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その1、バード篇

1、 ルージュの影 前編

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歌い終えた吟遊詩人が作り出した世界にしばらくの間、聞いていた者たちは息をするのを忘れ、どっぷりと浸っていた。


激しい雨が何日も続いていて、彼らはここで足止めである。
大きな食堂に、彼らは時間を潰しに来ていた。
吟遊詩人もちょうど旅の途中で適当に歌っている内に、誰かがムハンマド王弟の物語を所望した。
そしてこの数日間、吟遊詩人は歌い続け、暇をもて余していた宿泊客たちの体のいい暇潰しになっていた。

「それからどうなったの?彼らは結婚の後」
食堂の娘が、大人の甘い色気を漂わせる吟遊詩人に聞く。

彼には一緒に旅をしているらしい連れの三人がいた。
一人は黒髪の若者、一人は褐色の肌の男。
もう一人は長い髪を後でざっくり結んだ細身の男。
彼らは目だたぬようにじっと歌を聴いていた。

「結婚の後の話は現在進行中で、まだ歌で歌うのはちょっと。その代わり、別の人の話ならできるよ。
今までの話では随分とはしょってしまったから」
吟遊詩人はいう。
あれではしょったの?と食堂の皆は息を継ぎ、身じろぎをする。
ようやく、先程の魔法のようにかけられた物語から抜け出せそうだった。
「じゃあ、あの風使いのバードの話をして!」
食堂の娘の、小さな女の子が言った。
彼女はすっかりバードが好きになっていた。

「バードが、ルージュ王子が兄王子に心臓を貫かれた時、あの12個の力のある石のうち、ルージュそのものといえるラピスラズリの石を、風の力を使って呼び戻したのでしょう?
ルージュ王子を生かしたのはバードなのでしょう?」

女の子の目は期待にきらきらしている。
吟遊詩人の連れの長い髪の細身の男は、口にした水を喉に詰まらせ、ぶはっと吹き出した。

「そうなの?それは僕も知りたい」

吟遊詩人の連れの黒髪の若者が言う。
今まで彼らは声を低く話していたためにその声を聞いたことがなかったが、シンとした食堂に静かに響いた声は、なんとも言えない艶めいた美しい声をしていた。
食堂にいた15名程の旅人や食堂の家族は、何かを感じて若者を見た。

「そんな話、面白くないぜ?」
細身の男は、なぜか少し焦ったように言う。
「俺は、それよりズインとかいう獣人の国の話が聞きたい」
吟遊詩人は女の子を見て、連れを見る。
「次は、バードの歌を歌いましょうか。
女の子の希望を聞きましょう。
獣の人の話はまた今度ということで、皆さまもよろしいですか?
風の精霊の加護を持って生れたバードの生涯も、とても興味深いものですよ・・・」

更に何かを言おうとする、細身の連れの男を無視して、吟遊詩人は小振りなたて琴をシャランとつまはじいた。


□□□

パリスのバードは裕福な商人の家に生れた。
彼の家には、地方や他国の布や乾物を大量に購入し、町の商店に販売する元締めであった。
そのために非常に多くの者が出入りをして、いろんなお土産話を残して帰っていく。

バードは三男で10才。彼には妹のアメリがいてひとつ違い。
「あんたの髪色、少し黒が入っているな」
それは、パリスの王都を拠点に手広く商売をする男が言った。

ハードの髪はパリスの国では割合よくある茶色ではあるが、少し重い色味が混ざる。
妹も同じであった。

「黒い髪は不思議な力を持つと言うよ。何もないところから火を出したり、風をおこしたり、植物を育てたり、雨をよんだりできるそうだ。坊ちゃんやお嬢ちゃんはそういうことはできる?」
男は聞く。
「そんなこと、できるはずないよ!」
バードはいう。
男が風を起こすといったとき、庭木の葉がざわざわとざわめいた気がした。
男の目が妖しく兄妹をみる。
そして、その後バードとアメリは二人で風を起こしあいっこの遊びをするようになる。
気のせいではなく、バードやアメリが風が吹くようにお願いをすると、小さなそよ風が生まれるのだった。それは何の役にもたたない力で、兄妹だけの遊びであった。

ある日、母がその密かな遊びを目撃する。
優しい母の笑顔が鬼の形相に変わったのをバードは見る。今にも手が飛んできそうであった。
「そんな遊びを絶対にしてはいけません!誰にも言ってはいけません!!
お願いだから、もうしないとここで約束なさい!」

約束をする。
二人はなぜかわからないけど、風を使った遊びをしてはいけないということだけは理解したのである。
ある夜、賊が裕福なバードの家を襲う。
金品と彼らの狙いは末二人の兄妹、バードとアメリだった。
兄弟が寝る部屋にどかどかと足が踏み入れられる。
「10と9つだ!」
兄弟はなぜかわからないが、賊の狙いが末二人と知る。
「逃げて!」
上の二人が賊をおしとどめている間に、バードはアメリの手を引いて、夜の町を走って逃げたのだった。

