コントロール

くま

文字の大きさ
上 下
1 / 1

1

しおりを挟む
「がみ、お前リンゴ好きか?」
荻原はいつもどおり、帽子を頭にちょこんと乗せて本を読んでいる。
「いやぁー、まあ嫌いじゃないすけど。果物の中では割と好きです。」
「はぁ、果物?なんの話だよ」
本を閉じながら、荻原はこちらに向き直った。強い口調とは裏腹に目は笑っている。5年経った今も謎めいた先輩である。
「りんごはそりゃ果物でしょ。」
「ちげーよ。アップルだよ、アップル。」
「あーー、そっちか。」
今時、世界のほとんどの人間が知ってる企業をりんごと表現する人間がいるのだろうか。
「おれ、携帯はアイフォン使ってますね。そういや、パソコンもそうだわ。同期すると使いやすいんすよ」
「同期ねぇ、、。なんでもかんでも使いやすい使いやすいでいいのか?」
「いやぁー、楽だし、割とスタイリッシュだし。」
「スタイリッシュって、そんな作業着着て言うか?」
職場では作業着の着用は必須。青色にグレーで、確かにスタイリッシュのすの字も見えない。
「同じもん着てるじゃないすか。それよりアップルがどうしたんすか?」
「がみも言うようになったな。最近一番上が携帯変えたいって言ってきてよぉ。なんかしらねぇけど、アップルのiPhoneがいいんだと。携帯はどれもかわんねえだろ。」
確か荻原には子供が3人いる。1番上は確か高校2年生だった。持ち物には敏感になる歳であることは自分も理解できる。
「いやぁけど、スペックとかもわりといいっすよ。」
「なんだぁ?スタイリッシュだの、スペックだのお前はどっかの都知事か?」
「一緒にしないでください。第一もうそろそろ替え時なら変えてあげてもいいんじゃないですか?」
「いやぁ、なんかイメージよくねぇよなぁ。今日の日経読んだか?」
仕事にあんまやる気を見せないくせに、日経は毎朝通勤で読んでいる。力の方向性が少し違うと思う。
「アメリカのIT4社が公聴会で、叩かれてるってニュース。ITの寡占らしいぜ。よくわかんねえけどイメージは悪いよな。」
読んでる割に理解しようとしてないとこが、荻原らしい。
「まあ、まだ頑張れば使えるし、息子の携帯にはもう少し頑張ってもらう。」
「あら、、そうですか。いつもめちゃくちゃ文句言ってるじゃないすか。やつら頑張って使いすぎるからぶっ壊すんだよ。誰が修理してると思ってるんだって。」
「それとそれとは別だ。」
「もうそろそろ、朝礼すね。」
ああもうそんな時間か、ちょ、トイレ行ってくるわ。
マイペースという言葉は、この人を見た人が作った言葉だろう。
♦︎


「指差し確認します。歩きスマホ禁止、よし。今日も一日ご安全に。」
朝礼を終え、荻原と共に自分の作業場へ向かう。自分らの席は課長の席から遠く向こうの壁際にある。世に言う窓際社員という言葉を作るなら壁際社員という言葉も作ってもらいたい。
正直、人から目につかない場所であるため閉塞感はあるが悪くはない。疲れた時には少し手を抜ける。
「そういえば今週の水曜から、研修生きますね」
「割と、久しぶりだよな。何話そうかな」
毎度研修生がくると、荻原は基本雑談ベース。壁際だからこそ許される。
「技術的な話してくださいよ。いつもみたいに話すばかりじゃなくて」
「カリキュラムもねえのに、技術の話があるか。毎回丸投げじゃねえか」
「まあ、そうすけど」
「なんか真面目そうな学校出てってから、今回は下ネタでも引き出そうかな」
基本ゲームの話がほとんどのことが多い。真面目くんが下ネタでおどおどする姿も割と興味がある。
「話で盛り上がりすぎないでくださいよ。なんか知らんけど、今週めちゃくちゃ修理来てるんすから」
「わかってる。先週までは全然来てなかったのに、急にだよな。先週は最高だったな」
雨災害ということもあり、工場もあまり動いてないのだろう。例年なら夏場の湿気、熱が原因で修理依頼が特に多い時期だ。
「スイッチ押してりゃ、基本こいつが教えてくれるんだから、おれは見守るだけだな」
荻原と自分は修理の中でも、その原因を特定する部門。検査機にかけてその進捗を見守り、原因を突き止める。基本スイッチ操作がほとんどだが、エラーによってコードを変えるなど複雑な部分もある。パズルのような作業とも言える。
「荻原くーん。これ、本当にコンデンサが原因?」
「田島さん、またっすかあ。田島さんが壊してるでしょ」
製造部の田島はコントローラーを手にこちらへ、ニコニコしながらやってきた。製造部というのは私たちが特定した原因をもとに、半田付けなどをして部品などを交換する部門だ。直したものの、正常に動作しない場合、自分らに返されることが多い。
「壊すわけないわよ。何年目だと思ってんのよ。亀の甲より年の功よ」
「そうすね。あたまあがらねえです。」
荻原は帽子を取ると、まるで王からの献上品のようにそのコントローラを受け取った。
「あとこれ、マスク作ったからぜひ2人にも。ちょっと派手だけどね」
「スタイリッシュ・・・」
荻原と自分は声を揃えて、そのマスクに付け替えた。
♦︎


