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第5章 孫家悠久編

第27話 界橋の戦い

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青州平原国に公孫瓚からの急使が訪れる。
その内容は、袁紹と戦うため助力してほしいとのことだった。
反董卓連合が解散して間もなく起こった、この私戦に劉備は非常に驚く。

「袁紹にいいように利用された結果、我慢ができなかったようですね」
詳しく、簡雍の説明に耳を傾けた。

その後で、
「・・伯珪殿の悪いところが出ちまったな」
そう、呟くのだった。

袁紹が冀州を手に入れるためにとった策略、そこで公孫瓚は当て馬にされてしまった。
連合軍で同志だった諸侯の領地を狙ったという噂を流され、一方的に悪者に仕立て上げられたのだ。

その怒りから戦争に踏み切ったようだが、本当に冀州を攻めては、噂が事実だったと世間が認知することになるのだが・・・

しかし、曹操が話していた領地をお互い狙っているというのは、本当だったのか・・・

しかも盟主だった袁紹が真っ先に行うとは・・・今後も似たようなことが他にも起こるかもしれない。
そういった意味でも驚愕を受ける劉備だった。

「どこにも正義のない戦いだが、伯珪殿の頼みは無視できねぇな」
その言葉の通り、気は進まないが、ここで助力を拒むと義理に欠ける。

劉備は三千の部隊を編成すると、関羽、張飛、簡雍を伴って、平原国を出立する。
留守の田豫も、慣れたもので、「ご武運を」と、劉備たちを送り出した。


袁紹が冀州に入って間もなく、韓馥が陳留太守ちんりゅうたいしゅ張邈ちょうばくのもとへ逃げるように身を寄せた。
州長の印綬を袁紹に渡したはいいが、その後、韓馥に与えられたのは実権のない名誉職。
極めつけには、公孫瓚と通じていると吹聴されていた麹義が、なんと袁紹の下についている事実を知ったのだ。

ここに至り、騙されていたと気づいた韓馥だが、すでに後の祭り。
命をとして讒言ざんげんした耿武の忠義心を思い起こしては、涙する日々。

そして、ついに身の危険まで感じだしたため、冀州から僅かの侍従を伴って逃亡する仕儀となったのだった。

袁紹としては、殺すのはさすがに体裁が悪かったため、厄介払いができて清々したというところ。
冀州の地を得て、人材が増えたので、自軍の体制を刷新することにした。

今までの文官、逢紀、荀諶、郭図かくとに加え、新たに田豊、沮授、許攸きょゆうらを参謀として取り立てる。
武官では、文醜、顔良に続く将として、審配しんぱい、麹義、張郃ちょうこうらを部隊に編入した。
肥沃な土地と多くの人材を手に入れた袁紹の高笑いは続く。

一方で、いいことばかりではなかった。
公孫瓚が宣戦布告をしてきたのだ。

袁紹曰く、そんなに怒るとは器が小さいと、いうことらしいが、名門意識が高く人の情緒を顧みない袁紹らしい感想だった。

一応、戦を避けるため、公孫瓚の従弟である公孫範こうそんはんに渤海太守の印綬を送ったのだが、それも無駄に終わる。

ともかく、戦争となれば譲る気はまったくない。
袁紹も軍備を整えて、出陣するのだった。


冀州の領内、清河国せいがこく鉅鹿郡きょろくぐんの境にある界橋かいきょうで両軍は対峙する。
思いのほか、領内への侵入を許したのは、渤海太守となった公孫範の手引きによるものだった。

両軍の間には清河が流れており、東に公孫瓚、西に袁紹軍が陣取る。
その中、公孫瓚自身が陣頭に立ち、袁紹を非難した。

「袁紹よ。連合軍の盟主を務めながら、私欲により他人の土地を奪いとり、あまつさえ、この俺をだしにするとは、恥という言葉を知らんのか」
「何を言う。この冀州は蛮族から守るために韓馥殿が私に託したものだ。事実、賊が目の前に現れているではないか」
袁紹が応じて、ニヤリとする。

ともあれ、公孫瓚の侵攻で袁紹の冀州強奪に大義名分がついたのだ。
「くっ・・・では、その韓馥殿は、今、どこにいる?」

これには、袁紹も答えることができない。
舌戦は痛み分けに終わった。

「進めっ」
号令とともに両軍の先鋒が進軍する。
公孫瓚軍は、実弟の公孫越こうそんえつ。袁紹軍は、いきなり文醜を出してきた。
両軍が激突する中、公孫瓚軍に波乱が起きる。
軍を率いていた公孫越が流れ矢に当たって、倒れてしまったのだ。

いきなり、将を失った一軍は統率を失い、あっさり文醜に蹂躙されてしまう。
そして、先ほどまで陣頭に立っていた公孫瓚に襲い掛かるのだった。

「殿をお守りしろ」
この窮地に自陣から、悲鳴のような声が飛び交うが文醜の勢いは止められなかった。

たまらず、公孫瓚は馬を駆って逃げ出すが、文醜はすぐそこまで迫っている。
公孫瓚の不運は続き、逃げている馬の前足が折れて落馬、地に投げ出されたところで文醜に捕まってしまった。

「こんな簡単に決着がつくとはな」
文醜は馬から降り、ゆっくりと公孫瓚に近づいていく。

公孫瓚も剣を構えるが、技量の差ははっきりとしていた。
文醜の槍によって、剣がはじかれると、自身の兜を投げつける。
その隙に走り出すが、すぐに何かにぶつかり、転んでしまった。

「ひっ・・」
転んだ公孫瓚は、自分の目の前に差し出されたものが手だと気づくと、その手を握り見上げると、そこには面識のない美丈夫が立っていた。
その美丈夫は、公孫瓚を立たせると文醜の前に立ちはだかる。

