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第10章 孫呉熾盛編
第59話 丹楊攻め
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孫策が丹楊郡、奪還のために出陣する。
その丹楊郡へ辿り着くためには、長江を渡る必要があった。
孫策は渡河のために船着き場がある歴陽に、まず向かう。
寿春県を出発し、道中、いくつかの街を通ってきたが、それぞれの街で志願兵が集まり、孫策軍は、いつの間にか五千人規模にまで膨れ上がっていた。
父、孫堅の生まれは呉郡富春県だったが、その勇名は揚州内に響きわたっている。
人が集まってくるのは、単純にその息子、孫策への期待の表れだった。
また、兵だけではなく、孫堅に仕えていた古参の将、朱治や新たに蒋欽、周泰、陳武、凌操といった見どころある者たちも孫策を慕って配下となる。
膨れ上がった兵たちをよくまとめ、孫策が歴陽に着くと、叔父である呉景と合流した。
「叔父上、この伯符が来たからにはご安心ください」
「よろしく頼む。それにしても、大きく立派になったな」
このとき、孫策は二十歳になっており、体躯も亡き父、孫堅と見間違うほどに大きく成長していた。
まさに孫家の希望として、期待を集めるにふさわしい人物となっている。
「叔父上、昔話は尽きませぬ。まずは、戦況をお聞かせください」
「おお、そうであった。劉繇は、我らを渡河させぬために横江津と当利口に兵を配置している」
この二つは大きな船着き場で、軍を移動させるには、どちらかを勢力圏に入れておく必要があった。
孫策を迎え撃つにあたって、この二か所を抑えておくのは敵の戦略としては最善の手だろう。
「なるほど、それでは、まずその二か所の攻略から考えねばなりませんね」
孫策が攻撃対象を定める。その横で周瑜は早速、攻略のための戦術を考えだした。
「この二拠点は、連携を図りながら、お互いを助け合っている様子。連携がとれぬように、二拠点を同時に攻めよう」
「しかし、一つの拠点もなかなか堅牢。軍を分けて大丈夫だろうか?」
周瑜の作戦に孫賁が疑問を抱いた。これまで、呉景と手分けして戦ってきたが、簡単には落とせなかった経験からの発言だった。
「伯陽殿、心配なさらずとも大丈夫。それより用意していただきたいものがあります」
周瑜は、孫策の従兄弟の孫賁とも旧知の仲だった。その孫賁に耳打ちをする。
「それならばお安い御用だ。ただ準備に二日はほしい」
「それで結構。よろしくお願いいたします」
そして、孫賁の準備が整った、二日後、孫策軍は総攻撃をかけるのだった。
横江津を守る将は樊能と于麋、当利口を守るのは張英だった。
その二か所に対して、横江津は孫策が率いた一軍、当利口は程普が率いた一軍があたる。
劉繇軍の三将は、これまで呉景、孫賁を簡単に退けていたので、本日も軽くあしらってやろうと軽い気持ちでいた。
ところが、しばらく戦っていると自分たちの背後に、矢の攻撃による被害を受ける。
予想外のことで、軍全体が浮足立ってしまった。
「何が起きた?背後は長江だぞ。後ろをとられるわけがない」
樊能が驚いて、確認すると、その矢は確かに孫策軍のもの。
不思議だったが、紛れもない事実だった。
そのからくりは、周瑜が孫賁に船の急造を依頼し、その船で長江の流れに乗って、敵の裏をついたのだ。
船を作る材料を集める時間がもったいないので、その船は木材ではなく、川辺に生息する葦で造られていた。
全て周瑜の指示である。
虚をつかれた横江津と当利口の劉繇軍は、孫策軍に散々に打ちのめされ、この拠点を捨てて退却した。
これで長江の渡河が可能となる。
「我らがあれほど手こずっていた相手に・・・伯符は本物だ」
