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第六話 黒鶏
58、夜月を確保せよ②
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エストはその日、はじめのうちはフィンやノルやバルドと闘鶏会場に訪れていた。
彼らに求められるままに強さのポイントなどを説明する。
鶏たちが互いに傷つけあい、けたたましい鳴き声や綿毛が飛ぶ命がけの試合に、会場に集まった男たちの興奮が上がっていく。
彼らは金をかけ、勝負に出ているのだ。
フィンやノルやバルドも、エストに勝てそうな鶏を聞き出してはそれにかけて勝っていた。
エストの見立ては確実ではあるが、エストは鶏にかけようとは思わない。
連れて来た夜月が籠のなかで騒ぎだし、早々に闘鶏会場を後にしたのである。
闘鶏会場のすぐ裏手は、鎮守の森が続いている。
エストは黒々と山深い自然を残した森をいつみても不気味に思う。
エールは圧倒的な強さで、森と平野の国々を制圧した。
平和になった国では子供が生まれ、人口が増加している。
より栄養価の高い食料を安定的に供給するために、未開の森が焼かれ農地や家畜の牧場や、街に姿を変えてきている。
エストのD国も50年前までは大部分が森であったが、今は、開発が進み森は姿を消しつつある。
それなのに、森と平野の諸国を統率するエールの心臓部に、原始の森とでもいうべき手つかずの森が残されていることが不思議であった。この森は他国にまで延々と続いていた。
時折、会場の歓声の間をついて、エストの知らない動物の鳴き声を聞く。
鳥のような、そうでないような。
森と人との境目が明確にあるわけではない。
石を組み上げたり、盛り土をしたり、木製の柵をたてていたり。
その程度である。
森のなかにひそむ何か恐ろしいものが飛び出してくるような気がする。
たとえば夜な夜な子供をさらう四つ足の獣であるとか。
エールの者たちは気にならないのだろうか。
王城に入城することができず王都の宿で待機していた自分の護衛に、森の存在をどのようにエールの国民が思っているのかと聞くと、視界に緑が入っていない方が落ち着かないから森はあってほしい、というような返事が返ってくるという。
森が近いことによる、イノシシや鹿に作物を荒らされたり、時折町に紛れ込んできたイノシシに襲われたりといった事件がないわけではない。
今年は得に、イノシシの出没回数が多いようであり、その度に町は大騒ぎになっているという。
「エストさま、イノシシ狩りが行われる時は、俺も名乗りをあげていいでしょうか。広く人を求め大々的にするそうなのです。特にすることがなくて、道場で体を鍛えているのですが、どうも体がなまり気味でありまして」
そうエストの護衛がぼやいていたのだった。
ジルコンにこの森の存在をどう思っているか聞きたいと思っているところ、薬樹公園の辻で長鳴鶏の謡合わせや、尾長鶏の品評会があると聞き、一部の市民の努力のかたまりのような、ダンスや踊りは演劇から、腰を下ろして見ていたのだった。
そのうちにすっかり夢中になって鶏ではなくて人々の出し物を鑑賞してしまう。
中には戦争で腕を失った若者や、義足の者もいるが、彼らも人の目にさらされても臆せず、ダンスをしたり、口で筆をもち絵を描いていたりしていた。
彼らは勝ち抜いてきたというよりも、戦争加害者であり被害者である当事者の、社会復帰活動の一環としての活動であり、身体の一部を失ったことによる喪失感を乗り超え自己の誇りや自尊心を養うための、表現活動だった。
一方で、賭け事に終日のめり込み持てる金すべてを鶏の勝敗にかけ、目を血走らせている男たちもいる。
エールは幅の広い深い国で、光も闇も飲み込んでいた。
参考にしたい部分も、そうでない部分も混在する。
フォルス王は、力でもってエール流を強要するところがある。
そうでなければ戦争などしないからだ。
ジルコン王子は、そうではない。
エールの次世代にとりいろうとするノルやフィン、バルド、そしてエストが中心になって、田舎者の王子をジルコンの傍から遠ざけようと画策していることに気が付かないジルコンではないだろう。
ジルコン王子はお気に入りに対する考えを改めさせようと、取り巻きたちに強要するのであれば新たな反発を生む。ノルやバルドは笑顔でアデールの王子を迎え入れるが、反発心はふつふつと滾ることになるだろう。
ジルコンはそうしなかった。心を痛めながらも取り巻きの王子たちを、そしてアデールの王子の行動を傍観していた。
バストは夜遅くにつぶやいたことがある。
「もしかして、エールの次期王は腰抜けなのではないか?自分のお気に入りが仲間外れの状態になっているのに、俺らにやめろも配慮せよとも何もいってこないなんてな」
「強国の王になるといっても、しょせんは一人。盛り立ててくれる諸国がなければ絵にかいた餅にすぎないからでしょう」
自慢であるらしいさらさらの髪に触れながら、ノルは話題にもしたくないかのように言う。
この二人が一番感情的にアデールの王子を嫌っている。
バストは、球投げ競技の後から。
ノルは最初からずっと。
フィンは強い方にまかれるタイプかもしれない。
なら、自分は?
