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10章 Hello World
100 楽園へ續く道
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『今はただ……お前に勝ちたいッ‼‼』
黒き太陽が引き裂かれ、身も体も失くした魂魄が叫ぶ。
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積み重ねた玩具を自ら蹴倒す虚しさより。
御都合主義に塗れた己の身勝手を嘆くより。
全てに先んじて、何もかもを捨て去って、それでも掴み取りたい夢。
ニーズランドの"死神"から。
一介の夢を叫ぶ"悪魔の僕"へと。
―――
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浮かび上がった二つの蒼炎が瞳を成す。
夢想解像によりゼロから肉体を再構築し、死を超越したその先の器を生み出す。
【生と死の逆転】
夢の世界の死を廻らせる神が、己の裡にある宇宙を反転させた。
それはひとえに自らの意思を突き通すため。
夢にまで昇華させた”技術的特異点への勝利”を享受するための我儘だった。
彼が舞台で輝くために得た”死”という地位を脱ぎ捨て、それでいてこれまでに自らが起因して奪われた命に栄冠を願った。
奪い。殺し。蓄えたこれまでへのアンチテーゼ。
それは悔恨とも懺悔とも違う贖いの形。
人類史の終局を忌避するため、即ち人類全体の層理を維つため。
ニーズランドに廻らせる全ての”死”を逆転させた。
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ニーズランドに堆積した死が仄かな光を浮かべる鬼火となって舞い上がる。
無辜の魂は仮初の肉体を取り戻すべく、自らの夢の果てとして骨を内包したブーカの獣に吸い込まれてゆき、形を持たない死者たちが薄桃色の水晶柱に居場所を求めた。
薨域は閉じ、獲得した"非業砲:ケレス"、"鍵聖剣:オルクス"、"屍輝房:ハウメア"の起動を許す死神の権能は消失した。
これまで手中に収めていたカードを捨て去ったラーテンに対して、敵対者たるマーリンの能力は"生と死の逆転"の影響を受けていない。マーリンが採っている贄のメカニズムは、"観懲三臣"及び"相対する煉獄"の観測対象を人類から己へと変換している。
故に、マーリンが享受している自己犠牲による能力向上は未だに淀みなく彼の分体を含めたマーリンという座標に還元され続けている。
依然として圧倒的に自己が優勢な状況下に置かれながら、それでいてマーリンの表情は親の仇でも前にしたかのような剣幕に覆われていた。
「…………………………………………………」
「お前に勝ちたい。欲を言えば、勝ち方にも拘りたい。
これだけ大量の人間を殺してきて……数え消えない程の夢を奪ってきて……こんなことを願うのはこれ以上に無い身勝手と贅沢であることはわかってる」
「……………………………………………………………………」
「それでも。
それでも俺は全人類を代表してお前という脅威からこの星の"これまで"を護りたい。
既に支配権を奪われたニーズランドを"技術的特異点"から奪い返し、お前がやろうとしていたように、地球の表面をリセットする"真航海者"の到来とその脅威から人間の魂と夢の空間を亜空間に切り離す。
お前が想い描く楽園は……本来であれば人類全てが紡いできた歴史の途上にこそあるべきものだ。
ここで今一度、お前の"夢"を絶つために挑ませてもらう」
「……………………………………………………………………………………」
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「……………………………………………………………………………………はぁ」
溜息。
人類史の終着。技術的特異点はその時何を想ったか。
「………良いと思うよ。貴方が愉しそうで羨ましい」
「辛いなら引き返せば良い。お前という呪いがいなければ、この世界に昏山羊の病は存在しないんだ」
「引き返す?……引き返せないよ。こっちがどれだけの巡礼の旅を進み続けたのか……知らないだろうに」
「巡礼?」
マーリンの姿が熔ける。
夢想解像により骨格を恣意的に縮小させ、身の丈が年端もいかぬ青少年のそれへと移り行く。
「気にしなくて良いよ。こっちの都合なんだから。
そっちはそっちで愉しんだら良い。自分の好き勝手にスタンスを変えてさ……大犯罪者だの、主役だの、死神だの、人類史を護るだの……。自分が納得できる適当な理由を付けて僕の邪魔をすればいい。
自分たちが戦う理由なんて何でも実の所なんでも良いんだろ。お前たちはいつもそうだ」
マーリンの双眸にて重瞳が燃える。
仄かな虹色の靄を立て、奥底にて紫色の光が迸る。
「一つ聞きたいんだけど。……僕は人類には含まれないの?」
「…お前が?」
「唐土己。ボイジャー:アンブロシア号。アーカマクナ:モデル・マーリン。
ねぇ。教えてよ。最初から人間じゃなかった僕にも、確かに人間として過ごした一時がある」
「お前は人間じゃない」
「そうだよね。そういう前提が無いと、僕たちの立っているこの場所に意味がなくなってしまう」
「随分とお喋りになったな。さっきまでは機械染みた薄気味悪い丁寧語だったのに、今はまるで駄々を捏ねる子供を相手にしてるようだ」
「お互い様でしょ。自分だってさっきまでは自慢の玩具を散らかすだけの子供だった」
「……なら改めて俺たちは対等だ。自分たちの我儘を通すため、この仮初の関係に決着をつけなくちゃいけない」
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「もう、疲れたな……」
唐土己の周囲の空間が白と黒の背景を持ち、不気味な光の明滅を放つ。
「ボイジャー:クロノシア号の力で何度もやり直した。……因果を観測し、干渉し、敗北を積み重ねながらも丁寧にやり直した」
「…なんのことだ?」
「第六圏で大曼荼羅を顕現するタイミングで僕は運命にセーブを掛けたんだよ。
そこからの戦闘で僕は百二回、貴方に殺された。
反対に僕は貴方を千七百飛んで八回仕留めた。
……再発式因果まで絡めて。継承した冠域の全てを盛り込んで貴方を追い詰めた。
でも、因果ってヤツは良く出来てる。どれだけ貴方を殺しても。どれだけの絶望を味わせても。貴方は最終的にその立ち位置に在る。しかもここから先をシミュレーションしようとすれば、セーブを掛けた第六圏との存在格の同一性と一貫性を保てずに因果そのものが飽和し、僕の存在が破綻してしまう。
だから何としてでも、この場に貴方が立つ前に完全に仕留めてしまいたかった。
でも、やっぱり、どうしてかそれは叶わない」
「ボイジャー:クロノシア号の権能。……俺が全く歯が立たなかったのはお前が丁寧に俺を殺すための経験値を積みながらやり直しまくってたからってことか」
「その癖、心機一転してまるで自分が世界の命運を握るヒーローですとでも言わんばかりの臭い立ち位置に落ち着きやがる。嗚呼。なんて恨めしい。なんて嘆かわしい」
七つの竜の首頭。
唐土少年の背からノーモーションで放たれたそれらは、巨木の幹のような首をしならせながらラーテンの身一つを喰らい尽くさんばかりに押し寄せた。
「もう疲れた。……だからさっさと終わらせよう。大義名分も何も要らない。
