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第5夜 鳳の羽
37、代替わり①
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目覚めたのは白い霧の中と錯覚を起こしそうな蚊遣りの中だった。
鳥たちの鳴き声に混ざり、普段耳にしない鍛冶場の鉄を鍛錬する音や男たちのかけ声、機を織るリズミカルな音、ぱたぱたと遠くから近づいて、また離れていくせわしない足音がする。ひんやりとしてしめっていた自室ではない。
どうしてここにいるのか思い出せない。 身体を起こしても、体がふわふわと浮いているような気がする。
身につけている着物はさらりとしてざらついた手の平が心地よく上滑りする。ほころび一つない、真白い肌着はわたしのものであるはずがなかった。
ここはどこなのか。わたしは、どうしてここにいるのか。
ここの住人は、わたしに着せるなんて汚されることを気にしない者たちなのか。
蚊やりの外に足を出す。
素足に手入れの行き届いたひんやりした床が心地いい。
家具調度は文机に座椅子、化粧道具、そして真新しい着物が袖を通されるのを待っているかのように、掛けられている。ここの主人はどこにいるのだろう。
外の様子を見ようと障子をひらけば、思いがけず激しい下から吹き上げる風に障子の桟を握り締めた。
安全柵もない、縁側の向こう側に広がる世界は、青空が思いがけず大きく広がっていている。
視線の先には、うねる渓谷の深い皺、そして田畑。
今目の前にしているのは、ホオノキから見たときよりも、そのさらにずっと先の、白々とした海まで見通せることができた。視点が高かった。そんな高いところから見渡せる屋敷は、知る限りひとつしかない。
大鳥の城内の館だ。
わたしは滝壺へ落ちた。
誰かが助けてくれて、ここまで運んでくれたのだ。よりによって、縁のない大鳥の城内へ?
木から落ちたことを思い出したけれど、墜落の衝撃なのか、大事なことを思い出せないのか。腕も脚も骨折もなく、擦り傷もなさそうだけれど、頭をひどく打ったのかもしれない。
視線を落とせば、障子の外の縁側は岩場に支えられ、積み上げられた岩の下では上半身裸で棒状の武器をたたき合わせる男たちがいた。男の何人かは頭上の館の障子が開いたことに気が付き、棒をぶつけ合うのを中断し首を巡らせているものもいる。こちらにむけられた顔の中にヒロを探した。ヒロよりも前に、別の男と目がばちりと合った。
彼はすぐさま棒を捨てた。
軽く身震いをすると、たちまち黒い翼が広がった。
光を浴びて虹のような光彩を帯びた。羽が重く空気をたたく音。
こちらへ、飛び上がり向かってくることに気が付いたが、部屋の奥へ身を隠す猶予もなく、暗闇に捉えられた。ヒロかと思った。だけどヒロの羽はもっと漆黒だ。ヒロではない。
再び明るくなった時にははじめからなかったかのように、黒羽を完全に背中に納めた男が縁側に立つ。息が切れている。男の汗と匂いにわたしは震えた。
「……目が覚めたんだね。調子はどう?あ、ごめん、こんな格好で。朝の鍛練中だったから」
男は腰まで落としていた着物をひき上げ、腕を通し、腰ひもを結びなおした。
悠然とした態度に、わたしは名状しがたい不安が生じた。
「……どうしてわたしがここに」
声がかすれた。男は襟を整えると足をすすめる。同じだけ、わたしは下がる。
男は埋まらない距離に気が付き、足を止めた。
「……もしかして僕のこと忘れたんじゃないよね。約束しただろ。時期がきたら必ず迎えに行くって」
男はダイゴだ。ずっと待ち続けて、そして、あきらめた初恋の男。だけど記憶のダイゴと声が違う。身体が違う。重なるようで重ならない。ヒロよりも細いが身体の中に強い芯があるようだ。
「……成れなかった者は大鳥の一族として正式に迎えられることはないわ。外れの森で一生を過ごすのが掟。今すぐわたしを帰して。ここはわたしのいるところではないわ」
「ミイナ、大鳥の山の外では長き戦が終わり、古き世が終焉したんだ。族長も長くはない。もう幾夜も経ないうちに僕が族長になるだろう。そうしたら、まず一番にすることはこの大鳥を縛る古き因習を終わらせる。成るものもそうじゃないものも、大鳥の一族であることにかわりはない。できることと、担う役割が違うだけだ」
ダイゴは手を伸ばした。
そんな節ばった手もしらない。
「……そんな簡単なものじゃないわ」
「そうだとしても、僕は決めたことを変えるつもりはない」
いつの間にか壁に追い詰められていた。
「ダイゴ、わたしはあなたの妻にはなれない。わたしはヒロと結婚した」
不快げに眉が寄せられる。
「ヒロは通うだけで、正式な妻にはしていないだろう?僕は正式に妻に出来る。一族の長には誰も逆らえない」
「本当に何をいっているの?わたしは成れなかった。目の色も髪も薄い。ダイゴは一族を背負うのでしょう?わたしなんて無理よ」
「無理かどうかはわからないだろ?」
「だからその前に、わたしはヒロの、」
わたしの手をとるのをあきらめた手は翻った。
ダイゴはヒロを呼ぶ。
ヒロは近くで控えていたのか縁側のヘリに降り立ち、羽をしまうと片膝をついた。
ダイゴは振り返りもしない。その視線はわたしに注がれつづけた。
「僕とミイナは結婚する。お前よりも先に既に約束を交わした仲だった。異存はないな」
「……若さまのご意向に異存がありましょうか」
