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第25章 関中狂乱編

第170話 関中十部の崩壊

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不穏な空気が関中十部の中に流れる中、曹操との二回目の会談が設けられる。
話合いの場に立つのは、前回と同じ曹操と韓遂、馬超だが、明らかに緊迫感が前回とは違った。

馬超は少し離れた位置にいながら、眼光鋭く睨みつけている。但し、その相手は曹操ではなく韓遂だった。
そして、その馬超を牽制するかのように閻行が近くで待機する。

この状況、顔には出さないが内心、曹操がほくそ笑んでいた。
まさに賈詡が描いた展開通りになっているのである。

『それでは、最後の仕上げにかかろうか』

心の中で、そう呟くと、曹操は韓遂に話しかけた。
「文約殿、手紙の返事、しかと承ったぞ」

曹操のその言葉にいち早く反応したのが馬超である。
槍を握りしめ、韓遂へと向かって行った。

「許褚、文約殿を守れ」
突進する馬超の前に、韓遂を守るため許褚と閻行が立ちはだかる。

『閻行の行動は分かるが、何故、許褚まで、韓遂を守るんだ?』

「やはり、裏で手を組んでいたのか」
「違うと言っても、今更、聞く耳を持つまい」

韓遂も、もはや誤解を解くのを諦めた。
完全に曹操の策略に嵌められたことを認めるしかない。

「この期に及んで、まだ、しらを切る気か」
馬超は槍を力いっぱい横に振るうと、許褚と閻行の二人が後方へと吹き飛ばされた。
怒りに震える馬超は、いつも以上の力を発揮しているようである。

二人の間に隙間が生じ、韓遂の姿を捉えたところで、必殺の突きを繰り出した。
のど元めがけて飛んできた刺突を、韓遂は、咄嗟に左腕で防ぐ。

「ちっ」
仕留め損ねた馬超は、二撃目を撃とうとしたが、そこまで許す許褚と閻行ではなかった。
許褚が体当たりを喰らわして、馬超と韓遂との距離を空ける。その隙に、閻行がその場から、主君を連れ出すのだった。

この時、他の関中十部は何をしていたかというと、正直、何もしていない。
まず、状況がまったく飲み込めないでいるのだ。
ただ、分かったことは、この連合が崩壊したということだけである。

関中十部の中でも、割と馬超に近い、成宜、李堪、梁興らは、馬超が許褚と闘っていることから、曹操軍に攻撃を仕かけることにした。
韓遂よりの侯選、程銀、張横、馬玩らは、撤退する韓遂と行動をともにする。

楊秋だけは、その場で動かず白旗を上げるのだった。
この段階で、早くも曹操への降伏を決め込んだ、この判断は、戦を好む涼州人としては非常に珍しい。

しかし、後日、振り返って考えてみれば、この楊秋の行動が一番賢明であったと、誰もが気づくのだった。
だが、この場面では武力で乗り切ろうと考えるのが、この地では一般である。特に馬超の奮戦ぶりは凄まじかった。

親父代わりと慕っていた韓遂、師匠と仰いでいた閻行の二人に裏切られたという思いが強い。心の拠り所をいっぺんに失ってしまったのだ。
嘆きや哀しみ。負の感情を怒りに換えて爆発させる。

この時ばかりは、誰も馬超を抑えることができなかった。
許褚を一蹴すると、しつこく曹操をつけ狙う。
韓遂や閻行が、この地から去った以上、馬超が向ける矛先は曹操しかなかった。

張郃と徐晃が馬超の前で武器を構えるが、彼らも軽くあしらわれる。
この二人が、ここまで、簡単に子供扱いされることは、今までなかった。

「曹操!」
豪傑、二人を抜いた先に宿敵、曹操の姿を見つける。
馬超は、思わず叫びながら、馬を走らせた。

ガキン。という金属音は、曹操の手前で鳴るのだが、これは張遼が何とか馬超の突撃を止めたもの。
「丞相、早くお逃げください」

張遼とて、今の馬超が相手では、そう長くは持ちそうにない。
それほど、この時の馬超の強さは常軌を逸していた。

「くっ」
青龍偃月が弾かれ、張遼が落馬する。
これで、馬超を止められる剛の者は、曹操軍の中にはいなくなった。
曹操は、張遼が時間を稼いでくれている内に、賈詡が作った砦まで逃げようとしたが、寸前で馬超に捕まる。

