない。仕方なく今まで食べていたけれど、それによって当たり前だった健康の肉体が揺れた。無頓着だった食事も、変化させなければいけないことを、突きつけられた。何気なく、私は生きている。なのにこんなにも内面は忙しい。人間の消化、吸収の機能は、ハイテクまみれの現代でも、古代の人と何も変わらないと、本で知った。健康に関する内側からの不安で思考が揺れ、健康に関する本を貪っている。私自身が、健康でいたがっている。だから私は健康でいる為の技術を、学ばなければならない。情報が錯そうしている。それをまた自分の中で、一々整理しなければいけない。専門家でさえ、100%信用は出来ないということを、読書で知る。最後は自分の勘なのかも知れない。今まで当たり前のように生きてきたけれど。それはそれですごいことだと、今更認識している。今、私は生きている。今現在まで、生きてこられたではないか?与えられた命を今迄、生きてきたではないか?その事実に、今だったらちょっとだけ感謝が出来る。私だって今迄の時間の中で、いじめをしたことも、されたこともある。もうするのもされるのもイヤだから。一人でいることの免疫は、すでに出来ている。人との距離感を、若いときは知らなかった。だからあんなにも苦しかったのだろう。そして私は自分の言葉を持った。はっきり言葉にすることで、自分を守る術を知った。私は正しく生きているだろうか?過去の過ちに対し、私は謝罪をしなければいけない。今の私は目の前の生活に忙殺されているけれど、そんな私の内側の深奥には、そんな過去がある。私の時間の一部は、あの時から止まったまま。それを気づかぬ振りをして、今現在、私は生きている。いじめられた記憶は、私を強くした。いじめた記憶はそんな今現在の私の足元を脆くしている。ふつうに立っていられないくらいに、私の思考を揺らす。正しく生きたいと思うなら、私は謝罪をしなければいけない。人は不思議。自然にこんなことを思わせる。私は謝罪をしなければいけない。もし目の前に私をいじめた人が突然現れて、謝罪をされたら今の私はどうだろう?困ると思う。謝罪を勝手にしたくなり、突然目の前に出現されても。私には、今の時間が流れている。その平穏な流れの中に、侵入してきて欲しくない。今の私には、あなたのような人を警戒しなければいけないというプログラムがすでにあります、としか言えない。仲良くなんて、なれないだろう?子供じゃあるまいし。誰とでも仲良くしなくても、生きていける。それを今の私は知っている。今の私は、あの時より強くなっている。その証拠に似たような人と対峙しても、心拍数が上がらない。今の私は、私の言葉でしゃべることが出来る。だから私は反省する。その都度、痛みを感じる。その痛みから、私は逃げない。これが、私がいじめた人への贖罪。

 自分の精神に苦しい。精神に紐づけられている記憶に対し、苦しい。孤独な時間。それは今の私に痛みを感じさせる。無思想な若さは、後々痛みの後悔をさせる。純粋な若さは、実は不潔かもしれない。根底に思想がない若さは、感覚で暴走してしまう。純粋な若さは、絶対的な答えに惹かれる。信じたら、人は強くなれる。

 そんなに求道的に生きなくたって、きっと大丈夫。だって私が大丈夫だったから。平気に生きればいいと思う。感覚的に無責任でいたい。自分自身の核に責任を持てば、その表層は適当でいい。そんなリズムにある時気づいた。洋服のように、表層を変化させる。核を見失わなければ、表層に輪郭が出るだろう?思想があって、その思想を元に、私は動く。私は過去を生きているわけではない。過去のまま生きるのは嫌だから、だから過去と向き合っている。痛いけれど。過去に対する勘違いに、私は戸惑う。肉体としての私が、揺れる。そのまま生きてきたのに、これからはそのままでは生きられない。今の私は、過去からの連続で生きている。視点の変化で、今現在の私が揺れている。今迄生きてきたことに、奇跡を感じる。これからの私は、生きていけるだろうか?そう自省していた時に、私は襲われた。しかも男に。それは過去にいじめた男だった。警察の報告では、薬をしていたらしく、その記憶が薬により蘇り、私を襲ったらしいと聞かされた。私は警察に説教をされた。どう捉えていいのか、しばらく理解が出来なかった。警察は、警察の仕事をすればよくない?なんで私が税金で食っている警察に、偉そうに説教をされなければいけないの?と、しばらく冷静になれなかった。説教をしているお前は、今迄一度も、いじめをしたことがないの?と言いたかった。私は内面で、謝罪をしていた。ただ現実では、私に対する憎悪が増幅していた。それが今の現実だった。