呉景と孫賁は、孫策の傘下に入ることを決め、二人の軍を吸収することで、孫策軍は更に大きくなった。
その数は二万を超えるのだった。
長江の渡河が可能となると、孫策は息もつかせぬうちに牛渚の砦を攻めた。
牛渚は劉繇軍の食糧や武器の貯蔵庫の役割を担っており、急激に軍が拡張した孫策軍にとって、この地の物資を奪うことは必須事項だった。
重要拠点だけに、劉繇自身でこの地を守っていたのだが、横江津、当利口が落ちた情報が伝わる前に孫策が急襲したため、まともな応戦ができない。
軍をまとめて、牛渚の北に位置する秣陵県に退却するのがやっとのことだった。
孫策は、その劉繇を追撃するために秣陵県に向かう。
ところが、その途上、悪い報せが入った。
横江津で敗れた樊能と于麋が、長江を渡河して牛渚奪還に向かっているというのだ。
「ちっ。少々、性急すぎたか」
劉繇の追撃を諦めた孫策は、取って返し牛渚へ戻った。
孫策軍が牛渚に着くと、すでに樊能と于麋に落とされており、再奪還のための戦いを行うことになる。
牛渚は、再三の攻防戦で砦としての機能を損なわれており、守るに適しない状態になっていた。
樊能と于麋は、仕方なく、野戦で決着をつけることする。
そうなることを事前に読んでいた周瑜は、牛渚到着前から軍を二手に分けて、蒋欽と周泰に後方から攻める指示を出していた。
野戦に突入すると、孫策はそのまま正面から攻撃し、敵将の一人、于麋と出会う。
二人は一騎打ちとなり、三合目で于麋は孫策の槍の錆と消えた。
それと、時を同じにして樊能軍の後方から火の手が上がる。
それは蒋欽、周泰によるもので、樊能はたまらず退却するのだった。
樊能は、またしても後方の警戒が足りずに敗北することになった。
こうして、牛渚は再び、孫策軍が占拠することとなる。折角、手に入れた物資を失うことがなくすみ、孫策軍の中に安堵の声が漏れた。
しかし、そんな安心した空気もつかの間、ある情報で将校たちは、皆、青ざめる。
孫策が流れ矢にあたり、落馬してしまったというのだ。
幸い矢は太ももに刺さり致命傷というほどではなく、落馬した際も軽い打撲程度で済んだのが、せめてもの救いだった。
但し、しばらくの間、馬に乗ることはできなくる。
「大将の俺がすまんな」
「なぁに、ここまでが忙しすぎた。少し休めということさ」
周瑜は、そう言って慰めるが、必要以上に落ち込む孫策のことが気になった。
孫策は流れ矢には、嫌な思い出がある。
父親である孫堅が、矢によって致命傷を受けるのを目撃しているのだ。
心の傷として残らなければいいが・・・
周瑜は少し、時間をかけてでも、ゆっくりと養生させた方がいいと判断した。
その時間で牛渚の砦を復旧し要塞化することを目指す。
ここの物資は、孫策軍の生命線。二度と奪われることがあってはならないからだ。
物資が重要なのは、劉繇軍も同じで、秣陵県から笮融という将が牛渚を取り戻すべく、軍を発する。
敗将、樊能の情報で孫策が怪我を負ったという情報もあったため、ある程度勝算を立てての行軍だった。
しかも笮融が軍を進めていくと、孫策が落馬の際に打ちどころが悪く、亡くなったという話を耳にする。
笮融は大いに喜んで、勝利を確信した。
配下の于茲を先鋒に任命して、孫策軍を攻めさせる。
孫策軍の動きは鈍く、于茲の攻撃にたまらず退却するのだった。
この動静に大将を失った動揺が孫策軍にあるとふんだ笮融は、自身も孫策軍を深く追う。
ところが、孫策軍が突然、反転すると台車に乗った孫策が現れた。
「笮融よ。俺は生きているぞ。公瑾の策にはまったな」
「くそっ。偽の情報か」
敵陣深くまで入り込んでいた于茲と笮融は退路を塞がれる。
于茲は討たれ、笮融は血路を開き、何とか逃げ延びることができるのだった。
命からがら、逃げ出した笮融は、秣陵県には戻らず、地形を利用した砦に籠ると亀のように閉じこもった。
