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第19章 新生孫呉編

第113話 造反者の末期

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揚州呉郡呉県では、孫策の後を継いだ孫権が慌ただしく、政務にかかりきっていた。
政権の移り変わりは、多くの混乱が生じるため、新主君は休む暇もない。

混乱は政治だけではなく、家臣団の中にも生まれた。
周瑜や張昭、魯粛といった臣らは、孫策から受けた恩と孫権の素質を見抜き、迷いなく付き従ったが、中にはやはり離れていく者も出てくる。

孫権と袂を分かった主な離反者は、三名ほど数えられるのだった。
まずは、豫章太守だった華歆がその一人。

但し、彼の場合は、漢王朝に招聘されるという自身でも予想外のきっかけによってだった。
気が進まねば、受けなければいいのだが、華歆は前向きに考える。

それは若い孫権が、まだ、曹操との友誼が薄いことに起因した。
自分が許都に赴くことで、孫権の立場を守ろうと考えたのである。

当初、反対していた孫権も、華歆の意図を知ると納得するのだった。
華歆の中央官吏への仕官が定まると、惜別の思いからか、多額の選別金が集まる。
それらの贈り物に、華歆は印をつけておくよう、家の者に指示を出した。

いざ、旅立つ日には、孫権をはじめとした重臣たち、官吏も含めると千人以上に上る人数が集う。
その集まった人たちに対して、華歆はいただいた餞別を返して回った。

「皆さまのご厚情、感謝しますが、一台の車では運びきれませぬ。これ以上、車を増やせば野盗の類の格好の的。私は、お気持ちだけいただいて行きます」
集った、一同は、その言葉に納得するのだった。


次に二人目は、孫権の身内、従兄の孫輔が曹操と内通する手紙を送る。
事の露見は単純な事からだった。

廬陵ろりょう太守の孫輔は、孫権が会稽郡の東冶とうやへ巡回に行っている隙をついて、曹操へ手紙を送るのだが、その手紙を届けた使者が、何と裏切って孫権へ報告してきたのである。
東冶から戻った孫権は、ことの次第を確かめようと張昭を伴って、孫輔を訪ねた。

「江東を守るに私では、頼りないでしょうか?」
「何を弱気なことを言っておりますか。これより、皆で力を合わせて、守るどころか版図を広げてまいりましょう」
「孫輔殿の言、まことに勇ましい限りじゃが、この手紙は何といたすのかな?」

張昭が見せた手紙に孫輔の目が丸くなる。どうして、曹操に送ったはずの手紙がこんなところにあるのか?
理解が追い付かないが、冷酷な現実は迫る。

「返答がないということは、お認めになるのですね?」
もはや弁明の余地はないと、孫輔は諦めた。孫権が下す裁きに服することにする。

従兄である孫輔は、その兄孫賁と同じく、孫策が揚州で勢力を広げたときに活躍した将。
その功と相殺し、孫輔の命は助けることにするが側近の全てを斬首にした。

孫輔は幽閉の身となり、数年後、病のために亡くなる。
それは慙愧さんきに堪えなかったためか、本当に病気だったのかは誰にも分からなかった。


そして、最後の一人、明確に叛意を示したのが、廬江ろこう太守の李術りじゅつである。
李術は、孫権の継承を認めず、廬江郡の皖城で独立を宣言した。

揚州には、李術と思い同じく、若年の孫権に不安を抱く者が少なからずおり、それらの人々は反旗を翻した李術を頼って、皖城に集まる。
これを放置することは、主君の沽券にかかわるため、李術に対して正式な使者を立てて、亡命者の返還と帰順を求めた。

その使者が戻り、李術からの返答の書簡を受け取ると、孫権は怒りに打ち震えるのだった。
「我が君、いかがされたのじゃ?」
「これを読んでみよ」

書簡を渡された張昭は、そのあまりにも無礼な文面に唖然とする。
その内容を要約すると、次のようなことが書かれていた。

『その者に徳があれば従い、徳がなければ叛かれるのは、自明の理である。貴方を見限って、私を頼ってきた者を還すのは、その道理に反する行為。応じるわけにはいかない。また、この道理から、私が帰順することもありえない』

孫権に徳がなく、李術には徳がある結果だと広言されたのである。
これで孫権は、李術を滅ぼす決意をした。

「お待ちくだされ。李術がここまで強気なのは、何か算段あってのことやもしれん。まずは、曹操が手出ししないよう、牽制する必要があるじゃろう」
今回の謀反で、李術は止めに入った厳象げんしょうを殺害している。

厳象は、かつて曹操が任命した揚州刺史であることを鑑みれば、曹操が李術を助ける線は薄いと思われるが、釘を刺しておくことに越したことはない。
また、私怨ではなく、この討伐に正当性を持たせるためにも、この厳象殺害を誇張して表明する必要があった。

『李術は、かつて曹操殿が任命した厳象殿を殺害し、漢の制度を蔑ろにしております。厳象殿は私の恩人でもあり、李術を討つのは漢に対する忠、厳象殿への恩義に基づく行動で、私怨によるものではありません。また、自身の死期を悟れば、あの卑劣感は勝手な弁解を並べて、曹操殿に救援を求めるかもしれませんが、どうか李術の申すところ聞き入れないよう願います』

この書簡を受け取った曹操は、苦笑いを浮かべながら承知したと使者に伝える。
そもそも、この頃の曹操は、袁家に対する戦略で頭がいっぱいであり、李術などという小物の相手をしている場合ではないのだ。

孫権が送った使者が、曹操お気に入り張紘だったということもあり、逆に李術討伐にあたって支援が必要なら遠慮なく申せとまで言われたのである。
張紘は、「ありがたき幸せ」と告げて、許都を離れた。

外交は成功し、これで外部からの介入はなくなる。
孫権は、李術討伐に向けた軍の編成を行うのだった。
今回は、一族の孫河そんかを先鋒とし、ともに皖城を攻略することにする。

「李術め、私を侮辱したこと、今さら後悔しても遅いからな」
孫権自身が主君となって、初めての戦が、こうして始まろうとしていた。


皖城では、李術がひどく狼狽していた。
それは、予想よりも人の集まりが少ないためである。

孫策ほど、強烈な存在感を示した主君が亡くなったのだ。その影響はもっと大きいはず。
不安に思う者で溢れかえり、自分に従う者どもは、雲霞うんかの如くに増えると算盤そろばんを弾いていたのだ。

確かに一歩間違えば、李術が描く未来もあったかもしれない。
しかし、孫家の危機に譜代の臣たちが立ち上がったのだ。

程普、黄蓋、韓当、周瑜、呂範、朱治らが所領の各地を慰撫して回り、張昭は、いつまでも兄の死を嘆く孫権を厳しく叱責する。
その結果、江東の大半の者たちは、心落ち着けることができ、孫権も立ち直って、主君としてあるべき姿を民衆に見せることができた。

結果として、孫輔の離反は痛かったが、それ以外の造反は李術しか出さず、最小限にとどめることができたのである。
李術は、親子三代に続く、孫家家臣団の結束力を甘く見ていたのだ。

いざ、戦端が開かれると、その戦力差は明らか。
曹操からは援軍を断られており、他にあてなど、どこにもない。
李術には皖城に籠城するという作戦を取るしかなかった。

亀のように城に閉じ籠り、城外には一度も出てこない。
孫権も無理に攻めようとしなかったため、戦は長期戦の様相を呈する。

すると、次第に城内の食糧は欠乏しだし、飢えに苦しむ者たちが続出した。
中には、空腹のあまり、泥を口にする者などが出る始末。
ついには、自ら開城、あえなく落城するのだった。

皖城に入った孫権は、裏切った兵や民衆を許さない。
捕らえると労働力として、無理矢理、江南の地へと連行した。
そして、主犯である李術は、縄目の姿のまま孫権の前に引っ立てられる。

「徳のある者の姿には見えないが、どういうことだろうか?」
「徳と運は別物だ。歴史上、聖者が殺された例は、いくらでもある」
「城内の者を、これほど苦しめ、困難な道へと道連れにした男が聖者の何を語るか」

李術は、斬首。その首はさらし首となるのだった。
皖城を制圧した孫権は、この戦の先鋒を務めた孫河を李術に代わって、廬江太守に任命する。

こうして、何とか領内の安定を図る孫権だったが、まだまだ不安は残った。
一番気になるのは、不服従民族である山越族の動き。
今までは、孫策の武勇を恐れて、鳴りを潜めていたものの、これからはどう出てくるか分からない。
孫権の苦難は、まだまだ続くのだった。
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