 私は身を守る、防具を買った。だって、まだ死にたくはないから。私という人間は、醜いだろうか?好きで、いじめをしたわけではない。その時を生きる為に、仕方なくいじめをしたのだ。私だって、いじめをされたことがある。でもその記憶に、現実を生臭く連続して生きることで、乗り越えた。私を襲ったあれは、無職で孤独になり、それが私に向かうエネルギーの蓄積になったのだろう?と、ここまで考えた。私は正しく生きようとしている。でもこんな現実が飛びこんでくる。元は、私が悪い。だって、いじめたんだもの。それだって、好きでいじめたわけではない。なぜなら、いじめなければ、私があの時を、生きられなかったから。

 それから時間が過ぎて、私は襲われた。でも生きているけれど。この現実を、今を生きる私はどう捉えればいいのだろう?小学生からやっている、空手の技術がこの時に生きた。今度来たら、ぶち殺してやる。そう私は決めた。無傷でいられるのは、空手の技術があったから。今度来たら、腹を殴りうずくまらせ、両手で髪の毛をつかみ、膝蹴りを顔面にいれよう。そんなイメージが出来た。フグハゴフグハゴ鼻血が出ている顔面を、思いっきり蹴っ飛ばそう。そう私は決めている。過去に対し、私は謝罪を始めていた。なのに襲われた。内面の清澄と現実が、うまくリンクしない。私は真っすぐ生きようとしていた。なのに、その内面に、想像をしなかった現実が飛びこんできた。私は自分を守るために、無意識に闘った。私はどうすれば良かったのだろう?一方的に、やられてしまえば良かったのだろうか?恐縮ながら、まだ私は死にたくはない。いじめたことは、悪いと思っている。だから反省をしていた。なのに。私は襲われた。今度来たら、ぶち殺してやる。こう思う私は変態なのだろうか?まだ生きる為に、私は戦う。だから今度来たら、確実にぶち殺す。そう決めている。正当防衛の範囲でね。だって刑務所に行きたくはないもの。いじめをしたことは、本当に悪いと思っている。でもあれは自分で抱えきれず、暴力でその苦しみを発散しようとした。それを私は空手の技術で防いだ。今度来たら、ぶち殺す。あの時出来てしまった溝は、もう埋めることは出来ないだろう?久しぶりに見るあの男は、やっぱり不細工だった。現実をうまく生きられなかった痕跡が、より老化した容姿に現れていた。今度来たら、ぶち殺す。いじめたことは反省するけれど、でも今度来たら、ぶち殺す。私はまだ、過去を生きている?内面は静かに生きようとしているのにね?繋がりが切れていても、記憶はお互いの脳に存在する。それを私は孤独になって闘って、何とか乗り越えようとした。でもあれは、乗り越えることが出来なかった。だから私に対し、暴力で乗り越えようとした。きっと、世の中に対し、未練はなかったのだろう?世の中で何とかまだ生きていたいから、仕方なく世の中のルールに従おうとする。ただその世の中に決別をしたのなら。人はどこまでも恐ろしくなるのだろう?それを今回の事で、突きつけられた。人ほど怖いものはない。だからなるべく人を傷つけず、より丁寧に接しなければいけないという事実を知った。私だって、なんなら殺したい人はいる。でもまだ、世の中で生きていたい。出来ればその世の中で、ある程度の社会的成功を夢見ている。だから仕方なく殺さないだけ。まだ眠っていたい。やっぱり仕事に行きたくない。嫌いな人に、挨拶なんてしたくない。でも。まだ世の中でそれなりに生きていたいから。だから仕方なく起きるし仕事に行くし、挨拶もするし、殺さない。人間なんて、こんなものでしょう?おかしい?こんな素直な思考は?間違いというなら、だったらご教授して頂きたい。生臭い現実を知らない偉い人の言葉は、今の私には染みこんでこない。それを覚悟で教えて欲しい。いっそのこと、ぶち殺してしまえたなら。私も私を襲ったあれも世の中も。そうすれば、シンプルな空間だけが、残されるだろう?そんな妄想を今の私はする。それでも今の私は世の中で、生きなければならない。せっかく真っすぐに生きようとしていたのに。私の今の思考は変化してしまった。仏門?いやいや、私はまだ、生臭い現実の世の中で、お金を稼ぎたい。そんな雑念がある。ダメ?だから今度来たら、ぶち殺す。その準備は整っている。筋トレも、また始めている。私は自分を守らなければならない。でもよく無傷でいられたことに、今になって感心する。殺気を感じたことは、憶えている。それから無意識に、体が反応したようだ?自分でも、よく分からない。何気ない日々の流れの中で、不意に私はいつもと違う何かを感じた。ネズミ捕りをやっている道路を車で走っている時みたいに?日々、何気なく流れているふつうの景色は、もしかしたら奇跡。その流れの中で生きる私は、何気なく触角を伸ばし、周囲を警戒し続けなければいけないのかも知れない。いつでもぶち殺せるように。人を簡単には信用できない。いつでも裏切れる準備は整っている。私、その道の人ではなくて、ふつうの会社員なんですけど?それでもこんな危険の中で生きているのだ。過去に対し、反省はしていた。結局向かってこられたら?会話もなにも、突然向かってこられたら?

