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第四章 再び、華月町へ

第13話 陽石警察署にて

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 四月二十九日 土曜日

 外はまだ薄暗かった。時計を見ると、まだ六時だ。
 スマホで時間を確認し、もう一度眠ろうとするが、なかなか寝付けなかった。

 窓の外からは雨の音が聞こえる。天気予報によれば、今日は一日強い雨になるようだ。
 ぼうっとした頭で何気なくポータルサイトを開く。いくつかのニュースが並んでいて、その中の一つが目に止まり、思わず声が漏れた。

「え、嘘でしょ」
『東條大学で准教授が殴られ死亡 殺人か』
 慌てて見出しをタップして内容を確認する。
『二十八日深夜、K県陽石町の東條大学内で、准教授の織部努さん頭から血を流して倒れているのを、巡回していた警備員が発見した。織部さんは搬送先の病院で死亡が確認された。織部さんの頭部には複数回殴られたような跡があり、警察は何者かが織部さんの頭を殴打して殺害したものとみて捜査を進めている』

 織部が、死んだ?
 楓は、ラーメンをすすりながらオペランドを語る織部の嬉しそうな顔を思い浮かべていた。
 狭いビジネスホテルの部屋に、自分の心臓の鼓動の音だけが響いているようだった。

 隣の部屋にいる小野瀬はまだ眠っているだろうか。一刻も早くこの話をしたかったが、隣の部屋から物音はしない。
 ひとまずメッセージを送ったところ、すぐに既読が付いた。しばらくして、ニュースを確認したのか、電話が来た。
「おはようございます。ニュースを確認しました。まさか、織部さんが?」
「おはようございます。ええ、私もまだ信じられませんが」
「殺されたのが、あの織部さんなら、僕のところにも警察から連絡が来るかもしれません」

 昨日、織部のところに行った際に、入館証に織部と会う旨を記載している。なので、事件当日に接した自分たちにも警察が聞き込みに来るだろう。
「詳しい状況が判らないので、待つしかないですね。時間まではゆっくりしておきましょう」

 小野瀬とは八時にロビーで待ち合わせているので、まだ時間はある。
 スマホや部屋のテレビでニュースを確認するが、先ほどの情報以上のものは得られなかった。夜中に起きたばかりの事件なので、まだ情報が少ないのだろう。
 どうして織部は殺されたのだろうか。
 諸星日向も依然として行方不明のままなのだろうか。もし織部を殺した犯人が、諸星日向の件とも関わっていたなら。想像を巡らせても意味がないことは判っているが、どうしても考え込んでしまう。

 荷物をまとめ、簡単に化粧をしようと鏡を見ると、目が充血していた。占いでは、人相学で目の充血は凶相の一つとされる。尤も、寝不足と疲れが要因で、そんな生活をしているからこそ凶相になるのだろうが。 
 それでもオペランドで過酷な仕事をしていても、凶相が出ることはなかった。最後に見たのは、就職活動がうまくいかなかった、あの時だ。あれもストレスと言われれば、それまでだが、オペランドに拾われたら、すっかり目の充血は治まった。

 占いの結果をどう捉えるかは、人それぞれだ。おみくじで凶が出たことで、物事を何でも悪い方向に受け取ってしまう人も少なくない。しかし、ネガティブなものには、底がない。一度足を取られてしまえば、その思考から逃れるのは容易くない。
 このままではいけない。馴れない土地で事件に巻き込まれて不安になってるだけだ。
 楓は冷たい水で、不安を取り去るように、念入りに顔を洗った。

 八時前になり、ロビーに降りようと部屋を出ると、小野瀬も部屋から出てきたところだった。改めて挨拶を交わす。
「先ほど、やはり警察から電話がありました。話を訊きたいということです。ホテルに来てもらうのもなんなので、一度警察署に立ち寄りたいと思います。九時に来て欲しいということだったので、どこかで朝食を摂ってから向かいましょう」
「わかりました。でも、まだ信じられません」
「僕も同じです。まさか、こんなことになるなんて」

 小野瀬はすでに会社の方にも連絡していて、警察の聞き取りが終わり次第、再度連絡して予定を決めることとなった。
 ホテルに朝食は付かなかったので、チェックアウトしてから探すことにした。駅のロータリーにあるチェーンのカフェでモーニングセットを食べた。カリっと焼かれてトーストから漂うバターの香りや、ふわふわに焼かれたスクランブルエッグも、上の空の心では、味覚がうまく働かないようだ。胃を満たすだけの食事を終え、店を出た。

 警察署は駅からバスで十分ほどのところにあるという。
 ロータリーでバス乗り場を確認すると、ちょうどバスは来ていて、あと五分ほどで発車するという。
 バスの中はそれなりに混んでいた。スーツ姿の人が多かったので、警察署の出勤に重なったのかもしれない。混んでるなか荷物を抱えて申し訳ないと思っていたら、女性に「ここに荷物置けますよ」と、荷物スペースのところを譲ってもらい、荷物を置くことができた。

 発車してしばらく走ると、住宅街になった。途中、停留所は何箇所かあったが、一度も停車することなく、陽石警察署前の停留所に停車した。やはり警察の関係者ばかりだったようで、小野瀬と楓を含め、ほとんどの乗客が下車した。荷物スペースを教えてくれた女性はまだ乗っているようだ。楓は女性に会釈をしてバスを降りた。