田島が持ってきたコントローラはコンデンサとは別に、電子盤にも問題があった。電子盤に問題があるパターンは製造部にとって厄介極まりない。1ミリほどの回路との戦いだ。
「田島さんには悪いが、しゃーねぇな。あの人もついてないなあ。今日はおれは大事な仕事があるからな」
「なんすか、それ?」
「決まってんだろ。研修生への御指導、ご鞭撻だよ」
「どうせ雑談タイムでしょ」
「おまえはわかってねーなぁ。中年と接する時点でそれは重要なスキルアップなんだよ。電気だの、回路とかいうより中年との雑談が最も重要なんよ。」
「おれ、荻原さんと5年間話してますけど、スキルアップしてますか?」
「そんなに早く成果を求めるな。もっと後に効いてくるから」
5年も経てば、もうそろそろ効いて欲しいところではある。
「まあ研修生の相手しつつ、しっかり仕事も頼みますね。今日は多いんですから」
「はいよー」

♦︎


写真や経歴の通り、いかにも真面目な2人が研修生として来た。荻原を指摘したが自分も割と雑談がほとんど。これも荻原の影響か。ならば5年の歳月は確実に自分に効き始めている。
昼食明け、今度は荻原の担当。いつも通り彼は本を読んでいる。本を読んでいる時は、完全にモードが違う。話しかけることさえ憚られるほど集中している。
「よろしくお願いします。」
入社1年目の爽やかな男性2人が荻原のところへやってきた。
「荻原ですー。まあ、いいん感じにやっていくけど、まず最初に君たちのことについて簡単に聞こうかな」
これが毎度の恒例パターンである。最初にと言いつつ、最後まで研修生との会話が続く
「え!伊坂好きなの!ちなみに何が好き?」
声のトーンが他の話題と明らかに違う。いつもスイッチで検査機を操っている人間が完全にスイッチを若い研修生に押されている。いや、研修生からしてみれば押してしまったというべきだろう。
「あーー、火星ね。まだ読んでないんだよぉ。いつも気になってはいたんだけどねぇ」
「ぜひおすすめです!ゴールデンスランバーの次におすすめです!ほんとに」
読書スイッチいや、伊坂スイッチは研修生にも押されていた。
そういえば誕生日に荻原から5冊の本をプレゼントしてもらった中の一冊に伊坂という名前があった気がする。未だに1冊も完読していないことには申し訳ないとは思っている。おれに読書スイッチなる魔法のスイッチはないのだろうか。
定時まであと一時間というところで、研修生を送り出し仕事のまとめにかかる。
「いやぁ、下ネタ聞こうと思ったが完全に本の話で盛り上がれたなぁ。満足満足。」
「荻原さんが満足してどうするんですか」
「がみも、彼らを見習って本を読んだらどうなんだぁ」
「そこは否定できないすけど、続かないんすよねぇ」
「本ってのは、言わば出会いだな。人っての出会いを通じて成長する。読書は人との出会い以上に多様な世界との出会いもある。経験できない世界との出会い。それが本だな。あとなによりずっと若くいられる気がするんだよな」
本のことになるとやはり熱い。けど、説得力がある。なにより荻原と話していると三児の父とは思えないほど、同じ目線で会話している感覚になる。
「そんなことより、全然おわんなかったわー。こいつら検査全然通んらねんだよな。」
「6つ、製造部に持ってってませんでしたか?」
「6つとも全部返された。一つだけなら、まだしも全部返ってくるなんて、今までなかったなぁ」
「雑談盛り上がってたし、もう一回やったらわかんないすよ。」
「もう一度やってみるけど、なんか気になるよなぁ。これ全部同じ企業なんだよ」
「どこっすか」
「ルフィリエトって会社。この会社修理で帰ってくるの初めてだよな?」
「聞いたことないっすね。」
早速顧客データベースで検索をかける。どうやら台湾の電子部品メーカのようだ。その画面を荻原が覗き込む。
「電子部品なら、比較的きれいな工場だよな。油で汚れてる風でもないし、熱劣化でもなさそうだよな」
「まぁ、また回路パターンですよ。こんどこそ田島さんに嫌われちゃいますよ」
「そうだといいんだけど、なんかめんどくさそうだな」
「まあ、また明日っすね。早くしないとバス乗り遅れますよ。」
「おう。けど、ちょっと書類整理してからいくから先行っててくれ」
17時のチャイム。課長に挨拶をしてバス停へ早足で歩く。本当に工場からバス停まで遠い。しかも今日は少し強い雨が降っている。今日はと言いつつ、終わらない梅雨とともに最近はいつもこんな感じだ。一本乗り過ごすとバス停で30分も待つ羽目になる。
無事バスには乗れた。
「つ、つ、つぎはー、東武ブルーヒル前ーー。みぎまがりま、。あっ、つぎ停車し、しまーす」
どうやら運転手は研修中のようだ。今日の研修生と同じような真面目な顔立ちだか、明らかに緊張している。すぐ後ろには教官のような人物が立っている。
「大変だなぁ」
そう呟きながら、運転しながら話せねばならないという複雑な仕事に同情を抱いた。
今日は疲れたのか、電車に乗って気付いたら自宅の最寄駅に着いていた。ぐっすり寝ていたようだ。定期を取り出そうとすると、嫌な予感が走る。
「社員証、忘れた」
思わず言葉が漏れてしまった。

