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第七章 魔女の呪い

第23話 魔が刺す

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      *

『警察を呼ばれたらどうするんだ』
『そんなの、お前の憶測じゃないか』
『こんなの持っても、私は人なんて殴れないよ』
『顔を隠さなくていいのかよ』
「仮面は三つしかないんだよ』
 言葉が全く噛み合わない言い争いの繰り返しの末に、サバトの施設の前に浅井は立っていた。
 気ばかりが焦っていたが、今はもう落ち着きを取り戻していた。
 ドクン、ドクンとリズミカルに脈を打つ音が身体に響いている。
 そもそも老人たちに聞く耳を持てというのが無理な話なのだ。頭の固くなった老人たちを束にしても、統率など取れるはずがない。

 あのメンバーの中で自ら人を殺したのは、浅井だけだ。
 彼らは罪悪感を薄めるため、高澤美沙も諸星日向も自分で死を選んだ形にしたいと口々に言っていた。だからこそ直接殺すのではなく、確実に死が待っている状況に追い込み、最期の一歩を自分で踏ませたのだ。
 高澤美沙が丸太から足を踏み外したのも、諸星日向が崖から落ちたのも、自分たちのせいではない、彼女たちが自ら落ちたのだと。

 そんな理屈がまかり通るはずがない。けれど、老人たちはそう信じ込むことで、自分たちの罪の意識を薄めていた。
 笑わせてくれる。二人を拉致し、高澤美沙の首に縄を掛けたのも、諸星日向にナイフを突き付けたのも、全部俺だ。自分たちは大したこともやらずに、口だけ出しやがって、何が罪の意識だ。
 しかし、浅井も彼らと同じだったことを思い知らされる。

 決定的だったのは、織部努を殺害した時だ。勝俣の日記を見つけてしまったあの不運な男を、とっさにそばにあった土器で殴りつけた。そこで浅井は、自分もあの老人たちと同じ穴の狢であったと悟ることになる。人を殺したのだという自覚が初めて芽生えたのだ。自分も無意識のうちに、罪の意識から逃げていた。
 だが、もう逃れることはできない。
 織部を殺し、日記を持ち去った。中身を読むと、最後のページに懺悔の念が綴られていた。日付を見る限りは死ぬ二日前、カラスを見て自分の死を予感して書いたのだろうか。

 中には勝俣家は代々、生贄になった死体を事故としてきたという告白が書かれていた。先代からの付き合いで成り立っている医院で、これを明らかにしてしまえば、自分だけでなく先祖代々に汚名を背負わせることになると、暗に脅されて。
 心を殺し、どんなに不自然な遺体であっても、河本からの指示があった場合は事故死や自然死として報告した。子のいない自分にとって、自分で最後にするのだと決意してこれを書いているということまで書かれていた。

『なあ浅井、どうするんだ』
 鈴木が話し掛けてきて、思考の世界から戻ってきた。
『やっぱり、私たちにできるはずがない』
『間違ってたんじゃないか』
『いや、みんなこうやって成功したんだ。今までも』
『私たちどうすればいいの』
『お前が、余計な儀式をしようなんていわなければ、こんな大事にならずに済んだんじゃないか』
 その後も、老人たちはヒステリックに喚き散らしている。
 五月蠅い、五月蠅い、五月蠅い。
 浅井はトイレに行くふりをして席を立った。
 音がしないよう、橋本の家の玄関を出て、裏手に回った。
 薪割りで使っている斧が立てかけてあるのを知っていたのだ。

 斧を手に取り、自分の車へ行った。月島楓を襲った時に使った仮面とマントが入っていた。それを身に着ける。仮面を着けた瞬間、自分が浅井真司ではない、何者かに成れる気がした。
 鬱陶しい。もうこいつ等の戯言に付き合うのはごめんだ。
 斧をマントの下に隠し、浅井は玄関から再び老人たちの待つ居間へ入っていった。

