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第23章 荊州争奪編

第150話 趙雲の信念

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零陵郡を落とした劉備。
次に狙うのは、桂陽郡、守る太守は趙範ちょうはんだった。
劉備は、ひとまず零陵郡の泉陵城に腰を落ち着けており、ここから桂陽を攻める手筈を整える。

「我が君、私の見たところ桂陽は、三千の兵と将軍一人を送るだけで落ちると思われます」
「将軍っていうと、誰が適任だろうか?」

今、泉陵城にいる将軍は、張飛、趙雲、陳到の三名だった。
その会話を聞いていた趙雲が、「ぜひ、私に」と名乗り上げる。

一瞬、出遅れて張飛も、「いや、俺に任せてくれ」と、参加を表明した。
趙雲と張飛の視線が合い、軽く火花が散る。

「叔至は、どうする?」
そんな中、劉備に声をかけられた陳到は、大きく首を振った。

趙雲と張飛の争いに、自分が割って入ることなどできるわけがないと目で訴える。
今も、二人に睨まれて、身が竦む思いをしているところだった。

となると、候補は二人となるのだが、どちらにするかは諸葛亮に任せる。
「それでは、趙雲将軍の方が、僅かに声が早かった。今回は趙雲将軍にお願いいたしましょう」
この言葉に張飛が待ったをかけた。納得いく理由ではなかったからである。

「今まで、そんな理由で先陣を決めたことがない。軍師は、わざと俺に仕事を与えないつもりか?」
そう言われると諸葛亮も困ってしまう。今回の任務は、二人の実力を考えれば、どちらが行っても成果は同じ。
どちらでも構わないので、便宜上、早い者勝ちのように言っただけなのだ。

ただ、こうしていても埒が明かない。軍議が止まっていると、そこに簡雍が解決のための提案をした。
「大将、こうなったらくじで決めてはどうです?」

劉備が、両者に異論がないことを確認すると、筆を持ち二枚の紙に何やらしたためる。
それを折りたたみ、壺の中に入れて、両者に引かせるのだった。
一応、先輩にくじを引く順番を譲る趙雲だが、それすら迷う張飛。

「いや、子龍、お前が先に・・・いや、待てよ」
「益徳、いい加減にしろ。とっとと引け」

劉備が促して、やっと張飛がくじを引いた。趙雲は残りの紙をつかみ取る。
両者、同時に紙を開くと、張飛の紙には『後』、趙雲の紙には『先』と書かれていた。
これで、先陣の大役が決まる。

未練があった張飛は、趙雲に紙の交換を申し出るが、当然、それは断られた。
「益徳、武陵を攻める際には、お前を先陣にするから、今は諦めろ」
劉備の一言で、しぶしぶ張飛は引き下がる。それでも、去り際に、もう一度、趙雲に話しかけた。

「なぁ。・・・」
「いや、交換は無理。悪く思わないでいただきたい」
「ああ、そうか。・・・頑張れよ」

戦場に一度、立てば、多くの敵が恐れる天下無双の武将が、肩を落としてトボトボと歩いて行く。
何とも愛嬌がある姿だが、面と向かって笑える者は、この場にはいなかった。

「まったく。・・・子龍、気にすることないぞ」
「はい。益徳殿の分も奮起してまいります」
その言葉を聞いて安心すると、皆で趙雲を送り出すのだった。


桂陽城には、既に零陵郡が落ちていることは伝わっている。
更に、今回、攻め手の将が趙雲であることを知って、太守の趙範は、早くも弱気となっていた。

その趙範を鼓舞したのが、二人の勇将である。その名は、鮑隆ほうりゅう陳応ちんおうといった。
鮑隆は、元漁師で虎を二匹、射殺したことがあるのが、何よりも自慢であり、陳応は飛叉ひしゃという珍しい武器の使い手だった。

飛叉とは鎖にさすまたがついており、敵に向かって投げつけるもの。
陳応に狙われて、この地域で生き残った者はいないほどの名手だった。

「趙範さま。趙雲の単騎駆けの武勇も聞けば、捕らえるため矢などの飛び道具が禁じられていたとのこと。奇しくも、我ら両名は飛び道具の使い手です」
「左様。二人で当たれば、趙雲など、簡単に討ち取って見せましょう」

二人にその気にさせられた趙範は、兵四千を与えて、城外で迎え撃つように指示を与える。
吉報が届くのを固唾をのんで待つことにした。

その日の、正午過ぎ、桂陽城の城外で、劉備軍と趙範軍が激突する。
一応、戦う前に趙雲が降伏を呼びかけるが、返って来た返事は陳応の飛叉の一撃だった。

涯角槍で、簡単に弾き返すと一気に趙雲は間合いを詰める。
陳応に視線を向けながらも、薙ぎ払いをすると矢が地に落ちた。
鮑隆が狙ったようだが、趙雲は気配だけで打ち落としたのである。

勢いそのまま、距離を詰めて、まず陳応を馬上から落とし、次に矢を射かけられた方向に駒を返した。
対処に慌てた鮑隆は、赤子の手がひねられるように、あっさり趙雲に捕らえられてしまう。
戦前、趙範の前でさんざん、いきがっていた二人も、これでは形無しだった。

桂陽が誇る二人の武将が縄目姿で、城門前に引っ立てられると城主の趙範は、卒倒しそうになる。
「だから言わないことではない。初めから、降伏を申し入れていれば心証も良かったものを」

趙範はすぐに城門を開放し、趙雲に城を引き渡した。
少しでも挽回したい趙範は、趙雲を招いてすぐに宴席を開くのである。

「趙雲将軍、降伏を受け入れていただき、感謝いたします」
「何の、無益な血を無駄に流さずに済んだ。こちらこそ、感謝いたす」

その間、非常に美しい女性が趙雲の隣に立った。杯に酌をするためのようだが、一瞬、趙雲もその女性に目を奪われる。
その様子に内心、ニヤリとすると趙範は、ある願い事を申し出た。