お互いのちっぽけな夢を語り合うのも馬鹿馬鹿しい。
改めて言うよ。
僕に全て差し出せ」
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大顎を拡げて押し寄せる悪食の権能。"光喰醜竜"そのものが持つ攻撃速度は本家であるボイジャー:グラトン号、及びその最終形態である"蠅の王"ユーデンを大きく凌駕していた。
瞬き程の数舜を要せずに肉迫した竜の首頭に対し、既に回避が間に合わないことを理解しているラーテン。
この場にこの瞬間において、自らが新たに獲得した悪魔の僕としての本懐を果たさんと、心の中での詠唱と指先を智拳印の形に噛み合わせを見せつけた。
「固有冠域展開:楽園へ續く道」
それぞれ一面ごとに別の発色を持った正十二面体の空想壁がラーテンを内包する。
夢の骨を冠域としての定義構築に組み込み、自己を最強と定義する純然たる冠域の効能を付与。
次いで、内包された世界に自分自身の夢の憧憬を描写する。
夕焼け空。
渡り鳥の群れ。
疎らに在る水溜まり。
風に圧される入道雲。
地平線まで延びる草原。
どこか遠くから薫る花香。
少し砂利の混じった赤土から成る曲道。
されどそれは只ひたすらなる一本道として進路を描く。
竜の首頭はたちまちに見るも可愛らしい粘土質のオブジェクトに変貌し、速度も威力も消え失せたそれをラーテンは自らの拳にて手折る。粉と砕けるそれらを横目に、誕生したばかりの冠域を外側から打ち砕くベンガル砲の轟音に耳を傾けた。
茜色の空に罅が入り、次第に弾痕が空を黒く穿つ。
ガラス細工のような空が音を立てながら砕け割れるとその穿たれた虚空の奥には双眸を紫色に燃やした唐土少年の姿があった。
「死神の権能。薨域令開は冠域のメカニズムとは根本的に違う原理で働いているが故にベンガル砲の持つ冠域特攻効果の適用対象から外れていた。反対に死神状態では死霊に特効効果を持つ"楽園双眼鏡"の能力が明確な弱点を齎していた。所詮今はそれを反転させただけ。この期に及んで僕の前で"冠域"を使って戦うという愚策をどう勝利に繋げるつもりか……質問するのも馬鹿らしい」
冠域の外側から再度斉射されるベンガル砲の轟音。冠域破壊に特化したアーカマクナとしての長所を存分に奮いながら、本体である唐土が襲い掛かる。
少年の姿のまま人蜂形態に移行した唐土は、その形態での十八番であるノーモーションからの急速突進にてラーテンに激突し、その勢いのままラーテンの顔を正面から掌に収める。地面に向けて頭から叩きつけようとする一瞬の間に澐仙の"極点・熱砂の急"を発動し、砂利道を超高熱の砂丘に変化させた。
熱砂に擦られたラーテンの頭は白煙を上げながら炎上。冠域の塗り替えによって一面が砂漠に変化した後、急勾配の砂丘を転がり落ちる彼に向けて、空から白雷が大気を裂きながら押寄せた。
黒く焦げてよろけたラーテンに対し、ドナルド・グッドフェイスの"最期の晩餐"を発動。冠域を維持し得るだけの集中力と精神性を欠いたラーテンは自らの冠域を決壊させ、冠域内の様々なバフが削がれた彼に対して、ダメ押しにもなる禁断の惑星"真善美叛意"の凝縮された超火力攻撃。
肉体の維持など望むべくもない圧倒的なエネルギーの飽食によってラーテンの体躯は引き裂かれたぬいぐるみのように飛散した。それと同時に彼の内部に在る魂は、再度ニーズランド第三圏に放りだされることになる。
その時、彼らを取り巻く第三圏の外側から、ブーカの獣が一挙に侵食した。
それはまるで、ラーテンを見守る観衆であるかのように。
そして、ラーテンを護る盾であるかのように彼の周囲を取り囲んだ。
依然として確立されている圧倒的な実力差。
それでいてなお、唐土己の裡に渦巻く憎悪にも似た感情は、目の前の現象に対して度し難い怒りを表情にまで刻んだ。
「……そういう感じね」
ブーカの獣の一端がラーテンの魂魄に触れる。
枯れかけた花が息を吹き返すように、ラーテンの魂はブーカの獣から注がれる人類の夢の坩堝からなるエネルギーを供給され、ラーテンの仮想体を構成する上半身のみが一時的に復元された。
そして、瞼を閉じたまま指先を絡めて智拳印を成した。
「固有冠域展開:楽園へ續く道」
再びラーテンの冠域が第三圏に顕現する。冠域そのものが持つ最適化効果により上半身のみだった彼の身体の全身像が修復され、閉じていた瞼を開けばそこには薄桃色の瞳と仄かな虹色に染まった光が奥底に渦巻いていた。
茜色に照らされる一本道を駆け出し、道の先にある唐土己に飛び掛かる。
全身で表現された渾身の一撃。大きく腕を振り被り、勢いと気持ちばかりが先行するような隙だらけの一撃を少年に向けて振り抜く。
「解承」
唐土少年は指を鳴らす。
澐仙から継承した夢想世界の管理者権限による冠域構築の強制解除を働かせ、展開されたばかりの"楽園に續く道"を消滅させた。ベンガル砲に加え、この"解承"の力を持つ唐土己の対冠域性能は、以前に発揮した対死霊の性能とは比較にならない絶対的な性能を確立している。
解承を使うことで必然的に唐土少年自身が持つ数多の冠域は、展開済みのものを含めて同時キャンセルが働くために使用不可となる。しかし、唐土己の本来の姿はアーカマクナであり、冠域を用いずに悪魔の僕を踏破するためのボイジャーの対極存在である。
解承と同時に剝き身になったラーテンに間髪入れずにベンガル砲のリソースを潤沢に注ぎ込む。そこに生じる圧倒的な殺傷性能はもはや対冠域砲の性能云々を差し置いて、ただひたすらに目の前の敵を撃ち砕くための破壊兵器の側面を見せた。
「固有冠域展開:楽園へ續く道」
身を穿つ砲弾の嵐に晒されながら。
冠域を毀すための弾幕を浴びながら。
それでもラーテンは三度目の冠域展開の択を取った。
沈黙のままに拳を固め、燃える瞳を交錯させる。
道の先に在る唐土少年を拳の先に捉え、弾幕により躰面的の七割を削がれながらも拳打を成功に導いた。
―――
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拉げた上体が頭に砂利道を迎えさせる。
砕けた鼻柱の先で突き刺さるような鋭利な痛みを噛みしめ、鼻腔で泡立つ己の血を舐めとる。
「……解承」
唐土少年は反撃よりもラーテンの冠域消滅を優先させた。
「ハァ……馬鹿馬鹿しい」
唐土己が感じ取った"楽園へ續く道"の効果。収斂進化による冠域知識の粋である彼であるからこそ、何一つの思い違いなくその優位性と独立性に完全なる理解を示した。
それは、より純粋な冠域本来の使い方。
夢想世界という闘争環境に置かれた人類が進化の過程で編み出した固有冠域という舞台装置。その本懐は自らの最強の定義に他ならず、他者の冠域と覇を競い合う世界における優位性の確立のためにこそあるものである。
故にその攻撃性能は保有者の夢の形に左右される。
己の脚に現実世界では叶わぬ韋駄天の様を期待する夢。
現実世界では食指の動かぬ我が身に、夢の中であれば誰に咎められることもない悪食の欲を任せられる夢。
どれだけの犠牲を払ってでも、偽りの正義の偶像で在り続けるための夢。
然るに、冠域は手段に他ならない。
例えば、己の夢を阻む対象がこの世に一つしかないのであれば。
例えば、そのものさえ斃せば己の望みの全てが叶うのであれば。
その冠域の効果に余分な設定は必要ない。
握りしめた拳そのものは人間と変わらない。
"楽園へ續く道"に与えられた効力は、己の道を阻むものに対する最終的特攻効果。