『浅井か? どうした突然』
 それが橋本学の最期の言葉だった。
 叩きつけた斧が、橋本の首に食い込んだ。
 他の三人は、突然の出来事に固まっていた。
 あとは容易いことだった。
 たった一分足らずで全てが終わった。四回振った斧が、四つの人生を終わらせた。
 さっきまで好き勝手喋っていた口は、もう二度と開くことはない。

 浅井はそのまま隣の部屋へ行き、横になって寝たままの河本の頭を斧で叩き割った。
 屍となった河本を見下ろし、あることに気付いた。
 ──そうか。これは、使えるな。
 返り血で染まったマントを脱ぎ棄てる。仮面にもかなりの血が付いていたが外すつもりは起きなかった。 斧を出す際にマントの前が開いていたようで、作業着にも返り血が付いていたが、気にすることもなかった。

 家の裏から農機具で使用する揮発性の液体燃料が入ったポリタンクを持ってきて、居間に撒いた。
 窓から火を投げ込むと、一瞬のうちに炎が燃え上がった。
 斧とポリタンクを手に、橋本の家を出た。
 どんな後悔の念を抱いたとしても、罪が消えることはない。ならば、自分にできる使命を果たせばいい。
見えない魔女に怯えることのないよう、魔女の魂を見つけるのだ。

 魔女の魂は死なない。きっと人の身体に取り憑いているはずだ。ならば、殺して確かめればいい。
 木から吊るしても、水に沈めても、その身を焼いても、魔女は死なないのだから。
 そしてかつてのように、魔女と共にこの町は生きていくのだ。
 サバトが何を目的としているかは知らない。だが、魔女に近い存在が、そこにいるはずだ。燃え盛る魔女の小屋から生き延びた月島楓に、魂が乗り移ったかもしれない。
 あそこに全てがある。
 ならば、奴らを皆殺しにしてしまえばいい。

       *

「侵入者?」
 イリスは声を上げた。
 突然の警報に、その場は一気に混乱した。
 警報は誰かが塀を乗り越えるなどして侵入した時に鳴るように設定されている。
「アルダ、君は二階を頼む。君たちはここで隠れていてくれ。様子を見てくる」
 扉を出て、廊下を進む。こんな時に侵入者なんて。
 アルダには〝あの方〟を見てもらう必要がある。ノックスは本業である医者の夜勤明けでまだ来ていない。動けるのは俺だけだ。
 もし奴らが複数人で来ていれば、いくら対策は打ってるといえども、ここは危険だ。
 廊下を進み、ダミーの正面口に向かうと、木製の扉を何かで叩くような音が聞こえた。
 扉を壊そうとしているのか?
 侵入者には残念だが、このダミーの扉ははめ殺しにしてる上に薄い鉄板が中に仕込まれている。壊そうとしても無駄だ。

 イリスは、正面手前の小部屋へ入った。建物の周辺に設置した監視カメラの映像をモニターで確認する。
 正面口を映した映像に、作業服姿の男が一人映っていた。男は黒い仮面を着けていて、手には斧のようなものを持っている。傍らにポリタンクのようなものが置いてあるのが気掛かりだ。可燃性のものは建物の周囲には置いていないが、車や出入口付近で火をつけられると厄介だ。

 他の映像を確認するが、施設の周辺にも人のようなものは映っていない。まさか、この男一人で来たということか?
 この男が儀式に関わっていた人間の一人と見て間違いないだろう。だが、それならばなぜ一人でここにやってきたのだろう。行動の意図が全く読めない。
 ただ、斧を振り回す男の様子を見ても、月島楓に対する儀式の失敗で、精神的に何かしら異常をきたしているのかもしれない。

 イリスには男の次の行動は容易く予想がついていた。
 男は窓を割って侵入しようとするはずだ。イリスは万一のため、動きづらいマントを脱いで部屋に置いた。念のため仮面は着けたままにした。
 部屋を出て、礼拝堂の入口に繋がる廊下に戻る。
 途中には三箇所に窓がある。いきなり扉を壊そうとしたような人間だ、裏に回る前に、おそらくここを割って入ろうとするだろう。

