矛先を折る!【完結】

おーぷにんぐ☆あうと

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第17章 名門衰亡編

第103話 袁家滅亡と天才の死

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曹操は北伐の軍を起こした。目指すは烏桓族の本拠地、柳城りゅうじょうである。
中華の北東、鄴からはかなりの道のりとなった。

そのため、長期の遠征を考慮して、多くの輜重隊を引き連れていたのだが、その遅々とした行軍に郭嘉は不安を覚える。
ついには、幽州に差し掛かる易県えきけんで、曹操に編成に対しての献策を述べた。

「兵は神速を尊ぶと申します。今、千里先の敵を襲撃するため、輜重を多く準備しておりますが、これでは烏桓族の不意はつけませぬ。これよりは、騎馬隊のみで進み、輜重隊は置いていくべきです」

兵糧が途絶える恐怖を何度も味わっている曹操だが、今回は郭嘉の智謀を信頼し、その言葉を受け入れた。

ただ、気になったのは、郭嘉が時折、嫌な感じの咳をすることだったが、戦前のこと。
問いただすのを控えた。

速度を上げた曹操軍は、幽州右北平郡ゆうほくへいぐん無終県むしゅうけんに到達する。
蹋頓がいる遼西郡の一つ手前、いよいよ烏桓族の勢力圏に入ろうとしていた。

無終県で、ひとまず休息をとる曹操に、ある人物からの謁見の申し出がある。
それは、劉虞の元配下の田疇でんちゅうだった。

曹操は、こんな幸運があるかと大いに喜ぶ。
何故なら田疇は、烏桓族や鮮卑族の風俗や習慣に精通し、この行軍の道先案内人としては、これ以上ない、うってつけの人物だったからだ。

忠節を重んじ実直であるがゆえに、自分の意思を曲げない男としても有名で、田疇の噂を聞きつけた袁紹が何度も招聘したが、応じることはなかったという。
それだけに、向こうから会いに来てくれるとは、思いもよらなかった。

「荀彧殿から、真心こもった手紙をいただき、曹操さまに協力することにいたしました」
これぞ、我が子房の働き。袁紹にできなかったことを、筆一つで行うか。
曹操は、興奮しながら田疇の手を取り、協力に感謝した。

そして、郭嘉も遠く、鄴の空を見上げる。
「文若殿、感謝いたします」
郭嘉の病のことを唯一、知っている荀彧が、できるだけの手助けをしようと動いてくれたのだろう。

同郷の先輩の心遣いが、心底、嬉しかった。
後は、自身の全精力をかけて当たるのみ。
必ず、この北伐の成功を誓うのだった。


田疇という最高の先導者を得ても、曹操軍の行軍は難航する。
まず、何といっても季節が悪かった。
夏の雨季に入っており、道はぬかるんで車や馬は通れない。かといって、船が動けるほど、水が溜まるわけではないのだ。

しかも、烏桓族に気づかれたのか、細い通れる道は封鎖されてしまっている。
困り果てた曹操は、田疇に妙案はないか相談した。

「まともな道が使えないとなりますと、今から二百年ほど前に崩落した旧道を使うしかありません。こちらを整備しながら進めば、柳城への到達は可能です」
「二百年前か・・・」

そう聞いて、曹操は考え込む。
現在、どれほど廃れているか想像もつかない。一度、崩落しているのならば、尚更だろう。

「困難な道だからこそ、通る価値がござます。烏桓族も、まさか我らが現れるとは思ってもおりますまい。不意をつくことが可能と思われます」
「まさしく郭嘉殿のおっしゃる通りです」

郭嘉、田疇の二人が強く推すので、曹操はその旧道を使用することにした。
そもそも、今さら鄴へ退き帰すという選択肢がない以上、通れる道はどこだろうと進まなければならない。

退却という選択肢はないが、敵を欺き、そう見せかけるため、曹操は街道沿いに、
『雨季のため通行できぬがゆえに撤退する。秋冬に再度、行軍する』と記載した立札を数か所にかけて立てた。

それを見た烏桓族の斥候は、曹操が退却したものだと信じ込む。
このつらい行軍、多少の意趣返しができたのだった。


田疇が示したのは道ではない。
その時は、ついて行くのに必死で深く考えられなかったが、後になって思えば、そう振りかえざるおえないほどの道程だった。

灤河らんがの渓谷を越え、盧龍塞ろりゅうさいを通過して、徐無山じょむさんを登った。
そして、白檀びゃくだんを通り、平岡へいこうで東へ転進して鮮卑の領地を渡る。

言葉で表現すると、この通りだが、途中、進むためには渓谷を埋め、山を掘らなければならない。
襲ってくる、寒さ、飢え、渇きは、これまでの体験以上だった。

苦難を乗り越え、曹操軍は、大凌河だいりょうがの渓谷まで軍を何とか進めると、柳城までの道は開ける。
ここに来てようやく、曹操軍の接近に蹋頓は気づくのだった。

蹋頓は、袁尚、袁煕、蘇僕延らと数万騎を率いて、曹操を迎え撃つ。
両軍は白狼山はくろうざんで遭遇した。
この激突は、突然のこと。両軍とも戦の準備はできていなかった。