バードは何となく、風を吹かせられることが襲われた原因なのではないかと思う。
誰にも助けを求められる人がいないなか、残飯で飢えをしのぎ、兄妹肩を寄せあって寒さを耐えしのぐ。

商店街の使われない倉庫の片隅が、食糧調達にも人の懐から財布を盗むのも便利な、二人だけの安全な隠れ家であった。
そうして、数年、息を潜めて二人は暮らした。

パリスの王都は浮浪者には寛容だが、それは同時に無関心であるとも言えた。
幼い二人に助けの手を伸ばす大人は現れない。

陽の当たる道を避けるバードは、パリスに自分と同様に影のように活動する存在に気がつく。
彼らは情報を集め、主に人を狩っている。
不思議な力をもっているという噂の子供たちが主であるようだった。
それらから目をつけられぬように慎重に、二人は身を潜める。
バード兄妹が狙われたのも、人を拐う彼らと関係がありそうな気がしていたからだ。

時折、パリスの王都が活気づくときがある。
それは、運河に囲まれた王宮からパリスの王子たちが町に遊びに来るときだった。
今日来た第二王子はバードよりも二つ程若い。
こっそりと垣間見た姿は、まるで天から降りてきた生きもののように、神々しく金色の髪を輝かせていた。

護衛も何人かついているが、バードは次の照準をパリスの第二王子に合わせた。
彼から財布を奪っても痛くも痒くもなんともないだろうと思う。
一方で自分達兄妹は、今晩のご飯にも困っているのだ。
過酷な状況の生活で妹は体を壊していた。
自分たちがもつ、風の力など何にも役にたたないうえに、さらに狩られる対象にされる、全くいいところのない無用の長物であった。

バードは颯爽とお付きの大人たちを引き連れて歩く金茶の髪の王子とすれ違う。
そのとき突風が彼らを吹き抜けて、道の脇に立てられていた旗を大きくはためかせた。
バタバタと金茶の王子の顔やお付きの者の胸にまとわりついた。
バードは王子の懐から、財布を抜き出していた。スルのは簡単だった。
意識を少し反らせることさえできれば、がらんどうのところから掴むだけだった。

だが、バードの手首は捕まれる。
それも金茶の王子の手がつかんで、蔑むような青銀の目が、バードを見ていた。

「すごいな風使いか」
王子は言う。

お付きのものはようやく状況を理解した。
バードを王子にかわって押さえ込む。

「汚い餓鬼が、王子に何をする!連れてムチでも与え、牢屋にいれろ!」
と側仕え兼護衛が言う。

ムチは良かった。
だが、牢屋に入れられると妹が一人になる。それはどうしても避けなければならなかった。
バードは必死に王子にすがり付く。
自分には病気の妹がいること。
どうしても離れられないこと。
ムチは倍でも甘んじて受ける覚悟はあること。
その必死の訴えは、王子と王子のお付きを動かす。
家のないその日暮らしのアメリは保護され、児童養護施設へ入れられることになる。
親は病気で死に別れたことになっていた。
バードは心よりホッとした。

「これはどうなる?」
金茶の王子は護衛に聞く。
「風の加護持ちのようですから、神官にでも引き渡しましょうか」
「いや、こいつはわたしがもらう。こいつの生意気な目が気に入った!」

第二王子ルージュは自分より二つ下ではなかったか?

それなのに、10も上な目線で傲慢に言う。
これが王族に生まれつき、かつ美しく生まれついた支配者の、生まれ持った尊大さなのか。
バードはムチの代わりに温かな寝床を得た。
パリスには公にされていない組織があって、バードはその組織のひとつ諜報部へ入れられる。
暖かな食事に寝床。
遅れた勉強まで全て、ルージュ王子の意向を汲んで与えられる。
バードの他にも加護を持つものがいて、彼らも自分の能力を自在に操れるように訓練する。

妹は養護施設で元気になっていた。
風の力は使わない。そもそも力などなかったのかもしれない。
バードはルージュ王子に感謝する。
妹も自分も助けられたのだ。
訓練の後、バードはルージュ王子の影となり援護する。
この手で人を殺すことも幾度となく遂行する。
バードは王子の影だった。

王子は会うたびに美しく、そして傲慢になっていく。
男も女もルージュの目に止まりたがった。
彼につかず離れずに行動する影の自分は、まるで美貌の王子そのもののようにも思えた。

彼の息づかいを感じ、同じリズムで呼吸する。
心臓の拍動も王子と同調していく。

バードはこのまま、影としての役割を果たし続けることに何の疑問も感じなかったのだった。



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