 ぶち殺す。
 今度は確実にぶち殺す。

 不細工だったからいじめた。というか、いじめたという感覚ではなく、不細工をブサイクと表現した、という感覚。それでみんなが笑顔になれて、私は繋がりを保つことが出来た。後々、その繋がりに対する嫌悪感で、そのことが、私に痛みを与え続けていた。そして私は襲われた。何で私なの?ほかにもいただろう。今更になって、こんな思考に苦しい。あの時の私は孤独が怖かった。独りでいることが、出来なかった。だから生贄となる対象が必要だった。その生贄をみんなで攻撃することで、自分を守れた。そんな自分が嫌いだった。今を生きているのに、まだ過去は私の内側で過ぎていかない。どうしよう?私。こんな状態で真っすぐ生きるなんて、無理だよね?内側で、何度も何度も謝罪をしたよ?でもあれには伝わる筈もなく。だから私は襲われたのだろう?周辺のざわつきが嫌だった。いつものように、嫌々始まる一日だった。もう少し、寝ていたかった。それでも私は起きたのだ。駐車場から降り、会社まではそれなりの距離がある。その間で襲われたのだ。挨拶程度の関係の、いつもの会社の人達が、気づくとあれを取り押さえていた。まだ私は現実を、うまく吞みこめていない。ふつうに過ぎていく筈だった、一日。私は今現在、どう思われているのだろう?私は現在を必死に生きながら、少しずつ過去と、向き合い始めていたではないか?過去からそれでも進もうとした。なのに、それを台無しにされた。私に対する視線の揺れを、しばらく耐えなければならない。世の中を諦めた人のエネルギーはシンプル。自分をいじめたやつを殺す、だ。それで自分の揺れを静めようとする。人は、気持ちの揺れに耐えられない。その揺れに対する何らかの答えを、絞りださなければならない。私はその揺れの口惜しさで、仕事を頑張れた。いつしかその揺れは消えていた。完全ではないけれど。あれは、自分の中の時間が、きっと止まっていたのだろう?そんな気がする。現実との繋がりが途絶えれば、未熟な己が未消化の記憶と向き合わなければいけなくなる。耐えられる筈がないから、私を襲いに来たのだろう?学生の頃なんて、よく憶えていない。人との距離感は手探りで。笑いたくもないのに笑ったりして。でも今は、つかず離れずの距離感を、理解している。世の中は楽だった。自分の輪郭さえ理解していれば、そして世の中に対して正しければ。世の中の手前にある学生の世界は、気持ち悪かった。それを、今だから見える。その時はその時で、その中で、生きることに必死だった。だから私はあれをいじめた。自分では、それ程のことでもなかったけれど。私はこれからどうすればいいのだろう?会うつもりもない。今度襲って来たら、ぶち殺すしかないよね?警察は民事不介入だから。私が怪我をするなり殺されなければ、動けないもの。生きるってなんだろう?ふと考える。社会人になってそれなりに不快なことも経験して。でも内面の昇華により強くなって。過去をのり越えながら生きていた。私は私なりに、それでも生きていたのに。世の中で、何とか生きようとしていた私と、世の中に適合出来なかったあれ。いじめた私が悪かった。それは完全に認めます。私が殺されたとする。その事実は、どう思われるだろう?殺したい気持ちは理解出来る。でも実際に殺した。これはいかがなものか?私は殺され損ではないのか?いじめた私は、生き続けてはいけないのか?なら、私をいじめたあの者たちだって、生き続けてはいけないではないか?こう考えると、思考がどんどん下降していくような気がする。私はいじめられて、人の本性というものを知った。私を含めて、人というものは、そんなに美しくはない。その事実を知った。だから逃げる。危険を察したら、素直に逃げる。その根拠となるデータベースは、十分に蓄えられている。誰とでも、仲良くは出来なかった。人の気持ちも大事、同じように、自分の気持ちも大事だった。精神レベルは、人それぞれまったく違う。必要以上に甘えてくる人は、冷酷にブロックしなければならない。だって、私自身が壊れてしまうから。組織の中で生きるということは、こんなことにもエネルギーを消費する。だから採用に、こんなにも時間を掛けるのだろう?もし私が会社を興し、人を採用するならと考えると、当然なのかも知れない。質の悪い人は採用したくない。