はじめは、虚を突かれた曹操軍が押されるのだが、郭嘉が冷静に張遼と張郃に態勢を直させて、攻撃を指示すると、勢いは逆転する。
二人の馬術は、烏桓族にも引けを取らなかったのだ。

張遼が至極の手綱さばきで、烏桓族をかき分けると蹋頓と正対する。
蹋頓が奇声を上げて、張遼へと突進し、二人の一騎打ちは始まった。
蹋頓は烏桓族、随一の武勇の持ち主。張遼との対決は一進一退となるが、最後は張遼に軍配が上がる。

片腕を青龍偃月刀で斬り落とされると、蹋頓は逃げ出すのだった。
ところが、いつものように馬を走らせることができず、曹純率いる虎豹騎に捕縛されてしまう。
曹操の前に引っ立てられた蹋頓だが、最後に気を吐いた。

「漢からは、たくさんの印綬をもらったが、どれが正当のものかわからん。ゆえに最初に印綬をいただいた袁公の恩に従ったのだ」
官位をばらまく腐敗政治を皮肉ったのだろう。蹋頓は、袁紹、曹操、そして、遼東太守りょうとうたいしゅである公孫康こうそんこうからも単于の印綬をもらっていた。

しかし、曹操はそんな蹋頓を一喝する。
「分からないというのであれば、耳を澄まし、目を養うのだな。どれが正しきものか判断を誤ったがため、今日、君は滅ぶのだ」
蹋頓は、曹操の目の前で処刑される。

そのことを知った烏桓族は、対抗できないと判断して、本拠地、柳城まで退却した。
もちろん、曹操は全軍をもって烏桓族を追う。
たまらず、袁尚や烏桓族の蘇僕延らは、柳城を捨てて公孫康の元へ逃げ出すのだった。

多くの同族を見捨てての逃亡劇だったため、この地に残された胡人、漢人、二十万余は曹操に降伏する。
これで曹操は、精強な騎馬隊の編成が可能となった。
逃げた袁尚と袁煕についてだが、このまま公孫康ごと討伐しようという者もいたが、郭嘉がその声を静める。

「公孫康は、必ず、袁尚、袁煕の首を送ってきます。いたずらに兵を消耗する必要はありません」
曹操も同意すると、曹操軍は鄴へと引き返した。
ほどなくして、郭嘉の言葉通り、袁尚、袁煕、蘇僕延、烏延の首が鄴に届けられる。

公孫康は、烏桓族が破れたことにより、僻地だからといって、安泰ではないということを知った。
そのため、曹操を恐れ、身の安全を確保したのである。
こうして、官渡の戦いから七年後、名門として謳われた袁家が滅ぶのだった。


曹操は、北伐から戻り、落ち着くと諸将を集めた。
「今回の行軍、想像以上に厳しく、成功したのは、はっきり言って天祐によるものだった。出陣に際し、反対した者の見識は正しい。よって、恩賞を与える」
そう言うと、今後も忌憚なく意見を述べよと伝える。

そして、最後に曹操は目を潤ませた。
「しかし、今回の最大の功労者は、その天のたすけをも味方にする智謀と強い意志で、北伐を敢行した郭嘉奉考である」
すると、登壇したのは、郭嘉ではなく、まだ幼さが残る息子郭奕かくえきだった。
郭嘉は、北伐から帰った二日後に病のため、亡くなったのである。

「君の父親は、これだけの者たちから、称賛を浴びる人物だったのだよ。君も励みなさい」
「はい」
曹操は、郭嘉の所領の全てを郭奕に引き継がせることを承認する。
こんなことで、郭嘉の労に報いきれるものではないが、せめてもの気持ちだった。

論功行賞が終わり、曹操が一人になると荀彧が目の前に現れる。
「文若、君は奉考の病気のことを知っていたのかい?」
「申し訳ございません。固く、口止めをされていました」
「いや、責めているわけではない」

郭嘉の死顔は満足した表情をしていた。病で床に伏したまま、亡くなったのなら、けして見せない表情だったと思われる。
荀彧がしてあげた行為は、正しいし、曹操でも同じことをしただろう。

しかし・・・
「早い。あまりにも早すぎる」
「御意でございます」

曹操の周りにいる参謀たちは、ほとんど曹操と同年代。その中で郭嘉は飛び抜けて若い。
天下泰平になった暁には、後事を彼に任せるつもりだったのだ。
「哀しいかな奉孝、痛ましいかな奉孝、惜しいかな奉孝」

郭嘉を想い、そんな言葉を曹操は残す。
悲嘆にくれる曹操。

「奉考の代わりは、私が務めます」
「いや、文若。君は君の責務を全うするだけでいい」

いたたまれず、荀彧が口にした言葉をやんわりと曹操は断る。
これで無理をされて、荀彧まで倒れられては困るという面もあった。

「勝ち残っていく組織というのは、こういう時、必ず別の人材が現れる。それを待とう」
新しい人材が登場したとて、郭嘉のことを忘れるわけではない。
いや、きっと忘れることなどできはしないだろう。
郭嘉が残してくれた北伐の功績は、あまりにも大きいのだから・・・

曹操は哀しみを胸に、前を向いていくと誓う。
残る南征に対して、障害は何一つないのだ。
「奉考、見ていてくれ。私は、このまま覇を唱える」
曹操は、そう力強く宣言するのだった。
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