そんな言葉を使うの男を知らない。
ヒロの顔は逆光で見えなかった。
鳥たちの鳴き声に混ざり、普段耳にしない鍛冶場の鉄を鍛錬する音や男たちのかけ声、機を織るリズミカルな音、ぱたぱたと遠くから近づいて、また離れていくせわしない足音がする。ひんやりとしてしめっていた自室ではない。
どうしてここにいるのか思い出せない。 身体を起こしても、体がふわふわと浮いているような気がする。
身につけている着物はさらりとしてざらついた手の平が心地よく上滑りする。ほころび一つない、真白い肌着はわたしのものであるはずがなかった。
ここはどこなのか。わたしは、どうしてここにいるのか。
ここの住人は、わたしに着せるなんて汚されることを気にしない者たちなのか。
蚊やりの外に足を出す。
素足に手入れの行き届いたひんやりした床が心地いい。
家具調度は文机に座椅子、化粧道具、そして真新しい着物が袖を通されるのを待っているかのように、掛けられている。ここの主人はどこにいるのだろう。
外の様子を見ようと障子をひらけば、思いがけず激しい下から吹き上げる風に障子の桟を握り締めた。
安全柵もない、縁側の向こう側に広がる世界は、青空が思いがけず大きく広がっていている。
視線の先には、うねる渓谷の深い皺、そして田畑。
今目の前にしているのは、ホオノキから見たときよりも、そのさらにずっと先の、白々とした海まで見通せることができた。視点が高かった。そんな高いところから見渡せる屋敷は、知る限りひとつしかない。
大鳥の城内の館だ。
わたしは滝壺へ落ちた。
誰かが助けてくれて、ここまで運んでくれたのだ。よりによって、縁のない大鳥の城内へ?
木から落ちたことを思い出したけれど、墜落の衝撃なのか、大事なことを思い出せないのか。腕も脚も骨折もなく、擦り傷もなさそうだけれど、頭をひどく打ったのかもしれない。
視線を落とせば、障子の外の縁側は岩場に支えられ、積み上げられた岩の下では上半身裸で棒状の武器をたたき合わせる男たちがいた。男の何人かは頭上の館の障子が開いたことに気が付き、棒をぶつけ合うのを中断し首を巡らせているものもいる。こちらにむけられた顔の中にヒロを探した。ヒロよりも前に、別の男と目がばちりと合った。
彼はすぐさま棒を捨てた。
軽く身震いをすると、たちまち黒い翼が広がった。
光を浴びて虹のような光彩を帯びた。羽が重く空気をたたく音。
こちらへ、飛び上がり向かってくることに気が付いたが、部屋の奥へ身を隠す猶予もなく、暗闇に捉えられた。ヒロかと思った。だけどヒロの羽はもっと漆黒だ。ヒロではない。
再び明るくなった時にははじめからなかったかのように、黒羽を完全に背中に納めた男が縁側に立つ。息が切れている。男の汗と匂いにわたしは震えた。
「……目が覚めたんだね。調子はどう?あ、ごめん、こんな格好で。朝の鍛練中だったから」
男は腰まで落としていた着物をひき上げ、腕を通し、腰ひもを結びなおした。
悠然とした態度に、わたしは名状しがたい不安が生じた。
「……どうしてわたしがここに」
声がかすれた。男は襟を整えると足をすすめる。同じだけ、わたしは下がる。
男は埋まらない距離に気が付き、足を止めた。
「……もしかして僕のこと忘れたんじゃないよね。約束しただろ。時期がきたら必ず迎えに行くって」
男はダイゴだ。ずっと待ち続けて、そして、あきらめた初恋の男。だけど記憶のダイゴと声が違う。身体が違う。重なるようで重ならない。ヒロよりも細いが身体の中に強い芯があるようだ。
「……成れなかった者は大鳥の一族として正式に迎えられることはないわ。外れの森で一生を過ごすのが掟。今すぐわたしを帰して。ここはわたしのいるところではないわ」
「ミイナ、大鳥の山の外では長き戦が終わり、古き世が終焉したんだ。族長も長くはない。もう幾夜も経ないうちに僕が族長になるだろう。そうしたら、まず一番にすることはこの大鳥を縛る古き因習を終わらせる。成るものもそうじゃないものも、大鳥の一族であることにかわりはない。できることと、担う役割が違うだけだ」
ダイゴは手を伸ばした。
そんな節ばった手もしらない。
「……そんな簡単なものじゃないわ」
「そうだとしても、僕は決めたことを変えるつもりはない」
いつの間にか壁に追い詰められていた。
「ダイゴ、わたしはあなたの妻にはなれない。わたしはヒロと結婚した」
不快げに眉が寄せられる。
「ヒロは通うだけで、正式な妻にはしていないだろう?僕は正式に妻に出来る。一族の長には誰も逆らえない」
「本当に何をいっているの?わたしは成れなかった。目の色も髪も薄い。ダイゴは一族を背負うのでしょう?わたしなんて無理よ」
「無理かどうかはわからないだろ?」
「だからその前に、わたしはヒロの、」
わたしの手をとるのをあきらめた手は翻った。
ダイゴはヒロを呼ぶ。
ヒロは近くで控えていたのか縁側のヘリに降り立ち、羽をしまうと片膝をついた。
ダイゴは振り返りもしない。その視線はわたしに注がれつづけた。
「僕とミイナは結婚する。お前よりも先に既に約束を交わした仲だった。異存はないな」
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ヒロの顔は逆光で見えなかった。
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