「のこのこ外に出て来たのが運の尽きだ」
どうやら、曹操は策に溺れて、虎の尻尾を踏んでしまったようだ。
ここに来て、絶体絶命の窮地に陥る。

その時、きらりと何かが光ったかと思うと、矢が馬超の馬に突き刺さった。
痛みで暴れる馬から、馬超は振り落とされてしまう。

曹操が、矢が放たれた先に目をやると、そこには、援軍としてやって来た夏侯淵の姿があった。
「妙才、助かったぞ」
「丞相、そのまま、そいつから離れて下さい」

夏侯淵は、馬超に矢の照準を合わせたまま、ゆっくりと近づいていく。
さすがの馬超も夏侯淵の弓に狙われては、迂闊に動くことができなかった。

すると、先ほど馬超が倒した面々、許褚、張郃、徐晃、張遼が回復して、馬超と曹操の間に立ち塞がる。
あの矢に狙われて、この四人。

どう考えでも、これ以上は無理だった。
馬超は怒りに支配されているが、勇気と無謀をはき違えるほど、愚かではない。

「若、李堪殿と成宜殿が斬られました。ここは退きましょう」
途端に馬超が不利となった現場に龐徳がやって来た。
馬超は、龐徳の馬に飛び乗ると、そのまま、この場を去って行く。

「曹操、貴様の命、一旦、預けたぞ」
馬超が遠ざかると、曹操を含めた六人の緊張が一気に解けたのだった。

「あのような野獣とは、二度と関わりたくないが・・・」
これだけの面子を揃えて、やっと追い返したのである。

一般兵では、馬超に太刀打ちできないことは明白だった。
成果として、西涼に追いやるだけでも十分と、曹操は考える。

砦の中で待っていると、渭水南の戦場及び潼関からも敵は撤退したとの報告を受けた。
今回、降伏を申し出てきたのは、結局、楊秋だけだったようである。

軍を動かして、長安を取り返した曹操は、残りの関中十部の消息を追った。
侯選と程銀は涼州に行かず漢中の張魯を頼った様子。

張横と馬玩は、消息不明。首は見つからなかったが、恐らく、乱戦の中で命を落としたと推測された。
韓遂、馬超、梁興は涼州へ逃げ帰ったとのこと。

反乱の芽を完全に刈り取ることができなかったのは、残念だが、しばらくは曹操に歯向かおうという気は起こす者はいないだろう。
馬超、一人を除いては。

彼の処遇に関しては、色々と意見が分かれた。
涼州の奥まで追いかけるべきという者もいれば、今回は、これで十分という者。
曹操は、どちらかというと後者の意見に賛成である。

袁尚のときは、最後までしつこく追ったが、あれは逃げ込んだ先の公孫康が、裏切る見込みがあってのことだった。
しかし、馬超を追ったところで、羌族や氐族、涼州の民が馬超を差出すとは、到底思えない。

戦力を失った馬超を野放しにすることと、更にまた、鄴を空にすることを天秤にかけた場合、僅かに帰還する方を優先すべきという結論となったのだ。

長安に夏侯淵と鍾繇を残し、関中の治安を託すと曹操は鄴へと向かう。
今回、逆らった者たちの人質の対処についても考えなければならないのだ。

鄴に着くと、まず、韓遂の子供、孫を人質の価値なしとして処刑した。
閻行については、曹操側につく可能性もあり、その親の処分に迷う。だが、その後、韓遂の娘を閻行が娶ったと人づてに聞くと、曹操は断を下した。

そして、残ったのは、張既に勧められ入朝していた馬騰である。
見方によっては、人質という位置づけで曹操の近くにいたわけではないが、馬超にもっとも近い身内であることは間違いなかった。

万が一にも、馬超と手を組み、示し合わせて内外で乱を起こされては、国家転覆もありうる。
処分は免れなかった。

馬騰と曹操は、同年代。反董卓連合では、同じ志で手を取り合った仲である。
その処刑の場には、曹操も立ち会うのだった。

「息子の教育を間違ったせいで、このような仕儀となった。何かいい残すことがあるか?」
「ふっ。教育は、何一つ間違っていない。涼州人の本懐は、狂気にあると教えてきた。孟起は、俺の教えを忠実に実行したまでだ」
「ならば、悔いはないな」

馬騰が頷くと刑は執行され、同じく馬超の兄弟、馬休、馬鉄も殺される。
馬騰が入朝する際、率いていた一族、全てが連座の対象となり、これで馬超は親族と呼べるのが、自分の家族と馬岱のみとなってしまった。

この訃報を、遠く涼州の地で聞いた馬超は、嘆き悲しむが自分の行動に対しては、後悔していない。
一つ、悔いがあるとするならば、曹操を討てなかったこと。
馬超は復讐を誓い、涼州の地で力を蓄えるのだった。
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