その砦は塁が高く、堀も深い。
周瑜が一瞥すると、この天然の要害は簡単に落とせないと判断した。
笮融の方も砦から出てくる気配が、まったくないので、捨て置くことにする。
ここで、一度、周瑜は休息を申し出て、治療の優先を促すが、孫策は首を横に振った。
劉繇との決着をつけるのが先だというのだ。
こうなったら、孫策の意思を変えることは難しい。孫策の体調に気遣いながら、秣陵県の攻略に向かった。
秣陵県では、すでに劉繇が本拠地の呉郡曲阿県に逃げており、代わりの将として、薛礼が残っていた。
ところが、その薛礼は、孫策軍の勢いには敵わないと判断すると、孫策軍が到着する前に逃亡する。
守将がいない秣陵県は、無駄な抵抗をすることなく降伏するのだった。
秣陵県を取ると、続けて、湖熟、江乗と続けざまに城を落とす。
瞬く間に、曲阿県にまで迫るのだった。
曲阿の城内では、この事態に新しく軍権を任せる将軍をたてるべきという声が上がる。
その者の名は、太史慈子義。
かつて、孔融の窮地に、単騎で黄巾党の囲みを突破して、救援として劉備を呼んだ勇者である。
しかし、劉繇は太史慈の登用に踏み切ることができなかった。
「太史慈を登用すれば、許劭殿に笑われるだろう」
現在、劉繇陣営で政務を取仕切っているのは、人物評論家としても有名な許劭だった。
この許劭は、太史慈のことを酷評している。
そんな太史慈に軍権を委ねて、軍事を託すと、この名士の機嫌を損なう心配があったのだ。
この一大事に、そのような理由でと落胆の声が漏れるが、劉繇は皇族の末裔。
許劭の評価によって、自身の名が汚されるのを恐れたのだ。
結局、劉繇は、その許劭の進言で曲阿県を捨てて、揚州の豫章郡まで落ち延びる。
孫策が戦いの指揮をとるようになり、僅か三か月で丹楊郡から劉繇の勢力を排除したのだった。
これで、孫策自身が丹楊郡を勢力下におくことに成功した。
順調に勢力を伸ばし、早期に袁術から独立する。
そんな予感を与える、見事な第一歩だった。
その丹楊郡へ辿り着くためには、長江を渡る必要があった。
孫策は渡河のために船着き場がある歴陽に、まず向かう。
寿春県を出発し、道中、いくつかの街を通ってきたが、それぞれの街で志願兵が集まり、孫策軍は、いつの間にか五千人規模にまで膨れ上がっていた。
父、孫堅の生まれは呉郡富春県だったが、その勇名は揚州内に響きわたっている。
人が集まってくるのは、単純にその息子、孫策への期待の表れだった。
また、兵だけではなく、孫堅に仕えていた古参の将、朱治や新たに蒋欽、周泰、陳武、凌操といった見どころある者たちも孫策を慕って配下となる。
膨れ上がった兵たちをよくまとめ、孫策が歴陽に着くと、叔父である呉景と合流した。
「叔父上、この伯符が来たからにはご安心ください」
「よろしく頼む。それにしても、大きく立派になったな」
このとき、孫策は二十歳になっており、体躯も亡き父、孫堅と見間違うほどに大きく成長していた。
まさに孫家の希望として、期待を集めるにふさわしい人物となっている。
「叔父上、昔話は尽きませぬ。まずは、戦況をお聞かせください」
「おお、そうであった。劉繇は、我らを渡河させぬために横江津と当利口に兵を配置している」
この二つは大きな船着き場で、軍を移動させるには、どちらかを勢力圏に入れておく必要があった。
孫策を迎え撃つにあたって、この二か所を抑えておくのは敵の戦略としては最善の手だろう。
「なるほど、それでは、まずその二か所の攻略から考えねばなりませんね」
孫策が攻撃対象を定める。その横で周瑜は早速、攻略のための戦術を考えだした。
「この二拠点は、連携を図りながら、お互いを助け合っている様子。連携がとれぬように、二拠点を同時に攻めよう」