 友達なんていなくても、生きていける。その事実は、社会に出て知った。学生の時、私は孤独というものに居心地悪かった。でも人生は、孤独だった。その孤独を楽しめるのが、素敵な大人ということを知った。私、間違ってる?大人となった今になっても、過去を気にしている私。友達100人できるかな?できねーよ!と今だったら言える。育ちも思想も違うのに、出来ねーよ。と、今だったら言える。誰とでも付き合いたくない。これが今の私。未だに過去の価値観と向き合い、苦しんでいる。既に、私自身は純粋に若くはない。だから。人に対する選別が、地図としてある程度完成している。それでも、もしかしたら?を少しは期待している自分がいる。今となってはそれも幻想かも知れない。結局。人はそんなものだった。

 もう、今の私は疲れている。生活にはお金が必要だから、仕方なく働く。今の世の中を造ってくれた人に対して、こんな気持ちでははしたないっていうことは、何気なく理解はしている。でも私は私でこの世の中を、今という現実を、必死で生きているんだよね?それを理解して欲しい。時代は変化している。だから。今の呼吸で生きるしかないと考える。いけない?過去は過ぎた。でも突然過去は、飛びこんでくる。人は、そう簡単には変われない。


 今度来たら、ぶち殺してやる。
 
 
 私の輪郭に言葉としての感覚が、染みこんだ。

 何気ない言葉は人を傷つける。その怖さを、現実として知った。人の記憶に残ることは、もしかしたら、後々危険かも知れない。人の精神は、不意に暴走する。適度な距離感で、相手を傷つけることは言わない。これが現実を生きる、コツの一つだった。学生の頃はそれが理解出来ないから、平気で思ったことを口にしてしまった。ただ今度来たら、ぶち殺すけどね。いけない?人とはあまり、関わり合いたくない。それが今まで生きてきて思う結論。学生の頃は未熟だから、その未熟な場所で出会う友だちなんて、同じように未熟で。だから妙な空気が流れて。結局孤独になって、自分を高めることで、そんな場所から離れることが出来た。進学する過程で、人は選別されていく。世の中の階層に、仕分けされていく。その階層を飛び越えるには、孤独になって自身を高めるしかない。その残酷さを知った。自分が変化すれば、向けられる視線も変化する。一生懸命ただ働けばいいというものではなかった。誰とでも、付き合いたくはない。誰とでも、仲良くなんか出来ない。友達100人なんていらない。小さい頃に刷り込まれた価値観から、今になってやっと解放されたような気がする。残酷ないじめは、今でも行われているらしい。その事実をニュースで知る私。後々残酷な事件になるであろう種が、植えられていく。私は今現在、こんな時代に生きている。私は自省しながら、自分を守りながら、これから生きていかなければいけない。人ほど怖いものはなかった。ぶち殺してやる!という言葉が内側から出てくる自分に対しても、怖さを感じる。私はふつうだろうか?それともおかしいだろうか?私だって、それほど綺麗ではない。でもブサイクではない、と思いたい。その不安から、私はあれをいじめたのだ。ブサイクといじめることで、自分の容姿から逃げた?そうなの?と、今更になって自問する。人は、本当のことは言ってはくれない。あの時の私は、自分と向き合うことが怖かった。今でもそれが、継続している?実際、私の容姿はどうなの?不安になって、今付き合っているカレシに訊いた。