 漠然と、寂れて汚れた警察署をイメージしていたが、陽石警察署はガラスを用いた近代的な建物だった。
 正面入口から入り、受付で要件を伝える。中もとても綺麗だったので、最近建てられたのだろうか。
 しばらく待つと、刑事らしき二人組の男女がやってきた。
 くたびれたスーツのベテラン刑事が来るかと思ったが、男性の刑事はまだ三十半ば、女性の方は二十代半ばのようだ。二人とも細身のスーツを着こなし、身長が高いので、現実の刑事というよりも、モデル上がりの俳優が演じる刑事ドラマのキャラクターのようだ。
「雨のところ、朝からありがとうございます。刑事課の倉橋くらはしです。こちらは同じく刑事課の倉田くらた
 と手帳を取り出し、簡単に挨拶を済ませた。手帳には倉橋健吾けんごと氏名が書かれていた。小野瀬と楓も挨拶を返す。
「では、こちらへ」

 取調室にでも行くのかと思ったが、受付の脇にある来客用の四人掛けテーブルに通された。当日に織部と接触はしていたが、記者と判っていたこともあり、重要参考人にするほどではないと判断しているのだろう。
「では早速ですが、何点かお話しを訊かせていただきたいと思います」

 黒い革の手帳を取り出しながら言った。刑事とは思えぬ、端正な顔つきで目を引かれるが、手帳を持つ左手の薬指には指輪がはめられている。一方の倉田も目鼻立ちが整っていて、刑事らしい薄化粧が逆に、顔立ちをはっきりとさせて綺麗に見せている。こちらはまだ指輪をしていないようだ。

「電話でお伝えした通り、昨日の深夜、東條大学准教授の織部努さんが、何者かに殺害されているのが発見されました。記録によるとお二人は当日、十一時半頃に織部さんを訪ねて大学を訪れてますね」
 小野瀬と二人で頷く。
「取材でしょうか」
「はい」
「どんな内容についてですか」
「僕らは先日、華月町で起きた女子高生が殺害された事件を調べてまして」
 華月町の事件を調べている旨と織部に話を訊きに行った経緯を説明する。
「なるほど。華月町の事件ですね」
 倉橋が溜息をひとつつく。
「実は、私たちも昨日まで華月町の事件の応援に行ってました。そこに、昨日の事件が起きたので呼び戻されて」
 倉田がポツリと言った。この地域で殺人事件が続くことなど、今までなかったのだろう。

 事件についての情報を訊いてみたが、やはり捜査中のため答えられないとのことだった。サバトについても、宗教法人の捜査は公安の管轄になるので、調べるとしても自分たちは関わらないだろうとのことだ。

「織部さんに何か変わった点はありませんでしたか?」
「変わったことではなくて、気になったことなんですが。織部さんのゼミの学生で一人、二十六日の夜から連絡が取れなくなっている子がいたそうです。その心配をしてました」
「その学生について、何か聞いてますか」
「諸星日向さんという名前で、ゼミで華月町の歴史を研究していたそうです。それを織部さんは手伝っていたと。彼女がいなくなった夜に、織部さんのところへ『明日伝えたいことがある』という連絡があったのに、それきり連絡が取れなくなったので心配していたようです」
「気になりますし、心配ですね。こちらでも調べてみます」
 これで諸星日向が見つかってくれればいいが。

「あとは、形式的な質問ですが」
 と前置きをして、小野瀬と楓の事件発生時刻のアリバイを訊かれた。深夜だったので二人ともホテルの部屋で寝ていたと答えた。
「ありがとうございます。念のためホテルにも確認します」
 疑ってはいないが、一応調べなければならないという気持ちが倉橋の顔に浮かんでいる。
「あの、ニュースで見ましたが、織部さんは頭を何度も殴られたことが原因で?」
「ええ。当初は強い怨恨による犯行かと思われました。ただ、詳しくは話せませんが、室内に置いてあったものが凶器として使われていたので、最初から殺害目的ではなく、衝動的な犯行だったのではないかという線からも捜査しています。強盗などの線も含めて」
 様々なものが置いてあったが、価値があるものがあそこに置かれていたとは思えない。
 価値があるとすれば、おそらく、犯人にとって価値があるものではと楓は感じていた。

「では最後に、現場にいらっしゃったということで、指紋を取らせてください」
 あの乱雑に民芸品が置かれた部屋から、犯人の指紋がないか検証するのだろう。その労力を思うと、楓は頭が下がる思いだった。こうした地道な捜査の一つひとつが、事件の解決に繋がっているのだろう。
 二人の指紋を提供し、聞き取りは終わった。
「ご協力ありがとうございました。何かあれば連絡させていただきます。今日は、東京へ戻られますか?」
「これから会社に連絡して、指示を仰ごうと思います」
「わかりました。ところで、小野瀬さんも東條大学出身だったんですね。僕も東條大の法学部出身なんです」
「実は、私もです」
 刑事二人も東條大学の出身だった。やはりこの辺りで有数の大学だけある。
「そうだったんですか。まさか、こんな事件が起きるとは、ですね」
「まったくです。母校のためにも、解明に向けて尽力します」

「そういえば、この警察署は最近建てられたんですか」
 聴取も終わったようなので、楓は何気なく尋ねてみた。
「はい。最近ここに移転したんです。以前はここから車で十分ほどのところにあったんですが、老朽化で壁という壁に歴戦の刑事たちの煙草の煙と、犯罪者たちの情念が染みついているような建物でした。お前は知らなかったっけ?」
「私は、今の警察署の開所式と同じ日に配属されました。刑事歴はここと同い年です。ところで先輩、『お前』はやめてください。私には倉田朋美ともみっていう名前があるんですから。あ、すみません。こんな話を」
 一見、刑事には見えない微笑ましい二人だった。
 〝クラクラ〟コンビに見送られ、小野瀬と楓は警察署をあとにした。
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