殴り飛ばされた唐土己が本来有するはずの高水準の防御性能。複数冠域を使役する王に相応しき揺るぎない深度。触れるだけで人間が幾度死んでも釣銭が出るほどの精神汚染を齎す瘴気の壁。
それらすべての障壁を擦り抜ける"防御無視"及び"耐性貫通"。
達観した能力の全てを塗り替えるのは、余分を捨て去った純粋な在るべき闘争の形だった。
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加えて、唐土少年の感じ取ったラーテンの不退転の決意。
彼が死神の権能を得る前から有していた"十四系の扉"の無法な空間転移能力。
彼が夢の心臓で在るが故。彼が夢の心臓であるが為に有していた唯一無二の強みを既に彼は手放していた。
圏域同士を繋ぐ十四系の扉には、魂を迎合したブーカの獣の侵食により、体積したブーカの獣が亜空間の硬直を齎していた。
それはつまり、自らが創り出したニーズランド内での縦横無尽な機動力と引き換えに、十四系の扉が持つ弱点の克服を表している。
ラーテンと同じように十四系の扉の使用が出来なかった唐土己からは、"舌がキエフに連れて行く"により実現した分体との接続が強制的に解除されていた。他冠域に散りばめた様々な異能を有した分体との合流が果たせなくなった今、第三圏に唯一存在する本体と挑戦者との決闘の蓋然性は確立された。
一路を共にする二人。しかして彼らは対極に立つ。
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腹の底から沸き上がり、全身で渦を巻く黒い感情。
唐土少年が腰を浮かせて立ち上がるのと同時にラーテンが展開した三度目の"楽園へ續く道"。
冠域展開の速度は数を熟す程に向上し、ドナルド・グッドフェイス程ではないにしろ、その連発性能は数多の強豪犇めく夢想世界においても既に一線級に達しているといっても過言ではなかった。
"楽園へ續く道"の内部に居る限り、持ち前の防御力はゼロ換算されて攻撃を受けることを余儀なくされる。この場合の唐土少年の持ち合わせる打開策は複数あり、最も確実であるのは澐仙から継承した"解承"の即時使用。
解承は夢想世界における管理者権限の行使であり、空間に存在する全効果より高い優先度で行使される冠域解除命令である。既にラーテンの選択した最終的な戦闘スタイルは"楽園に續く道"内部での近接攻撃による決着であり、攻撃手段が冠域に限定される以上は解承の能力はこの上ないアドバンテージになる。
しかし、解承は冠域を選択するとはいえ、冠域の内部に別の冠域が存在する場合、包括された冠域も同時に解除されてしまうという性質がある。そのため、ラーテンの冠域に呑まれた後から展開したマーリンの冠域も力を失い、解承後の迎撃能力は夢想解像、ベンガル砲、蜂織礼法にある意味限定される。
それでは、高速な展開力を手に入れたラーテンの再度の冠域展開までに彼の命を奪うことが出来ない。十四系の扉の封印により、第五圏から絶えず還元されていた死による強化フィードバックは絶たれ、速度が自慢の人蜂形態の最高速度もこれ以上の伸びしろがない。それよりも、何度も見せた突進を予見されてラーテンが"楽園へ續く道"の展開と拳による迎撃が間に合ってしまえば、むしろその自慢の速度が彼の拳にさらなる威力を与え、カウンター一発で葬り去られてしまう可能性すら見逃せる水準にはなかった。
故に唐土少年の胸中で選択された一つの生存戦略。
「固有冠域:熾天」
夕焼けに染まる天空を昇る。
手に溜めた豪炎が一筋の銀朱色の軌跡となって逆彗星のような光の帯が高高度に達する。
道を進み、拳を向ける。
一撃必殺に寄った今のラーテンの攻撃手法が、果たして地面を離れた敵に対する回答を持ち合わせているのか。
回避と同時に空に身を預けるという圧倒的なアドバンテージを武器に唐土少年は遥か眼下に見据えたラーテンに、世界最高火力たるバゼット・エヴァーコールの冠域を解禁した。
「我が手に恩寵の全ては委ねられたり:嗚呼、主よ。汝が望まれる戦いを赦し賜え。
天は永遠なる栄光を示しながらあなたの頭上を回っている。
物事を成し遂げる秘訣は行動すること。
解き放たれし親愛なる加護:只一人が為の十字架を。
自然とは神の齎した芸術だ。
熱さと火は切り離すことができない。
美しさと神も」
銀朱の焔が巨大な十字架となってラーテンを捕らえた。
"楽園双眼鏡:暁"による死霊の特効効果を除けば、紛れもなく世界最強を謡える圧倒的な火力。そして規模。
焼き尽す。それでは収まらない神の齎した寵愛の炎。
「………本当に。ムカつく。……………もう。……嫌なんだ。………………」
黒い感情。
紫色に燃える瞳の奥から怒りに塗れた血涙が滲み出る。
「固有冠域展開:楽園双眼鏡」
黒い太陽と輝く闇。
唐土少年は手を掲げる。目いっぱいに開かれた掌に吸い寄せられるように、宙に浮いていた巨大な輝く闇の球体が接近する。形を変え、球体が渦を巻きながら掌の元に凝縮され、回転する小さなキューブが生まれた。
手にしたキューブを投げつける。
子供が怒りのあまり手にした大切な玩具を床に叩きつけるように。
感情に任せて、この世の全てを呪いながら。
キューブが猛烈な光と衝撃を以て、旧第三圏に破壊を齎した。
『冠域延長:夕火の刻』
凝縮と発散。多重奏のように折り重なったエネルギーのハーモニーが連鎖的な空間伸張を齎し、数十万トンの爆撃でさえ比肩し得ない空間の軋みを実現させた。あまりに強烈な光の放射はラーテンの影を砂利道に焼き付ける程に強力であり、光を浴びた彼の姿はたちまちに灰燼と化して消滅していった。
旧第三圏を満たす光は一切の例外もなく、そこに存在する全てを再び消滅させた。
マーリンとしての覚醒以後、強敵"挑戦者"の再発式因果への対抗策として披露した唐土少年の最終奥義"夕火の刻"。放出されたそのエネルギー量は圏域そのものを消滅させる程の絶大な規模感を誇り、その火力水準は究極冠域の手札を切った際の澐仙とほぼ同等のレベルに達している。
ラーテンが正面戦闘では決して澐仙に勝てないという前提からすれば、この技を能動的に使用した段階で唐土少年は決着をつけるつもりで攻撃を仕掛けている。
しかし、唐土少年が感じているのは敗北の予感。
根拠がなくとも感覚が語ってくる、この技を雑に使わざるを得ない状況に対する虚しさ。
そして、ラーテンは必ずこの攻撃の後に自分の前に立つであろうという心許なさ。
「固有冠域展開:楽園へ續く道」
遥か高高度に達していた唐土少年の座標。地面を離れていればラーテンからの攻撃は届かないと考えていた己のスケールの小ささを見せつけられた。
冠域展開により生み出されるのは夢という仮想空間におけるさらなる仮想空間。後出しで展開された冠域においては高さも遠さも関係ない。"楽園へ續く道"が自己の辿るべき道、進むべき針路に延びる一本道を成すのであれば、その道程が両者を結びつけるのは必然だった。
宙にあったはずの己が呆けた面を晒しながら地面に向けて掌を向けていると気が付いた時。
既にラーテンは曲がりくねった砂利道を駆け抜け、己の顔面に向けて拳を振り抜いていた。
「ま……」
唐土少年は思わず手を貌の前に掲げ、僅かばかりの防御の体勢を反射で示した。
しかし、その防御も虚しく持ち上げた両腕ごと顔面を正面からぶち抜いた。
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血飛沫をあげながら砂利道を跳ね転げる。
痛い。
辛い。
悲しい?