♦︎

「すいませーん。社員証忘れちゃったんで入っていいですかー」
夜8時。守衛はなんの疑いもなくおれを中に入れてくれた。こんなのだれでも入れるじゃん、とセキュリティを伺いながらも夜の工場を歩く。
基本的に夜勤はないため、静寂が続き、少しの不気味ささえも感じる。やっと到着したと思い、電気をつけようとすると一箇所だけ既についていた。壁際。荻原さんの場所である。あの人が残業するなんて珍しい。いや、これまでにあっただろうか。どんな皮肉を言ってやろうかとワクワクさせながら、入るともう一人聴き慣れた声がした。
「荻原、これまさかとは思うが気付いたか。」
その声は課長である。
「なんとなくっすけどね。
「そうか。わかった。お疲れさん。おれ上がるから。身体に気をつけてな。」
「お疲れ様です」
課長が出口へ向かってくる。とっさに近くのトイレの個室へ駆け込む。真っ暗な工場の、真っ暗なトイレ。足元もよくみえない。恐怖が身体に染み渡るが、洋式であることが唯一の救いだ。やがて荻原もそのまま帰宅していった。かれらの会話がなんのことだったのか気になりながらも、早くこの不気味と恐怖から逃れたく、一目散に社員証を取って、帰った。
明日からは4連休。遅く帰っても明日はゆっくり寝られる。

♦︎

連休明けの初日は5年経った今も慣れない。気怠さとともに出勤。そういえばこの4連休は本当はオリンピック真っ只中だったらしい。ほとんど雨だったことを考えると延期したことも不幸中の幸いといえるかもしれない。バスの遅延もあり、時間ギリギリに朝礼に間に合った。荻原に皮肉の一つでも言われるだろうなと思いながら朝礼の場所へ行く。
「今日も一日ご安全に」
いつも通り、朝礼を終えて壁際の定位置に向かう。どうやら今日は荻原は有給のようだ。働き方改革だのなんので会社も神経を尖らせている。有給取得率という数値は企業の労務を測る重要な数値とされるためだ。しかし4連休と重ねてくるなんて、なかなかの図太さである。仕事の負担は重くなるが、今度必ず飯奢ってもらうとしよう。あと3日頑張れば企業の創立記念日である。
3日とも一人で仕事をこなし、かなりの疲労感を感じる。荻原の図太さには頭が上がらない。飯だけじゃ足りないと思いつつ、何を奢ってもらおうか考えながら帰路へ着く。バスの運転手はこの前の研修生のようだ。
「走行中は危険ですので、席を立たれないようお願い申し上げます。」
いつのまにか一人前になっている様子に感心しつつ、自分の1年目を思い出しながらバスに揺られた。
♦︎

「今日も一日ご安全に」
朝礼を終え、壁際の定位置へ向かう。荻原は今日も有給か、使いすぎではないかと疑問に思ったがそれ以上に驚いたことがあった。机がきれいに片されている。検査機さえ、電源が落ちている。
さすがにおかしいと思い、製造部へかける。
「田島さん!どういうことですか?」
「あら、おはよう。何の話?」
「荻原さんですよ!何があったんですか?」
「あーー。聞いてないの?福岡のロボットの課に移動になったよ」
問いただそうと、言いかけた瞬間。
「野上さんー。社内便届いてます」
総務の人から手渡された。今はそれどころではないと思いつつ、宛先には
<リペア2課 荻原誠>
        ↓
<リペア1課 野上様>
の文字がある。そこに理由が書いてあるのだろうと、田島に目もくれず今となってはすっからんかんの壁際の定位置へ向かう。開けると手紙らしきものはなかった。その代わりに真っ赤なりんごと一冊の本だけだった。
『オズ・ワールド』平針三吉
かなりの分厚さの本であり、いつもの自分なら本を開くことすらないだろう。しかしその本と荻原に吸い込まれるかの様に1ページ目をめくった。

しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(1件)

辻 雄介
2021.08.14 辻 雄介

お気に入り登録しときますね!

解除

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。