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シンデレラの継姉はやりとげる

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 扉の近くの人が口を噤む。その静けさが会場全体に伝播して、今やオーケストラが奏でているワルツと一人の足音だけが響いている。何故口を噤んでいるかって、そりゃあ今入って来た人があんまりにも綺麗だったからみんな見惚れてしまったのだ。
 ――――黄金色の髪、宝石のような青い瞳、そしてそれらを引き立たせるような純白のドレス。けれど、何よりも彼女には、教会に書かれたフレスコ画から出てきたかのような、神聖さがあった。けれど、間違いなく彼女は家で灰と汚れにまみれていたあのシンデレラであった。
「すご……」
 思わず素の自分の言葉が漏れ出てしまい、慌てて周りを見渡したが、誰もかれもそれどころじゃなさそうだった。一方、注目の的となっているシンデレラは迷うことなく歩みを進めている。
 ……私たちに向かって。
「あれ、なんかシンデレラこっちに来てない?」
「ああ、俺がそうするように言ったからな」
「な、何で?」
「聞けばわかる」
 そう言うとテオドアは軽く衣服を整えた後、またあの満面の笑みを浮かべた。戸惑っていると、テオドアに肘で突っつかれたので私も慌てて体裁を取り繕う。やがてシンデレラが私達の前で立ち止まってにっこりと笑ってから綺麗なカーテシーをした。私も恐る恐る挨拶をし返す。
「この度はドレスを提供してくださりありがとうございます。アルペンハイム様」
「いえいえ、こちらこそ貴方のようなレディに我が商会のドレスを着ていただけるだなんて光栄でございます」
「まぁ、お上手ですのね。でも、貴方のお連れの方もとっても可愛らしいわ。まるでつぶらな瞳のリスのよう。お名前を伺っても?」
「は、へ、ロ、ローザリンデです……」
「まあ、お名前も可愛らしいのね!」
 急に天使のような笑みを向けられ、その眩しさに何も言えなくなる。貴族としてあるまじき対応をしたような気がするけれど、彼女の美貌の前では仕方のないことだと思う。彼女に視線を向けられるたびに意味もなく照れてしまう。もう何か、性別を越えて魅了する何かが彼女にはあった。
「ところで! 貴女はどなたとダンスを踊るつもりなのでしょう。まさか壁の花でいるつもりではないでしょう?」
 私が顔を真っ赤にしていると、テオドアが前に出てそう話しかけた。人の話に割り込むなんて普通は失礼な行為だが、正直今の私には助かった。あのままだと照れるあまり変なことを口走っていたかもしれない。
「……ええ、勿論。ですが、こんなにも大勢の魅力的な方がいらっしゃるのです。どなたをお誘いすれば良いのか迷ってしまいますわ」
「でしたらせっかくこの場に来たのです。殿下をお誘いしてみてはいかがでしょうか」
 それまで静かに会話を聞いていた群衆が騒めき立つ。それに対して私は何故シンデレラが私達の元に来たのかを理解した。いくらシンデレラが美人とは言え、いきなり殿下の元に行って誘いをかけたら悪目立ちをする。だからここでワンクッションを挟んでテオドアが誘導するという形を取ることによってシンデレラと殿下が踊りやすくしたんだろう。多分。
「まあ、殿下にお伺いをするだけでも緊張いたしますのに。ダンスのお誘いだなんてそんな」
「では、わたくしの方からお誘いさせてもらいましょう。どうか、踊っていただけませんか?」
 テオドアの背中からそうっと様子を見ていると、いつの間に来ていたのかシンデレラの隣にこの舞踏会の主役――アレクサンドリア第一王子殿下が立っていた。この人もまた、テオドアとは違う種類のイケメンだ。慌てて礼をする私達を殿下が「今日は無礼講だから」と止める。そして、そのままテオドアの方にしょうがないなというような笑みを浮かべた。
「君にはいつも驚かされてばかりだなテオドア」
「はて、何のことでしょうか」
「全く……。まあ、今回は許してやるさ。それで、後ろに隠しているお嬢さんは何者なんだい?」
 そう言って殿下がこちらに向けてニコリと笑いかけた。先ほどは身内のシンデレラ相手だったからいいが、今回ばかりはそうも行かない。私は一歩前に出てから、口元に笑みをたたえ、緊張で噛まないようにゆっくりと喋った。
「お初にお目にかかります殿下。私、ルクセンブルク家のロザリンデと申します。本日はこのような素敵な舞踏会にお招きいただき誠にありがとうございます」
 今度こそ貴族らしい挨拶が出来た! と喜んでいるのもつかの間、殿下は何故か目を見開いて、その後破顔した。
「ルクセンブルク家のロザリンデ……そうか、君が薔薇の御方か!」