 正面側の窓の向こうにあの男が現れた。カメラでは黒く見えた仮面は、実際には赤黒い色をしていて、仮面の大部分を染めている。あれは、まさか血じゃないか。
 よく見ると、仮面だけでなく、男の着ている濃紺の作業服にも、判りづらいが同じように血のような染みがついている。あれが血だとすれば、どれほどの返り血を浴びたんだ? 一体誰の血だというんだ。

 窓の向こうの男がこちらに気付いた。仮面の男同士が向き合っているのだから、傍から見ればシュールな画だろう。だが、この状況でとても笑ってはいられない。
 男は迷わずこちらに向かってきた。窓の前に立つと、斧をガラスに叩きつけた。しかし、斧はガラスに弾かれた。男は衝撃で痛めたのか右の手首を押さえた。
 窓には強化ガラスが嵌められている。斧程度で壊すことはできないだろう。

 しかし、問題は解決していない。男は次に裏へ回るだろう。出入口と車を押さえられる前に、なんとかせねば。男が一人であれば、小野瀬という男に協力してもらい、二人掛かりでなんとかなるだろうか。
 考えていると、門が開く音がした。まさかノックスが帰ってきたのか。
 彼は、なんというタイミングで帰ってきてしまったのか。
 だが男手が増えたことに違いはない。
 一気に畳み掛けて男を捕らえるしかない。
 仮面の男は車を警戒したのか、近くにある林の陰に身を潜めた。
 その隙に、ノックスへメッセージを打つ。
『武器を持った侵入者一人。西側の森に隠れてる。気をつけろ』
 メッセージはすぐに既読になった。
 正面口の方から、シャツにジャケットを着たノックスが歩いてくるのが見えた。
 引き締まった筋肉質の身体、趣味が筋トレとダイビングというこの男のおかげで、諸星日向を滝壺から救出することができた。

 諸星日向に対する儀式が始まってしまってから、可能な限り交代で滝の周囲を警戒していた。そして、あの夜、遂にやつらが現れた。やつらが拘束した諸星日向を滝の上部へ連れて行く間に、ノックスがダイビングで使用する酸素ボンベとレギュレータを滝壺の中へ沈めて隠し、ノックス自身も彼らを尾行していたイリスの合図で、滝壺に潜った。

 ライトが使えないので、黒い水のなか滝壺に落ちた諸星日向を手探りで見つけ、なんとかレギュレータを咥えさせることができた。やつらがいなくなったのを見計らって、二人を滝壺から引き上げたのだった。
 殺したと思わせておいて救出しようと提案したのはイリスだった。アルダは復讐のため、儀式に関わった者たちを殺すことさえ厭わないと言っていた。しかしイリスは反対した。復讐によって解決することもあるかもしれないが、それはまた新たな争いを生むだけだ。

 それに、あの時やつらは三人いた。ノックスと二人で取り押さえる自信がなかったのだ。しかし、あの時にやつらを泳がせるのではなく、なんとしてでも止めていれば良かったと、イリスは後悔した。
 やつらは自分が想像するよりもずっと、残酷で身勝手な人間たちだったのだ。

 侵入してきた男が一人ならば、ノックスと二人掛かりで取り押さえることができるかもしれない。
 ノックスは林へ近づいていく。木の陰に男がいるのを、どうやら見つけたらしい。
 イリスも追いかけようと窓を開けた。身を乗り出そうとした瞬間、ノックスの動きがおかしいことに気付いた。固まってしまったように動かなくなってしまった。
 固まったままのノックスに、男が一気に距離を詰めて近づいた。
 瞬く間に、男が手を伸ばしてノックスの身体に何かを押し当てた。
 青白い閃光と共に、ノックスは地面へ倒れ込んだ。
 何が起きた? いくら武器を持っているとはいえ、ノックスは何かに怯えていたように見えた。
 どうする。イリスは仮面の男を睨んだ。
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