セイクリッド・カース

気高虚郎

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第1章:その便利屋、お尋ね者につき

第5話:終焉のラッパ(挿絵あり)

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※ ※ ※ アリアンナ邸 ※ ※ ※

「疲れた…。」

「お疲れ様です。」

すっかりくたくたのブレゴと余裕なフィリップはシャンデリアの残骸のそばにいた。
昨日、便利屋が廃品に変えてくれたシャンデリアを屋外に運び出したところだ。

「まだ半分も片付いてないよな。なんてでかさだよ、このシャンデリアは。」

「アリアンナ家の名物でしたからね。埃や蜘蛛の巣を拭うのも一苦労でした。このシャンデリアの下で、多くのパーティーが催されたものです。私の代でその役目を終えるとは意外でした。」

このシャンデリアは多くを照らしてきた。
華やかな宴、栄誉ある授与式、めでたい結婚式。
実に長い付き合いだった。

「爺さん。昨夜、何があったんだ?どうしてよそで泊ってきたんだ?」

ブレゴの問いにフィリップは答えを思案した。
ロレインの依頼について話すわけにはいかない。
だが、素直に自分を信頼してくれるブレゴを騙すのも気が引ける。

「昨日、お嬢様がご友人を連れて屋敷にお越しになられたのです。その友人が例の賊だったのです。大変、美しい方でしたね。」

ゆえにフィリップは真実の断片を話すことにした。
出来るだけ偽らずにすむように。

「賊はすぐに旦那様と打ち解けました。皆さまに黙っていたのは、旦那様の計らいでサプライズゲストとして紹介する予定だったからです。失恋したばかりの方もいたので、いい気付けになるだろうとね。」

「失恋したって…、おれのことだな。」

良いボスだ、とブレゴは改めて思った。
自分なんかの恋愛事情を把握してくれていたとは。

「私が賊に入浴の案内を済ませた後でした。旦那様とお嬢様の喧噪が聞こえてきたのです。赴いてみると、それはもう激しい口論を繰り広げておられました。」

喧嘩が苦手なロレインに便利屋はアドバイスをした。放置している問題を掘り起こすだけでいいと。
それによって本気の喧嘩がティモシーとロレインの間で行われた。
ロレインも演技ではなかっただろう。

「ついにお嬢様は夜にも拘わらず、馬に乗って屋敷を飛び出してしまったのです。夜の屋外にお嬢様を放っておくわけには参りません。私も馬に乗ってお嬢様を追いかけました。そしてお嬢様が行き着いたご夫婦の家に、もう夜は危険だからと泊まらせていただいたのです。」

そして老夫婦の家でロレインは話してくれた。
友人の正体は自分の依頼を請け負ってくれた便利屋だということを。
そして喧嘩はティモシーの気を引くためにやったということも。

「なるほど。だから全裸だったのか。」

「全く、とんだ自己紹介をやったものです。」

フィリップは便利屋が裸だったことに感謝した。おかげで追及をされずにすむ。
なぜ裸だったのかと聞くと、服を着る時間が惜しかったかららしい。
本人は裸体であることにこれっぽっちも気にしていなかった。

「さて、瓦礫の撤去を再開しますか。それとも休憩されますか?」

すかさず話題変更だ。

「ああ、そうだな。賊を取り逃がしちまったんだ。片付けぐらいやらないと罰が当たる。」

「いえいえ。皆さんがご無事でなによりでした。それこそ取り返しのつかないことになってましたしね。」

ブレゴには分かる。
フィリップは気遣いなどしていない。
彼は心から無事を喜んでくれている。
屋敷を壊され、蹴飛ばされ、何の役にも立たなかった自分たちを。
どんな人生を送ればここまで優しくなれるのだ。

「でも、想い出がいっぱいあるシャンデリアだったんだろ。悔しくないのかよ。」

「幸福な結末を迎えられずとも、想い出が無駄になることはありません。結末によって全てが台無しになってしまうのであれば、この世界は幸福な結末を迎えられなかった者の怨念で再び滅んでいるでしょう。救い主ソルゼの最期も決して幸福な結末ではありませんでしたが…。」

