夢の骨

戸禮

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2章 巌窟の悪魔

12 船旅

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佐呑島さどんとう。別名、佐呑島さどんのしま
 TD2Pや政府が推進する島の市街化調整区域縮小の動きで近年になって大規模な開発事業が増えた日本海有数のリゾートだね。面積的に言えば沖縄本島に次ぐ大きさを持ちまして、沖に出てからカーフェリーなら3時間。ジェットフォイルなら1時間で島に着くけど、本来なら皆さんのようなTD2Pの方々はヘリポートを利用できるから空中移動が多いんですよ。でもね、まぁVはなるべく存在を秘匿させるってのがあちらさんの方針なもんで、俺としても不服ではあるんですがわざわざ本島に戻ってきてから皆さんのお出迎えをさせて頂いたわけです」

 TD2P管理塔捜査部所属。
 ガブナー・雨宮あまみや 警部補はへらへらと笑いながら言う。
 彼が佐曇汽船のターミナルでキツめのサングラスと派手なアロハシャツを着て一向の前に現れた時には皆がそれなりに身構えたが、示されたTD2P捜査部の身分証を見て疑い半分ではあるものの彼をガイド役として同行する運び
になった。
 ガブナ―は目元をまるまると隠してしまうような大きな丸いサングラスを掛けている。確かに海を見るには裸眼では眩しく思うシチュエーションもあるだろうが、今は生憎にもかなりの曇天となっている。鬱屈とした空気こそ海の広々とした雄大さを前に対して感じるわけでもないが、代わりに強く吹いてくる風に揺られる船内はあまり快適とは言えなかった。


「じゃあ雨宮警部補は普段は佐呑に?」
「そうっすね、普段は佐呑支部で管理塔の仕事をちょいちょいと。ってか、自分のことはガブナ―って呼んでくれていいですよ。友達になるわけじゃありませんが、仕事気質で行くほどちゃんと働くわけでもないんで」
 ガブナ―は英淑に笑いかけた。

「佐呑の人口は面積の割に少ないんで観光するには持ってこいですし、住むにしてもそんなに悪い土地じゃありません。ただ、TD2Pが進出するまでは結構な区域が重要文化財関連の土地規制で市街化調整区画に指定されてましてね、まー交通インフラがひどいもんだったんすけど、今では結構動きやすく整備されました。TD2Pの職員用に空輸でいろんな製品が本島やら外国から取り寄せられて、そういうのが一般にも流れることが多いから生活は新旧入り乱れたチグハグなスタイルが結構見られますねぇ」
 
 ガブナ―、唐土、英淑は数段の階層に分かれたうちの四階に相当する場所にあるテラス席の辺りを歩いていた。
 強めに吹く潮風の影響で少し髪の毛がべたつくが、見慣れない大海の眺望に唐土は心を躍らせながら、仕切りにテラス席の端に身を寄せて海を見下ろしている。海を割るように突き進むカーフェリーが生み出す大きな波の軌跡もまた彼には目新しく、水面を見るたびに思い出していた英淑からのスパルタ教育の思い出も掻き消されるようだった。
 整備技師であるセノフォンテ・コルデロはどうしているかというと、ガブナ―がキンコルから預かっている資金の都合上でどうしても全員が予定していた一等級客室を利用することが出来ず、誰かが二等級客室に行くことが迫られたことによって職務上の優先度からして等級を下げることが暗黙的に言い渡された彼はふてくされながら二等客室で雑魚寝を決め込んでいてた。

 午前九時台の運行フェリーとはいえ、周囲は観光者や帰省人、スーツ姿の企業戦士の姿が多く見られた。まだまだ早い時間であるということも気にしてか、ガブナ―は二人に食事処の案内をし、それ以外にも基本的なフェリーの構造や待機場所などを説明して回った。
 航行時間がそれなりにあるという点からガブナ―は軽くうたた寝する程度で待っていた方が良いと言った。ガブナ―はTD2Pが製薬業界と提携して売り出している『WAF抗高負荷睡眠剤』という薬を手渡した。
 このWAFという薬は、悪魔の僕の出現以降に夢の世界での人身被害を最小限に抑えるために開発された薬剤だった。これを摂取した後の約5時間程度の睡眠時には世界中で繋がってしまった夢の世界の中での活動から高確率で隔離できるとされている。