右腕は肘から先が捥ぎ取れ、左腕は指が二本ばかり残った大深手。それでも指先で地面を掴みながら、何とかして制止しようと死力を尽くす。
潰れた貌の先に何が在るのかが判らない。眼、口、鼻を失くし残る耳は不気味な渡り鳥の鳴き声が死神の囁きのように遠くから聞こえるばかりだ。
この夢の世界では、深手を負った所で"夢想解像"や"冠域展開による最適化"を用いることで肉体を取り戻す手段を強者は自然と習得している。特に唐土少年が持つ身体修復性能は挑戦者戦で開花した通り、夢想世界上で頂点に立つレベルであるという自負すら持ち合わせていた。
不死腐狼の"不死の帷"を常時起動している彼にとっては外傷は一時的な戦闘能力の欠損に過ぎず、本体の核となる夢の魂が破壊されなければ実質的に不死の権能を有しているのと同義だった。
だが、どれだけ肉体を修復したところで、今のラーテンの攻撃はその夢の魂を明確に削ってくる。
一撃一撃が自然と肉体と魂の整合性を欠落させ、生き残る為に必要なエッセンスを僅かに奪い去っていく。
肉を捏ね繰り合わせても埋められない穴を開けられるような不快感。
生殺与奪を握られたという敗北感。
鳥の鳴き声に砂利道をゆっくりと進む人間の足音が混じりだした時、唐土少年は恐怖に駆られながら"解承"に頼った。冠域が解除され、全てが破壊された後の虚無の旧第三圏に身が投げ出される。
そして数舜後、また鳥の鳴き声が聞こえる。
ボロボロの身体の隅々に砂利道の歪な感触が伝う。
全身を修復し、喉の奥底から絶叫する。
「解承ッ‼」
――――― 冠域展開。
「解承ッ‼‼」
―――― 冠域展開。
「解承ッ‼‼‼」
――― 冠域展開。
「ヵ…解承ッ‼‼‼‼」
―― 冠域展開。
「解承ォおォオッッッ‼‼‼‼‼」
― 冠域展開。
「解…」
冠域展開。
拳を喰らう。
―――
―――
―――
三度のクリーンヒット。
打ちひしがれた我が身。その行く末を憂う。
無貌の少年は音も無く啼く。
―――
―――
―――
やっとここまで来た。
命を張って。必要なものを搔き集めて。血の海を渡ってきた。
人間にも成れず。
兵器にも成れず。
もうすぐ辿り着けると唾を呑んで腕を伸ばした道に、とってつけたような役割と正義と運命を背負って立った人間が立ちはだかる。道を阻み、ご都合主義な夢を拳で語る。
人類がどうとか。
進化がどうとか。
知ったこっちゃない。
全部が全部。
自分のモノじゃないのに、自分のモノとして取り上げられる気分だ。
「もう。すぐそこに在るとわかってる」
楽園を夢見るための双眼鏡は―――
「もう要らない」
―――
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―――
『究極冠域展開:楽園眺望双眸』
これまでと同じ。
生み出されしは"黒い太陽"と"輝く闇"からなる二つの球体。
違うのはそれは天高く掲げられたホールではなく。
失われた彼の双眸の代わりとなる『瞳』であったこと。
彼の眼で燃えるのはボイジャーであることを示す紫色の重瞳でない。
最初の戦いから少年をここまで連れてきた偉大な太陽。背を押し、支えてくれた闇影。
すぐそこに在ると判っているからこそ、楽園を探すための双眼鏡は彼の眼光となり、その五体全てを疑似的な冠域へと変質させた。
故に、改めて生まれし"技術的特異点"。
「冠域延長:楽園へ續く道」
それはラーテンが展開していたこれまでの道ではない。
唐土少年が自分の意志で描いた夢の形。
収斂進化の究極体な終着点は詰まるところ、目の前の相手を下せば自らの望みが果たせるという保証の元に純粋さを帯びる闘争の本質を辿るもの。即ち、自らを最強たらしめる冠域の構造はその核からしてラーテンと同様の構成と性質を有する。
唐土少年とラーテンは互いに向き合い。繋がった一筋の砂利道を歩み出す。
次第に縮まる距離。渡り鳥の鳴き声が歓声のように湧き上がる。
二人の流した視線の果てには地平線に沈む夕日が最期の茜色を灯している。
道の先に在る確かな花畑。
仮にここでお互いが引き返せば、歩み進めた先には楽園が存在するのかもしれない。
「でも、それは俺たちが望んだ楽園じゃない」
「僕たちが辿り着くべき楽園は自らが心に決めた進路を辿った先にこそ存在する」
「なら、ここで果たすべきはやはり――」
「僕たちの物語にケリをつけようか――」
影を踏む程に近づいた間合い。
お互いが同じ姿勢で後方に重心を傾け、溜め込んだエネルギーを順次爆発させる。固めた拳をぶん回し、倒れ込むような不退転の形勢から互いの拳をぶつけ合う。
同じ冠域を持つ者同士、相手の防御力を無視した単純明快な力の押し付け合いは成立した。これまでのように唐土少年が吹き飛ばされるだけの結末ではなく、完全に拮抗した力の衝突は両者の体躯を冠域成立時よりも遥かに離れた距離にまで引き離した。
砂塵を起こしながら喰い留まる両者。
ふと後ろを振り返れば、望めばすぐにでも到達しそうな距離にまで縮まった背後の花畑が姿を見せる。
いっそここで踵を返せば或いは自分にとって納得できる結果を享受できるのではないか。この溜め込んだストレスと疲労感を忘れ去ることができるのでないか。この呪われた人生を誰かに赦してもらうことができるのではないか。
「……………」
唐土少年の楽園眺望双眸から涙が零れた。
今思い出すのは澐仙を打破した後に辿った巡礼の旅の記憶。
遥かなる時を超え、決して引き返すことなく進み続けてきた。
光を追って。夢を叶える為に。
改めて自分に言い聞かす。そこに在る楽園は自分のモノではない。
ここで歩みを止めれば、己の軌跡の全てが無駄になってしまう、と。
気が付けば駆けだしていた。
曲がりくねった一本道を辿り、必ず待ち構えていると判る最後の敵を迎えに行く。
一切速度は緩めない。固めた拳は解かない。振り返ることもしない。
運命的に引き寄せられた最後の好敵手もまた一心不乱な形相で駆け抜けてきていた。
お互いへの引力は重力を思わせる程にみるみると距離を縮めさせた。
「「 禁断の惑星 」」
共に拳に宇宙の色が浮かび上がる。
「相対する楽園」「望まれた世界」
―――
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『今はただ……お前に勝ちたいッ‼‼』
黒き太陽が引き裂かれ、身も体も失くした魂魄が叫ぶ。
―――
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―――
積み重ねた玩具を自ら蹴倒す虚しさより。
御都合主義に塗れた己の身勝手を嘆くより。
全てに先んじて、何もかもを捨て去って、それでも掴み取りたい夢。
ニーズランドの"死神"から。
一介の夢を叫ぶ"悪魔の僕"へと。
―――
―――
―――
浮かび上がった二つの蒼炎が瞳を成す。
夢想解像によりゼロから肉体を再構築し、死を超越したその先の器を生み出す。