彼らの国と囲まれる形で接しているD国は、彼らの意見を尊重することが基本外交方針である。
その方針を自然ととってしまう自分がいる。
だけど本当にそうすべきなのかどうか、疑問に思う自分もいる。
アデールの王子には人として応援したくなるところがある。
鶏に関しては油断すると、アデールの王子と意気投合してしまいそうな危うさがある。
そんなところを、ノルやバルドに見られたら、今度は自分までも、仲間外れにされる危険性があるような気がした。
自分のことが気に入らないからといって、将来結託して、D国の力をそぐような行動をとりはじめたら困るではないか。
そんなことを思っているうちに、謡合わせの時が来た。
素晴らしい節回しと、小さな体すべてを使って渾身でひねり出す歌声の多彩さにあっという間に意識を持っていかれた。優勝した東の鶏が、夜月の繁殖相手としてふさわしいと思えた。
夜月も籠の中で低く、小さく、いままで聞いたことのないような、共鳴する声を出していた。
育種家が完全に帰るまえに話をつけなければと思う。
そんな時に、エストは声を掛けられた。
エストに声をかけたのはアデールの王子だった。
いつから自分の背後に彼らはいたのか。
アデールの王子がジルコン王子と二人でいることに驚く。
二人はお揃いの地味なコートを羽織っている。
ジルコン王子は見たこともないほど、若者らしい楽し気な顔をしていた。
ジルコン王子が王城を出るときに両脇を守る彼の黒騎士たちが見当たらない。
闘鶏も見ず、ジルコン王子はふたりだけで過ごしていたのだとすぐにエストは察した。
ジルコン王子は一貫してアデールの王子がお気に入りだということを隠しもしない。
普段は邪魔をされてただ引き離されているだけなのだ。
不意に、エストの胸がきりきりと痛んだ。
自分がアデールの王子を一緒になって排斥したのは、自国の基本外交方針だけではない。
自分も、今のアデールの王子のように、ジルコンに気に入られたかったのだ。
それも特別に。
アデールの王子がいなければ、自分の方に、ジルコン王子の目が向けられるはずだった。
でもそうならないことは、この夏スクールで数週間過ごすあいだにわかってしまったではないか。
「護衛も連れず、どうしてアデールの王子と一緒にいるのですか」
エストの声がかすれた。
思いがけず非難の色が混ざってしまう。
ただ、知りたかっただけなのに。
案の定、ジルコン王子の顔から笑顔がそぎ落ちた。
エストの良く知る怜悧な冷たさを、その宝石のような青い目に宿らせた。
「お前たちがこいつとの間を邪魔しても、それは勝手にしたらいいと思うが、俺は彼と過ごしたいから過ごす。
俺のお気に入りというだけで気に入らないのだとしたら、それはお前の、お前たち側の、気持ちの問題だ。
苦しみも悲しみも、悩みも煩悶も、感じているもの自身が自分でその存在を見つめて、昇華しなければ、姿を変え形をかえ時を変えて、それはいつまでも現れるぞ。それでいいのならば、いつまでも同じことをぐるぐるとし続けたらいい。それが嫌なのであれば、自分自身で断つべきではないか?」
その通りだとエストは思う。
「僕は気にしてないからいいよ。それより、鶏はどうしてあんなに長く尾が……」
アデールの王子はエストとジルコンの間の緊張の糸を断ち切りにかかる。
舞台では鮮やかな緑や赤色の尾の鶏が披露されている。
その時女性のつんざくような悲鳴がマーケットの方から聞こえた。
女性に続いて、悲鳴や怒号が混ざり、マーケットの一角が騒がしくなる。
尾長鶏を鑑賞していた観客たちは、浮足だちその方向をみた。
悲鳴にまざり土煙も上がっているようだった。
「イノシシが暴れている!そっちに向かったぞ!気を付けろ!」
大音声で叫ばれた必死な声が、エストたちに届いたのである。
彼らに求められるままに強さのポイントなどを説明する。
鶏たちが互いに傷つけあい、けたたましい鳴き声や綿毛が飛ぶ命がけの試合に、会場に集まった男たちの興奮が上がっていく。
彼らは金をかけ、勝負に出ているのだ。
フィンやノルやバルドも、エストに勝てそうな鶏を聞き出してはそれにかけて勝っていた。
エストの見立ては確実ではあるが、エストは鶏にかけようとは思わない。
連れて来た夜月が籠のなかで騒ぎだし、早々に闘鶏会場を後にしたのである。