 そもそもこの世界における夢の在り方は大きく分けて3つある。
 一つ、一般的なレム睡眠と呼ばれる脳が覚醒した状態での眠り方。明確な定義は悪魔の僕の登場以前に提唱されていたレム睡眠とは異なる入眠形態とされる。夢想世界と呼ばれる人類共通の夢の中の世界が出現した後、人々は脳波の波長や無意識領域での判定で全ての夢想世界の中から夢の世界での自分の"座標"が確定する。確定したその座標にはかなり実物に近い意識感覚を有する睡眠者の魂と呼ばれるものが存在し、現実世界とそう変わらない対人コミュニケーションや状況に応じての戦闘が行われることがある。
 このレム睡眠を行っている間、睡眠者は精神体となって夢の世界のとある座標に出現するとされるが、余程の強い因縁や理由がない限りその座標は一定範囲内のランダムな値を採るという。これには現実世界オーバーワールド夢想世界アンダーワールドの空間容積や体積の違いが影響している。定説では現実世界での1㎥の空間は、夢想世界での300㎥から1000㎥の大きさを持つとも言われているため、寝る場所が近くだったり固まったりしていても夢の世界で同じ場所にいるとは限らないのだ。
 夢想世界の全体の形や大きさは誕生から変化しないとされているが、睡眠時にこの座標をパスとして指定しない限りはというのは基本不可能であり、これは同時入眠者が多くても夢の世界で多くの人は邂逅しないまま目覚めるという今の世界の状況を作り上げている。

 二つ、これは夢を見ない睡眠である。これは不入睡眠ふにゅうすいみんと言われていて、体調や精神状態に合わせて約六割の人間が毎回の眠りにこの睡眠方法となる。これは単純に夢想世界に入らずに完全に意識が沈黙した状態での睡眠であるため、夢想世界でのトラブルを受けることがないとされている。悪魔の僕の出現以降、夢想世界に入ることを嫌煙する人間も相対的に増え、様々な民間大手や政府が作る睡眠剤でこの不入睡眠を体に強制して処世術とする流行も存在した。だが、一般ではレム睡眠とこの不入睡眠は睡眠時に交互に切り替わる性質がある。入眠から覚醒までの間にずっと不入睡眠の状態を維持するのは厳しいとされているし、それを避けるために継続的に薬を摂取するために必要とされる金額も高額であるため、常に安全を確保するにはやはり富裕層のような資金力が必要だと言われて貧富の格差のテーマとして取り扱われることも多い。
 これを避けるための手段として、夢想世界での精神汚染やトラブルの際の心的負担を軽減するためにWAFのような薬が奨励されているが、これもまた安い薬ではないため、毎回の睡眠でこれを利用できる人間は少ない。

 三つ、これは夢想世界において、とある座標を私有化している状態を指す。自身で解除しない限りその夢想世界の座標を入眠時の潜航地点として確立することができるのだ。これは座標指定された睡眠のパスでも同じことができるが、もっとも有名で強力な手段とされるのが『固有冠域』の生成である。
 これは固有冠域を作り出すことにより、夢想世界では新しい個別の空間が生み出されたという判定になり、夢想世界の座標とは別に自分が生み出す乱数を付加した可変長の暗号化の作用が働くためとされているが、一般には明確な手法は公開されていない。これを再現できるのは、TD2PやAD2Pのような専門機関での訓練を受けた者や一部の才能を持つ人物、固有冠域を生成できる悪魔の僕などに限られるとされている。

―――
―――
―――

「おい嬢ちゃん、そんな釣り竿ぶら下げたって船から釣りはできねぇで?」
 訛り混じりの老人の声が英淑に届く。
「あ、いや。これは違います。釣り竿ではありますが、待機所に置いておくのが嫌なので担いでるだけですので」
「そうらんね。佐呑らとばかえぇ釣り場もあるらね、嬢ちゃんも観光ららよぅ調べていきなせ?」
「はい。ご親切にどうも」

 英淑は決まりが悪るそうにフェリーの場所を移動し、唐土と共に食堂に移動した。

「やっぱり、長物隠して移動するのも大変ですね。釣り竿っぽくしてケースに入れても、そもそも釣り竿常に担いでる人も少ないですし」
 唐土は彼女が釣り竿ケースに収納している片手剣をチラ見しつついった。シンプルにこの国ではこういった刃物を携帯しているのは法に抵触し、それはTD2Pの軍部の人間だからといって許容されるものではない。カモフラージュのためとはいえ無理のあるレベルの扮装に唐土も少し呆れ気味だった。
「軍ではそれなりに名を通していたから堂々と佩いていたが、こういうシチュエーションは昔からニガテなんだ。別の任務で都市部でギターケースに入れていたこともあるが、さすらいのシンガーソングライターに絡まれて中身を見せてくれと迫られたもんだ」
「そんなことが……で、その時はどうしたんですか?」
「小一時間ほど拘束されて頭に来ていたこともあってな、路地に連れてって中身を見せてやったとも」
「…………コロシテナイデスヨネ?」
「死んだという報告は来ていないから問題ないだろう、多分」