【生と死の逆転】
夢の世界の死を廻らせる神が、己の裡にある宇宙を反転させた。
それはひとえに自らの意思を突き通すため。
夢にまで昇華させた”技術的特異点への勝利”を享受するための我儘だった。
彼が舞台で輝くために得た”死”という地位を脱ぎ捨て、それでいてこれまでに自らが起因して奪われた命に栄冠を願った。
奪い。殺し。蓄えたこれまでへのアンチテーゼ。
それは悔恨とも懺悔とも違う贖いの形。
人類史の終局を忌避するため、即ち人類全体の層理を維つため。
ニーズランドに廻らせる全ての”死”を逆転させた。
―――
―――
―――
ニーズランドに堆積した死が仄かな光を浮かべる鬼火となって舞い上がる。
無辜の魂は仮初の肉体を取り戻すべく、自らの夢の果てとして骨を内包したブーカの獣に吸い込まれてゆき、形を持たない死者たちが薄桃色の水晶柱に居場所を求めた。
薨域は閉じ、獲得した"非業砲:ケレス"、"鍵聖剣:オルクス"、"屍輝房:ハウメア"の起動を許す死神の権能は消失した。
これまで手中に収めていたカードを捨て去ったラーテンに対して、敵対者たるマーリンの能力は"生と死の逆転"の影響を受けていない。マーリンが採っている贄のメカニズムは、"観懲三臣"及び"相対する煉獄"の観測対象を人類から己へと変換している。
故に、マーリンが享受している自己犠牲による能力向上は未だに淀みなく彼の分体を含めたマーリンという座標に還元され続けている。
依然として圧倒的に自己が優勢な状況下に置かれながら、それでいてマーリンの表情は親の仇でも前にしたかのような剣幕に覆われていた。
「…………………………………………………」
「お前に勝ちたい。欲を言えば、勝ち方にも拘りたい。
これだけ大量の人間を殺してきて……数え消えない程の夢を奪ってきて……こんなことを願うのはこれ以上に無い身勝手と贅沢であることはわかってる」
「……………………………………………………………………」
「それでも。
それでも俺は全人類を代表してお前という脅威からこの星の"これまで"を護りたい。
既に支配権を奪われたニーズランドを"技術的特異点"から奪い返し、お前がやろうとしていたように、地球の表面をリセットする"真航海者"の到来とその脅威から人間の魂と夢の空間を亜空間に切り離す。
お前が想い描く楽園は……本来であれば人類全てが紡いできた歴史の途上にこそあるべきものだ。
ここで今一度、お前の"夢"を絶つために挑ませてもらう」
「……………………………………………………………………………………」
―――
―――
―――
「……………………………………………………………………………………はぁ」
溜息。
人類史の終着。技術的特異点はその時何を想ったか。
「………良いと思うよ。貴方が愉しそうで羨ましい」
「辛いなら引き返せば良い。お前という呪いがいなければ、この世界に昏山羊の病は存在しないんだ」
「引き返す?……引き返せないよ。こっちがどれだけの巡礼の旅を進み続けたのか……知らないだろうに」
「巡礼?」
マーリンの姿が熔ける。
夢想解像により骨格を恣意的に縮小させ、身の丈が年端もいかぬ青少年のそれへと移り行く。
「気にしなくて良いよ。こっちの都合なんだから。
そっちはそっちで愉しんだら良い。自分の好き勝手にスタンスを変えてさ……大犯罪者だの、主役だの、死神だの、人類史を護るだの……。自分が納得できる適当な理由を付けて僕の邪魔をすればいい。
自分たちが戦う理由なんて何でも実の所なんでも良いんだろ。お前たちはいつもそうだ」
マーリンの双眸にて重瞳が燃える。
仄かな虹色の靄を立て、奥底にて紫色の光が迸る。
「一つ聞きたいんだけど。……僕は人類には含まれないの?」
「…お前が?」
「唐土己。ボイジャー:アンブロシア号。アーカマクナ:モデル・マーリン。
ねぇ。教えてよ。最初から人間じゃなかった僕にも、確かに人間として過ごした一時がある」
「お前は人間じゃない」
「そうだよね。そういう前提が無いと、僕たちの立っているこの場所に意味がなくなってしまう」
「随分とお喋りになったな。さっきまでは機械染みた薄気味悪い丁寧語だったのに、今はまるで駄々を捏ねる子供を相手にしてるようだ」
「お互い様でしょ。自分だってさっきまでは自慢の玩具を散らかすだけの子供だった」
「……なら改めて俺たちは対等だ。自分たちの我儘を通すため、この仮初の関係に決着をつけなくちゃいけない」
―――
―――
―――
「もう、疲れたな……」
唐土己の周囲の空間が白と黒の背景を持ち、不気味な光の明滅を放つ。
「ボイジャー:クロノシア号の力で何度もやり直した。……因果を観測し、干渉し、敗北を積み重ねながらも丁寧にやり直した」
「…なんのことだ?」
「第六圏で大曼荼羅を顕現するタイミングで僕は運命にセーブを掛けたんだよ。
そこからの戦闘で僕は百二回、貴方に殺された。
反対に僕は貴方を千七百飛んで八回仕留めた。
……再発式因果まで絡めて。継承した冠域の全てを盛り込んで貴方を追い詰めた。
でも、因果ってヤツは良く出来てる。どれだけ貴方を殺しても。どれだけの絶望を味わせても。貴方は最終的にその立ち位置に在る。しかもここから先をシミュレーションしようとすれば、セーブを掛けた第六圏との存在格の同一性と一貫性を保てずに因果そのものが飽和し、僕の存在が破綻してしまう。
だから何としてでも、この場に貴方が立つ前に完全に仕留めてしまいたかった。
でも、やっぱり、どうしてかそれは叶わない」
「ボイジャー:クロノシア号の権能。……俺が全く歯が立たなかったのはお前が丁寧に俺を殺すための経験値を積みながらやり直しまくってたからってことか」
「その癖、心機一転してまるで自分が世界の命運を握るヒーローですとでも言わんばかりの臭い立ち位置に落ち着きやがる。嗚呼。なんて恨めしい。なんて嘆かわしい」
七つの竜の首頭。
唐土少年の背からノーモーションで放たれたそれらは、巨木の幹のような首をしならせながらラーテンの身一つを喰らい尽くさんばかりに押し寄せた。
「もう疲れた。……だからさっさと終わらせよう。大義名分も何も要らない。
お互いのちっぽけな夢を語り合うのも馬鹿馬鹿しい。
改めて言うよ。
僕に全て差し出せ」
―――
―――
―――
大顎を拡げて押し寄せる悪食の権能。"光喰醜竜"そのものが持つ攻撃速度は本家であるボイジャー:グラトン号、及びその最終形態である"蠅の王"ユーデンを大きく凌駕していた。
瞬き程の数舜を要せずに肉迫した竜の首頭に対し、既に回避が間に合わないことを理解しているラーテン。
この場にこの瞬間において、自らが新たに獲得した悪魔の僕としての本懐を果たさんと、心の中での詠唱と指先を智拳印の形に噛み合わせを見せつけた。
「固有冠域展開:楽園へ續く道」
それぞれ一面ごとに別の発色を持った正十二面体の空想壁がラーテンを内包する。