「しかし、一つの拠点もなかなか堅牢。軍を分けて大丈夫だろうか?」
周瑜の作戦に孫賁が疑問を抱いた。これまで、呉景と手分けして戦ってきたが、簡単には落とせなかった経験からの発言だった。
「伯陽殿、心配なさらずとも大丈夫。それより用意していただきたいものがあります」
周瑜は、孫策の従兄弟の孫賁とも旧知の仲だった。その孫賁に耳打ちをする。
「それならばお安い御用だ。ただ準備に二日はほしい」
「それで結構。よろしくお願いいたします」
そして、孫賁の準備が整った、二日後、孫策軍は総攻撃をかけるのだった。
横江津を守る将は樊能と于麋、当利口を守るのは張英だった。
その二か所に対して、横江津は孫策が率いた一軍、当利口は程普が率いた一軍があたる。
劉繇軍の三将は、これまで呉景、孫賁を簡単に退けていたので、本日も軽くあしらってやろうと軽い気持ちでいた。
ところが、しばらく戦っていると自分たちの背後に、矢の攻撃による被害を受ける。
予想外のことで、軍全体が浮足立ってしまった。
「何が起きた?背後は長江だぞ。後ろをとられるわけがない」
樊能が驚いて、確認すると、その矢は確かに孫策軍のもの。
不思議だったが、紛れもない事実だった。
そのからくりは、周瑜が孫賁に船の急造を依頼し、その船で長江の流れに乗って、敵の裏をついたのだ。
船を作る材料を集める時間がもったいないので、その船は木材ではなく、川辺に生息する葦で造られていた。
全て周瑜の指示である。
虚をつかれた横江津と当利口の劉繇軍は、孫策軍に散々に打ちのめされ、この拠点を捨てて退却した。
これで長江の渡河が可能となる。
「我らがあれほど手こずっていた相手に・・・伯符は本物だ」
呉景と孫賁は、孫策の傘下に入ることを決め、二人の軍を吸収することで、孫策軍は更に大きくなった。
その数は二万を超えるのだった。
長江の渡河が可能となると、孫策は息もつかせぬうちに牛渚の砦を攻めた。
牛渚は劉繇軍の食糧や武器の貯蔵庫の役割を担っており、急激に軍が拡張した孫策軍にとって、この地の物資を奪うことは必須事項だった。
重要拠点だけに、劉繇自身でこの地を守っていたのだが、横江津、当利口が落ちた情報が伝わる前に孫策が急襲したため、まともな応戦ができない。
軍をまとめて、牛渚の北に位置する秣陵県に退却するのがやっとのことだった。
孫策は、その劉繇を追撃するために秣陵県に向かう。
ところが、その途上、悪い報せが入った。
横江津で敗れた樊能と于麋が、長江を渡河して牛渚奪還に向かっているというのだ。
「ちっ。少々、性急すぎたか」
劉繇の追撃を諦めた孫策は、取って返し牛渚へ戻った。
孫策軍が牛渚に着くと、すでに樊能と于麋に落とされており、再奪還のための戦いを行うことになる。
牛渚は、再三の攻防戦で砦としての機能を損なわれており、守るに適しない状態になっていた。
樊能と于麋は、仕方なく、野戦で決着をつけることする。
そうなることを事前に読んでいた周瑜は、牛渚到着前から軍を二手に分けて、蒋欽と周泰に後方から攻める指示を出していた。
野戦に突入すると、孫策はそのまま正面から攻撃し、敵将の一人、于麋と出会う。
二人は一騎打ちとなり、三合目で于麋は孫策の槍の錆と消えた。
それと、時を同じにして樊能軍の後方から火の手が上がる。
それは蒋欽、周泰によるもので、樊能はたまらず退却するのだった。
樊能は、またしても後方の警戒が足りずに敗北することになった。
こうして、牛渚は再び、孫策軍が占拠することとなる。折角、手に入れた物資を失うことがなくすみ、孫策軍の中に安堵の声が漏れた。
しかし、そんな安心した空気もつかの間、ある情報で将校たちは、皆、青ざめる。
孫策が流れ矢にあたり、落馬してしまったというのだ。
幸い矢は太ももに刺さり致命傷というほどではなく、落馬した際も軽い打撲程度で済んだのが、せめてもの救いだった。