「ええ!」

ソルゼの話題の直後だった。
ブレゴはフィリップに血相を変えて、詰め寄った。

「ソルゼって旅が終わってめでたしめでたしじゃなかったのかよ!」

「めでたしめでたし…って、旅が終わった後を知らないのですか?」

「知らねえ!その後に何があったんだ!?」

フィリップの脳裏に過去の記憶が去来した。
まさか救い主のお話を知らなかったとは。彼を思い出す。
辛い時代を共に生き延びた彼の事を。

「ブレゴ様。ではお話しましょう。旅の終わりに何があったかを。心してお聞きください。」



※ ※ ※ 《回想》50年前 ある地下室 ※ ※ ※



「バルマン。また間違えてるぞ。ルシファーを討ち取ったのはミカエル様だ。どうして覚えてくれないんだ。」

「ミカエルでも、ガブリエルでも、ラファエルでも一緒だろ。」

「天使様を、ましてや3大天使様を一緒くたにするなど言語道断です!」

暗い部屋で若い3人の男女が揉めている。
1人は使用人、1人は学者見習い、1人は神学生。

「叫ぶなよ、マデリーン。説教は勘弁してくれ。」

「どうして憶えられないのですか!?考古学に関することならすぐに憶えるのに!」

また始まったとばかりにフィリップは頭を抱えた。
バルマンとマデリーンがこうなると長い。

「いいですか!あなたの興味に関係なく、憶えなければ危険なんです!そもそもあなたには危機意識というものが…!」

「はいはい。」

バルマンがマデリーンの怒りを適当に流した直後だった。
暗がりの部屋が急に明るくなったのは。

「バルマン!軽々しく使うなって言っただろ!それが命取りになるんだぞ!」

フィリップもまた振り返って怒鳴った。
バルマンが蝋燭に火を灯したからだ。
正確には火を灯すのに不思議な力を使ったからだ。

「すまん、すまん。暗かったから。2人とも怒鳴るなって。とにかく再開しようぜ。じゃあ、旅の終わりの章をやろう。こっちはばっちり憶えてるから。」

「本当でしょうね?一言一句間違えれば承知しませんよ。」

2人がかりで怒られるのに辟易したバルマンはとっとと本題に入ることにした。
救い主のお話をバルマンが記憶しているかをチェックしに来たのであって、説教を喰らいに来たのではないのだ。

「じゃあ、バルマンは救い主ソルゼ、マデリーンは元囚人、僕は語り部。早速はじめよう。」



~~劇:旅の終わりの章 ソルゼ:バルマン 元囚人:マデリーン 語り部:フィリップ~~



ソルゼと元囚人の長い旅は終わりを迎えました。
2人は丘の上に立ち、お互いの心境を語らいます。

「ついに旅が終わったな、ソルゼよ。今の気分はどうだ?」

「不思議な気分だ。嬉しくもあり、寂しくもあり、解放されたかのようでもある。これで私の戦いが終わりを迎えたわけではないが、ようやく一息つけるというものだ。」

ソルゼ、元囚人、そして天使たちは多くの苦難を切り抜けました。
彼らはついに世直しを果たしたのです。

「そうか。だがもう戦う必要はない。もう全て終わるからだ。」

「全て終わる?どういうことだ?」

元囚人とソルゼが振り返るとそこにはガブリエル含めた7人の天使たちがいます。
しかし、様子が違いました。なんと天使たちはひざまづいていたのです。

「始めろ。」

元囚人がその言葉を発すると、7人の天使たちはラッパを吹きました。
天使たちのラッパは地平線の向こう、世界中に響き渡りました。
ラッパが吹き終わり、長い沈黙が流れました。

「わが友よ、天使たちよ、これは一体…?」

ソルゼの言葉はすさまじい轟音にかき消されました。
丘から見える山が、天に向かって火を噴きだしたのです。

「な…!」

動揺しているのはソルゼだけです。
元囚人も天使たちも落ち着いて、地獄に変わりつつある世界を眺めていました。
ソルゼは元囚人の正体を悟りました。天使ともあろうものが跪く存在は他にありません。

「君は…、神なのか!?」

「そうだ。」

ソルゼを長き旅に誘った者、それは神だったのです。

「何故だ!?旅は終わり、世界は救われた!なんでこんな真似をする!?」

「本当はもっと早くこうするつもりだった。対等な存在である君との旅で、私の何かが変わるのではと思ったがそうはならなかった。」

人々の悲鳴が響き渡ります。
これから天変地異が起ころうとしているのです。

「この世の悪を裁き、世を平定した。しかし、人は愛する存在のために罪を犯している。視点を変えればどうだ。草木でさえ、大地や日光を奪い合っている。あらゆる生命は罪無くしては成り立たないのだ。生命を創造したことは間違いだった、ゆえに私が終わらせる。」

「創造物に引導を渡すのもまた創造主の義務だというのか。だが、こうも考えられるはずだ。創造物の行く末を見守ることもまた創造主の義務ではないのか!こんなことはやめるんだ!」

