3 / 134
第1夜 むかあし、昔
1-2、
しおりを挟む
「なぜにわれが、力にものをいわせる下級武士風情のお前の妻にならねばならぬのか。その身なりでは、われにこの世での極上の贅沢のひとつもさせてもらえないだろうに?」
傲慢に鼻をならし、美奈は言い捨てた。
その冷たい拒絶の言葉が胸に突き刺さっても、言葉の刃は男の中で喜びに変わるようだった。
「わたしがあなたを妻にできるのなら、この世の魑魅魍魎からあなたを庇護し、わたしの心を捧げ、存分に愛し、寿命のつきるまで末長く慈しんで差し上げます。
わたしにはその力があります。どうかその手を取らせてください。その艶やかなお体をこの腕に抱かせてください……」
男のもとめる言葉のまま、体が縁側に向かいにじりよりかけて、娘は踏みとどまった。
明日から輿入れの準備が始まる。
庶民に生まれながらも美しいといわれた娘ならば、いちどは夢見る最高の夢物語が実現するのだ。
簡単に引き下がりそうにない男に、美奈はとうとう癇癪を起こした。
「どうやってここまではいってこれたか知らないが、われを得ることができるのは、この世の栄華栄達を極めたあのお方だけ!
そのお方は、おまえが御大層に守るという卑しいあやかしごときからなど、われを守るように差配することなど容易いであろう!
護衛のものに切り捨てられる前に、尻尾を巻いてとっとと帰るがよい!」
男はついと面をあげた。
額についた玉石がぽろりと落ちた。
その闇よりも濃い闇色の双眸は感情もなく静かに美奈を見た。
それは美貌というには言い尽くせないほどの完璧に整った容貌であった。
美奈は自分よりも美しい者を見たことがない。
都の名高い仏師が猛々しさを内側に秘めるようにして彫り上げた美しき金剛力士像のように、まるで欠けたるところが見当たらぬ。
水盤に写した満月そのもののよう。
その男の静謐さと首の後ろがぞわりとくるほどの美貌に、人生で初めて敗北感を感じるとともに、不意に御しがたいほどの怒りが腹の底からふつふつと沸き上がる。
怒りに任せ、手にしていた扇子を力の限り投げつけた。
ガツンと男の額にあたり、ぷつりと血が吹き出した。鼻筋から真横に結んだ唇にしばしとどまったかと思うと、口の端から顎に落ちる。
とおろりとおろりと赤い、赤い血がしたたり落ちる。聞こえるはずのないぽつりという音が娘の頭に響いた。
男は音もなく立ち上がる。
顔に走る血をぬぐおうともしなかった。
カシャンと腰の剣が擦れて音がした。
美奈は、男の血に動転したせいか、男に神々しい光を見、さらに彼を取り巻く景色がゆうらりとゆらいだように見えた。
彼の存在が一回りも二回りも大きくなったように思えた。
実際には、玉砂利の上を踏みしめながら男が近づいてきただけなのだが。
理性は、非礼を詫びてこの場を逃げ去れと叫んでいた。
もしくは男が欲しいというのならば、こんな体ぐらいくれてやれ、と。
肉体よりも命が大事ではないか。
だが体は、口は、金縛りにあったように動かない。時がとまる。
呼吸をすることも、心臓を動かすことも、美奈は忘れ去った。
この世には男しか存在していないよう。縁側に足をかけ、下履きのまま上がり美奈を見下ろす。
美貌の男は言う。
「確かに、間近にみてもお前の血肉は天女のように美しい。だが内側の魂はそこいらの石ころのようにざらりとして味気ないものよな。
石ころのお前が外側にまとい、刀よりも強いと愚かにも錯覚しているたまゆらの美しさを、いまここでひとつづつはいでいってやろうか?美貌を失ってもなお、小生意気な口をきけるものか興味深いものだ。
せっかく人の世にありながら奇跡の如き美しさをもつお前をほんの気まぐれにでも愛でてやろうというのに、残念ながら魂がつり合っていないのだな!これは笑止」
傲慢に鼻をならし、美奈は言い捨てた。
その冷たい拒絶の言葉が胸に突き刺さっても、言葉の刃は男の中で喜びに変わるようだった。
「わたしがあなたを妻にできるのなら、この世の魑魅魍魎からあなたを庇護し、わたしの心を捧げ、存分に愛し、寿命のつきるまで末長く慈しんで差し上げます。
わたしにはその力があります。どうかその手を取らせてください。その艶やかなお体をこの腕に抱かせてください……」
男のもとめる言葉のまま、体が縁側に向かいにじりよりかけて、娘は踏みとどまった。
明日から輿入れの準備が始まる。
庶民に生まれながらも美しいといわれた娘ならば、いちどは夢見る最高の夢物語が実現するのだ。
簡単に引き下がりそうにない男に、美奈はとうとう癇癪を起こした。
「どうやってここまではいってこれたか知らないが、われを得ることができるのは、この世の栄華栄達を極めたあのお方だけ!