「私の名は趙範といい、趙雲将軍と同じ趙姓でございます。ここで出会えたのも何かの縁。よろしければ義兄弟の契りを結んでいただきたいのですが」
「趙範殿が、我が主君に忠誠を誓うというのであれば、私も喜んで義兄弟の契りを結びたいと思います」
「も、勿論、忠誠を誓いますとも」

この誓いで、約束は成立する。趙雲と趙範は、義兄弟の契りを結ぶ。
「それにしても、こんな良縁を結ぶことができて、私は幸せ者です」
趙範は、満面の笑みを浮かべて喜んだ。

趙雲は劉備軍の中でも指折りの武将である。この趙雲と義兄弟となれれば、もう安泰だと打算的な考えを起こした。
そして、趙範は更に欲をかいてしまう。

「実は、昨年、兄に先立たれた兄嫁が私の元におります」
「それは、ご不幸なこと。お悔やみ申し上げます」
「その兄嫁には、私も世話になっており、ぜひとも幸せを掴んでほしいと願っております」

どうやら身内話のようなので、深入りは避けようと趙雲は相槌を打つだけの対応に変える。
その間も美女は、趙雲に酌を続けるのだった。

「兄嫁は、樊氏はんしと申しますが、絶世の美女だけに再婚相手に求める条件が厳しいのです」
「それは、どんな?」

趙雲は別に興味はなかったが、趙範が間を長くとり、聞いてくれと目で催促するので、仕方なく、そう返答する。
すると、待ってましたとばかりに趙範は、その条件を言い並べるのだった。

一つは、天下に高名であること。
二つは、前の夫と同じく趙姓であること。
三つは、文武に才のあること。

それを聞いた趙雲は、顔を険しくする。
まるで、趙雲を目の前にして作ったかのよう条件だったからだ。
次にいう趙範の台詞も予測できる。

「そこで、趙雲将軍。いかかでしょうか?」
「断る。私と趙範殿は義兄弟の契りを結んだばかり。貴方の兄嫁ということは、私にとっても兄嫁に当たる。そのような不義理は承服できない」

趙範にとっても趙雲の台詞は予測の範疇だった。
しかし、次の言葉を言えば、趙雲も首を縦に振るはずである。
「実は、その兄嫁は将軍の隣で酌をしている女性なのです」

『これで、趙雲は我が一族の一人』

下卑た笑いを必死に隠す趙範に趙雲の拳が飛んだ。
これは、まったくの予想外の反応だった。先ほどまで、兄嫁の美貌の虜になっていたではないか・・・

「な、何をなさる」
「貴様は、兄嫁を下女のごとく扱うのか。もし、正式に会わせるというのであれば、初めに紹介すべきところだ。そうすれば私も軽々しく、何度も酌を受けなかった」

趙雲の怒りは収まらず、そのまま退席していく。
部下など衆目の前で、殴りつけられた趙範は怒りに震えるのだった。

「おのれ、少しばかりの武勇を鼻にかけおって」
主人の心情に寄り添った、鮑隆と陳応は、罠をかけて趙雲を討ち取りましょうと持ちかける。
怒りで正常な判断ができない趙範は、二人の提案を入れるのだった。

鮑隆と陳応は、すぐに趙雲の後を追って、趙範の無礼を謝罪する。
今は趙範も反省しおり、正式に詫びたいと申し出ていると告げた。

そう言われると趙雲も個人の感情より、主命を取る。
桂陽を無事に手に入れるため、趙範の謝罪を受けいれることにした。
先ほどの部屋とは違う部屋に案内された趙雲は、言われるがままに席につく。

間もなく趙範が来るので、それまでの間、時間つなぎということで、酒を勧められる。
酌をするのは、今度は陳応だが、その手が僅かに震えていることに、趙雲は何かを悟った。

杯に酒がなみなみ注がれると、「一人で飲んでもつまらない。ぜひ、どうぞ」と、手にする杯を陳応に渡すのだった。
受け取った陳応は、なかなか口につけようとしない。
その様子に趙雲は確信するのだった。

「まさか、毒や薬の類が入っているわけではないのだろう?」
「くそ」

陳応は杯を床に投げつけると、趙雲に躍りかかるが、あっさりと青釭の剣の錆となる。
同じ部屋に身を隠し、機を見計らっていた鮑隆をみつけると、こちらも一刀のもと斬り伏せた。

血塗られた青釭の剣を片手に、先ほどの部屋に行くと、まだ趙範がそこにいる。
趙雲の姿を見ると、ことの失敗を悟るのだった。
持っていた杯を床に落とし、その場にへなへなと崩れ落ちたところ、趙雲の部下たちに縛りあげられる。

落城の報告のため使者を送ると、劉備と諸葛亮が翌日には、桂陽城にやって来た。
趙雲の成果を労うのである。

そこで、趙範から話を聞いたのか、改めて樊氏を嫁に取ることを劉備からも打診された。
ところが、趙雲は丁重に断る。

「美女が嫌いなのか?」
「いえ、私も美女は好きです。ただ、桂陽を武力で取った手前、その城主の兄嫁まで取ったとなれば、よからぬ噂もたちましょう。我が主君の威光にも傷がつくかもしれません。それでは、家臣失格でございます」

趙雲の言い分は、立派だった。何を優先すべきか、しっかりとした信念が趙雲にはあるのだろう。
「美女がおらずとも武士の務めは果たせます。私は妻を娶ること以上に、武士の務めが果たせないことを恐れます」
劉備と諸葛亮は、趙雲に真の武士の姿を見るのだった。
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