宝生の樹

丸家れい

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第一章

東の瞳

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 支度を済ませて、使用人や住人が使う内玄関へ向かうと、数人の村人が地面に敷かれた御座の上に座って待っていた。

 美弥藤家を訪ねてきた村人は、五人の農村の長たちだった。横に並んで座る長たちの濡れた身体から御座を通して水が染み渡り、地面が黒く変色している。

「雨の中、大変だったろう」

 青は持ってきていた麻の見拭いを長たちに配っていった。ありがたく青から見拭いを受け取った又吉が目を見開いた。

 青の後ろに立っていた、白ずくめの東の姿を見つけた又吉が勢いよく指を差す。

「あいつ……いや、この童だ。雨が降ると予言したのは」

 おお、と他の長たちが感嘆の声を漏らす。そして一斉に額を御座に擦り付けて深く頭を下げた。

「あなた様の予言を信じず、無礼な言葉を……。お許しください」
「これで、一安心できまする」
「我々の命が助かったのも同然。田圃も潤うわい」
「霊雨じゃ。あの童の言霊がこの雨を呼んだのだ」

 次々と村の長たちが東への感謝の意が述べられるが、当の東は驚いて硬直してしまっていた。いつまで経っても青の背後にぴったりとくっついて微動だにしない東に青はふっと柔らかく笑った。

「そなたらの勢いに東が戸惑っておるぞ」

 長たちは口を噤んだ。次いで、恐る恐る又吉が顔を上げて口を開いた。

「あ、東さま……この雨はいつまで降り続けましょうか? すぐに止んでしまって、また日照りが続いたら意味がのうなります」

 頭を下げていても、長たちの意識が東に集中しているのがわかる。息を潜めて東の言葉を待っている。

 青が案ずるよう東の背中に手を添えてやると、東がこちらを振り仰いだ。
「無理に答えることはない」と小さく耳打ちすると、東は大丈夫だと言って長たちへ顔を向けた。

「次の満月までには、溜池をいっぱいにする」

「まことか! いや、まことでございますか!」

 大丈夫なのか、と青は咄嗟に目配せするが、東の瞳は自分の顔を映すことはない。
 特殊な能力がある東には容易なことなのだろうが、青には不安が過る。

 今のように確然と言ってのけてしまっては、誰か東の能力に気付くものが現れるのではないだろうか。気付かれないよう脇に控える侍女に視線を滑らせるが、話に興味がないのか、侍女は涼しい顔をしている。

 青の憂虞に反して、長たちの安堵に似た歓喜の声が止むことはなかった。

 それから東は、長たちの約束を守るために数日に一度、上尾に雨を降らせた。ときにはたっぷりと三日ほど雨が降り続く日もあり、次の満月までに溜池は瞬く間に一杯になった。

 東が雨を降らしているということを知らない長たちは、東の予言が当たると噂していた。そのせいなのか、東に作物を捧げて予言を聞きにくる者が現れた。
 
 東は青の背後に隠れて断っていたが、村人の好意を断り切れずに村人の話を聞いた。
 
 最初は、今年の米は豊作になるか、嵐はやってくるか、などの自然現象のことが多かったのだがひとりの村人が言った一言によって、風向きが変わった。

「ねぇ。昨晩、悲鳴が聞こえなかったかい?」

 予波ノ島では、時折、不可解な現象が起こるのだ。青も村人たちから何度か話を聞いたことはあった。気のせいだろう、と言ってやりたいところではあるが、青も肌を這うような悪寒を何度も経験していることから何か目に見えないモノが存在しているのかもしれないと思っていた。それも、神と言われるような清い存在ではないことは確かだ。

 ここは二百年前まで戦乱の地だったのだ。成仏できない霊がいたっておかしくはない。次々と村人たちは不安げな色を表情に滲ませ、不可思議な体験を語りだす。

「うちは、家族が寝静まったあとに、消したはずの灯明皿に炎が灯るんだよ」
「いつも、あの四つ辻を通ると誰かに睨まれている気がするのよねえ」
「夜中に出歩いていると、足を掴まれたことがあるんじゃ」
「あそこの畑の隅が、何か不気味でのう……」

 すると、東が言った。

「ぼ、じゃなくて、……わたし、見てみようか」

 顔を顰めた青は東の肩を掴んだ。
 能力を使うのを控えろ、という言葉が喉から出そうだったが青は堪えた。村人たちの目がある。言い淀んでいると東は青の気持ちを察したのか、大丈夫だよ、と軽い口調で言って、村人たちへ歩を進めた。

「あの嬢ちゃん、すげえな」

 そう青に話しかけてきたのは、直政と共に遊んでいた幼馴染の佐助さすけだ。ひとつに結っている髪の束が、箒のように毛羽立っているのは幼い頃から変わらない。

「……ああ。あまり目立ってほしくないのだがな」

 そう苦笑する青に佐助が口を窄めて首を傾げる。

「なんでだい。これで村の皆が幸せに暮らせたらそれでいいじゃねえかよ」

「まぁ、……そうだな」

 歯切れの悪い青の背中を佐助が勢いよく叩いた。痛いな、と青は眉根を寄せて佐助を睨みつける。

「皆が幸せになりゃあ、直政だって喜ぶって。そんな不安そうな顔すんな」

 と佐助が歯を剥き出しにして豪快に笑った。

 佐助の無邪気な笑みに、青は表情を和らげて東の小さな背中を見つめた。

 不安を抱えた村人たちは、東を連れて各々の家へ案内していった。
 東のことを案じた青も付いて行ったが、東は、家屋の周辺を歩いて見て回ったり、立ち止まって何もないただの土壁を凝視したり。傍目からすれば何をしているのかわからなかった。心配げに東を見つめていた村人たちも、顔を見合わせて首を傾げている。

 不意に東はこちらを向いて言う。

「もう、大丈夫だと思う」

 東の言葉に、村人たちも半信半疑のようだったが、青はもう奇妙な現象は起きないのだろうと確信をしていた。

 とりあえず、一晩様子を見ることにした村人たちが血相を変えて美弥藤の屋敷にやってきたのは言うまでもない。

 それから、東は上尾にある農村を歩いて回った。長年、地下室で暮らしていて体力のない東の体調を気遣いながらゆっくりと農村を巡って十日が経ち、ようやく最後の村人の家へ辿り着いた。

 予波ノ島の南側に位置する原ノ森と上尾の境目にあるその海辺にある家は漁師の家だった。漁師の好意で干物を受け取った東は、いつもよりゆったりと家の周りや室内を見て歩く。首を傾げた東は外に出て、家屋の裏へ回った。

 そのとき、ふと東が、衝かれたように浜辺を振り返って立ち止まった。
 海風を受けた布作面が揺れ、垣間見えた東の唇がわずかに震えていた。

「どうした」

 青の言葉が聞こえていないのか、東は何も言わない。東が見ている先に青が視線を映しても、何も見えなかった。

 穏やかな波が打ち寄せる浜辺をじっと見つめる東が呟く。

「……眠っているんじゃない。閉じ込められているんだ」

 東の言葉が何を意味しているのか青には知りようがない。
 東の瞳は、現世を映さない。人には見えざるモノを映す瞳なのだから。
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