 そう言って何故か殿下は愉快そうな顔をする。対してテオドアは笑顔は崩していないが、どこか不機嫌そうな雰囲気を出していた。どうしたのだろうか。
「いや何、気にしないでくれ。三年間ほど続いた謎がようやく解けたところなんだ。なぁテオドア」
「殿下、そろそろこちらの方が寂しそうな顔をしていらっしゃいますよ」
「あら、私のことなんて気にせずにもっとお話しされてて構いませんわ」
「……他の方が殿下と純白の君が踊るのを待っておられるようですし、積もる話もあるでしょうがこれくらいにして、そろそろ手を取られてはいかがですか」
「フッ、ハハ。そうだな。――では、お嬢さん、わたくしの手を取っていただいても?」
「ええ、喜んで」
 何が何だか分からない会話をしていたが、何とか無事に殿下とシンデレラが踊りだした。美しく、そして華麗にステップを踏む二人に群衆は静かに感嘆の声をあげる。ありきたりな表現であるが、その様子はまるで映画のワンシーンのようだった。
「はぁ……」
 隣を見ると疲れた顔でテオドアがため息を吐いていた。少し休憩しようと提案すると、素直に頷く。が、椅子やソファーには座ろうとせず、外の風を吸いたいからとバルコニーへと向かった。
 外に出ると舞踏会の騒がしさが一気に遠のき、火照った体に涼しい夜風が当たって気持ちいい。周りを見ると、どうやら舞踏会に参加している人は皆殿下とシンデレラに夢中なようで、私達を気にしているような人は誰もいない。
「殿下とは学校の同級生だったんだよ」
 不意にテオドアがそんなことを呟いた。ああ、道理であんなに気安い感じだったわけだと納得がいく。となると、さしずめ友人同士のノリを私に見られて少し気まずかったとか、そんな感じなんだろうか。中学校の時の友達と一緒に居る時に高校の友達と一緒に会うみたいな……。
「そんで、その時の縁で王宮で働いてる使用人の服とか、彼らが使うタオルとか、そう言うのをウチの商会から買ってもらってるんだよ。王族には古くから続く王族御用達の店があるから難しいが、使用人が使う物ならまだ入る隙があったからな」
「え、凄いじゃん!」
「まーな。そういう訳だから学園を卒業した後でも顔を合わせるくらいには機会があったんだ。それで、今回の舞踏会の時でお前にシンデレラの服を作れって言われただろ。完成する前に一回仮縫いで着てもらったんだが、その時は化粧も無しで薄汚れてたにも関わらず、髪型と服を変えるだけでそこら辺にいる貴族の令嬢よりもサマになっててな。流石に俺もビビったぜ」
「確かに、元が良いもんね」
「それで、その後にたまたま王宮で王子と出会ったから『舞踏会で面白いもんが見れるぞ』って教えてやったんだよ。そんであの会話につながるって訳だ」
「成程ねー。……ん、じゃあ薔薇の御方って言うのは?」
 私がそう言った瞬間、再びテオドアが不機嫌になった。
「……一週間、いや、一か月後に教えてやるよ」
「えー?」
 そのままテオドアがそっぽを向いた。耳が少し赤い、もしかして何か恥ずかしい意味なのだろうか。ともかく、こうなってしまったテオドアは強情だからいくら言ってもますます機嫌を損ねるだ。
 丁度扉の近くに飲み物を持ったウェイターが通りがかったので、グラスを二本貰う。中身はただの冷たい水だが、乾いた喉には丁度いい。戻ってテオドアに一本渡してから、私はグラスに口を付けた。かすかに聞こえるヴァイオリンの音色、人々の騒めき、シャンデリアの光で濃くなる影、喉を流れる冷水。……社交界はあまり好きじゃないけれど、こうして大勢が集まって騒いでいるのを飲み物をちびちび飲みながら眺めるのは結構好きだ。ボーっと会場を見ていると、人々の頭の隙間から偶然シンデレラの顔が見える。それは私が今までに見たことが無い、最上級の笑顔だった。
「ねえ、テオドア」
「あ?」
「王妃様って大変かなぁ」
 何気なく呟いた私の言葉をテオドアは鼻で笑った。
「お前の家で暮らしてたんだぞ。何とかなるだろ」
「……そうかも」
 思わず笑いが漏れる。まあ何にせよやれることはやった。これで話の通りに死ぬのであれば、もはや運が無かったと思って諦めるしかない。
 グラスの水を一気に飲み干すと、長時間外にいたことで流石に体が冷えたのか少し寒くなってきた。すると、そのことを理解したテオドアがジャケットを貸してくれる。寒くないのか、と聞けば鍛えてるからなと笑いながら答えた。
 もし死んだら、それは仕方のないことだ。私はよくやった方だ。……でもテオドアともう喋れないのかと思うと、ぎゅっと息が詰まるような苦しさを感じた。
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