夢の骨を冠域としての定義構築に組み込み、自己を最強と定義する純然たる冠域の効能を付与。
次いで、内包された世界に自分自身の夢の憧憬を描写する。
夕焼け空。
渡り鳥の群れ。
疎らに在る水溜まり。
風に圧される入道雲。
地平線まで延びる草原。
どこか遠くから薫る花香。
少し砂利の混じった赤土から成る曲道。
されどそれは只ひたすらなる一本道として進路を描く。
竜の首頭はたちまちに見るも可愛らしい粘土質のオブジェクトに変貌し、速度も威力も消え失せたそれをラーテンは自らの拳にて手折る。粉と砕けるそれらを横目に、誕生したばかりの冠域を外側から打ち砕くベンガル砲の轟音に耳を傾けた。
茜色の空に罅が入り、次第に弾痕が空を黒く穿つ。
ガラス細工のような空が音を立てながら砕け割れるとその穿たれた虚空の奥には双眸を紫色に燃やした唐土少年の姿があった。
「死神の権能。薨域令開は冠域のメカニズムとは根本的に違う原理で働いているが故にベンガル砲の持つ冠域特攻効果の適用対象から外れていた。反対に死神状態では死霊に特効効果を持つ"楽園双眼鏡"の能力が明確な弱点を齎していた。所詮今はそれを反転させただけ。この期に及んで僕の前で"冠域"を使って戦うという愚策をどう勝利に繋げるつもりか……質問するのも馬鹿らしい」
冠域の外側から再度斉射されるベンガル砲の轟音。冠域破壊に特化したアーカマクナとしての長所を存分に奮いながら、本体である唐土が襲い掛かる。
少年の姿のまま人蜂形態に移行した唐土は、その形態での十八番であるノーモーションからの急速突進にてラーテンに激突し、その勢いのままラーテンの顔を正面から掌に収める。地面に向けて頭から叩きつけようとする一瞬の間に澐仙の"極点・熱砂の急"を発動し、砂利道を超高熱の砂丘に変化させた。
熱砂に擦られたラーテンの頭は白煙を上げながら炎上。冠域の塗り替えによって一面が砂漠に変化した後、急勾配の砂丘を転がり落ちる彼に向けて、空から白雷が大気を裂きながら押寄せた。
黒く焦げてよろけたラーテンに対し、ドナルド・グッドフェイスの"最期の晩餐"を発動。冠域を維持し得るだけの集中力と精神性を欠いたラーテンは自らの冠域を決壊させ、冠域内の様々なバフが削がれた彼に対して、ダメ押しにもなる禁断の惑星"真善美叛意"の凝縮された超火力攻撃。
肉体の維持など望むべくもない圧倒的なエネルギーの飽食によってラーテンの体躯は引き裂かれたぬいぐるみのように飛散した。それと同時に彼の内部に在る魂は、再度ニーズランド第三圏に放りだされることになる。
その時、彼らを取り巻く第三圏の外側から、ブーカの獣が一挙に侵食した。
それはまるで、ラーテンを見守る観衆であるかのように。
そして、ラーテンを護る盾であるかのように彼の周囲を取り囲んだ。
依然として確立されている圧倒的な実力差。
それでいてなお、唐土己の裡に渦巻く憎悪にも似た感情は、目の前の現象に対して度し難い怒りを表情にまで刻んだ。
「……そういう感じね」
ブーカの獣の一端がラーテンの魂魄に触れる。
枯れかけた花が息を吹き返すように、ラーテンの魂はブーカの獣から注がれる人類の夢の坩堝からなるエネルギーを供給され、ラーテンの仮想体を構成する上半身のみが一時的に復元された。
そして、瞼を閉じたまま指先を絡めて智拳印を成した。
「固有冠域展開:楽園へ續く道」
再びラーテンの冠域が第三圏に顕現する。冠域そのものが持つ最適化効果により上半身のみだった彼の身体の全身像が修復され、閉じていた瞼を開けばそこには薄桃色の瞳と仄かな虹色に染まった光が奥底に渦巻いていた。
茜色に照らされる一本道を駆け出し、道の先にある唐土己に飛び掛かる。
全身で表現された渾身の一撃。大きく腕を振り被り、勢いと気持ちばかりが先行するような隙だらけの一撃を少年に向けて振り抜く。
「解承」
唐土少年は指を鳴らす。
澐仙から継承した夢想世界の管理者権限による冠域構築の強制解除を働かせ、展開されたばかりの"楽園に續く道"を消滅させた。ベンガル砲に加え、この"解承"の力を持つ唐土己の対冠域性能は、以前に発揮した対死霊の性能とは比較にならない絶対的な性能を確立している。
解承を使うことで必然的に唐土少年自身が持つ数多の冠域は、展開済みのものを含めて同時キャンセルが働くために使用不可となる。しかし、唐土己の本来の姿はアーカマクナであり、冠域を用いずに悪魔の僕を踏破するためのボイジャーの対極存在である。
解承と同時に剝き身になったラーテンに間髪入れずにベンガル砲のリソースを潤沢に注ぎ込む。そこに生じる圧倒的な殺傷性能はもはや対冠域砲の性能云々を差し置いて、ただひたすらに目の前の敵を撃ち砕くための破壊兵器の側面を見せた。
「固有冠域展開:楽園へ續く道」
身を穿つ砲弾の嵐に晒されながら。
冠域を毀すための弾幕を浴びながら。
それでもラーテンは三度目の冠域展開の択を取った。
沈黙のままに拳を固め、燃える瞳を交錯させる。
道の先に在る唐土少年を拳の先に捉え、弾幕により躰面的の七割を削がれながらも拳打を成功に導いた。
―――
―――
―――
拉げた上体が頭に砂利道を迎えさせる。
砕けた鼻柱の先で突き刺さるような鋭利な痛みを噛みしめ、鼻腔で泡立つ己の血を舐めとる。
「……解承」
唐土少年は反撃よりもラーテンの冠域消滅を優先させた。
「ハァ……馬鹿馬鹿しい」
唐土己が感じ取った"楽園へ續く道"の効果。収斂進化による冠域知識の粋である彼であるからこそ、何一つの思い違いなくその優位性と独立性に完全なる理解を示した。
それは、より純粋な冠域本来の使い方。
夢想世界という闘争環境に置かれた人類が進化の過程で編み出した固有冠域という舞台装置。その本懐は自らの最強の定義に他ならず、他者の冠域と覇を競い合う世界における優位性の確立のためにこそあるものである。
故にその攻撃性能は保有者の夢の形に左右される。
己の脚に現実世界では叶わぬ韋駄天の様を期待する夢。
現実世界では食指の動かぬ我が身に、夢の中であれば誰に咎められることもない悪食の欲を任せられる夢。
どれだけの犠牲を払ってでも、偽りの正義の偶像で在り続けるための夢。
然るに、冠域は手段に他ならない。
例えば、己の夢を阻む対象がこの世に一つしかないのであれば。
例えば、そのものさえ斃せば己の望みの全てが叶うのであれば。
その冠域の効果に余分な設定は必要ない。
握りしめた拳そのものは人間と変わらない。
"楽園へ續く道"に与えられた効力は、己の道を阻むものに対する最終的特攻効果。
殴り飛ばされた唐土己が本来有するはずの高水準の防御性能。複数冠域を使役する王に相応しき揺るぎない深度。触れるだけで人間が幾度死んでも釣銭が出るほどの精神汚染を齎す瘴気の壁。
それらすべての障壁を擦り抜ける"防御無視"及び"耐性貫通"。
達観した能力の全てを塗り替えるのは、余分を捨て去った純粋な在るべき闘争の形だった。