「丁度いいブス」
 
 だって。
 ……。

「丁度いいブスってなんなの?」
「綺麗ではない」
「うん」
 と、私。それは認める。
「でもブスではない」
「うん」
 と、私。
「ブス加減が、丁度いいんだよ」
 と、カレシは笑った。
「緊張しないしさ。俺が、俺のままでいられる。要するに、中の下」
「そうなんだ」
「うん、そう」
 と、素っ気なく言った。
 三年も付き合ってると、平気でこんなことを言う。
 本当は自分では、中の上くらいに考えていた。なぜ私は自分のことを、こんなにも理解出来ていないのだろう?人は、本当のことは言ってはくれない。だってそれが世の中で生きることの、コツの一つだから。私は今まで中の上の容姿と勘違いをして、生きてきてしまった。今付き合っているカレシだって、私から見れば、中の下だ。それを理解しているだろうか?言ってみた。

「理解してるよ?だからお前と付き合っているんだろ?」

 と、冷静に言われた。
 私は適齢期である。
 何気なく、待っている。
 だから我慢する。


 そんなカレシとまさか別れるとは。
 襲われたことは、カレシには言わなかった。会社は別々だったし。それがなぜ?カレシは知ってたの?巻き添えで殺されるのは嫌だって、言われた。それが最後の言葉だった。LINEでだった。数少ない友達の紹介で、今のカレシと知り合った。その数少ない友達から漏れたの?そんなことよりこれから私はどうしよう?適齢期だよ?私。このまま独身になっちゃうよ?どうするの?無性に私を襲ったアレをぶち殺したい!カレシに好かれるために、きん玉の裏側だって、丁寧に舐めたんだよ?思い返すと、私のは、舐めてくれなかった。それが私に対するカレシの答えだった?死ねばいいのに?みんな。ちぢれた毛が一本口の奥にいってしまってオエっとなったけど、取りだして、また再開したのに、それなのに!私は一生懸命付き合ったよね?何なの?たいした男でもないくせに。上場もしていない会社の一般職のくせに!容姿が中の下の私の現実は、こんなものなの?無性にアレをぶち殺したい!すべてはアレが悪い!それでも私は上場企業の社員だよ?一般職だけど。今までの私の努力は何なの?フェラが下手だって言われたから、Googleでフェラって検索して、私なりに研究したんだよ?だからきん玉の裏を舐めたんだよ?私にとっては初めての経験で!今までの恋愛で、したことなかったし。私、只今適齢期だよ⁉上場企業だけど、会社がヤバそうなのは理解している。だから!だから結婚したかった。結婚には憧れがあって。だから勉強を頑張って大学に行って上場企業に勤めることが出来た。でも出会いが無かった。ここが、何度目かの挫折ポイント。頻繁に誘われるもんだと思っていたけれど、私にはまったく無かった。でも勉強を頑張って大学に行って、上場企業に採用になって……それが現実の自分を見失わせたのかも知れない?私は過去の数少ない友達にまた近寄って、紹介してもらったのが、カレだった。うまく流れてきたようで、気づいたら流されていた。誰も私に本当のことを言ってはくれなかった。それを今更になって気づいている、馬鹿な私。カレは、私の本質を見抜いていた。だから三年も付き合ったのに、離れていったのだろう?私は今、どこを歩いているのだろう?勉強だって、きちんとしたよ?だからそれなりの大学だって、受かったではないか?就活だって、きちんとしたよ?でも今の私は、自分でどこに立っているのか分からない。相対的に、私は誰かより優位に立っていたかった。自分の本当にやりたいこととかどうでもよくて、誰かと比べてその時に、上側にいたかっただけだ。それに今気づいた。今の場所なら、取り敢えず生活には困らない。でも苦しい。精神的に苦しい。どうしよう?私⁉こんなこと、誰にも相談なんか出来ない。こんな本当のことをしゃべれる友達を、今まで作ってこなかった。