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呼応する
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わたしには誰にもいえない秘密の趣味がある。
一緒に大学に進学したアヤメにも、誰にも明かしたことはない。
自慢するつもりもなく、共感してもらうことも期待していない。
ただひとりでほくそ笑むためだけの、ちょっと後ろ暗い秘密の趣味……。
ぶるると空気が震えていた。
鞄をあさってスマホを見つけ、電源をオフにした。昨日の目覚ましがまだ生きていた。
隣の男子学生もわたしと同様にあわててスマホの電源を切った。
緊迫した中、いきなり着信音が鳴り出したらたまらないから。
扉が開き、憑きものが落ちたような顔をしてアヤメがでてくる。
「……どうだった?」
肩を落とし力ない笑いがその返事だった。
「雪も頑張ってね、一緒に合格しようよ」
「もちろん、自信があるから大丈夫よ」
わたしは無理矢理笑顔をつくる。
自信などあるはずもなかった。
倍率が20分の1の、造形コースでは超人気人気の研究室なのだ。
わたしは『神坂竜二研究室』と金で箔押しされた木製プレートが一ミリのゆがみなく掛かるその扉の向こうへと、足を踏みだした。
漆と顔料の入り交じった匂いがわたしを迎える。
森の動物たちがもだえているかのような、深海の生物のような、よくわからない作りかけのオブジェがところ狭しと床や室の上に置かれている。
原始林のど真ん中を開拓した大地のように、平らな業台があり、いびつな森の主人は作業台を即席の面接会場にして座っていた。
白いものが混ざる髪が重く目元と表情を隠す。
美術展で手にしたカタログの写真そのままの、無駄な肉がそぎ落とされた頬に薄い唇。
顔の下半分は男前だ。
一方上半分は?
眉目は、下半分からの妄想を裏切るから隠しているのに違いないと世間では噂されている。
彼の正面に促されるままに座った。
隣の椅子に鞄をうまく置けない。どうでもいいことなのに何度か置きなおす。
完全にミステリアスな雰囲気に飲まれていた。
「……簡単な自己紹介と、僕の研究室に入りたい理由を説明してくれるかな?」
声もいい。
わたしが彼の研究室に入りたい訳を熱意をこめて説明する。
途中から、神坂教授の指はスマホをいじりはじめていた。
一週間考え抜いた決死の志望動機は、ネットニュースかくだらないSNSに負けたのをみてたちまちゆらぎだす。
教授がそれなのに、真剣なのがばからしくなった。
持ち時間は10分。
まだ2分しか消費していない。
用意したものを最後まで暗唱して終わればいい。
木製の作業台は、ところどころ茶色く漆で汚れ、鋭いもので引っかかれ傷だらけだった。
神坂教授は並み居る大御所たちと比べて二回りほど若い。
アヤメに思いっきり引かれているけれど、若さと将来の可能性の期待値だけが取り柄のような同年代の男子と比べ、40代の男はわたしの大好物である。同時に、カモだった。
スマホをいじる指は、漆を扱う者らしく指の先や爪の端が黒く汚れていた。
日焼けた手の甲の肌は血管が太く浮き、普段している時計がスクエアなのか、手首に日焼け跡を四角く残している。
まったく違う種類の男なのに、昨夜の男の手と重なった。
あの男の、スクエアのスマートウォッチを外す指先は器用そうで、繊細で、指先が黒く汚れていた。
わたしの秘密の趣味とは、そういうアプリで出会った男と過ごした夜の、戦利品を密かに集めること。
男がシャワーを浴びている間に、わたしは絶好の戦利品をこそりと確保したのだった。
昨夜の男は前髪を後になでつけていた。
さまざまなものを飲み込んできたまなざしに一目で惹かれたのだった。
当たりの男。
その鼻、その顎のライン、唇は目の前の男の骨格ととてもよく似ているような気がするのは気のせいか。
ぶるるるる……。
どこかで低い振動音がする。
スマホじゃない。電源はこの手で切ったから。
今は昼間。化粧はたいしてしていない。
ヒールのパンプスも履いていないし、太ももだって露出していない。
大丈夫、分厚い眼鏡をかけいるし、わたしはまじめな学生の藤崎雪絵だ。
そういえば、昨夜の鞄は、どの鞄だったか……。
「……探索機能は近くにないと反応しないのにおかしいね?」
神坂教授は前髪を掻き上げた。
彼は見えすぎる目でわたしを丸裸にし、内臓を貫く。
昨夜、わたしを貫いたように。
暗記していた内容を完全に見失う。
「……もう一度、鳴らしてみようか」