対話を試みようとするソルゼをよそに、神は天へと浮いていきます。

「もう決めたことだ。ソルゼよ、伴侶と共に高いところへ逃げろ。程なくして大地は炎で覆われる。全てが燃え尽きた後の世界で生を全うする権利を、君たちに与えよう。」

「待ってくれ!」

ソルゼの言葉も虚しく、神は天使たちと共に天へと昇っていきました。
こうして世界の終わりが始まったので…。

「あはははは!」

「ちょっと、バルマン!何を笑っているのですか!?」

あーもう、中止中止。


~~~劇:中止~~~


「どうして、あなたはそうなのですか!いつもいつも!」

「だってさ!マデリーンが神になりきって『そうだ』なんて腹痛くて、笑いこらえるのに必死で…!あはははは!」

マデリーンの表情がドンドン険しくなっていく。
なぜこうもバルマンはマデリーンを怒らせるのか。

「バールーマーンー!!」

怒りが最高潮に達したようだ。
マデリーンは鈍器のような分厚い本を持ってバルマンに近づく。

「ちょ、おい。マデリーン、冗談だって…!神学生だろ、暴力に訴えていいのか?フィリップも何とか言ってくれ!」

「ああ、もう。勝手にしてくれ。」

フィリップは無視を決め込んだ。
今のマデリーンは誰にも止められないのだ。

「待て、マデリーン。待てって…!あああああ!」

マデリーンの怒りが込められた本がバルマンに振り下ろされた。


※ ※ ※《現在》バルマンの家※ ※ ※


「ぐわあああああ!」

絶叫を上げてバルマンは起きた。
酷い夢をみたものだ。

「起きられましたか、教授。」

眠気と痛みでぐちゃぐちゃの頭。
そして視界に入ってきたのは美の神かと思える美しき存在だった。

「な、なんじゃ!おぬし、どの神話の神じゃ!迎えか!?まだ楽園に行くつもりはないぞ!わしにはやることがあるんじゃ!たとえ妻に逃げられても、学会で落ちぶれようとも…!」

「俺です、便利屋です。落ち着いて記憶を遡ってください。」


                


「いやー、ひどい夢を見たわい。」

「人にこの汚い部屋を片付けさせておいて、呑気に寝ないでください。解読できたんですか、魔法陣は?」

「出来とるわい!これを見るがいい!」

バルマンが指差すは魔法陣のほんの一箇所。
そこには翼が生えた人が細長い棒を咥える姿が簡素に描かれている。

「このマークは終焉のラッパじゃ。かつて世界が終わりを迎えたとき、7人の天使はラッパを吹いた。天使のラッパが世界の終わりを告げる、それは聖涙教も夜の羽根も同じじゃ。」

翼が生えた人は天使、細長い棒はラッパということだ。

「このマークが意味をしているのは文字通り終焉。この魔法陣の終焉、つまり文章でいうピリオドというわけじゃ。」

「なるほど、ピリオド。で、それ以外は?」

バルマンはその問いにジェスチャーで答えることにした。
両手の掌を天井に向け、お茶目な表情をして出来上がり。
さっぱりわからないのポーズだ。



「ストーーップ!ストーーーーーーップ!!この魔法陣にはあらゆる地域のあらゆる時代のあらゆる文明のシンボルや文字が使われておる!人間、エルフ、ドワーフ、問わずにじゃ!法則性も分からん!この魔法陣を理解できるのは有史以来、作ったものしかおらん!」

鈍器のように分厚い本を振り上げる便利屋を必死に説得するバルマンであった。
ようやく正直に全てを吐いた。

「現代考古学の最先端で分かったのがピリオドだけ!?なんだったんですか、あのえらそうな啖呵は!?」

「いやー、それがのぉ。実は学会で色々あって落ちぶれてしまってのう。しかも色々、事情もあってな。最新の論文とかも取り寄せてはおったんじゃが目を通しておらんかったんじゃ。」

というわけで現代考古学の最先端は惨敗を喫したのである。

「期待させておいて…!悪魔並みにたちが悪いですよ。」

「はん!じゃが神よりはましじゃ!救っておいてやっぱり滅ぼすんじゃからな!」

「長い旅をしてましたからね。気が変わったんですよ。あ、気が変わらなかったから滅ぼしたんでしたね。」

呑気に絶望に蹴落としてくれた考古学者に、便利屋も罰当たりなジョークを返した。
とにかくこれでお先は真っ暗である。

「まあ、分かったこともある。間違いなくこの魔法陣はティモシーが作ったものではない。」

バルマンの面持ちが変わった。
先ほどとは違い、確信に近づいたような表情だ。

「わしはアリアンナ家の特別顧問をやったこともある。ティモシーに歴史を教えた。しかし、それは飽くまで教養の範囲内じゃ。歴史の専門家のわしにさえ、さっぱり分からない魔法陣を作れるはずがないんじゃ。」

この魔法陣はもはや世界中の英知をかき集めて作られたといっても過言ではない。
いくら大貴族の当主であるとはいえ不可能だ。

「頼む、便利屋よ。全てを、依頼の詳細を教えてほしい。一体、何故にティモシーの部屋に忍び込んだんじゃ?情報の守秘義務の事なら心配はいらん。ロレインもわしに話すのであれば納得してくれる。」

便利屋はバルマンの目を見た。
あったばかりの飄々とした雰囲気とは一転した真剣さだ。

「わかりました。一から話します。おれがアリアンナ邸で何をしたかを。」

全てを打ち明けるに足る信頼がそこにはある。
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