但し、しばらくの間、馬に乗ることはできなくる。
「大将の俺がすまんな」
「なぁに、ここまでが忙しすぎた。少し休めということさ」
周瑜は、そう言って慰めるが、必要以上に落ち込む孫策のことが気になった。
孫策は流れ矢には、嫌な思い出がある。
父親である孫堅が、矢によって致命傷を受けるのを目撃しているのだ。
心の傷として残らなければいいが・・・
周瑜は少し、時間をかけてでも、ゆっくりと養生させた方がいいと判断した。
その時間で牛渚の砦を復旧し要塞化することを目指す。
ここの物資は、孫策軍の生命線。二度と奪われることがあってはならないからだ。
物資が重要なのは、劉繇軍も同じで、秣陵県から笮融という将が牛渚を取り戻すべく、軍を発する。
敗将、樊能の情報で孫策が怪我を負ったという情報もあったため、ある程度勝算を立てての行軍だった。
しかも笮融が軍を進めていくと、孫策が落馬の際に打ちどころが悪く、亡くなったという話を耳にする。
笮融は大いに喜んで、勝利を確信した。
配下の于茲を先鋒に任命して、孫策軍を攻めさせる。
孫策軍の動きは鈍く、于茲の攻撃にたまらず退却するのだった。
この動静に大将を失った動揺が孫策軍にあるとふんだ笮融は、自身も孫策軍を深く追う。
ところが、孫策軍が突然、反転すると台車に乗った孫策が現れた。
「笮融よ。俺は生きているぞ。公瑾の策にはまったな」
「くそっ。偽の情報か」
敵陣深くまで入り込んでいた于茲と笮融は退路を塞がれる。
于茲は討たれ、笮融は血路を開き、何とか逃げ延びることができるのだった。
命からがら、逃げ出した笮融は、秣陵県には戻らず、地形を利用した砦に籠ると亀のように閉じこもった。
その砦は塁が高く、堀も深い。
周瑜が一瞥すると、この天然の要害は簡単に落とせないと判断した。
笮融の方も砦から出てくる気配が、まったくないので、捨て置くことにする。
ここで、一度、周瑜は休息を申し出て、治療の優先を促すが、孫策は首を横に振った。
劉繇との決着をつけるのが先だというのだ。
こうなったら、孫策の意思を変えることは難しい。孫策の体調に気遣いながら、秣陵県の攻略に向かった。
秣陵県では、すでに劉繇が本拠地の呉郡曲阿県に逃げており、代わりの将として、薛礼が残っていた。
ところが、その薛礼は、孫策軍の勢いには敵わないと判断すると、孫策軍が到着する前に逃亡する。
守将がいない秣陵県は、無駄な抵抗をすることなく降伏するのだった。
秣陵県を取ると、続けて、湖熟、江乗と続けざまに城を落とす。
瞬く間に、曲阿県にまで迫るのだった。
曲阿の城内では、この事態に新しく軍権を任せる将軍をたてるべきという声が上がる。
その者の名は、太史慈子義。
かつて、孔融の窮地に、単騎で黄巾党の囲みを突破して、救援として劉備を呼んだ勇者である。
しかし、劉繇は太史慈の登用に踏み切ることができなかった。
「太史慈を登用すれば、許劭殿に笑われるだろう」
現在、劉繇陣営で政務を取仕切っているのは、人物評論家としても有名な許劭だった。
この許劭は、太史慈のことを酷評している。
そんな太史慈に軍権を委ねて、軍事を託すと、この名士の機嫌を損なう心配があったのだ。
この一大事に、そのような理由でと落胆の声が漏れるが、劉繇は皇族の末裔。
許劭の評価によって、自身の名が汚されるのを恐れたのだ。
結局、劉繇は、その許劭の進言で曲阿県を捨てて、揚州の豫章郡まで落ち延びる。
孫策が戦いの指揮をとるようになり、僅か三か月で丹楊郡から劉繇の勢力を排除したのだった。
これで、孫策自身が丹楊郡を勢力下におくことに成功した。
順調に勢力を伸ばし、早期に袁術から独立する。
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