闘鶏会場のすぐ裏手は、鎮守の森が続いている。
エストは黒々と山深い自然を残した森をいつみても不気味に思う。
エールは圧倒的な強さで、森と平野の国々を制圧した。
平和になった国では子供が生まれ、人口が増加している。
より栄養価の高い食料を安定的に供給するために、未開の森が焼かれ農地や家畜の牧場や、街に姿を変えてきている。
エストのD国も50年前までは大部分が森であったが、今は、開発が進み森は姿を消しつつある。
それなのに、森と平野の諸国を統率するエールの心臓部に、原始の森とでもいうべき手つかずの森が残されていることが不思議であった。この森は他国にまで延々と続いていた。
時折、会場の歓声の間をついて、エストの知らない動物の鳴き声を聞く。
鳥のような、そうでないような。
森と人との境目が明確にあるわけではない。
石を組み上げたり、盛り土をしたり、木製の柵をたてていたり。
その程度である。
森のなかにひそむ何か恐ろしいものが飛び出してくるような気がする。
たとえば夜な夜な子供をさらう四つ足の獣であるとか。
エールの者たちは気にならないのだろうか。
王城に入城することができず王都の宿で待機していた自分の護衛に、森の存在をどのようにエールの国民が思っているのかと聞くと、視界に緑が入っていない方が落ち着かないから森はあってほしい、というような返事が返ってくるという。
森が近いことによる、イノシシや鹿に作物を荒らされたり、時折町に紛れ込んできたイノシシに襲われたりといった事件がないわけではない。
今年は得に、イノシシの出没回数が多いようであり、その度に町は大騒ぎになっているという。
「エストさま、イノシシ狩りが行われる時は、俺も名乗りをあげていいでしょうか。広く人を求め大々的にするそうなのです。特にすることがなくて、道場で体を鍛えているのですが、どうも体がなまり気味でありまして」
そうエストの護衛がぼやいていたのだった。
ジルコンにこの森の存在をどう思っているか聞きたいと思っているところ、薬樹公園の辻で長鳴鶏の謡合わせや、尾長鶏の品評会があると聞き、一部の市民の努力のかたまりのような、ダンスや踊りは演劇から、腰を下ろして見ていたのだった。
そのうちにすっかり夢中になって鶏ではなくて人々の出し物を鑑賞してしまう。
中には戦争で腕を失った若者や、義足の者もいるが、彼らも人の目にさらされても臆せず、ダンスをしたり、口で筆をもち絵を描いていたりしていた。
彼らは勝ち抜いてきたというよりも、戦争加害者であり被害者である当事者の、社会復帰活動の一環としての活動であり、身体の一部を失ったことによる喪失感を乗り超え自己の誇りや自尊心を養うための、表現活動だった。
一方で、賭け事に終日のめり込み持てる金すべてを鶏の勝敗にかけ、目を血走らせている男たちもいる。
エールは幅の広い深い国で、光も闇も飲み込んでいた。
参考にしたい部分も、そうでない部分も混在する。
フォルス王は、力でもってエール流を強要するところがある。
そうでなければ戦争などしないからだ。
ジルコン王子は、そうではない。
エールの次世代にとりいろうとするノルやフィン、バルド、そしてエストが中心になって、田舎者の王子をジルコンの傍から遠ざけようと画策していることに気が付かないジルコンではないだろう。
ジルコン王子はお気に入りに対する考えを改めさせようと、取り巻きたちに強要するのであれば新たな反発を生む。ノルやバルドは笑顔でアデールの王子を迎え入れるが、反発心はふつふつと滾ることになるだろう。
ジルコンはそうしなかった。心を痛めながらも取り巻きの王子たちを、そしてアデールの王子の行動を傍観していた。
バストは夜遅くにつぶやいたことがある。
「もしかして、エールの次期王は腰抜けなのではないか?自分のお気に入りが仲間外れの状態になっているのに、俺らにやめろも配慮せよとも何もいってこないなんてな」
「強国の王になるといっても、しょせんは一人。盛り立ててくれる諸国がなければ絵にかいた餅にすぎないからでしょう」
自慢であるらしいさらさらの髪に触れながら、ノルは話題にもしたくないかのように言う。
この二人が一番感情的にアデールの王子を嫌っている。
バストは、球投げ競技の後から。
ノルは最初からずっと。
フィンは強い方にまかれるタイプかもしれない。
なら、自分は?