 海を見渡せる眺望の食堂にて並んでカレーを食べる二人。そんな二人の傍らに別の人物が出来立てのカレーを持って席に着席した。

「なんで君らはそんなに血生臭い話ばっかりするんだか」
「コルデロさん。荷物は良いんですか?」
 唐土はもぐもぐしながらコルデロに顔を向ける。
「なんか盗られてもどうせ佐呑にみんな行くんだから、ちゃちゃっと取り返せば良いんだよ。てか、俺だって飯食いたかったし、そしたら君たち随分とのんびりカレー食ってるじゃん。なんか仲間外れ感強くね、俺」
「ほほう。嫉妬か」
「ちげぇよ」
 
 彼も勢いよくカレーを頬張る。三つ並んだカレーの皿から溢れる香りに背後を通りすぎる人々がもの欲しそうに視線を送ってくる。

「雨宮警部補がお前を探していたぞ。多分、私たちのあとに案内でもしてくれようとしたのだろう」
「あのグラサン、信用して大丈夫か?」

「良い人でしたよ。ガブナ―さん。……あの人、白さんの剣に多分気が付いてましたけど、苦笑いしてただけでしたし」
「…………」

「人柄ってより、信条というか。…あのグラサン、とんでもないキンコルの信奉者で有名だぜ?管理局でも結構グレーゾーンの仕事でも、キンコルが言うからって簡単にやっちまうような奴だし、捜査中は規律よりもキンコルからの伝令を優先するって上層部は骨を折ってるそうだ。まぁ、キンコルも上層部みたいなもんだし、ちょっとした派閥争いの駒みたいなもんだろうけど、あんまり関わると俺たちもキンコルの派閥に取り込まれちまうかもよ?」

 すると、コルデロと唐土の間にぬっと顔が現れる。

「わぁ。旨そうなカレーじゃないっすか!なんか俺も腹減ってきたなァ」
「うわ!」
 カレーを見て舌なめずりした後、ガブナ―雨宮は首をきりきりと曲げてコルデロをサングラスの奥の目で捉える。
「あなたも案内してあげますよ。佐呑汽船ってのは佐呑周遊の思いで作りには持ってこいですんで」
「…そりゃ、どうも。へへっ」

「でも、もうちょっと後になるかもしれません。申し訳ないんですが、あんまり良くない状況になりまして、白英淑さんのお力も必要になってくるかもしれません」
「………?」
「食べ終わってからで結構です。さっき説明したフェリーの屋上部までよろしければいらしてください。……その時には是非、唐土さんとコルデロさんはご一緒に行動して頂ければな、と」

「…………」
 英淑は暫く頬張ったカレーを黙って咀嚼していた。傍らの水を静かに飲み込み、ぷは、と口を離した際に一瞬だけ目を細めて言う。

「いいでしょう。上に行けば良いのなら、お先にどうぞ。生憎、食事は急げない性格でして」
「ええ。結構ですよ。では後ほど」

 ガブナ―は英淑と傍らの釣り竿ケースを一瞥して歩き出す。

 両手をポケットに突っ込み、サングラスを利かせた厳つい佇まいでずかずかと船内を歩いていく。その表情にはどことない緊張感から強張りが生じ、すれ違う子供たちが少し怯んでしまうほどだった。
 食堂を抜け、通路に出る。様々な観光ポスターが貼ってある道を抜け、いくつかの部屋と扉を通過して、先程までいたテラス席に出る。そこから上に向けてしばらく通路と階段を進んでいけば、数分とかからずに屋上部に辿りついた。

 展望ラウンジにもなっているため、見晴らしはかなり良い。空を仰げる大きな背景に雄大な海が広がっている。風が強く曇った天気であるために普段なら飛び乱れるウミネコの数もどこか寂しげな数だが、強く打ち付けてくるような風もあってラウンジの人の姿はそこまで多くなかった。

 人が少ないからこそ、ガブナ―雨宮は目的の人物をすぐに見つけることができた。

 闇社会に名を轟かせる"仲買人ブローカー"であり、様々な夢想世界犯罪に関与した重要指名手配犯。
 目撃情報だけでも1万ドルの報酬金が動くとされる怪物。通称、『曲芸師クラウン』と呼ばれる大犯罪者だった。

 ガブナ―は固唾を飲み、それを睨みつける。
 
 風に暴れるアフロな髪型をした青年はそれに気が付き、楽し気に彼に手を振った。


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