それなりに賢かったから、中の下という容姿の現実が、虚飾されていただけだった。私だって、いじめられたことがある。だから勉強を頑張れたのかも知れない?学歴により世の中の階層に仕分けされていくことを、読書で既に知っていた。だから私をいじめる人に対して、俯瞰で見られた。今の私はそれなりの会社の正社員だから、今のところはお金は大丈夫。会社に対して未練はない。ただ、今の会社にいればそれが壁になって、付き合いたくない人と付き合わずに済んでいるという事実は捨てがたい。会社が潰れ、過去に私をいじめた人がいる階層で働くのは、絶対に嫌だ。自分が心地いい場所で働く。その為に、私は今まで頑張ったのだ。私は世の中で働き、その世の中の少しを知った。少しだけれど、もうこれ以上、知りたいとは思わない。なぜなら私は、世の中での限界を知ったから。世の中の、どこにいっても、今の位置は変わらない。そんな確信に気づいた。だったら今のポジションにしがみつきたい。その上で、結婚をしたかったのだ、私は。狡いだろうか?こんな私。日々の生活はシンプル。自宅から会社。過去の私は自宅から学校。でもその学校には、独特の階層があった。私は勉強をすることで、その階層から卒業と同時に抜け出すことが出来た。今の私はある意味自由。世の中に出れば、そんな糞みたいな階層は、すぐにくだらない過去になる。私は耐えられたではないか?だから今のそれなりに優雅なポジションを得られたではないか?誰とでも付き合いたくないという私の確信は、この場所を根源に、導き出された答えなのかも知れない。誰とでも友達になれると思っていた。それは幻想だと知った。今でもその場所は、癒されていない。危険を感じる根源になっている。今はあの時間があってよかったと思える。なぜなら自身の輪郭を知れたから。感情が激しく揺れ、その揺れに対する答えと、向き合うことが出来たから。その答えの連続の先に、今の私が、ある。そして。誰とでも付き合いたくはない。というシンプルな答えが目の前に、ある。職業に貴賤はない。ただ、自分が苦手とする人が集合する場所には、入って行きたくない。入ってこられても、それでも困るだろう?私は私だった。私は私の場所で働くし、生きる。ただそれだけのことだった。学生の頃は、それが分からなかった。誰とでも仲良くすることが、正しいと信じていた。今になって分かる。馬鹿だったと。若い頃は、絶対的なことを信じやすい。免疫がないから。馬鹿だから。過去に、私に嘘を教えた大人たちって、いったい何だったのだろう?今、私は大人だけれど、純粋に若い人に対して、偉そうなことは何ひとつ言えない。だってそんなに立派な人間なんかじゃないから。Googleでフェラって検索して、きん玉の裏をどうやったらうまく舐められるんだろうって考えてるんだよ⁉こんなことは誰にも言えない。表面上は、みんな素っ気なく生きている。きっとその下は、こんな風にもがいているだろう?どうでもいいけど。生活費の為に、表面上を人は生きなければならない。そんなことよりこれからどうしよう?カレシと結婚をするつもりだった。その未来が崩れてしまった。結局過去に私がいじめをやったから、その歪みが時間を掛けて、私に返ってきた?そういうこと?なんだろう?このいらいらする苦しさは?もしかしたら、心筋梗塞になる前兆?こんな肉体的な経験は、初めてのような気がする。このまま私は進んでいく筈だった。なのに!それなのに!無性にアレをぶち殺したい。私はそれなりに性欲がつよい。これからどうしよう?そんなことより何でカレシは下の私を舐めてくれなかったの?今更になって、そんな疑問が溢れてくる。過ぎてみると、気にならなかったことが、気になる。その時は見えなかったものが、見え始める。LINEした。酔った勢いでね。最低な女だって、酔った頭の片隅で思ったけど。