彼の指先がスマホをなで、わたしと彼の秘密が鞄の底でぶるぶると呼応する。
完
一緒に大学に進学したアヤメにも、誰にも明かしたことはない。
自慢するつもりもなく、共感してもらうことも期待していない。
ただひとりでほくそ笑むためだけの、ちょっと後ろ暗い秘密の趣味……。
ぶるると空気が震えていた。
鞄をあさってスマホを見つけ、電源をオフにした。昨日の目覚ましがまだ生きていた。
隣の男子学生もわたしと同様にあわててスマホの電源を切った。
緊迫した中、いきなり着信音が鳴り出したらたまらないから。
扉が開き、憑きものが落ちたような顔をしてアヤメがでてくる。
「……どうだった?」
肩を落とし力ない笑いがその返事だった。
「雪も頑張ってね、一緒に合格しようよ」
「もちろん、自信があるから大丈夫よ」
わたしは無理矢理笑顔をつくる。
自信などあるはずもなかった。
倍率が20分の1の、造形コースでは超人気人気の研究室なのだ。
わたしは『神坂竜二研究室』と金で箔押しされた木製プレートが一ミリのゆがみなく掛かるその扉の向こうへと、足を踏みだした。
漆と顔料の入り交じった匂いがわたしを迎える。
森の動物たちがもだえているかのような、深海の生物のような、よくわからない作りかけのオブジェがところ狭しと床や室の上に置かれている。
原始林のど真ん中を開拓した大地のように、平らな業台があり、いびつな森の主人は作業台を即席の面接会場にして座っていた。
白いものが混ざる髪が重く目元と表情を隠す。
美術展で手にしたカタログの写真そのままの、無駄な肉がそぎ落とされた頬に薄い唇。
顔の下半分は男前だ。
一方上半分は?
眉目は、下半分からの妄想を裏切るから隠しているのに違いないと世間では噂されている。
彼の正面に促されるままに座った。
隣の椅子に鞄をうまく置けない。どうでもいいことなのに何度か置きなおす。
完全にミステリアスな雰囲気に飲まれていた。
「……簡単な自己紹介と、僕の研究室に入りたい理由を説明してくれるかな?」
声もいい。
わたしが彼の研究室に入りたい訳を熱意をこめて説明する。
途中から、神坂教授の指はスマホをいじりはじめていた。
一週間考え抜いた決死の志望動機は、ネットニュースかくだらないSNSに負けたのをみてたちまちゆらぎだす。
教授がそれなのに、真剣なのがばからしくなった。
持ち時間は10分。
まだ2分しか消費していない。
用意したものを最後まで暗唱して終わればいい。
木製の作業台は、ところどころ茶色く漆で汚れ、鋭いもので引っかかれ傷だらけだった。
神坂教授は並み居る大御所たちと比べて二回りほど若い。
アヤメに思いっきり引かれているけれど、若さと将来の可能性の期待値だけが取り柄のような同年代の男子と比べ、40代の男はわたしの大好物である。同時に、カモだった。
スマホをいじる指は、漆を扱う者らしく指の先や爪の端が黒く汚れていた。
日焼けた手の甲の肌は血管が太く浮き、普段している時計がスクエアなのか、手首に日焼け跡を四角く残している。
まったく違う種類の男なのに、昨夜の男の手と重なった。
あの男の、スクエアのスマートウォッチを外す指先は器用そうで、繊細で、指先が黒く汚れていた。
わたしの秘密の趣味とは、そういうアプリで出会った男と過ごした夜の、戦利品を密かに集めること。
男がシャワーを浴びている間に、わたしは絶好の戦利品をこそりと確保したのだった。
昨夜の男は前髪を後になでつけていた。
さまざまなものを飲み込んできたまなざしに一目で惹かれたのだった。
当たりの男。
その鼻、その顎のライン、唇は目の前の男の骨格ととてもよく似ているような気がするのは気のせいか。
ぶるるるる……。
どこかで低い振動音がする。
スマホじゃない。電源はこの手で切ったから。
今は昼間。化粧はたいしてしていない。
ヒールのパンプスも履いていないし、太ももだって露出していない。
大丈夫、分厚い眼鏡をかけいるし、わたしはまじめな学生の藤崎雪絵だ。
そういえば、昨夜の鞄は、どの鞄だったか……。
「……探索機能は近くにないと反応しないのにおかしいね?」
神坂教授は前髪を掻き上げた。
彼は見えすぎる目でわたしを丸裸にし、内臓を貫く。
昨夜、わたしを貫いたように。
暗記していた内容を完全に見失う。
「……もう一度、鳴らしてみようか」
彼の指先がスマホをなで、わたしと彼の秘密が鞄の底でぶるぶると呼応する。
完
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