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第六章 収穫祭
第40話 収穫祭②2
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祭りの始まる夕刻が近づくにつれて、王城の中はかえって静けさが増していく。
衣装も着替えた。
シャディーンはいつくるのか。
来てくれるのか。
先ほど扉をたたく音で、シャディーンかもしれないと期待したのだけど、ルシルス王子の使いだという衣装部の女だった。彼女の目は真っ赤で睡眠不足が見て取れた。
胸に押し抱くように抱えてきた箱を、わたしに押し付けた。
「ルシルス王子から、儀式にはこれを身に着けるようにとのことです」
わたしが受け取ると、衣装部の女はほっとしたようにふらふらと去っていく。
「なんなんでしょう?ルシルス王子からのプレゼントでしょうか?」
アリサは期待のこもる弾んだ声で尋ねるが、どうしてそう能天気になれるのか。
彼女と違ってわたしは嫌な気持ちしかしない。
箱の中には黒々としたものが渦を巻いていた。
底のないブラックボックスを開いてしまったのかと錯覚する。
この前の新月の夜のような、ジュリアの意識深くに落ち込んでしまっていくかのような、そんなめまいが襲う。
取り落としかけた箱をとっさにアリサが引き受ける。
「これは!新たなかつらですね!ルシルス王子が手配されたのですね!まっすぐで、艶があって見事な髪ですわ!」
アリサはうっとりと眺め、引き出した。
せき止められていた瀑布が流れ落ちるように、きらめきながら弾み落ち、絹糸のような繊細な黒髪がうねった。
「これで完璧ですね!何か足りないと思っていたところだったんです!一つに束ねられているので、かぶるのではなくて、ジュリさまの髪を後ろで束ね、わからないようにつなげましょう。花をこうして飾ればつなぎ目はわかりません。頭の地毛よりも、背中に流れ落ちる美しい御髪に目が行きますから。さっそくルシルス王子の好意に預かりましょう!」
「……あんた、それ本気で言ってるの」
そういうだけで声がかすれた。
アリサはさっと櫛でわたしの頭を調え後ろでまとめ、自分の思うようにわたしの髪の一部のように整えた。
まとめた長い黒髪を左肩から胸に垂らす。
枝毛一つない毛先はみぞおちまであった。
ベルベットのような吸い付くような手触りのこの髪の本来の持ち主が誰だかわかったら、アリサは平気でいられるのだろうか。
「ただの見事な髪じゃないわ。これはジュリア姫の髪よ」
「え……?まさか。だってルシルスさまがジュリアさまの髪を切るのをお許しになるはずがないじゃないですか」
「でも、そうしたようね」
アリサの手から櫛が滑り落ちた。
「ジュリアさまの髪を身に着けるなんてこと許されるはずがありません。なんて恐れ多い……」
喜々としてつなげたのはアリサなのに、今度は引きはがそうとその目に焦りが浮かぶ。
再び扉がたたかれた。
窓の外は薄墨を落としたような夕闇が迫っている。
扉の外にはルシルス王子が立ち、王子の後ろには黒のフードに身を包むシャディーンが控えていた。
「ジュリさま、もう髪を戻す時間はありません」
一生の不覚のごとくアリサは言い、ルシルス王子は手をさし伸ばしわたしの手を取った。
王子の目がわたしの姿をうっとりと眺め、満足気にうなずく。
「美しい。まるでジュリアそのものです」
お姫さまの髪、お姫さまの儀式用のドレス、靴、香りに化粧。
居心地が悪すぎる。
「やはり、気がのらないからやめます、はだめですか?」
「あと数日であなたは解放されてもとの世界に戻るのですから。最後の役目だと思ってください。なるだけ顔をまっすぐ前へ。わたしがそばにいます。エスコートしますから、どうかご安心ください。わたしがあなたを姫として扱えば、その美しい髪の娘は妹にしか見えませんから」
「でも、やっぱり、気が乗らない。シャディーン、あんたも何か言ってよ」
振り返ってみたシャディーンの顔は蒼白で、艶めく黒髪が青く燃え上がるのではないかと思えるぐらい、見つめていた。動揺を隠せない目の冷たさに背筋が凍る。
「いつ、用意されたのですか」
シャディーンの絞り出された声はかすれる。
「昨夜。ジュリが妹の部屋をでてから」
「そこまでする必要があるのですか」
「ジュリアが目覚めるときと布石としては、今日の健在アピールは重要だろう?」
「樹里には、体調不良の姫の指示に基づき酒造りを手伝ったというだけで充分です。わざわざ姫の代わりをさせることもないのでは」
シャディーンはわたしを代役にたてるのは反対のようだ。
縋りつくようにシャディーンを見る。
「こうしてわたしの手を取り歩く姿は、お前の目から見てもジュリアに見えないこともないだろう?わたしはずいぶん待ったのだ。これ以上待てないというぐらいに。だから、これぐらいの慰めは許してくれてもいいだろう?」
シャディーンの目が揺れ惑う。
その目に映るのはわたしではない。ジュリア姫だった。
この世界にわたしを引き込んだ若き魔術師シャジャーンは、触れることのできないジュリアの代わりにわたしを抱く。
彼も、ジュリアが目覚める姿を一日も早く見たいのだ。
次の儀式が終えるのを待てないほどに。それはルシルス王子と全く同じだった。
無言はルシルス王子の言葉を肯定したも同然である。
わたしは代役を逃れられないのを悟る。
なら、顔を上げて歩くしかなかった。悲しくて泣きたくなった。わたしは、わたし自身を愛してくれる人はいない。身体を与えても、シャディーンは共に育ったジュリア姫を選ぶ。これは、美奈から貴文を奪った罰なのか。