「ブスだから」


 だってぇ。そこに、ブスも綺麗もあるの?訊いたら、あるんだってぇ。私はきん玉の裏だって舐めたんだよ?さすがにそれは打たなかった。
 
 股を広げて鏡をセットしてみる。自分ではよく分からない。だって比べる対象が私の記憶にないもの。下の私はいつもの私だった。無性に弄りたくなって、その日は自慰して寝た。ストレスが昂ると、不自然に性欲が歪む。ちょっとやりたいなっていう時だって、女にはある。に、しても。無性にアレをぶち殺したい。内面の流れが変化してしまった。その変化に、私自身の呼吸が乱れている。だからこんなにも、心臓が苦しいのだろう?こんな自分が、私の中にあった。その自分を治める技術を、導き出さなければいけない。なんでこんなにも現実は、うまくいかないの?不思議でしょうがない。うまくいかないことが、ふつうなの?じゃあ努力なんて、意味なくない?今まで私のやってきたことは、無駄だったの?そんなふうに、思いたくなる。でも両親から離れ自立し、不必要な人間関係を今までの道のりで削いで、自宅と会社の往復の質を上げ、静かに暮らしている。努力をして、その往復を掴み取ったのだ。自宅と学校の往復。人との距離感が分からず苦しかった。そして卒業と同時に不必要な繋がりを切ってきた。そうやって私は楽になってきた。あとは結婚だけだった。それを元カレシは理解しているだろうか?私はここで、この場所で、もう終わりなの?いじめをしたことが一度もない人なんて、いるの?大人になればなるほど巧妙になるから、気づいていないだけなんじゃないの?こんなにも苦しい!生きているだけで、こんなにも苦しい!精神的に!ぶち殺したい!アレも元カレもぶち殺したい!いじめをした、私が悪い。でもあの時不細工をブサイクと言わなければ、私があの時生きられなかった。今でもそんな弱い自分に、吐き気がしているよ?そんな自分を隠して、今まで私は生きてきたよ?過去に歩いてきた歪みが、今になって私に届いた。結婚をし、もし私に子供がいたらと思うと怖くなる。その歪みが子供に向けられていたらと想像する。秀吉ほどの権力を持っていても、死んでしまえば秀吉の残した歪みは一気にその子供に向かった。私は何も見えていなかった。目の前を生きることにやっとで、自身を俯瞰で見る余裕がなかった。人ほど怖いものはない。それを事実として知った。人の痛みを考えることをしなかった私。いじめをしていたあの時から、私の本質はそのままなのかも知れない?なのに、それで今まで生きられてしまった。何を今までやってきたのだろう?いつの時代も人の本質は変わらない。学ぶことは大事だけれど、過ぎる学びは害になるということを、今になって突きつけられている。私は本当に大事なことを疎かにして、そして逃げてきたのかも知れない?今現在の私は、自我を捨てなければいけないのかも知れない。それでも私は生きてきた。そんな達成感から、そろそろ抜け出なければいけないのかも?今の私は、感覚的に生きることに疲れている。感覚的に生きていたから、あの時の私はいじめをしてしまったのだろう?あの時の私は、人としての思想がなかった。だから雰囲気に流されてしまった。それは反省しなければいけない。こんな内面の状態で、私は結婚をしようとしていた。そりゃあ、襲いたくなるよね?と、何気なく思う。愛されたいと、漠然と思ってきたけれど、こんな自分では、愛されないよね?と、今になって気づきはじめた私。世の中で、いじめが蔓延している。それはニュースで知っている。他人ごとだったけれど、なぜか私のどこかが痛くなる。きっと、過ぎた時間に繋がってくるからだろう?元カレと、やり直したい気がする。LINEをしたけれど、既読にならない。電話をしたけれど、コール音が鳴り続けるだけだった。どうやらブロックされたらしい。

 いじめをされた時のような感覚に似ている。遠い記憶になっていたあの時のポツンとした感覚が、今現在の感覚と繋がる。今という現実を受け入れたくないという、共通する感覚。あの時の私が、目の前にいる。あの時も、私の内側は静かだったような気がする。ただ、感覚の外側に、喧騒を感じてはいた。私は自分を守るために、閉じた。その手法で、ここまで生きてきたではないか?私が悪いの?私を受け入れない、あいつらが悪いんじゃないの?どうして元カレは、私を守るって言ってくれなかったの?きん玉の裏側だってちゃんと舐めたんだよ?どうやったら気持ちよくなってくれるだろうって、Googleでフェラって検索して、自分なりに研究したんだよ⁉ぶち殺したい!無性にぶち殺したい!私は努力をして、ここまで来たんだよ?なんでそれを理解してくれないの?みんな死ねばいいのに。

 私の世の中に対する感覚は、どうやらここまでのようだ。これ以上の高みには、もう行けないみたい。いじめられた時に、感覚を閉じた。そこから私の精神レベルは止まったまま。みんな死ねばいいのにと耐えた。人の流れは瞬時に変化する。それを私は勉強しながら耐えた。それで今の場所を手に入れたではないか?他人に対する私の視線なんて、ここから何も成長していない。目の前の仕事はきちんとこなしている。もうこれ以上の到達点は望めない。これから私はどうしよう?私をいじめた人と関わらなくても生きていける環境は手に入れたのに。なのに、人に対する視線は、あの時のまま。

 みんな死ねばいいのに。

 だ。
 私はこのままこの場所で、この思想のまま、終わるのだろうか?新たな不安が私を苦しめる。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...