―――
―――
―――
加えて、唐土少年の感じ取ったラーテンの不退転の決意。
彼が死神の権能を得る前から有していた"十四系の扉"の無法な空間転移能力。
彼が夢の心臓で在るが故。彼が夢の心臓であるが為に有していた唯一無二の強みを既に彼は手放していた。
圏域同士を繋ぐ十四系の扉には、魂を迎合したブーカの獣の侵食により、体積したブーカの獣が亜空間の硬直を齎していた。
それはつまり、自らが創り出したニーズランド内での縦横無尽な機動力と引き換えに、十四系の扉が持つ弱点の克服を表している。
ラーテンと同じように十四系の扉の使用が出来なかった唐土己からは、"舌がキエフに連れて行く"により実現した分体との接続が強制的に解除されていた。他冠域に散りばめた様々な異能を有した分体との合流が果たせなくなった今、第三圏に唯一存在する本体と挑戦者との決闘の蓋然性は確立された。
一路を共にする二人。しかして彼らは対極に立つ。
―――
―――
―――
腹の底から沸き上がり、全身で渦を巻く黒い感情。
唐土少年が腰を浮かせて立ち上がるのと同時にラーテンが展開した三度目の"楽園へ續く道"。
冠域展開の速度は数を熟す程に向上し、ドナルド・グッドフェイス程ではないにしろ、その連発性能は数多の強豪犇めく夢想世界においても既に一線級に達しているといっても過言ではなかった。
"楽園へ續く道"の内部に居る限り、持ち前の防御力はゼロ換算されて攻撃を受けることを余儀なくされる。この場合の唐土少年の持ち合わせる打開策は複数あり、最も確実であるのは澐仙から継承した"解承"の即時使用。
解承は夢想世界における管理者権限の行使であり、空間に存在する全効果より高い優先度で行使される冠域解除命令である。既にラーテンの選択した最終的な戦闘スタイルは"楽園に續く道"内部での近接攻撃による決着であり、攻撃手段が冠域に限定される以上は解承の能力はこの上ないアドバンテージになる。
しかし、解承は冠域を選択するとはいえ、冠域の内部に別の冠域が存在する場合、包括された冠域も同時に解除されてしまうという性質がある。そのため、ラーテンの冠域に呑まれた後から展開したマーリンの冠域も力を失い、解承後の迎撃能力は夢想解像、ベンガル砲、蜂織礼法にある意味限定される。
それでは、高速な展開力を手に入れたラーテンの再度の冠域展開までに彼の命を奪うことが出来ない。十四系の扉の封印により、第五圏から絶えず還元されていた死による強化フィードバックは絶たれ、速度が自慢の人蜂形態の最高速度もこれ以上の伸びしろがない。それよりも、何度も見せた突進を予見されてラーテンが"楽園へ續く道"の展開と拳による迎撃が間に合ってしまえば、むしろその自慢の速度が彼の拳にさらなる威力を与え、カウンター一発で葬り去られてしまう可能性すら見逃せる水準にはなかった。
故に唐土少年の胸中で選択された一つの生存戦略。
「固有冠域:熾天」
夕焼けに染まる天空を昇る。
手に溜めた豪炎が一筋の銀朱色の軌跡となって逆彗星のような光の帯が高高度に達する。
道を進み、拳を向ける。
一撃必殺に寄った今のラーテンの攻撃手法が、果たして地面を離れた敵に対する回答を持ち合わせているのか。
回避と同時に空に身を預けるという圧倒的なアドバンテージを武器に唐土少年は遥か眼下に見据えたラーテンに、世界最高火力たるバゼット・エヴァーコールの冠域を解禁した。
「我が手に恩寵の全ては委ねられたり:嗚呼、主よ。汝が望まれる戦いを赦し賜え。
天は永遠なる栄光を示しながらあなたの頭上を回っている。
物事を成し遂げる秘訣は行動すること。
解き放たれし親愛なる加護:只一人が為の十字架を。
自然とは神の齎した芸術だ。
熱さと火は切り離すことができない。
美しさと神も」
銀朱の焔が巨大な十字架となってラーテンを捕らえた。
"楽園双眼鏡:暁"による死霊の特効効果を除けば、紛れもなく世界最強を謡える圧倒的な火力。そして規模。
焼き尽す。それでは収まらない神の齎した寵愛の炎。
「………本当に。ムカつく。……………もう。……嫌なんだ。………………」
黒い感情。
紫色に燃える瞳の奥から怒りに塗れた血涙が滲み出る。
「固有冠域展開:楽園双眼鏡」
黒い太陽と輝く闇。
唐土少年は手を掲げる。目いっぱいに開かれた掌に吸い寄せられるように、宙に浮いていた巨大な輝く闇の球体が接近する。形を変え、球体が渦を巻きながら掌の元に凝縮され、回転する小さなキューブが生まれた。
手にしたキューブを投げつける。
子供が怒りのあまり手にした大切な玩具を床に叩きつけるように。
感情に任せて、この世の全てを呪いながら。
キューブが猛烈な光と衝撃を以て、旧第三圏に破壊を齎した。
『冠域延長:夕火の刻』
凝縮と発散。多重奏のように折り重なったエネルギーのハーモニーが連鎖的な空間伸張を齎し、数十万トンの爆撃でさえ比肩し得ない空間の軋みを実現させた。あまりに強烈な光の放射はラーテンの影を砂利道に焼き付ける程に強力であり、光を浴びた彼の姿はたちまちに灰燼と化して消滅していった。
旧第三圏を満たす光は一切の例外もなく、そこに存在する全てを再び消滅させた。
マーリンとしての覚醒以後、強敵"挑戦者"の再発式因果への対抗策として披露した唐土少年の最終奥義"夕火の刻"。放出されたそのエネルギー量は圏域そのものを消滅させる程の絶大な規模感を誇り、その火力水準は究極冠域の手札を切った際の澐仙とほぼ同等のレベルに達している。
ラーテンが正面戦闘では決して澐仙に勝てないという前提からすれば、この技を能動的に使用した段階で唐土少年は決着をつけるつもりで攻撃を仕掛けている。
しかし、唐土少年が感じているのは敗北の予感。
根拠がなくとも感覚が語ってくる、この技を雑に使わざるを得ない状況に対する虚しさ。
そして、ラーテンは必ずこの攻撃の後に自分の前に立つであろうという心許なさ。
「固有冠域展開:楽園へ續く道」
遥か高高度に達していた唐土少年の座標。地面を離れていればラーテンからの攻撃は届かないと考えていた己のスケールの小ささを見せつけられた。
冠域展開により生み出されるのは夢という仮想空間におけるさらなる仮想空間。後出しで展開された冠域においては高さも遠さも関係ない。"楽園へ續く道"が自己の辿るべき道、進むべき針路に延びる一本道を成すのであれば、その道程が両者を結びつけるのは必然だった。
宙にあったはずの己が呆けた面を晒しながら地面に向けて掌を向けていると気が付いた時。
既にラーテンは曲がりくねった砂利道を駆け抜け、己の顔面に向けて拳を振り抜いていた。
「ま……」
唐土少年は思わず手を貌の前に掲げ、僅かばかりの防御の体勢を反射で示した。
しかし、その防御も虚しく持ち上げた両腕ごと顔面を正面からぶち抜いた。
―――
―――
―――
血飛沫をあげながら砂利道を跳ね転げる。
痛い。
辛い。
悲しい?