「誰だ、お前は?」
文醜が当然の質問をする。

「私の名は、趙雲子龍」
趙雲は、文醜に対して槍を構えた。この優男やさおとこが無謀にも自分に挑みかかっている。
文醜はおかしくて仕方がなかった。

「何だ?後で命乞いをしてもしらんぞ」
しかし、その言葉が自分に返ってくるとは、この時の文醜は思ってもみなかった。
文醜が繰り出す槍の一撃を趙雲は難なくさばき、回転すると槍の柄で文醜のみぞおち当たりを痛打する。

一瞬、息が止まった文醜は、
「お、おのれ!」と吠えると同時に、槍を一閃する。
「遅い」
ところが、相手の渾身の一撃に対して、趙雲は同じく槍の穂先をぶつけて、文醜の槍を弾いたのだ。

「我が『涯角槍がいかくそう』の前に敵はいない」
武器を失った文醜は、慌てて自分の馬に飛び乗り、自陣へと引き返していく。
九死に一生を得た公孫瓚は、趙雲に対して礼を言うのだった。

「いや、趙雲殿、助かりました。戦時中で大したおもてなしもできないが、我が陣へどうぞ」
そう言って、趙雲を伴って帰還する。

公孫瓚は陣中で、自分に仕えてくれないかと懇願するが、趙雲はやんわりと断った。
それでも諦めきれない公孫瓚は、この戦いの間だけでも助けてくれとお願いする。
その件に関して、趙雲は快諾するのだった。

「おおお、これで勝利を得たも同然」
公孫瓚の喜びようは、まるで祝賀がやってきたようだった。

翌日、公孫瓚は体制を整え、白馬義従はくばぎじゅうを前面に押し出し、袁紹軍に対した。
白馬義従は騎馬の機動力を駆使し、騎射による攻撃で敵を撃退する公孫瓚、自慢の部隊だった。
この部隊で、鮮卑せんぴや羌族など異民族相手に多くの戦果を上げてきた。

その中、趙雲は後方で待機している。
公孫瓚としては趙雲を前線に出そうと考えていたが、まだ、素性の知れぬ者に先陣を任せる危険を説いた者がおり、それに従ったのだ。

一方、袁紹軍の先鋒は昨日と変わって、麹義が務める。
涼州出身の武将。
連合軍に参加していなかったので、それ以上の情報は公孫瓚陣営にはなかった。

しかし、率いている兵の数は千にも満たず全員が歩兵。
取るに足らないと考えた公孫瓚は白馬義従で一気に蹴散らそうと考える。
白馬義従は一糸乱れぬ隊列で、麹義軍に襲いかかった。

麹義軍は、盾に隠れて弓を防ぐことに徹する。
このまま騎馬で押しつぶしてしまおうと、白馬義従が間近まで接近すると、突然、麹義軍は全員が立ち上がり、大きな声で威嚇した。

馬はもともと臆病な生き物。
驚いて、立ち止まったところを左右に配置した石弓部隊で一斉に射かける。
白馬が赤い血に染まり、次々と倒れていった。

麹義は、涼州で密かに羌族を相手にする公孫瓚の戦いを監察しており、対策を十分に練っていたのだ。
白馬義従を率いていた厳鋼げんこうは、馬を制御することができずに身動きがとれなくなったところを麹義に討ちとられる。

麹義の部隊がすぐそこまで攻め寄せてくると、まさか白馬義従が破られるとは思ってもいなかった、公孫瓚は慌てだした。
そこに趙雲が颯爽と現れる。
迫る敵歩兵を盾ごと貫いていくと、そのまま、麹義に対して正対した。

「ここから先は通さない」
神速ともいえる槍の速さで、麹義の胸を貫く。
趙雲の活躍で何とか公孫瓚軍は押し返すことができた。

その様子に、袁紹が文醜と顔良に突撃命令を出そうとしたとき、
「お待ちください」
と、田豊が止めて、北を指さした。
「ご覧ください。敵に援軍です」

そこには見覚えがある『劉』の旗が揺れていた。
「あれは、劉備とかいう成り上がり者か」
「間違いないかと」

援軍の数は三千程度で取るに足らないが、劉備の義弟、関羽と張飛の強さは身に染みてる。
寡兵であっても侮るわけにはいかなかった。

「白馬義従を殲滅しました。本日の戦果は、これで十分です」
田豊の言葉に納得すると袁紹は兵を退かせるのだった。

「玄徳、よく来てくれた」
劉備の参陣に公孫瓚は両手を挙げて歓迎する。
公孫瓚の配下も同様で、関羽、張飛の豪勇ぶりを知っているだけに、存在だけで士気が上がった。

「伯珪殿。遅れちまって、すまない」
「いや、戦はこれからよ。問題ない」

公孫瓚は笑って、劉備の背中を叩く。
白馬義従や厳鋼を失ったのは痛手あるが、劉備軍を得られれば、それを補って余りあるというもの。

「そうだ、紹介しよう。趙雲子龍殿だ」
公孫瓚は客将の趙雲を劉備と引き合わせる。
そこには爽やかな美丈夫が立っていた。

「俺は劉備玄徳、伯珪殿とは同窓の・・・」
劉備の言葉が途中で止まる。

趙雲と紹介された青年のほほに光るものがあったからだ。
「大丈夫かい?」
趙雲は劉備に言われて、自分が涙を流していることに気づいた。
・・・なぜ、私はこの人から、目が離せない。

今まで不確だったものが、徐々に形になっていくのが分かる。
体温があがり、胸に込み上げてくる感情をうまく表現することはできない。
できないが・・・絶対的に言えることが一つだけある。

『この人が、私の生涯の主君だ』

趙雲は、劉備に対して膝を折り、礼をとるのだった。
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