「きれいだよ。まるでジュリアのようだ」
耳元でルシルス王子が甘くささやいた。
衣装も着替えた。
シャディーンはいつくるのか。
来てくれるのか。
先ほど扉をたたく音で、シャディーンかもしれないと期待したのだけど、ルシルス王子の使いだという衣装部の女だった。彼女の目は真っ赤で睡眠不足が見て取れた。
胸に押し抱くように抱えてきた箱を、わたしに押し付けた。
「ルシルス王子から、儀式にはこれを身に着けるようにとのことです」
わたしが受け取ると、衣装部の女はほっとしたようにふらふらと去っていく。
「なんなんでしょう?ルシルス王子からのプレゼントでしょうか?」
アリサは期待のこもる弾んだ声で尋ねるが、どうしてそう能天気になれるのか。
彼女と違ってわたしは嫌な気持ちしかしない。
箱の中には黒々としたものが渦を巻いていた。
底のないブラックボックスを開いてしまったのかと錯覚する。
この前の新月の夜のような、ジュリアの意識深くに落ち込んでしまっていくかのような、そんなめまいが襲う。
取り落としかけた箱をとっさにアリサが引き受ける。
「これは!新たなかつらですね!ルシルス王子が手配されたのですね!まっすぐで、艶があって見事な髪ですわ!」
アリサはうっとりと眺め、引き出した。
せき止められていた瀑布が流れ落ちるように、きらめきながら弾み落ち、絹糸のような繊細な黒髪がうねった。
「これで完璧ですね!何か足りないと思っていたところだったんです!一つに束ねられているので、かぶるのではなくて、ジュリさまの髪を後ろで束ね、わからないようにつなげましょう。花をこうして飾ればつなぎ目はわかりません。頭の地毛よりも、背中に流れ落ちる美しい御髪に目が行きますから。さっそくルシルス王子の好意に預かりましょう!」
「……あんた、それ本気で言ってるの」
そういうだけで声がかすれた。
アリサはさっと櫛でわたしの頭を調え後ろでまとめ、自分の思うようにわたしの髪の一部のように整えた。
まとめた長い黒髪を左肩から胸に垂らす。
枝毛一つない毛先はみぞおちまであった。
ベルベットのような吸い付くような手触りのこの髪の本来の持ち主が誰だかわかったら、アリサは平気でいられるのだろうか。
「ただの見事な髪じゃないわ。これはジュリア姫の髪よ」
「え……?まさか。だってルシルスさまがジュリアさまの髪を切るのをお許しになるはずがないじゃないですか」
「でも、そうしたようね」
アリサの手から櫛が滑り落ちた。
「ジュリアさまの髪を身に着けるなんてこと許されるはずがありません。なんて恐れ多い……」
喜々としてつなげたのはアリサなのに、今度は引きはがそうとその目に焦りが浮かぶ。
再び扉がたたかれた。
窓の外は薄墨を落としたような夕闇が迫っている。
扉の外にはルシルス王子が立ち、王子の後ろには黒のフードに身を包むシャディーンが控えていた。
「ジュリさま、もう髪を戻す時間はありません」
一生の不覚のごとくアリサは言い、ルシルス王子は手をさし伸ばしわたしの手を取った。
王子の目がわたしの姿をうっとりと眺め、満足気にうなずく。
「美しい。まるでジュリアそのものです」
お姫さまの髪、お姫さまの儀式用のドレス、靴、香りに化粧。
居心地が悪すぎる。
「やはり、気がのらないからやめます、はだめですか?」
「あと数日であなたは解放されてもとの世界に戻るのですから。最後の役目だと思ってください。なるだけ顔をまっすぐ前へ。わたしがそばにいます。エスコートしますから、どうかご安心ください。わたしがあなたを姫として扱えば、その美しい髪の娘は妹にしか見えませんから」
「でも、やっぱり、気が乗らない。シャディーン、あんたも何か言ってよ」
振り返ってみたシャディーンの顔は蒼白で、艶めく黒髪が青く燃え上がるのではないかと思えるぐらい、見つめていた。動揺を隠せない目の冷たさに背筋が凍る。
「いつ、用意されたのですか」
シャディーンの絞り出された声はかすれる。
「昨夜。ジュリが妹の部屋をでてから」
「そこまでする必要があるのですか」
「ジュリアが目覚めるときと布石としては、今日の健在アピールは重要だろう?」
「樹里には、体調不良の姫の指示に基づき酒造りを手伝ったというだけで充分です。わざわざ姫の代わりをさせることもないのでは」
シャディーンはわたしを代役にたてるのは反対のようだ。
縋りつくようにシャディーンを見る。
「こうしてわたしの手を取り歩く姿は、お前の目から見てもジュリアに見えないこともないだろう?わたしはずいぶん待ったのだ。これ以上待てないというぐらいに。だから、これぐらいの慰めは許してくれてもいいだろう?」
シャディーンの目が揺れ惑う。
その目に映るのはわたしではない。ジュリア姫だった。
この世界にわたしを引き込んだ若き魔術師シャジャーンは、触れることのできないジュリアの代わりにわたしを抱く。
彼も、ジュリアが目覚める姿を一日も早く見たいのだ。
次の儀式が終えるのを待てないほどに。それはルシルス王子と全く同じだった。
無言はルシルス王子の言葉を肯定したも同然である。
わたしは代役を逃れられないのを悟る。
なら、顔を上げて歩くしかなかった。悲しくて泣きたくなった。わたしは、わたし自身を愛してくれる人はいない。身体を与えても、シャディーンは共に育ったジュリア姫を選ぶ。これは、美奈から貴文を奪った罰なのか。
「きれいだよ。まるでジュリアのようだ」
耳元でルシルス王子が甘くささやいた。
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