右腕は肘から先が捥ぎ取れ、左腕は指が二本ばかり残った大深手。それでも指先で地面を掴みながら、何とかして制止しようと死力を尽くす。
潰れた貌の先に何が在るのかが判らない。眼、口、鼻を失くし残る耳は不気味な渡り鳥の鳴き声が死神の囁きのように遠くから聞こえるばかりだ。
この夢の世界では、深手を負った所で"夢想解像"や"冠域展開による最適化"を用いることで肉体を取り戻す手段を強者は自然と習得している。特に唐土少年が持つ身体修復性能は挑戦者戦で開花した通り、夢想世界上で頂点に立つレベルであるという自負すら持ち合わせていた。
不死腐狼の"不死の帷"を常時起動している彼にとっては外傷は一時的な戦闘能力の欠損に過ぎず、本体の核となる夢の魂が破壊されなければ実質的に不死の権能を有しているのと同義だった。
だが、どれだけ肉体を修復したところで、今のラーテンの攻撃はその夢の魂を明確に削ってくる。
一撃一撃が自然と肉体と魂の整合性を欠落させ、生き残る為に必要なエッセンスを僅かに奪い去っていく。
肉を捏ね繰り合わせても埋められない穴を開けられるような不快感。
生殺与奪を握られたという敗北感。
鳥の鳴き声に砂利道をゆっくりと進む人間の足音が混じりだした時、唐土少年は恐怖に駆られながら"解承"に頼った。冠域が解除され、全てが破壊された後の虚無の旧第三圏に身が投げ出される。
そして数舜後、また鳥の鳴き声が聞こえる。
ボロボロの身体の隅々に砂利道の歪な感触が伝う。
全身を修復し、喉の奥底から絶叫する。
「解承ッ‼」
――――― 冠域展開。
「解承ッ‼‼」
―――― 冠域展開。
「解承ッ‼‼‼」
――― 冠域展開。
「ヵ…解承ッ‼‼‼‼」
―― 冠域展開。
「解承ォおォオッッッ‼‼‼‼‼」
― 冠域展開。
「解…」
冠域展開。
拳を喰らう。
―――
―――
―――
三度のクリーンヒット。
打ちひしがれた我が身。その行く末を憂う。
無貌の少年は音も無く啼く。
―――
―――
―――
やっとここまで来た。
命を張って。必要なものを搔き集めて。血の海を渡ってきた。
人間にも成れず。
兵器にも成れず。
もうすぐ辿り着けると唾を呑んで腕を伸ばした道に、とってつけたような役割と正義と運命を背負って立った人間が立ちはだかる。道を阻み、ご都合主義な夢を拳で語る。
人類がどうとか。
進化がどうとか。
知ったこっちゃない。
全部が全部。
自分のモノじゃないのに、自分のモノとして取り上げられる気分だ。
「もう。すぐそこに在るとわかってる」
楽園を夢見るための双眼鏡は―――
「もう要らない」
―――
―――
―――
『究極冠域展開:楽園眺望双眸』
これまでと同じ。
生み出されしは"黒い太陽"と"輝く闇"からなる二つの球体。
違うのはそれは天高く掲げられたホールではなく。
失われた彼の双眸の代わりとなる『瞳』であったこと。
彼の眼で燃えるのはボイジャーであることを示す紫色の重瞳でない。
最初の戦いから少年をここまで連れてきた偉大な太陽。背を押し、支えてくれた闇影。
すぐそこに在ると判っているからこそ、楽園を探すための双眼鏡は彼の眼光となり、その五体全てを疑似的な冠域へと変質させた。
故に、改めて生まれし"技術的特異点"。
「冠域延長:楽園へ續く道」
それはラーテンが展開していたこれまでの道ではない。
唐土少年が自分の意志で描いた夢の形。
収斂進化の究極体な終着点は詰まるところ、目の前の相手を下せば自らの望みが果たせるという保証の元に純粋さを帯びる闘争の本質を辿るもの。即ち、自らを最強たらしめる冠域の構造はその核からしてラーテンと同様の構成と性質を有する。
唐土少年とラーテンは互いに向き合い。繋がった一筋の砂利道を歩み出す。
次第に縮まる距離。渡り鳥の鳴き声が歓声のように湧き上がる。
二人の流した視線の果てには地平線に沈む夕日が最期の茜色を灯している。
道の先に在る確かな花畑。
仮にここでお互いが引き返せば、歩み進めた先には楽園が存在するのかもしれない。
「でも、それは俺たちが望んだ楽園じゃない」
「僕たちが辿り着くべき楽園は自らが心に決めた進路を辿った先にこそ存在する」
「なら、ここで果たすべきはやはり――」
「僕たちの物語にケリをつけようか――」
影を踏む程に近づいた間合い。
お互いが同じ姿勢で後方に重心を傾け、溜め込んだエネルギーを順次爆発させる。固めた拳をぶん回し、倒れ込むような不退転の形勢から互いの拳をぶつけ合う。
同じ冠域を持つ者同士、相手の防御力を無視した単純明快な力の押し付け合いは成立した。これまでのように唐土少年が吹き飛ばされるだけの結末ではなく、完全に拮抗した力の衝突は両者の体躯を冠域成立時よりも遥かに離れた距離にまで引き離した。
砂塵を起こしながら喰い留まる両者。
ふと後ろを振り返れば、望めばすぐにでも到達しそうな距離にまで縮まった背後の花畑が姿を見せる。
いっそここで踵を返せば或いは自分にとって納得できる結果を享受できるのではないか。この溜め込んだストレスと疲労感を忘れ去ることができるのでないか。この呪われた人生を誰かに赦してもらうことができるのではないか。
「……………」
唐土少年の楽園眺望双眸から涙が零れた。
今思い出すのは澐仙を打破した後に辿った巡礼の旅の記憶。
遥かなる時を超え、決して引き返すことなく進み続けてきた。
光を追って。夢を叶える為に。
改めて自分に言い聞かす。そこに在る楽園は自分のモノではない。
ここで歩みを止めれば、己の軌跡の全てが無駄になってしまう、と。
気が付けば駆けだしていた。
曲がりくねった一本道を辿り、必ず待ち構えていると判る最後の敵を迎えに行く。
一切速度は緩めない。固めた拳は解かない。振り返ることもしない。
運命的に引き寄せられた最後の好敵手もまた一心不乱な形相で駆け抜けてきていた。
お互いへの引力は重力を思わせる程にみるみると距離を縮めさせた。
「「 禁断の惑星 」」
共に拳に宇宙の色が浮かび上がる。
「相対する楽園」「望まれた世界」
0
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だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー
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