そのお方は、おまえが御大層に守るという卑しいあやかしごときからなど、われを守るように差配することなど容易いであろう!
護衛のものに切り捨てられる前に、尻尾を巻いてとっとと帰るがよい!」
男はついと面をあげた。
額についた玉石がぽろりと落ちた。
その闇よりも濃い闇色の双眸は感情もなく静かに美奈を見た。
それは美貌というには言い尽くせないほどの完璧に整った容貌であった。
美奈は自分よりも美しい者を見たことがない。
都の名高い仏師が猛々しさを内側に秘めるようにして彫り上げた美しき金剛力士像のように、まるで欠けたるところが見当たらぬ。
水盤に写した満月そのもののよう。
その男の静謐さと首の後ろがぞわりとくるほどの美貌に、人生で初めて敗北感を感じるとともに、不意に御しがたいほどの怒りが腹の底からふつふつと沸き上がる。
怒りに任せ、手にしていた扇子を力の限り投げつけた。
ガツンと男の額にあたり、ぷつりと血が吹き出した。鼻筋から真横に結んだ唇にしばしとどまったかと思うと、口の端から顎に落ちる。
とおろりとおろりと赤い、赤い血がしたたり落ちる。聞こえるはずのないぽつりという音が娘の頭に響いた。
男は音もなく立ち上がる。
顔に走る血をぬぐおうともしなかった。
カシャンと腰の剣が擦れて音がした。
美奈は、男の血に動転したせいか、男に神々しい光を見、さらに彼を取り巻く景色がゆうらりとゆらいだように見えた。
彼の存在が一回りも二回りも大きくなったように思えた。
実際には、玉砂利の上を踏みしめながら男が近づいてきただけなのだが。
理性は、非礼を詫びてこの場を逃げ去れと叫んでいた。
もしくは男が欲しいというのならば、こんな体ぐらいくれてやれ、と。
肉体よりも命が大事ではないか。
だが体は、口は、金縛りにあったように動かない。時がとまる。
呼吸をすることも、心臓を動かすことも、美奈は忘れ去った。
この世には男しか存在していないよう。縁側に足をかけ、下履きのまま上がり美奈を見下ろす。
美貌の男は言う。
「確かに、間近にみてもお前の血肉は天女のように美しい。だが内側の魂はそこいらの石ころのようにざらりとして味気ないものよな。
石ころのお前が外側にまとい、刀よりも強いと愚かにも錯覚しているたまゆらの美しさを、いまここでひとつづつはいでいってやろうか?美貌を失ってもなお、小生意気な口をきけるものか興味深いものだ。
せっかく人の世にありながら奇跡の如き美しさをもつお前をほんの気まぐれにでも愛でてやろうというのに、残念ながら魂がつり合っていないのだな!これは笑止」
0
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました
佐倉穂波
恋愛
転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。
確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。
(そんな……死にたくないっ!)
乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。
2023.9.3 投稿分の改稿終了。
2023.9.4 表紙を作ってみました。
2023.9.15 完結。
2023.9.23 後日談を投稿しました。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる
竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。
評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。
身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる