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第11章 偽者競演編

第64話 劉備の嫁取り

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徐州広陵郡海西県に落ち延びた劉備一家のもとに救援物資を持って、やって来た麋竺。
事情を聞くと、実家の大商家をたたんで一族を率いて来たという。

「劉備教、ここに極まれりですね」
「おい、洒落にならないからやめろ」

劉備は、いつものあげつらいを制すると、麋竺に向かって歩き出す。
麋竺は張飛に抱え上げられ、目を白黒させていた。

「麋竺、お前の献身には必ず報いる」
「そのお言葉だけで、十分。ありがたき幸せです」
張飛から降ろされた麋竺が、拝礼とともに返事をする。

その麋竺の後ろには、見慣れぬ二人の人物がいた。
一族を連れてきたというので、麋竺の縁者だろう。
劉備の視線に気づいた、麋竺は弟と妹を紹介するのだった。

「こちらは弟の糜芳びほうでございます。商家の生まれですが、多少、武芸をたしなんでおり、つゆ払いでも何でもお命じ下さい」
「糜芳でございます。兄同様、誠心誠意、劉備さまにお仕えいたしますので、どうぞよろしくお願いいたします」
紹介を受けた糜芳を眺めると、確かに麋竺よりも体格がよく、武官向きなのが一目でわかった。

「こちらこそ、よろしく頼む」
糜芳の手を取り、挨拶を済ませる劉備なのだが・・・
先ほどから、その隣の女性の射抜くような視線の対処に困惑していた。

何か悪いことでもしただろうか?
いや、実家をたたむことになった諸悪の根源は劉備である。
恨まれてもいたしかたないか・・・

劉備が目で麋竺に妹の紹介を催促する。その流れで、謝罪をすればいいと考えたのだ。
ところが、麋竺からはなかなか妹の紹介が始まらないので、仕方なく劉備から切り出す。

「それで、そちらの女性は?」
「あ、こちらは妹の・・・」
麋仁びじんと申します。『びじん』と呼ばれるのは気恥ずかしいのですが、親からいただいた大切な名前ですので、劉備さまもご遠慮なく麋仁とお呼びください」

麋仁と名乗った女性は、麋竺の紹介を遮って、早口でまくし立てた。
話し出すと、何か印象が変わって見える。

「これ、もう少し控えぬか」
「はい」

たまらず麋竺がたしなめて、返事はするが、悪びれる様子は見受けられない。
何ともはつらつとした女性のようだ。

実家の件、迷惑をかけたと劉備が謝罪すると、皆で話し合ったことなので、問題ないと答える。
どうやら、怒っていたわけではなさそうだ。
挨拶も済んだので、作戦会議に戻ろうとすると、麋仁が麋竺の袖を引っ張っている。

何かを催促しているようだが、麋竺には躊躇する様子が見てとれた。
どうも妹の紹介のくだりから、何かと歯切れが悪いように思う。
すると、意を決したのか、麋竺は劉備の前に平伏した。

「り、劉備さま」
どれだけ緊張しているのか分からないが、劉備を呼び止める声が、多少、上ずっている。

「どうした、麋竺?」
「・・・あの、非常に、申し開けにくいのですが・・・」

何とも踏ん切りのつかない麋竺に、麋仁が業を煮やすと、
「もう、私が言います。劉備さま」と、劉備の眼前まで迫る勢いで近づいて来た。
「な、何だろうか?」
「私をお嫁にもらって下さい」
麋竺が顔を下に向け、糜芳がそっぽを向いた。

兄妹でどこまで話し合ってきたのか知らないが、麋仁の発案に、兄、二人が押し切られているように見える。
劉備一家も急な出来事に唖然とし、誰からも声が出なかった。

「器量は悪くないと思っていますが・・・もちろん、劉備さまさえ、よろしければです」
麋竺は、あくまでも劉備の判断に任せると言うが・・・

麋仁からは熱い視線が突き刺さり、簡雍の目は、
『実家をなくすことになったので、その責任をとってさしあげたら、どうです』と物語る。

関羽は黙って目を閉じ、張飛はにやついた好奇の視線を送ってくるのだ。
誰も助言らしきものはせず、ジッと劉備の動向を全員で伺う。
これは・・・あれだな。変なことは言えないやつだ。

劉備が、熟考に熟考を重ね、
「よ、喜んでお迎えいたします」
重圧に負けたように、声を振り絞る。
その回答に、麋兄妹はほっとするのだった。

「ただ、今は非常時、祝言などは落ち着くまでお待ちいただきたい」
「もちろん、いくらでも待ちますわ」

麋仁としては、夫婦になれれば、それで十分。
堅苦しい儀式など、どうでもいいのだった。

戦でもないのに、どっと疲れた劉備は重たい足取りで天幕に戻る。
軍議を再開して、早く今後の方針を定めておかなければならないのだ。
「大丈夫ですか?新婦が見てますよ」

早速、簡雍が劉備をからかうのだが、その簡雍の背中を、
「もう、冷やかして、いやですわね」
麋仁が思いっきり叩くので、簡雍はせき込んでしまった。


麋竺、糜芳を加えて軍議を再開する。
その他の面子は、劉備はもちろんのこと、関羽、張飛、簡雍、孫乾、陳到である。

目下の敵は、袁術と呂布の二つの軍勢。
どう考えても、今の劉備軍に二正面作戦は厳しい。
では、どうするべきなのか?

「袁術の目的は徐州制圧にあります。呂布の目的も同じ。二つの勢力同士を嚙合わせるのが一番ですね」
簡雍の分析は正しいと思う。では、そう仕向けるにはどうしたらいいのか?何か手を打つ必要がある。

劉備が徐州を放棄すれば、両者は勝手に争いを始めるのかもしれないが、現状、劉備軍に逃げ場はない。
すんなりと逃がしてはくれないだろう。

となると、どちらかと和睦し、逃走する経路を確保するしかなかった。
攻め込んできた袁術と恩を仇で返した呂布。

どちらを選ぶか、まさに究極の選択だった。
もちろん、相手が応じない可能性もある。
そこも見定める必要があった。

「感情論を抜きにして考えた場合、可能性が高いのは呂布の方だと思います」
「俺もそう思う」
劉備と簡雍の意見が一致するが、二人とも張飛の心情をおもんばかる。
ついこの間、その呂布の手によって下邳城を奪われているのだ。

「感情論は抜きって言っただろ。俺のことは気にしなくていい」
二人の視線を感じて、張飛が気遣い無用の断りを入れる。

張飛からすると、自分のことで、これ以上迷惑をかけたくないというのが本音だった。
恥を忍んで生き延びたのだ。雪ぐ機会を得るまでは、どんなことでも受け入れようと覚悟を決めている。

「どうして、呂布の方が可能性が高いのでしょうか?」
孫乾が、素朴な疑問を投げかけた。同調するように麋竺も頷いている。

「袁術は名門意識が高く自尊心の強い男です。派閥を見限って、袁紹についた大将のことは、絶対に赦さないでしょう」
積極的に袁術と与していたという意識はないが、二袁の対立で色分けすれば、今まで袁術側だったことに間違いはない。

「一方、呂布ですが、こちらも自尊心は強いのですが、益徳さんを逃がしたことでも分かるように、外聞を気にする傾向にあります」
「言われてみると、そうですね」

「ええ。ですから、恩を仇で返したままで終わるよりも、大将を受け入れた方が世間の聞こえはいいと考えるはずです」
孫乾と麋竺は、簡雍の説明で納得する。

「だが、呂布はともかく陳宮が見逃してくれるだろうか?」
関羽のその問いかけにも、その点は大丈夫と請け合った。
「益徳さん、先に借りを返しに行きますね」
簡雍には、何か秘策があるようだ。

軍議の結果、呂布と和睦し、現状を打破することにした。
いつものことだが、呂布への使者は簡雍に任せることにする。
簡雍は陳到を伴って、下邳城へ向かうのだった。


「和睦と聞こえたが、降伏の間違いではないのか?」
「いえ、和睦です。つまり、和解ですね」
下邳城、呂布の前で簡雍が明快に回答する。

「これは、簡雍殿。状況を理解していないのですかな?」
「状況と言いますと?」
陳宮が勝者の余裕を見せながら、嫌味ったらしく会話に割り込んできた。

「劉備殿は袁術に攻められ、広陵郡の端、海西県まで追いやられておる。もはや風前の灯火、我らと対等の立場ではないと申している」
「確かに袁術には攻められましたが、下邳城は呂布殿が。徐州が落ちたわけではありませんし、海西県にいるのも戦略的な撤退です」

陳宮は簡雍の意図が読めた。
争っているのはあくまで袁術とのみで、呂布が下邳城を占拠しているのは、単なる誤解から生じたもの。
だから、その誤解を解く和解なのだということだろう。

「呂布殿には、感謝しております。我が軍の張飛と曹豹の内輪もめを仲裁していただき、我が主、劉備に成り代わりお礼申し上げます」
「うむ。大したことではない」
内輪もめの仲裁で、占拠か・・・

袁術の二十万石の兵糧で小沛の民を救うためにやむなくという筋書きより、今、簡雍の話した通り、仲裁に入ったという方が、こちらの非は少ないのではないか。
呂布は、簡雍の提案に旨味を感じる。
陳宮の方も筋としては、きれいな方が好ましい。

だからと言って、城を返せと言われるのだけは、避けなければならない。
この後、簡雍が、どう出てくるのか、注意を払う。

すると、簡雍は、そんな警戒など無用とばかりに、
「そこで、劉備からの提案ですが、徐州を呂布度に譲りたいとのことです」と、徐州牧の印綬を差出すのだった。

こうなると実質、降伏と同じだが、あくまでも和睦という名目だけは、簡雍は譲らない。
降伏して傘下に入った場合、生殺与奪権も与えてしまう可能性があるからか?
何にせよ、争わず徐州を手に入れられるのは悪くない。

だが、あと一つ。
劉備の狙いだけは、確認しておかなければならない。
「それでは、この後、劉備殿はどうされるおつもりか?」
その答えいかんによっては、この話、御破算もありえる。
呂布と陳宮は、簡雍の答えをジッと待った。

「徐州を離れ、小沛に駐屯いたします」
「小沛?」
思ってもいない答えに、二人の声が揃う。
陳宮は、劉備のいや、簡雍の意図を図りかねるのだった。
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