彼らの国と囲まれる形で接しているD国は、彼らの意見を尊重することが基本外交方針である。
その方針を自然ととってしまう自分がいる。
だけど本当にそうすべきなのかどうか、疑問に思う自分もいる。
アデールの王子には人として応援したくなるところがある。
鶏に関しては油断すると、アデールの王子と意気投合してしまいそうな危うさがある。
そんなところを、ノルやバルドに見られたら、今度は自分までも、仲間外れにされる危険性があるような気がした。
自分のことが気に入らないからといって、将来結託して、D国の力をそぐような行動をとりはじめたら困るではないか。
そんなことを思っているうちに、謡合わせの時が来た。
素晴らしい節回しと、小さな体すべてを使って渾身でひねり出す歌声の多彩さにあっという間に意識を持っていかれた。優勝した東の鶏が、夜月の繁殖相手としてふさわしいと思えた。
夜月も籠の中で低く、小さく、いままで聞いたことのないような、共鳴する声を出していた。
育種家が完全に帰るまえに話をつけなければと思う。
そんな時に、エストは声を掛けられた。
エストに声をかけたのはアデールの王子だった。
いつから自分の背後に彼らはいたのか。
アデールの王子がジルコン王子と二人でいることに驚く。
二人はお揃いの地味なコートを羽織っている。
ジルコン王子は見たこともないほど、若者らしい楽し気な顔をしていた。
ジルコン王子が王城を出るときに両脇を守る彼の黒騎士たちが見当たらない。
闘鶏も見ず、ジルコン王子はふたりだけで過ごしていたのだとすぐにエストは察した。
ジルコン王子は一貫してアデールの王子がお気に入りだということを隠しもしない。
普段は邪魔をされてただ引き離されているだけなのだ。
不意に、エストの胸がきりきりと痛んだ。
自分がアデールの王子を一緒になって排斥したのは、自国の基本外交方針だけではない。
自分も、今のアデールの王子のように、ジルコンに気に入られたかったのだ。
それも特別に。
アデールの王子がいなければ、自分の方に、ジルコン王子の目が向けられるはずだった。
でもそうならないことは、この夏スクールで数週間過ごすあいだにわかってしまったではないか。
「護衛も連れず、どうしてアデールの王子と一緒にいるのですか」
エストの声がかすれた。
思いがけず非難の色が混ざってしまう。
ただ、知りたかっただけなのに。
案の定、ジルコン王子の顔から笑顔がそぎ落ちた。
エストの良く知る怜悧な冷たさを、その宝石のような青い目に宿らせた。
「お前たちがこいつとの間を邪魔しても、それは勝手にしたらいいと思うが、俺は彼と過ごしたいから過ごす。
俺のお気に入りというだけで気に入らないのだとしたら、それはお前の、お前たち側の、気持ちの問題だ。
苦しみも悲しみも、悩みも煩悶も、感じているもの自身が自分でその存在を見つめて、昇華しなければ、姿を変え形をかえ時を変えて、それはいつまでも現れるぞ。それでいいのならば、いつまでも同じことをぐるぐるとし続けたらいい。それが嫌なのであれば、自分自身で断つべきではないか?」
その通りだとエストは思う。
「僕は気にしてないからいいよ。それより、鶏はどうしてあんなに長く尾が……」
アデールの王子はエストとジルコンの間の緊張の糸を断ち切りにかかる。
舞台では鮮やかな緑や赤色の尾の鶏が披露されている。
その時女性のつんざくような悲鳴がマーケットの方から聞こえた。
女性に続いて、悲鳴や怒号が混ざり、マーケットの一角が騒がしくなる。
尾長鶏を鑑賞していた観客たちは、浮足だちその方向をみた。
悲鳴にまざり土煙も上がっているようだった。
「イノシシが暴れている!そっちに向かったぞ!気を付けろ!」
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